第29話 選挙戦スタート

 安倍晋三あべしんぞう元首相が凶弾に倒れ、その後の選挙演説にはSPが補充されるなど、物々しい。


 金曜日の夜、イロハのスマホが鳴った。


「選挙のアルバイト、高校生は中止ですか……。分かりました……」


 まだ、犯人は、安倍晋三元首相への個人的な恨み、と述べているとされるが、まだまだその理由は定かではないところも多い。


 大人のアルバイトならまだしも、高校生に何かあったら大変だ、ということで、商店街の主催する出口調査のアルバイトは中止の判断がなされたらしい。


「イロハよ、残念だったの。まあ、なんじゃ。市が主催している、わしの方の選挙事務のアルバイトは、予定通りのようじゃから、わしの方で稼いでくるわ。イロハも最近心労が祟っているじゃろう。これを機会に、ゆっくり休むことじゃな」


 思いがけず、9日と10日はヒマになってしまった。




 9日は、花子をアルバイトに送り出した後、ずっと報道されている安倍晋三元首相のニュースを見て過ごす。


(やっぱり、暴力は、いけないよね。でも……)


 イロハはやはり、スズメがシホと組んで、生徒会長選挙に立候補してしまったことにモヤモヤしている。


(アヤノ先輩、大丈夫かなぁ)


 ニュースでは、選挙に行く予定がなかった人も、これを機に、今回は票を投じる、などと言うコメントが流されていた。


(選挙っていつも、50%くらいしか、投票率がないんだ……)


 投資をはじめると、どうしても政治のニュースがかかわってくる。


 しかし、そんな政治も、国民の半分程度の意見しか、反映されていないのだ。


 ニュースでは、自分が行っても、何も変わらないから行かないんだ、としたり顔でコメントしているような人もいた。


(なんでも、人に決めてもらうって……あれ?)


 イロハの頭に、一つ疑問がうかんだ。


(わたしも結局、アヤノ先輩が頑張ってくれるって、何もせずに頼っているだけなんだ……。わたしが、アヤノ先輩を心配しているのって……)


 イロハは、はっとした。


(アヤノ先輩、わたしに民事裁判を取り下げろっていってきた、大孫おおぞん先生の不正をただそうとしているのに、当事者のわたしは、ただ座っているだけなのかも……)


 そう考えると、なんだか自分が恥ずかしくなってきた。


 そんなことを悶々と考えていた夕方、けたたましく鳴り響くスマホの着信に驚いた。


(カリン先輩からだ!)


「もしもし、カリン先輩?」


「あ、イロハ? 出口調査のアルバイト、中止になったんだってね。実は明日、わたしも夜の開票作業がはじまるまで何もないんだけど、昼からイロハは用事とかある?」


「いえ、特にありませんけれど」


「よかった。それじゃあ、わたしの家の喫茶店にきてよ。ちょっと、アヤノの生徒会長選挙について、相談したいことがあるんだ。花子もきてくれるそうだから、イロハもお願いね」




 10日の昼、花子とともに、カリンの家に向かう。


「ここが、カリン先輩の家」


 カリンの家が喫茶店だということは教えてもらっていたが、入るのは初めてだ。


 店に入ると、コーヒーのいい香りがする。


「あ、イロハ、花子! こっちこっち」


 店の奥でカリンが手を振っている。


 アヤノもきているし、カエデとマキの姿まであった。


「みなさん、お揃いですね……」


 イロハは、投資部のメンバーだけなのかと思っていたので、人数の多いことに驚いた。


「ごめんね、ちょっと、密だよね」


 カリンが苦笑いする。


「イロハは、コーヒー大丈夫?」


「はい。ハナちゃんもいいよね?」


「もちろんじゃ。わしはコーヒーにはうるさいのじゃ」


 花子は、鼻をふんとならした。


「じゃあ、淹れてくるね」


「カリン先輩が、ですか?」


「うん、実は今日、臨時休業なんだ。うちのお父さん、商店街の選挙の仕事の当番があたっちゃっているから」


「えーと、たいへんですね。喫茶店なのに、日曜日に休まないといけないなんて」


「ほんとだよー、大赤字だよ。まったく、国は個人事業主のことを、もっと考えてほしいよね」


 そういって、カリンはコーヒーを淹れにいった。


 しばらく、談笑する。


 アヤノも、元気そうなので、安心した。


 でも、


(なんか、おかしいな……)


 たしかに、カリンがコーヒーを淹れているのを待っている、ということではある。


 しかし、これだけ、当たり障りのない話をみんながするとは。


 それに……。


「みなさん、示し合わせたかのように、早く集合したんですね」


 イロハがボソッというと、みんな、コーヒーを吹き出してしまった。


 そこへ、ようやく、カリンがイロハと花子のコーヒーを淹れて戻ってきた。


「イロハって、おとなしそうに見えて、結構ストレートに言うよね」


「いや、別に悪気があったわけじゃないんです……」


 しかし、みんな黙っている。


「うん、ここは、当事者のわたしが言わないとね」


 ポンと膝を手で叩いて、アヤノが口を開いた。


「イロハちゃん、今日は来てくれてありがとう。実は、イロハちゃんに、お願いがあるんだ」


 イロハは、不安がつのってきた。


「わたし、生徒会長選挙のこと、よく考えたんだ。金曜日に、吉良きらさんが立候補することになったし、シホちゃんも吉良さんの方についてしまった。正直、わたしに勝ち目はないかもしれない……」


 イロハは真剣に聞く。


「でも、わたしは、やっぱり上下じょうげ高校の今の体制っておかしいと思うんだ。大孫先生の、生徒に対するパワハラ。そして、イロハちゃんに民事訴訟を取り消せっていうような、司法制度への侮辱。これは、許されることじゃないと思うんだ」


 アヤノの顔は真剣だし、言葉によどみがない。


「だから、わたし、もし当選できなくても、きちんと選挙戦で、主張をしないといけないと思っているんだ」


 そこまで言って、アヤノは、ふう、と息を吐いた。


「でも……」


 アヤノは、今までの勢いをなくして、チラとイロハを見た。


 イロハは、なんとなく、アヤノの次に言いたいことが分かった。


「副会長候補が見当たらなくて……」


 たしかに、ここにいるのは、イロハと花子、そしてアヤノ以外は3年生だ。


 3年生は、卒業してしまうので、年度の途中から1年任期の生徒会長や副会長には立候補できない。


「それで、わたしに、副会長になってほしいと……」


「どうかな?」


 イロハは、うつむいた。


「考える時間は、ないですよね……」


 生徒会長選挙の立候補は、明日11日で締め切りなのだ。


「ごめんね……」


 アヤノはうつむいた。


 ほかのみんなも、うつむいている。


 まず、マキが口を開いた。


「イロハ、決して悪いようにはしないぞ。もし、生徒会長選挙で教員にいじわるされたら、ウチがぶん殴ってでも止めてやるからな」


 ふと、マキのぶん殴る、という言葉がひっかかった。


「そうよイロハちゃん。わたしも、剣道で身に付けた刀さばきで、バッタバッタと切り伏せて……」


「マキ先輩! カエデ先輩!」


 イロハは立ち上がった。


 マキとカエデがびっくりして、後ずさる。


「それにアヤノ先輩も。わたし、暴力には大反対です!」


 みんなは、びっくりしてイロハを見る。


「たしかに、言葉の暴力もひどいです。わたし、大孫先生がひどいこと言うから、吐いちゃいました。たしかに、アヤノ先輩が大孫先生のことを殴った時、スカッとしました。でも……」


 みんなは、何も言わずに、イロハを見ている。


「わたし、スズメ先輩が生徒会長選挙に立候補した時、ハナちゃんに、あやかしの力でなんとかできないの、なんて言っちゃいました。でも、安倍元首相が銃撃された事件を見て、はっとしたんです。暴力で解決しちゃいけないんだって。だから……」


 イロハの中で、答えは決まっている。


 イロハも、今の上下高校の教員の考え方はおかしいと思っている。


「わたし、アヤノ先輩に、とっても期待しちゃってました。でも、期待するだけじゃいけないんだって思うんです。選挙は、きちんと自分の意見を票に込めないといけません。それに、主張はきちんと立候補して言わないといけません。文句ばかり言っても始まらないと思うんです」


「あの、イロハ、ちゃん?」


 アヤノがイロハの名前を呼ぶ。


「わたし、いいですよ。アヤノ先輩。わたしも、ここで、うってでようと思います!」


 みんなは、唖然としてイロハを見ている。


「イロハちゃん、本当に、いいの?」


「はい! ここまできたら、当たって砕けろです! やってやろうじゃないですか! 売られた喧嘩は全力でロングです!」


 イロハの気迫にみんなは驚いていた。


「イロハよ。喧嘩の全力ロングは、新しい言い回しじゃのう……」


 花子が言うと、みんなは一斉に笑いを吹きだした。




「イロハよ、しかし驚いたぞ。よく即決したものよのう」


 帰り道、花子が言う。


「うん。わたしも、自分でびっくりしてるんだ。でも……」


 花子は不思議そうにイロハを眺める。


「アヤノ先輩にばかり頼るのは、ちょっとダメなのかなって。自分も、うってでないとなって」


「うーん、イロハよ。強くなったのぅ。わしは、感動じゃ」


 花子がニコリと笑いかける。


「よーし、それでは、今日は帰って選挙速報を見ないとの」


「出口調査では与党が優勢だったよ」


「じゃろうな。与党がどれだけ票を伸ばすかで、週明けの日経爆上げにもつながるのじゃ」




 週が明けた11日。


 日経は、選挙の流れを受けたのか、上昇からはじまったものの、すぐに失速に転じた。


「アヤノ先輩、投資部の方は、あまりうまくいきませんね」


「イロハちゃん、余裕だね……」


「ううっ、不安を紛らわせようと」


「ふふ、ありがとう」


 イロハはアヤノとともに、選挙管理委員会にきていた。


 と、そこには新聞部のサツキもいた。


「イロハ!? 選挙に出るの!?」


「サツキちゃん。うん、副会長としてね」


 立候補は受理された。


 アヤノと並んで、サツキの一眼レフが向けられる。


「なんだか、変な感覚ですね」


「そうだね。わたしも、人からカメラ向けられたことなんてないから」


 どこかぎこちない二人にシャッターが切られた。




 12日は、立候補者が出そろったことで、生徒会長選挙の話題で騒然だ。


 選挙に立候補したのは、届け出順に、吉良きらスズメ(会長)・足利あしかがシホ(副会長)候補のペアと、たちばなアヤノ(会長)・楠木くすのきイロハ(副会長)候補のペアの二組だった。


 一騎打ちの構図となった。


 朝から、新聞部の発行した、顔写真付きの新聞が配布される。


 キラキラスパロウのスズメは、さすがアイドル歌手なだけあって、満面の笑顔で写っている。シホも、どこか不思議ちゃんな性格なだけあり、スズメに負けないような笑顔だ。


 一方のアヤノとイロハは、どこか引きつった笑顔になってしまっている。


「えー、イロハ、橘先輩と出るの!!」


「わたし、キラキラスパロウを応援しようと思っていたけど、ここはイロハに入れないとね!」


 イロハのクラスは、もともとアヤノの人気があったことも相俟って、イロハたちに票を入れてくれるという人が多かった。


 放課後から、演説を始める。


 とはいっても、イロハは演説のことなど、よく分からない。


 アヤノも、シホと入念に演説の計画を立てていたようだが、シホが相手陣営に寝返ってしまったので、力を発揮できずにいた。


 それでも、


「この上下高校を、生徒の力によって、よりよい学校にしていきたいと思っています。生徒が第一を掲げて、これからの学校を盛り上げていきたいと思います」


 頑張って演説する。


 カリンと花子も、演説場所にきてくれた。


 知っている顔があると、緊張も和らぐ。


 そして、以前の大孫先生との一件もあり、やはり熱狂的なファンがアヤノにはあった。


 アヤノの演説には、どちらかというと女子が集まっているようだった。


 耳を澄ませていると、


「やっぱり、橘さん、かっこいいよね」


「うん、小柄だけど、芯が通っているよね。さすが、中学時代のソフト部のエースだよね」


「かっこかわいいって感じだよね。そしてポニーテールで清楚だから、好感もてるよね」


 おおむね、好評だった。


 なんとか、12日の演説を終えた。


「ふう、ようやく終わったね」


「はい。でも、あまりお役に立てずすみません。うまくしゃべれなくて……」


「ううん、仕方がないよ。明日も頑張ろう」


 吉良スズメの陣営は、まだ選挙演説を続けている。


「ちょっと、行ってみようか」


 行ってみると、アヤノの演説とは比べ物にならないくらいの人だかりができていた。


 女子も多いが、圧倒的に男子生徒が多い。


「すごい、人気……」


 それに、演説の内容も、すさまじい。


「わたしが生徒会長になった暁には、毎月1回くらいは、生ライブやっちゃうよ! 上下高生限定生ライブ! これは、わたしに票を入れるしかないよねー!」


 そんなことを言うと、周りから、


「ウオー!!」


 と声が上がるのだ。


「アヤノ先輩、これって……」


「うん、すごいね……」


 アヤノとイロハは、吉良陣営の宣伝力の強さに打ちひしがれて、帰宅した。




 13日も登校時と放課後に演説をしたが、応援に来てくれる生徒の数は昨日よりも減っていた。


チラッと吉良スズメの陣営を除くと、生徒の数は膨れ上がっているようだ。


 と、そこへ、カリンとカエデがやってきた。


「カエデ先輩?」


「アヤノちゃん、イロハちゃん、ちょっと、きついわね」


「はい……。あまり、芳しくないです。」


 アヤノが、うつむきながら答えた。


「アヤノ、イロハ、ちょっとカエデと相談したんだけど、こっちは組織票でいかないといけない気がするんだ」


「組織票、ですか?」


「うん。ほとんどの生徒は、残念ながら、吉良さんに入れる気持ちに傾いている。だって、有名アイドル歌手の生ライブが聞けるんだから……。でも、わたし達にはコネがあるのも事実だよ」


「コネ、ですか……」


 そこで、カエデが話を引き取る。


「運動系の部活には、予算を学校や生徒会と交渉する、運動部連合があるの。アヤノちゃんは知っているわよね」


「はい。全国大会に進んだ時に、遠征費をもらうために活動している会ですよね。もし生徒会長になったら、気を付けろって、現会長から聞いてますけど」


「うん。本来は、学校や生徒会と対立関係にあるんだけれど……。お金を出し渋る学校側や生徒会に文句ばかり言っているから。でも、ここは、共闘しようかって話になっているの」


「共闘、ですか?」


 アヤノは首をかしげている。


「ええ。今回の吉良さんの立候補は、明らかに学校側と手を組んでいるっていうふうに映っていてね」


 そういって、カエデは、今日の新聞部の発行した新聞を示した。


「吉良さんの演説の写真に、写っちゃってるでしょ?」


「えーと」


 イロハとアヤノは、新聞の写真をよく見る。


「これって!!」


 そこには、スズメが演説している後ろで、手を叩いている校長先生や大孫先生、その他、校長先生の取り巻きの先生方が写っている。


 それに、


「これって、校則違反なんじゃ!」


 もう一枚の吉良スズメ陣営の活動を撮った写真に、先生の一人が、選挙活動のチラシの束を、手押し車に乗せて運んでいる様子が、しっかりと納められていた。


「本来、学校の教員が生徒会長選挙に関わるのは校則違反になっているわ。以前にも、先生が頼まれて、チラシを印刷してあげたことが問題になったこともあるくらいね」


 偶然、撮影された写真に、校則違反が映されているのだ。


「この写真を見た運動部連合が怒ってね。今回は、絶対に吉良陣営に票を入れちゃいけないって言い出したの」


 カエデがニコッとしていった。


「でも、運動部連合も、やっぱり生徒会長候補には、これまでの予算の出し渋りの恨みもあるから、いい顔をしていないの。もしかしたら、白票で入れちゃうかもしれない。だから、二人には、運動部を個別に訪問して、話を聞いてもらったらどうかなって思うの」


 アヤノとイロハは顔を見合わせた。


 そして、すぐに、ウン、とうなずいた。


「その作戦、もらいます!」




 14日、イロハとアヤノは朝の登校時間よりもだいぶん早くに登校した。


 朝練中の部活を訪問し、投票を呼びかける。


 放課後も、多くの部活を回る。


 新聞部の写真を見てか、


「吉良さんは信用できないよね。どっちかというと、橘さんを支持するよ」


 そういってくれる人もいた。


 しかし一方で、


「そういって、きみが会長になったら、結局予算を出し渋るんじゃないか?」


「橘さんは投資部だろ? 文化系の人に、運動部の何が分かるっていうんだい?」


「中学で運動部に所属してたからって、高校とは別だよ。こっちは、大学推薦や、実業団への就職を考えている子もいるんだから」


 そういう文句にもぎゅっと手を握って、アヤノは持論を訴えていく。


 イロハも、頑張って、アヤノをサポートする。


「何もわかっていない一年生のくせに!」


 などと、ひどいことを言われることもあった。


 でも、今のイロハはまったく動じなかった。


「何かを変えるためには、これくらい堪えないといけないんだ!」


 運動部の活動が終わる、暗くなるまで、イロハとアヤノは運動部を中心に演説を続けた。


 運動部が続々と帰宅していく。


「イロハちゃん、お疲れ様。大丈夫?」


「はい……。疲れましたけれど……。アヤノ先輩こそ、大丈夫ですか?」


「うん、疲れたよね」


 二人は、お互いの疲れた顔を見て、ふふっと笑った。


「今日は、帰ろうか」


「はい」




 15日になった。


 校則では、選挙活動は平日のみに定められているので、今日で今週の選挙活動は終わってしまう。


 イロハとアヤノは、この日も朝練中の部活を回って、持論を訴えた。


 一通り朝練中の部活を回り、今度は一般の生徒が登校してくる時間に、校庭へ移動する。


 吉良陣営は、すでに演説をはじめている。


「今日も、すごい人だかりだね」


「はい。どんなことを話しているんでしょうか……!!」


 そこでは、耳を疑うことを、スズメが話している。


「みなさん。今回対立候補の橘アヤノさんは、学校の先生達とつながっています!」


 スズメは、アヤノに対するネガティブキャンペーンを実施しているのだ。


「去年、橘さんは、授業日数が足りていませんでした。それを、今年からはじまった投資学習の前段階として活動がスタートした投資部の人数が集まらず困っていた学校側に付け込んだんです!」


 集まった生徒は、ガヤガヤとした。


「橘さんは、投資部に入ってやる代わりに、授業日数を割り増しして、不正に進級したんです!!」


 スズメがそういうと、周りから、


「うそ、橘さんって、そんな悪いことしてたの?」


「成績いいからって、サボってたんだ」


「可愛い顔して、サイテーじゃん!」


「そうそう。ちょっとかわいい顔で運動もできるし勉強もできるからって、調子に乗ってるんだ」


「今回の生徒会長への立候補も、自己顕示欲なんじゃないの?」


 イロハは驚いて、立ちすくむしかなかった。


「なんなの、これ……」


 ふと、隣のアヤノを見る。


 アヤノは、呆然として、立ちすくんでいた。


 でも、アヤノはブンブンと首を振って、


「わたしたちも、演説しよ」


 と言って、演説をはじめた。


 しかし、一声発するか発しないかという時には早くも、


「橘さん、サイテー!」


「いますぐ立候補やめろー!」


 ヤジが飛んでくる。


 イロハにもヤジが飛んでくる。


「1年生が、橘先輩にかまけてかわいそー!」


「だまされてるメンクイ女子がー!」


 いくらアヤノが叫んでも、ヤジで声が掻き消されてしまう。


 仕方なく、二人は演説をやめて校舎に向かった。


 それでも、後ろからヤジは飛んできた。




 教室では、新聞部のサツキが、心配そうにイロハを迎える。


「イロハ、大丈夫?」


「うん、なんとか……」


「新聞部は、中立的じゃないといけないんだけれど……。でも、はっきり言って、橘先輩に勝ち目はないよ。イロハも、評判悪くなっちゃうよ。今でも遅くないから、立候補取り下げたら?」


「そんなこと、しないよ!」


 少し、気が立っているのか、声が大きくなってしまった。


「ううっ、ごめん……」


 サツキはしゅんとする。


「えーと、あの、ごめんね、サツキちゃん。でも、わたし、最後までやろうと思うの」


「うん……。そっか。わたしは個人的に、イロハを応援するからね」


 友達から応援してもらえるのは、とてもうれしいことだと、イロハは再認識した。




 放課後、イロハもアヤノも気は進まないが、運動部を回る。


 今日は、剣道部にも行く。


 剣道部は、部長がカエデで、3年生のムードメーカーとしてマキもいる。


 この二人が盛り上げてくれたせいか、剣道部員はみんな、イロハとアヤノに賛辞を贈ってくれたので、ありがたかった。


 ただ、演説が終わった後に、カエデとマキが心配そうに寄ってきた。


「あの、アヤノちゃん、イロハちゃん、大丈夫? ひどいこと言った部活もあったみたいね」


「運動部の連中、アヤノとイロハのやさしい性格も知らないで。きにしなくて、いいんだからな」


 仲間の励ましはありがたい。


 そんな話をしていると、


「おう! きみが橘さんか!!」


 大声で呼びかけた人がいた。


「あっ、湊川みなとがわさん!!」


 カエデが言ったので、イロハとアヤノは振り返った。


そこには、体格のよい、女子生徒が立っていた。


「学ラン……?」


 学ランを着ている。


「きみが、橘アヤノか。そっちの小柄な方が、楠木イロハか?」


「は、はい……」


 アヤノは気押されているが、ふう、と一息吐いて。


「まずは、話しかけた方が自己紹介してはどうですか?」


 と言った。


「うん。それは道理だな。わたしは湊川みなとがわキズナ。応援部の団長をしている。そして、運動部連合の会長も務めている」


「あ、あなたが……って、応援部って、そんな部活、上下高校にはないですよね?」


「うん。応援部はあくまで私設だ。学校の組織になっていると、文句を言うことでいざこざが起きた時に、ひよる子も出てくる。わが応援部は、真に志を同じくする同士達で組織されている」


 じっと、キズナはアヤノの目を見る。


 アヤノも負けじと睨み返す。


「単刀直入に聞く。きみが生徒会長になったとして、運動部にはどういうメリットがある?」


「はい。正直、運動部だけに何かメリットを与えようとは思っていません」


「なに? それできみは、運動部に応援を求めているのか?」


「わたしは、上下高校の生徒みんなが恩恵が受けられるようにしたいんです。今は、先生方の利益になるような活動に、お金が投じられています。それ以外の部活や生徒は恩恵を受けられません。こうした格差を是正したいんです」


「うん。まったく道理にかなっている。しかし、格差を是正するとすると……」


 そこで、キズナは、すうっと息を吸って、何事かとガヤガヤしている剣道部全員に聞こえるような大声で言った。


「全国大会常連で部費のアップが約束されている剣道部の部費を下げるということなのか!!」


 さすが、応援部の団長なだけあって、みんなの耳に、そして心の中にまで響いてくる声だった。


 この質問への答えは難しい。


 回答次第によっては、せっかくアヤノへの投票を決めてくれた剣道部員たちの気をそぐことにもつながる。


 もちろん、キズナの意図はそこにあるのは見え見えだった。


 ただ、アヤノも、きっとキズナを睨んだ。


 そして、すうっと息を吸って。


「格差是正のためなら、当然優遇は許しません!!」


 と、大声で言った。


 しばらく沈黙が流れた。


 すると、


「きみは、剣道部を敵に回した。それどころか、一部の運動部も敵に回していることになっている。それが分かっているのか?」


「はい。でも、活動を頑張っているところには、きちんと予算を投じなければならないと思っています。わたしは、その基準を作ります。みんなが納得するような」


「みんなが納得する?」


「はい。今の上下高校では、部活間で予算の取り合いになっています。その結果、先生の顔色をうかがう生徒まで出てきています。それに、上下高校は運動部が強いことで有名です。一方で、文化系の部活は立場が弱くなってしまっています。それに、文化系の部活には、運動部連合のような交渉団体がありません。わたしは、たとえ生徒会が、わたしが不利になったとしても、文化系の部活にも、交渉団体をつくってほしいと思っています。そして、先生の顔色をうかがうなんて、無駄な時間をかけずに、安心して部活に打ち込める環境作りをしたいと思っています」


「ふふ、理想論だし、いばらの道だな。それに、そんなことを言ったら、きみのことを嫌って、いじめる生徒や先生もいると思うぞ」


「それでもいいです。わたしには、絶対に信用できる仲間がいます」


「ほほう」


「ここにいる、イロハちゃん。そして、投資部のカリン先輩、ハナちゃん。カエデ先輩だって、マキ先輩だって。これだけの素晴らしい仲間がいれば、わたしは耐えられます!」


「はっはっは!!」


 キズナは大笑いした。


「まったく、まっすぐすぎて、無謀な女だな」


 キズナが言うと、アヤノはむっとした顔をした。


 でも、


「仲間とは愉快だ。しかし、人を信頼するという人間に悪い者はいない。いまの上下高校は、校長に嫌われたくないとビクビクしている教員ばかりだ。そして、部活の顧問に嫌われたくないという生徒もしかり。わたしも、とても憂慮している」


「あの、それは……」


「よいだろう。わたしは、きみを信用しよう。運動部、そして文化部に声をかけておく。来週火曜日の放課後、体育館で演説をしてくれるか? ただ、今の段階では、演説のチャンスだけだ」


「いいんですか?」


「うん。きみの魂の叫びを、ぶつけてくれ」


 そういうと、学ラン姿のキズナは、さっそうと去っていった。


 しばらく、剣道部の部員たちも、カエデもマキも、そしてイロハもアヤノも、呆然と立ちすくんでいた。


 ふと我に返ったアヤノが、


「カエデ先輩、マキ先輩。湊川先輩って、どういう人なんですか?」


「うーん、大会に突然応援部員をひきつれて現れて、応援して帰っていく人たち……。だけど、応援された部活は、記録更新とか、かなり成績を上げるのよ。運動部連合の会長もしているんだけれど、なぜか統率力があるのよね……」


 そうして、イロハとアヤノの選挙戦一週目が終わっていった。

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