第28話 動揺する一週間
7月1日の金曜日の帰りは遅くなった。
「イロハよ、警察に行ったんじゃっての。だいじょうぶだったかの」
家につくと、花子が心配そうに出迎えてくれた。
「う、うん。なんとか。そ、それよりもハナちゃん!」
イロハは興奮している。
「キラキラスパロウちゃんと知り合いになれたんだよ!!」
「お、おう。たくましいのう」
イロハは、警察での事情聴取もさることながら、スズメと知り合えた興奮で眠れなかった。
2日も3日の土日は、朝から出口調査のアルバイトだ。
「やあ、イロハちゃん、うまくできているかい?」
「本田さん! お店は大丈夫なんですか?」
本田さんも、朝早くに期日前投票に訪れた。
「うん。まあ、知っての通り、あまり人もこないからね」
「ううっ、パソコンに本の情報を早く打ち込んで、宅配サービスを急がないといけないですよね」
「いや、イロハちゃんが心配することじゃないよ。ゆっくりやっていこうよ。個人の商店なんて、結局こんなもんだよ」
イロハは、なんだか寂しくなってきた。
「まあ、それでも、もう少しは暮らしがよくなるといいんだけどね。そのために、きちんと投票してくるよ」
せわしくなく日はたっていく。週が明けた4日。
「日経、下がってきちゃったね……」
「空運株も、軟調ですね……」
商店街の投票所へ向かいながら、イロハ、カリンはため息をついていた。
投資部で購入している株は、軟調だ。
選挙前なのに、株価は軟調だ。
新型コロナウイルスの陽性者は、ここにきてまた拡大してきている影響もあり、下落している。
「ここは、堪えるときじゃろうな」
花子も、あまりうまくいかない動かないチャートにうんざりしている。
「まあ、いまは、デモトレードは置いておいて、稼ぐことに専念しましょう!」
「イロハ、たくましいね。それじゃあ、今日も頑張ってね。わたしは、中で票の配布と整理作業だ!」
カリンと手を振って別れた。
金曜日にやってきたような、変な男は、もう現れなかった。
しかし、警戒を怠るわけにはいかない。
(選挙会場には、変な人もくるかもしれないから、本当に気を付けないと! でも、やっぱりこの制服……)
「あの子の制服、かわいいわね」
「何かのイベントやってるのかしら? アイドルみたいな制服」
出口調査をしているイロハを、珍しそうにジロジロ見ながら、期日前投票所に人が入っていく。
スズメに指摘されるまで、あまり気づかなかったが、よく考えると、水色の上下の制服は、なかなか目立つものだ。
(やっぱりこの制服、恥ずかしいよぅ……)
はじめて着た時には、かわいい、などと思ってしまったが、今となっては、ただただ恥ずかしいだけだった。
今週は、投資部は選挙中のアルバイトのため、お休みだ。
5日も6日も、忙しく一日が終わっていく。
いぜんとして、日経平均も空運株も軟調だ。
ただ、そこまで大きく動いているわけでもない。
(今週は、動かさなくて、正解なのかも)
7日になった。
夕方、出口調査の聞き取りのノルマを達成したイロハは、片付けをはじめていた。
そこへ、期日前投票所の中から、カリンがあわてて出てきた。
「カリン先輩、お仕事は?」
「ちょうど休憩時間になったんだよ。それで、スマホでニュースを見たら、大変なことがイギリスであったんだよ」
「イギリスで?」
「ボリス・ジョンソンが辞任するんだって!!」
たしかに、最近、ジョンソン英国首相の側近の辞任が相次いではいた。
新型コロナの最中に、ボリス・ジョンソンがパーティーを開いていたという事実が追及されてのことだ。
「こ、これって、ポンドが動くってことでしょうか?」
「うん、イロハ、もうすぐ終わりでしょ? 注意して見ておいてくれない?」
「は、はい! もちろんです!」
商店街の用意した更衣室で着替え、スマホで情報収集をする。
「でも、思ったより急落するわけではないな」
ここのところ、ようやく円売りが緩和されてきて、ユーロもポンドも、対円では、連日1円以上の下落が続いている。
(この流れから言うと、ちょっと下落トレンドなのかな? でも、あわてる必要はないよね)
イロハは、保有していない通貨が大きく動いても、それほど緊張はしないものだということを発見した。
(やっぱり、冷静に戦略を立てて、利確と損切のラインもあらかじめ考えておくと、いいのかな……)
とにかく、ポンドが動かないことを確認して、そろそろ帰ることにした。
「イロハよ、今帰りかの?」
期日前投票所の会場から、花子が出てきた。
「ハナちゃんは、今日はもう終わり?」
「うむ。わしのシフトは、今日はここまでじゃ。どれ、一緒にかえるとするかの?」
商店街を歩いていると、七夕セールをしていて、いつも以上に活気がある。
一角に竹に短冊がたくさん吊るされている、七夕飾りのコーナーが設けられていた。
「ハナちゃん、お願い事結んでいこうよ!」
「おう、七夕飾りか。日本のよき風習じゃの!」
「日本の? 七夕って、中国の織姫と彦星の伝説なんじゃないの?」
「うむ。それが有名じゃが、日本での七夕とは、盆のはじめ、という意味があるんじゃ。中国の行事が有名になりすぎて、そちらと結びついたんじゃな」
「盆のはじめ?」
「うむ。七夕から盆がスタートするんじゃ。だから、今日から地獄の釜の蓋が開いて、亡者たちがこの世に帰ってくるのじゃ。フフフ……」
「ハ、ハナちゃん、こわいよ……」
「なーに、たかが亡者じゃ。この日本でもっとも有名な妖の一人、花子さまの敵ではないからの、ハッハッハ!」
「ううっ、ハナちゃん……」
イロハは苦笑いした。
でも、両親を失ってからしばらく一人でさみしく暮らしていたイロハが、同じ家に一緒に住んでくれる人と、七夕の会場を訪れるなど、思ってもいなかった。
「なんだか、家族っていいよね」
「うん? うむ、そうじゃな!」
イロハは、七夕飾りに、
『これからもみんなと仲良くすごせますように』
と書いた。
(もし、投資部に入っていなければ、裁判で勝てますように、なんてなったのかな?)
そう思うと、今の方が、断然すばらしいように感じた。
「ハナちゃんは、なんて書いたの……!」
花子の短冊をのぞき込むと、
『爆益祈願』
とだけ書かれていた。
「ハ、ハナちゃん……。それでいいの?」
「うむ! 投資家たるもの、常に爆益を願わなくてわの!」
周りを見る。みんな、笑顔で七夕を楽しんでいる。
そんな中。
「!!」
サングラスをかけた、女の人がいる。
知っている人だ、雰囲気で分かる。
「スズメ、先輩?」
女の人は、びくっとして振り向いたが、
「ああ、きみは、イロハちゃんか」
スズメは、ほっと一息ついた。
「今日の芸能活動が終わって、帰ってきたんだ。そしたら七夕飾りが見えたから、お願い事しようと思ってね。わたし、結構ゲンを担ぐ方だから」
スズメはにこっとした。
「そういえば、ボリス・ジョンソンが辞めるんだってね。ポンドには手を出してなくてよかったよ」
さすが、スズメの情報は早い。ここからも、投資への情熱が感じられる。
「イロハよ、知り合いか?」
花子がやってくる。
「あ、ハナちゃん。うん、こちら、えーと、いいですか?」
イロハは、キラキラスパロウのスズメと知り合いになったことは花子に伝えてはいたが、本人の前で言ってもいいのかどうか、迷ってしまった。
「イロハちゃんの友達? うん、それならオーケー! わたし、キラキラスパロウのスズメです」
「おう、おぬしが……」
花子は、浮かない顔だ。
「ハナちゃん?」
「うむ、なんでもない。わしは、
「花子さんか。よろしく。イロハちゃんが言っているように、ハナちゃんでいいかな?」
「まあ、よいじゃろ」
花子は、まだ浮かない顔だ。
「ところで、スズメとやら」
「うん?」
スズメは不思議そうに花子を見る。
「単刀直入に聞くが、おぬし、何か企んでおらんかの?」
イロハは花子が、初対面の人に失礼なことを言うので、びっくりしてしまった。
「ちょっと、ハナちゃん!」
「あっはははは!!」
スズメは大笑いした。
「ハナちゃんって、面白いね!」
花子は、むっとした顔をした。
しかし、
「たくらんでいるっていうのは、ちょっと違うかもしれないけど、目的があってきたのは事実だよ」
イロハは、スズメが、飛び級をして高校を卒業するために、上下高校に転入したことを知っている。
そして、もう一つ……。
(そういえば、悪い生徒にお灸をすえる、などと言っていた……)
「うん、今日、手続きをしてきたから、明日になれば分かるよ! こうご期待! だけど、きっと上下高校の生徒のためにもなることだからね!」
そういって、スズメは手を振って去っていった。
後には、イロハと花子が残された。
「ちょっとハナちゃん! 今のは失礼じゃないの!」
「うーむ、しかし、あやつは、なんとなく、わしらとの浅からぬ因縁があるように思えてならぬのじゃ」
「浅からぬ因縁?」
「うむ、まあ、明日になれば分かると抜かしておったし、とにかく、明日を待つかの」
イロハは、ふと、短冊に目をやった。
「これ……」
短冊に、
「悪い人を退治する……」
スズメの書いた短冊の文字が、心に残った……。
8日、花子と登校していると、眠そうなカリンと会った。
「朝から眠そうですね」
「うん。今日は寝坊しちゃってさ。ボリス・ジョンソンのニュースが気になってね」
「でも、あまり動きませんでしたね」
「だね~」
学校の前までくると、校庭から、マイクを使った大きな声が聞こえてきた。
校庭のど真ん中に、人だかりができている。
その周りを、イロハと花子のクラスメイトで、新聞部のサツキが、一眼レフを持って右往左往している。
「サツキちゃん、どうしたの?」
「あ、イロハ! おはよう! なんと、キラキラスパロウの吉良スズメちゃん……吉良先輩が、生徒会長選挙に立候補したんだよ!」
「ええ!!」
人だかりでよく見えないが、マイクの声から、確かにスズメが話していることが分かった。
「昨日の放課後、選挙管理委員の日立が帰ったあと、委員会室のポストに、立候補届を入れていったみたい」
イロハははっとした。
(明日になれば分かるって、このこと!)
「それで、選挙演説を、早くもはじめちゃっているんだ!」
周りを、選挙管理委員の生徒が、あたふたと動き回っていた。
「でもでも、立候補の締め切りは月曜日だよ。もう、選挙活動はじめちゃっていいの?」
「うん。
スズメの口調は、さすがアイドルなだけあって、なめらかで、かつ、やさしい響きだ。
人だかりの方を見ていると、チラッと、知っている顔が、スズメの隣にあることが分かった。
「あれって……
隣を見ると、カリンも花子も驚いている。
あれは、まぎれもなく、生徒会とともに先生方とアヤノの処遇について話し合った際に、アヤノの副会長として活動することを約束した足利シホ現生徒会書記だった。
「ああ、あの足利先輩、吉良先輩の副会長として立候補しているんだ」
サツキが説明する。
「なんか、突然、決まったらしいよ」
「うそ、でしょ……」
それに、まわりをよく見ると、校長先生や、
二人とも、笑顔で拍手を送っている。
「おはよう……みんな……」
後ろから声をかけられて、驚いて振り向く。
「アヤノ先輩!!」
アヤノは、戸惑った顔をして、立っている。
「アヤノ先輩、どうして足利先輩が、こんな……」
「そうだよアヤノ、何があったの?」
アヤノは、呆然とした顔をしていたが、
「正直、わたしにも分かりません。準備はできたので、いつでも立候補届を出せる状態だったんですが、シホちゃんが、最終日の11日まで待ちましょうって、ずっと止められていて……」
「うーむ。あのシホという者も、なかなか厄介じゃったの」
花子が言う。
「もう、だめかもしれませんね……」
アヤノがつぶやく。
「アヤノ……」
カリンが、心配そうに話しかける。
「前に生徒会長の話でもあったとおり、
アヤノは、愕然としている。
「やっぱり、わたしなんか、分不相応ってやつだったんです……。副会長候補もいないですし……。キラキラスパロウに勝てるわけもないですし……」
「そ、そんな、アヤノ先輩! ここであきらめちゃ……」
そんな時、始業前のチャイムが鳴る。
みんなは、もっとスズメを見ていたかったと惜しみながら、学校に入っていく。
「イロハちゃん、ありがとう……。またね……」
アヤノは、元気なく校舎へと向かっていった。
「ねえ、ハナちゃん……これって、あんまりじゃない……」
「うむ……。あのスズメといい、シホといい、厄介なものじゃの。それに、スズメに生徒会長に立候補させたのは、おそらく校長と大孫じゃぞ」
イロハは、ぐっとこぶしを握った。
おそらく、校長と大孫は、芸能活動で一年留年してしまっているスズメに、飛び級させての卒業をちらつかせ、その代わりに生徒会長に立候補するように仕向けたのだろう。
そうなると、スズメが悪い人にお灸をすえる、と言っていた、悪い人とは、アヤノのことだ。
「これって、ひどいよハナちゃん! お化けの力でなんとかならないの!」
チラッと花子がイロハを見た。
「イロハよ、よいのか?」
「よいのかって?」
「確かに、お化けの力をもってすれば、色々と細工は可能じゃ。しかし、そんな力を行使してもよいのかの?」
「それって、どういう意味?」
「まあ、ちょっと考えてみるとよい」
花子が歩き出したので、イロハも一緒に校舎に入っていった。
その日の昼休み。
「おい、たいへんなことになってるぞ!」
「視聴覚室でテレビ見ようぜ!」
男子生徒がわめいている。
「いったい、何が?」
イロハは、スマホでヘッドニュースを調べる。
「え、なに、これ!?」
そこには、
急いで為替を見る。
「すごい、円高!!」
花子もスマホをのぞき込んでいる。
「うーむ、ドルはかなり高くなっていたからの。ショート入れておけばよかったのう。もう遅いかのう」
「いやいや、ハナちゃん、それどころじゃないよ。これって!!」
すぐに、詳細が分かってきた。
安倍晋三元首相は、何者かに、銃撃されたということ。それも、選挙の演説中に。
「ハナちゃん、たしかに、安倍元首相は色々あったけど、こんなのひどいよね! 民主主義を暴力で、それも選挙の応援演説中に!」
安倍晋三が首相の座に君臨していた時代、イロハはまだ投資をしていない。それどころか、当時は投資とは何かすら、知らなかった。
それでも、その時から、アベノミクスという言葉は知っていたし、安倍晋三が日本経済に多大な影響を与えていることも知っていた。
投資を始めた今、当時のことは知らないが、偉大な人だったことは分かる。
そんな人が、突然銃撃されたのだ。
「イロハよ。今朝のこと、答えが出たかの?」
「今朝……」
イロハははっとした。
「たしかに、お化けなら、生徒会選挙で、暴力とまではいかなくても、色々な小細工で陥れることは可能じゃ。しかし、それはどういうことか、イロハは分かるじゃろ?」
「う、うん。わたし、民主主義を、壊そうとしちゃったのかな?」
「うむ、それが分かれば
「うん、そうだよね、ハナちゃん……」
イロハは、自分の応援するアヤノをなんとか生徒会長にしたいがために、使ってはいけない力に頼ろうとしてしまっていた、自分を恥じた。
「まあ、それに気づけたイロハは、偉い偉いじゃ」
花子は、ポンとイロハの頭に手を置いてくれた。
「安倍晋三さん、助かるといいね」
「そうじゃの……」
放課後、アヤノを探したが、結局会えずじまいだった。
アヤノを探して話たいのは山々だったが、参議院選挙期日前投票の出口調査のアルバイトもある。
期日前投票所も、物々しかった。
「
今回は、商店街の大人も、イロハと一緒に出口調査をしてくれた。
物々しくはあったが、特に問題は起こらず、今日のノルマを終えた。
商店街の更衣室で、着替えていると、奥の部屋のテレビが、安倍晋三元首相の死亡を報じていた。
「暴力なんて、使っちゃいけないんだ」
イロハは、強く胸に刻んだ。
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