第5話 カリンの過去
「あの、裏切り者って、どういう意味ですか?」
驚いて、体育会系の女子に問いかける。
体育会系の女子は、ふん、とそっけない顔をして、話をはじめた。
「あいつ、中学の時に、ウチと同じ剣道部にいてさ。その練習試合で行った別の中学校で、そこの生徒殴って、停学になったんだよ」
「て、停学!?」
重い処罰を受けていたことを知って、びっくりした。
それに、優しいカリンが、そんな停学を受けるような人だとは到底思えない。
「しかも、殴った相手は男子ときたもんだ。結局、誰が聞いても原因を何も話さなかったしさ。まったく、ひどいやつだよ」
体育会系の女子は、ため息をついた。
「理由も分からないから、うちらのいた剣道部は大会の出場が停止になってさ。理由も分からないまま、大会に出られないなんて、まじ最悪じゃね?」
たしかに、理由も分からないまま、無関係な生徒が大会に出られなくなってしまったことは、不憫だと思う。
「カリンは退部になっちゃうしね。誰にも殴った理由を言わないまま。退部した奴はいいけどさ、残されたうちらまで、ほんととばっちりもいいとこさ」
体育会系の女子は、思い出して、だんだんイライラしてきたようだ。
「だからあいつ、高校に入ってからは部活にも入らないでおとなしく過ごしていたのに、今年から投資部なんかに入ってさ。これって、先生達からの点数稼ぎじゃね?」
嘲笑するように笑いながら言ったのを見ると、アヤノはむっとした。
たしかに、大会に出られない、そのきっかけとなった理由を言わない、というのは、腹立たしいことだろう。でも、進級を人質にとられ、どれだけカリンが苦労してきたと思っているのだろうか。それを、点数稼ぎというのは、ひどい気がする。
「そういえば、カエデもカリンと同じタイミングで剣道部辞めたんだよな」
急に、アヤノが最初に声をかけた女子生徒をカエデと呼び、体育会系の女子生徒が話をふった。
「カエデが辞めたのと、何か関係あるの?」
話をふられたカエデと呼ばれた女子生徒は困惑した様子で、
「べ、別に関係ないわよ。辞めるタイミングが偶然一緒になっただけよ。一度、剣道部から離れようと思っていたから」
と、慌てながら言った。
「ふうん。まあ、中学の時は大会も出られなくなったし、ちょうどよかったのかもな。高校ではまた剣道はじめて、しかも全国まで行けるんだから、すごいよなぁ」
どうやら、このカエデという生徒は、かなりの腕前らしい。
カエデは色白で、背が高くすらっとしている。どちらかというと、もう一人の体育会系の女子生徒の方が、強そうに見える。人は見かけによらないものだ。
体育会系の女子はアヤノに向き直り、
「まあ、何があったかは知らないけど、あんたも気を付けるんだな。どこで裏切られるか、わかんないからね」
そう言って、体育会系の女子生徒は教室の中へ戻っていった。
アヤノがはじめに声をかけたカエデという女子生徒は、少し教室の中へ戻ろうかどうか迷っていたようだが、
「じゃあね」
と一言だけ言って、教室に入っていった。
アヤノは一人、2年生の教室の前に取り残されてしまった。
それにしても、カリンが中学生の時に、剣道部に所属していたとは初耳だ。それだけならまだしも、他校の男子生徒を殴ったとは、いったいどういうことなのだろうか。
そういえば、アヤノにひどい言葉を浴びせてきた、
別に、カリンが怖いとは思わない。むしろ、信頼できる先輩だ。
しかし、このような暗い過去があることは、アヤノも気になる。
力になれるのであれば、寄り添いたい。
ただ、誰にでも、触れられたくない過去はあるものだ。
それに、今回カリンの様子がおかしいのが、直接、中学校時代の出来事と関係あるのかどうかも分からない。
悶々とした気持ちが残ったままだが、すでにカリンが帰宅してしまっているのなら、どうしようもない。
その日は仕方なく、帰ることにした。
3月4日、週末の金曜日だ。午前中に、ロシアがウクライナのザポリージャ原発を攻撃したというニュースが流れた。
一時、原発から放射能が漏れ、放射線量が高まったとするニュースが流れるや、株、為替ともに大きく下落した。
昼には、放射能漏れはデマだったとする報道の修正が入り、相場は回復してきてはいるが、それでも、安定には程遠い。
「カリン先輩の言う通り、今週は相場と勝負しなくてよかったな」
このような状況で売買するのは自殺行為のようなものだ。
「それにしても、カリン先輩、来週はだいじょうぶなのかな?」
昨日の体育会系の女子の言った、裏切り者という言葉が、ずっと気になっている。しかし、カリンに直接確認するのも気がひける。
来週、もしカリンに明るく陽気な雰囲気が戻ってくれば、特に聞き出すこともないかと思っていた。
しかし、そうでなければどうだろうか。
ただ、本当に、こうしたことは、聞いてよいものなのだろうか。極めてデリケートなことではないだろうか。
悶々としながら、放課後を迎えた。
「このまま帰っても、ずっと考えちゃうだけだし、ちょっと部室にいこうかな」
投資部までやってきた。
誰もいない部室は、とても広く感じられた。
一人で部室にいることは、これまであまりなかった。
そこにはいつもカリンの姿があった。
パソコンでチャートを表示させる。ユーロが大きく下落していた。
「こんな相場、入れないな」
来週からは、ちゃんとカリンと相談しながら、相場に向き合えるだろうか。
このような乱高下する相場で、自分一人で勝つことは、とても難しい状況になっているような気がしてきた。
「あと6万円か……」
今月末までに残り6万円の収益を上げて、総資産を120万円にしなければ、留年だ。
「どうしようかな……」
だんだん、目がトロンとしてくる。
いくら、今週6万円を稼ぐことができ、ゴールが見えてきたとはいえ、不安は募り、考えるだけで疲れてきている。
それに、一週間の授業が終わった金曜日の午後は、疲れもピークだ。
1分足チャートの動きを目で追う。だんだん、チャートがかすれていく。頭も重い……
他の部活の生徒の帰宅で、廊下から騒がしく声が聞こえたのを感じて目を覚ました。もう陽は暮れている。
「眠ってた……」
ふと為替のチャートを見る。
「ユーロ、ひどいなぁ」
部室に来てチャートを見始めた頃にもユーロは下落していたが、今見ると、さらに大きく下落していた。
「かえろ」
パソコンをシャットダウンし、部室の電気を消して、廊下へ出た。
前の方に、長い棒を持ちながら歩いている生徒がいた。
よく見ると、竹刀を入れた袋だ。
後ろからくるアヤノの足音に気づいたその生徒が振り向く。
「あ、昨日の……」
昨日、2年生の教室にカリンを探しに行った時、はじめに声をかけた、カエデという生徒だ。
「お、お疲れ様です」
とっさに声をかけた。
「うん、投資部のかえり?」
「はい……」
特にその後の言葉が続かなかった。
「カリン、今日も早くに帰ってたけど、一人で部活やってたの?」
カエデが話かけてくる。
「は、はい。ずっとチャート見てて」
「チャート?」
「えーと、株や為替が動のを表すグラフで……」
「ふうん」
カエデは、特に興味なさそうな返事をした。
投資のことは興味なさそうだが、少し真剣な顔になって、
「カリンと、何かあったの?」
と尋ねてきた。
「えーと……」
もしかすると、このカエデは、勘が鋭いのかもしれない。
「ちょっと、カリン先輩、最近様子がおかしいっていうか……」
すこし、口ごもりながら答える。
「でも、わたしの思い違いかもしれません」
勝手に思い違いをしている可能性もある。
ただ、カリンの様子が突然おかしくなったのは、もしアヤノが年度末までに総資産120万円を達成できず留年になってしまった場合は、留年が回避できるように、カリンが大孫に頭を下げると言い出した時からだ。
やはり、関係あるのだろうか。
そんな考えが、頭のなかをぐるぐると駆け巡る。
「あのさ、これから用事とかある?」
突然、カエデが用事を聞いてきた。
「いえ、何もないですけど?」
「ちょっと、つきあわない?」
「え?」
昨日会ったとはいえ、まだ初対面に近い。しかも、別の部活の先輩だ。
しかし、何かカリンのことについて分かるかもしれない。
昨日、カリンを裏切り者などと話していたことも気になる。
「はい、それなら……」
アヤノはカエデとともに下校した。
近場のファミレスにやってきた。
よく知らない先輩と話すのは緊張する。
とりあえず、下校中に自己紹介はしたが、それ以上話が続かなかった。
「今日は奢るから、好きなもの食べていいわよ」
席につくと、カエデから言ってきた。
「いえ、悪いです」
「いいのよ。先輩にいい顔させなさい」
カエデは先に、なんのためらいもなくハンバーグセットを注文した。はじめ、少しスイーツを食べるだけかと思っていたが、がっつりいくようだ。
色白のきれいな人だが、やはりこれが、体育会系女子なのだろうか、と思った。
今日の夕食はファミレスですませることにして、カエデと同じものを注文した。
サラダバーを取りに行く。
カエデはサラダも大盛だ。さすがに、アヤノはそこまでサラダを盛ることはできなかった。
運ばれてきたハンバーグセットを少し食べる。
昨日のカリンを裏切り者と言っていたことを聞き出したいが、なかなか言い出せない。
それよりも、今は目の前の色白でスラっとしたカエデが、吸い込むようにハンバーグとサラダを飲み込んでいく様子に驚いてしまっていた。どうすれば、こんなに食べて、このような体型を維持できるのだろうか。
しばらくしてカエデから、
「なかなか、おいしいわね」
と話かけてきた。しかし、社交辞令的な言葉だということはすぐわかった。
「運動すると、お腹がすくのよ」
カエデも、どうやらカリンの話題を切り出そうとしていることが察知できた。ただ、なかなか言い出せず、回りくどい前置詞を置いているのだ。
カエデは、本題とは少しそれた話題を繰り出す。
「他の先生から聞いたんだけど、あなたたちも大変ね。カリンは新型コロナで、あなたは交通事故だっけ? 授業日数足りないから、投資部に入れられて、20パーセント資金を増やさないと留年って、ひどいわよね」
カエデは、投資部の事情をよく知っている。
「大丈夫なの?」
「まあ、カリン先輩はなんとか……。今は、ちょっと私がドジをしていて……」
「そう……。頑張ってね。カリンは、なんだかんだ言って、何とかする子だから……」
ふと疑問に思った。
カリンが何とかする子、というのは、カリンのことをよく知っているのだろうか。
話が途切れる。
「まあ……」
カエデは、ふう、と息を吐いた。
「わたしも、このままじゃいけないって、そう思うのね」
突然言われて、戸惑った。
「アヤノちゃん、何も知らないのよね?」
「何もって、昨日裏切り者って言っていたことですか?」
カリンからは全く何も聞かされていない。
「わたし、カリン先輩が剣道部にいたことも、知りませんでした」
「そう、それも言っていないのね」
カエデは、コップの水を一口含んだ。
「昨日は、もう一人の子が裏切り者なんて言っちゃったから、びっくりしてるわよね」
たしかに、とても驚いた。
「あんなこと言ったら、アヤノちゃんからすると、私たちのことも信用できないわよね。先にこっちの情報を伝えるわね」
カエデは、ゆっくりと話し出した。
「中学時代のカリンを知っている子は、みんなカリンのこと恨んでいるの。昨日の話のように、大会の出場停止のきっかけを作っちゃったと思っているから」
たしかに、体育会系の女子はカリンを恨んでいるようだった。もっとも、カリンに非があるのであれば、そうなるのも頷ける。
「でも、あのきっかけを作っちゃったのは、実はわたしなのよ」
それを聞いて、それも驚いた。どうして、カリンが他校の男子生徒を殴ったきっかけがカエデにあるのだろうか。
「わたしね、カリンとは幼馴染でね。剣道以外にも、とても仲が良かったの。実は、カリンはわたしをかばってくれたのよ」
このカエデという生徒は、カリンと大きなつながりがあるようだ。
「中学3年生の時から、わたしは全国に行けるくらいの実力だったの。あの年も、当然全国までは行くことができると思われていたわ。それに、わたし自身もそう思っていた」
やはり、カエデは昔から剣道の腕があったことが分かった。
「そういう子って、自分で言うのもなんだけど、けっこうモテちゃうのよ」
突然、おかしな方向に話がいくが、真剣に聞く。
「わたし他校の剣道部の男子に告白されてね。半年くらい付き合っていたの」
「あの、もしかして、その男子が……」
「そう。カリンが殴った人」
少しカエデは沈黙したが、話を続けた。
「付き合い始めてからしばらくしてからね、その男子、私に暴力を振るうようになったの」
「えっ!?」
付き合っている人が暴力を振るうなんてことが、あるのかと思った。
「特に、アザができるくらい酷かったことが2回あってね。わたし、カリンだけは信頼できたから、1度目はカリンに殴られたって言ったの。当然、カリンはとても怒っていたわ。すぐに別れろって言ってきた。でもわたし、本当にその人のこと好きだったから、殴られたのはわたしが悪かったのって言って。だから1回目はそれで終わったの」
固唾をのんで聞く。
「2回目の時は、カリンには黙っていた。また別れろって言われるんじゃないかって思って。もちろん、わたしの顔にアザできていたからカリンは心配して、その人にやられたんじゃないかって聞いてきたわ。わたしは嘘をついて否定したけど。そんな時、その人のいる学校と練習試合があったの……」
この先の出来事がどうなったのか、察しがつく。
「カリンは、わたしに聞いても埒が明かないと思ったみたいで、その人に直接聞き出したみたいなの。それで、そのまま殴りかかっちゃったみたいで……」
少し、カエデの声が震えてきた。
「カリンは、殴った理由を誰にも言わなかったわ。わたしが全国大会に出場できなくなっちゃうと思ったのね。理由は言わずに、自分が悪いってだけしか言わなかったの……。でも、結局、部として大会への出場は停止されちゃって、みんなに迷惑がかかることになっちゃったの……」
カエデは、顔を落とした。
「結局、カリンが一人だけ悪いことになって、部活は退部。しかも、停学処分にまでなって……でもね……」
カエデの声はかなり小さくなっていた。
「わたし、カリンにね、言っちゃったの……。なんてことしたんだって……。どうしてあの人を殴ったの。別れることになっちゃったじゃないって……」
カエデの頬から涙が伝ったのが分かった。
「わたし、カリンのこと、すごい嫌な言葉で罵っちゃったの……。とても、汚い言葉を使った。カリンからすると、ぜったいに言われたくないような言葉で……」
カエデの顔から、涙が止まらなくなってきた。
「そしたら、カリンね。自分のこと、一生恨んでいいからって……。そう言ったの……」
カエデは、そこまで言うと、もう話せないようで、しばらく肩を震わせて泣いてしまった。
何も言えず、カエデを見ていることしかできない。
しばらく沈黙が続いてから、
「ダメな子よね、わたし。中学校の時は、わたしも剣道部にいづらくなって、辞めちゃったんだけど、ついに、わたしも関係あるって言い出せなくて。いま、こうしてカリンと同じクラスになったのに、一言も言葉交わせてないし。中学校からの知り合いは、みんなカリンが悪いと思っているわ。おまけに、わたしは高校ではまたのうのうと剣道部にいるなんてね……卑怯よね、わたし」
カエデは、一度、ハンカチで涙を拭いて、
「カリンが、わたしのこと、救ってくれたのに……」
カエデは自分のことを、とても責めているようだ。
また沈黙が流れる。
今度は、自分が話をしないといけないと思った。
「あ、あの……、わたしも、カリン先輩に助けられていて……」
自分がとんでもないミスをして留年の危機にあること。そんな中、大孫から心無い言葉をかけられた時にカリンに助けられたこと。そして、もしアヤノが留年になってしまうことになった場合は、カリンが大孫に頭を下げ、なんとか留年が免れるようにしてくれようとしていることを話した。
カエデは、真剣に、じっと聞いていた。
全てを話し終えると、カエデは、
「まったく……」
と一言つぶやいた。
「あの子、本当に人がいいんだから……」
たしかに、話を聞いていると、カリンはお人好しが過ぎるように感じられる。
それに、最近カリンの様子がおかしいことの理由が分かった。
どうやら、カリンは、カエデの時のように、自分を悪者にしようと思っているようだ。
「今日は話を聞いてくれて、ありがとうね」
「いえ、わたしも、カリン先輩のこと、色々知ることができてよかったです」
「わたし、このままじゃ、ダメだって思っているの。もう、昔みたいに仲のいい幼馴染に戻れるなんて、虫のいい話は期待していないわ。でも、カリンがこのまま悪者じゃいけないって思うの」
「はい」
「だから、勇気を出して、ちゃんと謝ろうと思う……。ちょっと、わたし、勇気がないから、時間かかるかもだけど……」
剣道で全国クラスの実力を持っているカエデでも、これだけの過去や、トラウマをかかえていることに驚いた。
こうした人は、あまり悩みもないものだと勝手に思っていた。
「でも、近いうちに、きっと言うわ」
「はい、わたし、応援してます。もちろん、幼馴染の深い関係は、わたしには全部理解できませんが、きっと、大丈夫だと思います」
それを聞くと、カエデはふふふ、と笑った。
「ありがとう。きっと、アヤノちゃんみたいな後輩ができて、カリンはとってもうれしいんじゃないかなって思うわ」
カリンと幼馴染だったカエデからお墨付きをもらうと、何かむず痒い気持ちになる。
「わたしが言うのは変だけど、カリンのこと、これからもよろしくね」
「はい」
来週カリンに会った時には、カリンとしっかりと話をつけよう。カリンばかりに責任や悪役を押し付けてはいけない。
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