第37話 教員たちの罠
12日の週が明けた。
投資甲子園に名乗りをあげた手前、投資部では、いよいよデモトレどころではなくなった。
机の上には、山のような書類の束だ。
「なんか、忙しくなっちゃいましたね……」
「うん、でも頑張ろう。カリン先輩は、塾は大丈夫なんですか?」
「今日は休みだからね。でも、そろそろ受験勉強も本格化してくるから、睡眠時間が足りないよぅ」
「カリンの睡眠時間が足りんのは、チャートをみてしまっているからではないのかの?」
投資部のみんなは、本来校長や教頭が処理するであろう、教育委員会へ提出する大会申請の書類などの作成を命じられてしまっている。
「わたし、変なこと言っちゃってごめんなさい……」
イロハは、投資甲子園を上下高校で開催したいと、真っ先に言い出してしまったことを後悔した。
アヤノもカリンも、そのことはまったく責めず、よい経験になる、思い出になる、と言ってくれる。
しかし、その結果として、これだけの手間が増えてしまったのだ。
「それにしても、上下高校も堕ちたものようのう。教員の仕事を、生徒に押し付けるとは。これは、いよいよお化けの力でなんとかしてやらねばのう」
「ハナちゃん、怖いよ」
「うむ、お化けにとっては誉め言葉じゃ」
月曜に作った書類も、翌火曜日になると、作り直すことになった。
スズメが、申し訳なさそうな顔でやってくる。
「すまない、みんな。昨日作ってもらった書類なんだけど、今日になって、やっぱり必要ないことになったんだ。そして、その代わり、こっちの書類を作ることになった……。まったく、あの教員連中ときたら。そろそろ芸能界の力で潰してやろうか」
なんだか、スズメのイライラは花子と似てきたものがあるように感じる。
みんなは、ため息をついていった。
カリンは部室で、受験の参考書を開きながら、
「それにしても、そろそろ正確な日付も決まらないのかなぁ。塾の日程とか、うまく建てられないんだよね」
「ああ、それなんだが」
スズメは、持ってきていたカバンの中から、書類の束をドカっと机の上に置いた。
そこには、一枚一枚に、人の名前が書きこまれていた。
「これって?」
「来賓として呼ぶ人たちに向けて出す書類らしい。わたしとしては、そんな来賓なんて呼ばなくていい。呼んでも、最小限でいいと言ったのだが……」
見ただけでも、数百枚はありそうだ。
「この人たちに、出席に都合のよい日を選んでもらうらしい。日程は、それから決定されるんだそうだ」
書類には、
そして、下には、カレンダーのように日にちと、空欄があり、どうやら、出席するのに都合のよい日に〇をつけてもらうもののようだ。
「みんな、ほんとうにすまないが、この紙を三つ折りにして、名前の書かれた封筒に入れて、のりもしてほしい。あと、書類に、上下高校校長と書かれたところがあるだろ? そこに校長印も押してほしいんだ……」
しかし、そこまでスズメが言うと、カリンが立ち上がった。
「あのぉ、
「ううっ……本当に、申し訳ないと、思っている。もちろん、わたしも手伝う……」
スズメがうつむく。
「それはそうだよ。それに、こういうのは、生徒会で責任をもって……」
カリンが続けようとすると、アヤノが、
「カリン先輩!」
と大声を出した。
「確かに、これは生徒のやる仕事ではないかもしれません。でも、スズメたち生徒会を責めるのもどうかと思うんです」
「アヤノ?」
「上下高校の教員たちには、これまでもひどいことされてきたじゃないですか。直撃を受けた私たちにはノウハウがあります。だから、そのノウハウを活かして、生徒会とも協力すべきです。教員たちは、まず私たち部活動と生徒会が対立するのを望んでいるのかもしれません。あいつらの思うつぼですよ」
「…………」
カリンは黙ってしまった。
「いや、あの、
「いや、それは違うんだ!」
カリンがスズメの声をさえぎった。
「ごめん、吉良さん。確かに、アヤノの言う通りだよ。ここで仲たがいしたら教員の思うつぼだった。危ない危ない。そして、教員たちは、大きな負担を私たちに集中させて、失敗させて責任を取らせようとしている可能性だってある。あいつらは、そこまで巧妙だよ。だから、こういうことは、これから協力していこう」
「あの、いいのか? 新田先輩?」
「うん、もちろん! あと、それとさ……」
カリンはアヤノを見て、
「アヤノ、いつから吉良さんのこと、呼び捨てで呼ぶようになったの?」
「ああ、えーと、一緒に作業をしている時に、成り行きで、ですかね?」
すると、カリンはモジモジしながら、
「えーと、吉良さん。投資部はみんな下の名前で呼び合っていることだし、わたしのことも、カリンでいいよ。だから、スズメって呼んでもいいかな」
「新田先輩……。いや、カリン先輩。じゃあ、そうさせてもらう。でも、わたしは投資部ではないんだが」
「投資をしている人はみんな仲間だよ!」
「確かに、今夜はCPIが発表されるしな」
「さすがスズメ!」
みんなは、アハハと笑った。
書類を折り、封筒に入れていく作業は単純作業ではあったが、量が膨大だ。
いちいち、校長印を押すのも、疲れてしまう。
「まったく、朱肉が薄いんだよね。こんなところでケチってさ。それに、ハンコは廃止するんじゃなかったのかよ」
そうブツブツ言いながら、カリンが作業する。
「あっ、これって?」
イロハは、手に取った書類の宛名を見て、思わず声をあげた。
「どうしたの、イロハ?」
「いや、あの……」
みんながその書類をのぞき込む。
「
「はい……」
「イロハちゃん、この人って、もしかして……」
「ううっ、そうなんです……」
それは、イロハも乗っていた両親の運転する車にあおり運転を仕掛けた人物の父親だった。
「イロハちゃん、わたしは事情を知らないんだが……いや、言いたくなければ言わなくてもいいんだ」
「いえ、実は……」
イロハは、改めてスズメに、中学三年生の時、家族旅行からの帰り道、あおり運転に遭遇したこと。それが原因で両親を失ったこと。そして、あおり運転を仕掛けたのは、国会議員の息子で、いまだ裁判が始まらないことを話した。
「そうじゃ、このことがきっかけで、イロハは学校からも、少なくとも民事裁判は取り下げるよう圧力をかけられた。それに起こったアヤノが、大孫をぶん殴って、生徒会長選挙にも出馬したわけじゃな」
「ちょ、ハナちゃん。そこまでは……」
イロハは、花子が話した部分は、スズメが気にしてはと思って言わなかった。
「あの、スズメ先輩。別に気にしなくてもいいですよ、アハハ……」
スズメは、しばらく黙っていたが、
「あの……、本当に、ごめんなさい……。わたし、イロハちゃんにそんなことあったなんて知らなかった。アヤノも、ただ教員に暴力を振るう生徒だって聞いていて、それを鵜呑みにしていた……。わたし、二人の気持ち、ふみにじった……」
「あの、スズメ先輩、生徒会長選挙は、こんな私的なことのためにやることじゃないんですから……」
しかし、スズメは、うつむいてしまった。
「わたし、生徒会長選挙のあと、体育館の部活の生徒を傷つけた。それはとても反省していたんだ……。この罪を償うことは、もうできない。だから、そのかわりに、きちんと上下高校の生徒のために頑張ろうって思った。こうして、投資部のみんなは、仲間だと思えるようになった。だけど、そんなみんなを、実は傷つけてたなんて……。わたし、バカだな……」
「あの、スズメ先輩……」
イロハは、スズメのせいで傷ついたなんて、一度も思っていない。
しかし、スズメは、相当に責任を感じているようだ。
なんと声をかけていいか分からない。
すると、アヤノが一歩前に出た。
「本当に、スズメは、しっかりしているようで、ちょっと抜けてるよね」
「えっ?」
「自己顕示欲が大きいんだよ。わたしがわたしがって、前に出てさ」
「いや、そんなことは……」
「芸能人って、そういうところあるよね」
「いや、アヤノ、それは、違う。決して自己顕示欲なんて……」
「スズメは、自己顕示欲は、ないの?」
「もちろん、承認欲求はあると思う。だけど、そんなにグイグイ前に出ているわけでは……。それは、わたしのことを理解しているとはいえないぞ」
「でしょ? じゃあ、スズメも、わたしとイロハちゃんのこと、理解してないよ。わたしもイロハちゃんも、スズメが生徒会長になったからって、傷なんてついてないよ」
「アヤノ?」
「もし、悪いなって思うんだったら、生徒会長として、わたしとイロハちゃんができなかったことを、やってみせてよ。それが、いまのスズメの仕事でしょ?」
スズメは、ふう、と息をはいて、
「そうだな。ありがとう。きっと、二人の志が叶うよう、わたしも尽力しよう」
「そうこなくっちゃ。むしろ、千人力だよね、イロハちゃん」
「え、えーと、そうですね! スズメ先輩が味方なら、いい方向にいくと思います!」
そこまでいうと、突然カリンが、
「あっ!」
と叫んだ。
「カリン先輩、突然どうしたんですか?」
「いや、もうこんな時間だよ。いつの間にか9時半になりそうだよ!」
「たしかに、遅くなっちゃいましたね」
「そう、それもあるけど、今日は今週最大のイベントがあるんだよ!」
みんなはハッとした。
「CPI!」
みんなは、今、スズメとの会話に夢中になっていたのもよそに、パソコンの画面に張り付く。
「スズメは一人、唖然としてみている」
「あと10秒です。
「ああ、ドル円どうなるんだよ……」
「時間になりました! うわ、すごい動く。142円ちょうどから、143円……。えっ、144円に到達!!」
「あ、ようやく指標結果が表示されました! 物価指数もコアも市場予想より高い数値で悪化を示しています!」
「しかし、さすがに調整で下がってきたの……って、144円50銭まで行きおった!」
みんなあたふたとしている。
しばらく、そんなことをしていると、
「あっはははは!」
と大声でスズメが笑い出したので、みんなはドキっとして、スズメを振り向いた。
「これが投資部か! ああ、なんていうか、面白い。最高だよ!」
スズメは、まだお腹をかかえて笑っている。
「なんていうか、深刻な話をしてたのに、そっちのけじゃないか!」
スズメは面白そうだ。
「スズメ、こっちは、投資部の命運がかかってるんだよ。それに、今週一番のイベントじゃん。スズメは気にならないの?」
アヤノが、少しむっとしていった。
「ごめんごめん。でも、もちろん、わたしも勝負したぞ」
スズメは、自分のスマホをみんなに見せる。
「ドル円、20lot買いポジション決済。40万円!」
「ああ、2円も取れたな」
カリンが、スマホをスズメから受取、食い入るように見ている。
「うそ、スズメ、これってリアルトレード? すごいじゃん」
「うぬぬ、スズメ、やりおるのぉ……」
「スズメ先輩、すごいです!」
「はは、みんな、ありがとう」
スズメの顔には笑顔が戻っていた。
イロハはチラとアヤノの顔を見ると、なんだかアヤノは嬉しそうに、
「スズメはちゃっかりってところもあるね。現金なやつ」
「なんだよ、それ」
そんなやりとりを見ていると、なんだかイロハは嬉しくなった。
「よーし、この調子で、投資甲子園の準備、頑張るぞ!」
カリンが号令をかけた。
それと同時に、グーっとカリンのお腹がなった。
「カリン先輩、うそですよね? かっこよく決めたとたんに」
「アハハ、やっぱり、わたしじゃ締まらないよね」
「しかし、わしも腹が減ったのう」
「もう、こんな時間ですもんね」
そういうと、スズメは、
「よし! それじゃあ、今日はわたしのおごりだ! 牛丼食べに行こう!」
しかし、すぐにアヤノが、
「いや、あの、スズメ? それはさすがに悪いよ。儲けたからってさ。ここは割り勘で……」
「うん、アヤノ、誰が儲けたお金でって言った?」
「えっ? 違うの?」
「儲けたお金は、当然次の勝負に使うんだよ。今日は、これ」
スズメは、牛丼屋の株主優待券を出した。
「期限ぎりぎりなんだよ。使わないともったいないからさ」
それを聞いて、みんなは顔を見合わせて、アハハ、と笑った。
週末、イロハは新聞部のサツキから、思わぬことを聞いた。
「校内新聞にも書けないような情報なんだけどさ。キラキラスパロウの吉良先輩、生徒会長室で校長と言い争ったらしいよ。でも、吉良さんは国民的アイドルだし、吉良さん側には、商店街地域の有志の娘の
イロハはそれを聞いて、なんだかうれしくなった。
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