第40話 個人戦の対策

 10月になり、一気に秋の気配が感じられるようになってきた。


「ハナちゃん、あんなの見せつけられたら、今日の部活、わたし、どんな顔して行けばいいんだろう?」


「うーむ、しかし、わしらは見ていないことになっているからの。普段通り接せねばの」


 イロハも花子も、悶々としながら放課後の投資部を訪れる。


 二人は、先週、アヤノとカリンが夜に公園で、ただならぬ雰囲気になっていたのを目撃してしまっている。


 もちろん、二人の友情は知っている。ただ、どうも、二人の関係は、それ以上に発展しようとしているような、そうでないような……。


 部室に入る。


 今日は、アヤノもカリンもそろっている。


 ただ、二人のほかに、剣道部のマキもきていた。


「おっす、イロハ、花子!」


「あ、マキ先輩」


 マキはアヤノとカリンと一緒に談笑していたようで、イロハと花子が考えるほど、おかしな雰囲気にはなっていなかった。


「マキが、さっそく投資甲子園に参加する学校の旅券を手配してくれたんだ」


 ニコニコしながらカリンが言う。


「そう。剣道部の三年生の大会、今週末の三連休なのに、ありがとうございます」


「うん、このくらい朝飯前さ」


 マキは、投資甲子園に参加する学校名が記入された封筒から、電車の切符や航空券を出して、アヤノとカリンに確認してもらっている。


「わ、わたしも手伝います」


 イロハはあわてて、手伝いの輪に加わった。


「うむ? ところでマキよ」


「ん? なんだ花子?」


「お主、今週末の三連休が剣道部の大会なのじゃろ。手伝ってくれるのはありがたいが、今日はそもそも剣道の格好をしていないの」


「おう、よく聞いてくれたな花子!」


 マキは、フンと鼻を強く鳴らして、ポケットから一枚のチケットを取り出した。


「今日は特別にウチは休みだ。これから、令和神宮球場に行って、ヤクブツペンギンズの最終戦の観戦だぜ!」


 マキは自慢げにチケットを見せびらかしている。


「もう、当日券は販売しないことが決まってるからな。このチケットも、発売開始と同時に取ったんだぜ」


「え、でも、ペンギンズって、もう優勝決まったんですよね」


「イロハ、分かってねーな。町神様の56号ホームランがかかってるんだぜ。それに、最終戦は引退試合も兼ねてるからな」


「あはは」


 イロハは、あまりスポーツには詳しくないし、野球にも興味を持っているわけではなかった。


 しかし、マキの浮かれる顔を見ると、なんだか自分まで嬉しくなる。




 しばらくして、マキは嬉しそうに手を振って部室を出て行った。


 それと入れ違いに、生徒会長のスズメと、副会長のシホが投資部に入ってきた。


「あ、スズメ」


 最初に声をかけたのはカリンだった。


「参加校の旅券、全部取れたよ。今確認して、漏れもないようだよ」


「ああ、ありがとう……」


 スズメは、カリンに声をかけられ、何とも言えないような顔をした。


 ここしばらく、カリンはスズメの言葉に、いちいち食って掛かっているのを、スズメも感じていることが分かる。


「あ、いや、スズメ……」


 スズメの表情から、心境を敏感に感じ取ったのか、カリンが顔をポリポリ掻く。


「最近のわたしの態度、ちょっとひどかったよね。反省してる。ごめん……」


「い、いや。カリン先輩。全然そんなことないです」


 スズメはあわてて手を振って遮るが、


「ううん、アヤノにもちょっと怒られたし、自分でも嫌な態度とっているっていうのは分かっていた。あの……もう大丈夫だから……許してくれると嬉しいなって……」


「許すも許さないも、元はといえば、わたしが校長達を止められなかったせいだし……」


 そこまで言うと、アヤノが間に入って、


「二人ともそこまで。これからは、お互い協力して投資甲子園を成功させるってことで、いいんじゃないでしょうか」


 ニコリと笑うと、カリンもスズメも、照れたように笑った。


「それじゃあ、この封筒を、各学校に送れば、完了だな」


 みんなで、封筒に封をする。


 学校近くのポストへ投函すると、いよいよ投資甲子園大会が始まるのだと、実感が沸いてくる。


「これで一段落ですね。あとは、わたしたちのパワーアップです! 頑張りましょう!」


 イロハが言うと、みんながアハハと笑った。


 なんだか照れくさくて、イロハの顔はポストと同じように赤くなってしまった。


 ただ、そんな照れくささの中でも、今まで通りのアヤノとカリンにほっとした。それに、スズメとカリンの関係も、すっきろしたことは、イロハにとって何よりもうれしいことだった。




 4日、部室に行くと、今日は剣道の格好をしたマキが、ハンカチで目をおさえている。


「うお~う、感動したぜ~」


 アヤノとカリンは苦笑いしている。


「おう、イロハと花子もきたか~聞いてくれよ~」


 さすがのイロハも、昨日、ヤクブツペンギンズの町上選手が56号の日本人選手のホームラン記録を打ち立てたことはニュースで見ていた。


「ホームラン、すごかったみたいですね」


「それもある。それもあるけどよぉ。引退試合がすごかったんだよぉ。低津ひくつ監督の、引退選手に贈る言葉がよぉ……」


「アハハ……」


 イロハも苦笑いした。


 そんな時、部室の扉が開かれて、剣道部部長のカエデがやってきた。


「あ、ここにいた。マキ、練習するわよ。個人戦で負けたって知らないけど、団体戦で不甲斐ない結果なら、他の人にも迷惑かけるのよ」


「わかったよ~。それじゃあな、みんな」


 カエデに引っ張られるようにしてマキが出て行った。




「さてと……」


 コホンと咳払いをして、カリンが言った。


「投資甲子園に向けてなんだけど」


 カリンは、部長らしく真剣な顔だ。


 こういう時には、みんな真剣な顔になる。


「団体戦の投資は、いまさらどうこうとはできないから、現状維持で行くしかないよね」


「そうですね。あとは、空運株と日経がどこまで持ち直してくれるかですね」


 アヤノが言うと、イロハと花子もうなずく。


「問題は個人戦のスキャルピングだね」


 カリンは、今日の指標結果が表示された画面を見せる。


「個人戦は、リアルのチャートを使って10分間の制限時間で実施される。しかも、日本時間だから、ボラがあまり出ない。さらに、一対一の勝ち抜き戦なんだ。初戦はある程度時間帯を予測できるけど、正確な対戦の時間は分からない。そこで」


 イロハは、ゴクリとつばを飲む。


「重要になってくるのが、オセアニアの指標だよ」


 今日は、12時30分に、オーストラリア中銀が政策金利を発表している。


 2.60%へと0.25%の利上げだったが、市場予想の0.5%には及ばなかった。


 そのため、豪ドルはやや軟調な推移となっている。


「スキャルピングだから、その場の短期足を見てテクニカルで勝負することにはなるかもしれないけど、指標をある程度予想することや、対戦直前に発表される指標があれば、それを基にして、トレンドに乗った取引もできそうだよね。勝負は、10分の制限時間よりも前に始まっているってことだよ」




 確かに、スキャルピングをするならば、トレンドがどちらになっているかで、ある程度勝率を高めることができる。


 翌5日には、ニュージーランド中銀の政策金利の発表があった。


 ニュージーランド中銀は市場予想通り3.50%まで金利を引き上げた。前回から0.50%の利上げだった。


「でも……」


 ニュースを見てみると、会合では、0.75%の利上げを主張した人もいたと言う。


「ねえ、イロハ。円とのペアもいいけど、例えば、豪ドルとニュージーランドドルのペアを見てみなよ」


 カリンに言われるままに、豪ドルとニュージーランドのペアを見る。


「あっ、すごい下がってきてる!」


「このペア、通称オージーキウイって言うんだ。10年以上レンジが続いていたんだけど、レンジの上限が割れそうだって、阿鼻叫喚になってるみたいだよ」


「それが、今回下がり始めたって……、あっ! これが指標の結果!」


 昨日のオーストラリア中銀の政策金利は、利上げとはいえ、市場予想に届かなかった。一方のニュージーランド中銀の利上げは、市場予想通りで、さらに大きな数字への利上げがすでに示唆されている。


「こういう指標結果が分かっているペアを選べば、スキャルピングで勝てる方向の予想がたてられますね!」


「スキャルピングは短期で動くから、トレンドが出ていても逆に動くことはあるけど、それでも、知っていると知らないのとでは大違いだからね」


 その日から、イロハは、投資甲子園の時間に合わせた、日本時間午前中から夕方までの指標と為替の動きを熱心に見続けた。


 確かに、指標に合わせて、短期的に動くことがある。


「個人戦は、自分の時間がくるまでの間も、指標やチャートを見続けておかないといけないんだ!」


 投資とは、やはり戦略がものを言う、ということに、イロハは改めて気づいた。




「イロハよ~、一緒に雇用統計見ないかの~」


「うん、見よう」


 あっという間に週末だ。


 夕食を済ませ、あとは米国の雇用統計を見れば、今週のトレードはほぼ終わりだ。


「今週は、あっという間だったけれど、スキャルピング取引のパワーアップできた気がするよ」


「それは良かったの」


「でも、それが分かれば分かるほど、雇用統計みたいに大きく動く指標は怖いんだなってことが、よく分かったよ」


「ふっふっふ、だがしかし、それが辞められないんじゃよ」


「ハナちゃん、今回はポジション持っているの?」


「うむ。さすがにそろそろインフレも終息に向かうと思っての、下がるほうにいれてみたのじゃ……って、なんとぉ~!!」


 指標が発表されると、市場予想よりも雇用も失業率も改善という結果ではあったが、それでも予想を大きく上抜けしなかったことから、インフレもまだ終息しないという観測が広がり、ドル円は上昇した。


「そ、損切じゃぁ~」


「アハハ……」


 そうしていると、ふとスマホに着信があった。


「こんな時間に電話、スズメ先輩!」


 イロハは急いでスマホに耳をあてる。


「もしもし、イロハちゃん。こんな夜にゴメン。雇用統計の日だから、まだ起きているかなと思ったんだけど、今よかった?」


「はい、いったいどうしたんですか?」


「実は……」


 スズメは言いにくそうにしたが、


「実は、イロハちゃんのご両親のあおり運転を仕掛けた人物の父親である国会議員の象勢揚郎ぞうぜいあげろう氏が、投資甲子園に来賓としてくることになったよ……」


「そ、そうですか……」


 イロハは、胸がキュッと締め付けられる間隔を覚えた。


「思うところはあると思う。でも、実はそれだけじゃいんだ」


「えっ、それだけじゃいって……」


「イロハちゃんのご両親の車に煽り運転を仕掛けたその張本人、象勢揚郎氏の息子が、象勢揚郎氏の秘書として、一緒に来賓として参加することになったんだ」


「えっ…… それって……」


 ふと、花子がつけているモニターを除くと、時事ニュースのところに、岸田首相の息子が、秘書として採用された話題が掲載されていた。


(なんで……どうして、国会議員って……)


 イロハは、スマホを片手に、体の血がサーっと引いていくのを感じた。

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