第6話

「お、お祖母ばあ様。いらしてたのですか。お早いお着きでしたね」


 細く、シャンと立っている、冬の枯れ木のような、人影。それこそが、この家の実質的支配者にして、私の祖母、瑞 紫雲しうんその人だ。絶世の美女がちゃんと年をとると、こうやって綺麗なお婆様になる、というとても良い例なのだが、いかんせん厳しくて、たまに怖い。まあ、ただ厳しいわけではなく、お茶目な所や優しい所もあるから、家族にも使用人の人たちにも慕われている。

 しかし、今日訪れる予定の法要は夕方からのハズだが、どうしたのだろう。いつものように、早めに遊びに来たのだろうか。


「おや。アタシの孫は、いつから平民になったのだろうね? 可愛い孫をやるなら、とびっきり厳しい試練を突き付けてやろうと、楽しみにしてたっていうのに」


 あっ、と思った時にはもう遅かった。うっかり、お忍び用の服を着て、馬車にも乗らず歩いて帰ってきてしまった。幸い、外に出た事をとがめるというよりは、面白がっているみたいだ。


「お、お祖母様。お祖母様の孫は、嫁に行くにはまだまだ修行が足りませんわ。そう、たまには自分の足で歩いて、散歩でもしようと思いまして……」


 言い訳が、しりつぼみになっていくのが分かる。無理。この人の前でウソつき通すとか、無理。あの眼光見てよ、白髪の皺が多い老女の眼光じゃないよ。下手したら、一族で一番強いんだよ?最弱の私が敵うはずない。

 私は耐え切れなくなって、視線を逸らした。ふんっと、祖母が鼻で笑う。


「そうかい。アタシはてっきり、横の家宰の息子とよろしくやってるのかと思ってたが、どうやら違うみたいだね。なんだい、色気のない事だよ」


 慶珂が、横で思いっきり首を振っているのを恨めしく見る。

 祖母はこうやって、たまに私と慶珂の事をからかうが、それは逆に、何も無いとわかっているから言えるのだ。そのたびに、色気のない事だ、と言われるが、祖母が若い頃色気がありすぎただけだと思う。

 祖母が若い頃は、周りの妙齢の男性は全員求婚してきたし、よその諸侯からもぜひ正妃にするから来てくれと言われた、更に最終的には天子様にも求婚された、などと武勇伝に事欠かないが(全部本当らしくて怖い)、選んだのは、お祖父様だった。お祖父様は、お祖母様の言葉によると、ちょっと抜けた所があるが、漢気がある人、らしい。地位より、お金より、自分の愛を貫いたらしい祖母。でも、それが出来たのも、祖母が美人だったからなのではないか、とちょっとだけ思っている。私なんか、政略結婚でもあるだけマシだろう。

 ……そろそろ察してくれたかと思うが、私は前世で、いわゆる喪女モテないおんなであった。まあ、別にそれはいいんだけど、今世でもそれでは、ちょっと困る。なぜなら、家の役にすら立てなくなってしまうからだ。いわゆるニート。いわゆるお荷物。それだけは、避けなければならない。


「何ぼさっとしてんだい。早く入って、茶の相手ぐらいしておくれ」


 私は、祖母をほっといて、考え事をしてしまったらしい。慌てて、


「申し訳ありません。私でよければ、お茶にお付き合いいたします」


 そう言って、慶珂に先に行き玄関を開けてくれるように、目配せする。慶珂も心得たもので、サッと前に出て、恭しく玄関の戸を開けた。当然のように入っていく祖母と、その後ろに続き家の中に入る私。私達が入ったので、後ろで慶珂が扉を閉める気配がした。

 祖母はどんどん進んで行き、いつもこの屋敷に滞在する時に使う、部屋に入っていった。

 ここは、敷地の中にある庭に面しており、適度に風も通るし、日光もちょうどいい具合に入る、この屋敷で一番良い部屋だ。祖母は別宅で暮らしているが、こうやって突然訪ねてきたりするので、ここの部屋の掃除は欠かさないようにしている。

 祖母は、飴茶色の滑らかな木肌の卓子テーブルとその椅子に腰かけ、私を見た。茶器を用意して、お湯を準備しに行こうと思っていたのだが、なんだろう。


「アタシの孫は、いつまでその恰好でいるつもりだい? 平民になりたいなら止めやしないけど、ほどほどにするんだよ」


 そうだった、ある意味お出かけ用の服のままだった。お湯を取りに行くついでに、着替えないと。

 祖母に一言断りを入れ、まず厨房に行き、お湯と茶菓子の手配をした。お湯はすぐに沸くし、菓子もお湯も使用人の人が持って行ってくれるから、急いで着替えないといけない。

 自分の部屋に戻り、いつもよりちょっと刺繍が多い、可愛い色の服を選んで、さっと着る。

 さっさと着替えをすませて祖母のいる部屋に戻ると、お湯はまだ届いていなかった。良かった。

 祖母は入ってきた私の姿を見て、満足そうに頷いた。


「そうそう、珠香はその恰好の方が可愛いからね。さ、アタシに茶を淹れておくれ。アンタのいれる茶は美味いから、楽しみにしてるんだよ」


 照れて、頭の後ろをかいてしまう。私が、素直に可愛いと言われるのを受け入れるのは、祖母の言葉だけだ。

 祖母の言葉には、孫が可愛い、というのがなんだか沢山入っていて、気恥ずかしいやら、嬉しいやら、なんだかわからない気持ちになる。それに、気のせいでなければ、祖母は私に一番甘い。たぶん、剣が持てない私が可哀想というのもあるのだろうが、自分の美貌を見慣れすぎてて、私達兄弟の美醜なんてどうでもよくて、単純に一番家にいて懐いてくる私を気にかけてくれている、というのがあるのではないだろうか。憶測でしかないのだけど。

 こうやって、祖母に褒められるのは、嬉しい。父に褒められるより、実はうれしい。私、を評価してくれている気がするから。だから、たまに厳しくて怖くても、こうやってもてなすのは嫌いじゃない。

 ちょっと照れながら、お茶の準備を再開する。

 中国の茶器、というものを想像してもらったら、まさしくその通りな茶器のセットを、祖母の前に持って行き、卓子の上に置く。ちょうどお湯と茶菓子も届いたので、祖母の前に並べ、お茶の用意をする。

 数分も立たないうちに、一煎目を祖母の前に出すことが出来た。祖母は、目の前に出された聞香杯でお茶の香りを堪能し、優雅に茶杯に口をつけた。


「うん、美味い」


 祖母が満足そうに言う。よかった、今日も大丈夫だったみたいだ。

 私も、自分が淹れた茶に口をつける。美味しい。芳醇な味と、さわやかなお茶の香り。日本に居た時だって急須でお茶を淹れて飲んでいたけど、こんなに美味しいと思いながら飲む事は無かった。お茶が違うのだろうか? 丁寧に淹れてるから違うのだろうか? 祖母と飲む時は、特に美味しいと思う。


「で、浮いた話の一つや二つないのかい?」


 口に含んでいた茶を吹き出す、という古典芸能をしそうになった。理性で押しとどめる。


「お祖母様、何度も申し上げますが、私はいずれ家の為に嫁ぐつもりです。浮名を流すような事は、いたしません」


 私が、一生懸命言葉を選びながらそういうと、祖母は面白くない、と顔に書いて出した。


「別に、瑞の家にこだわる事は無いんだよ、アタシが言うのもなんだけどね。まあ、気が変わったらいつでも言っておいで、アタシがその男を見定めてやるよ」


 カカカ、と笑い祖母は菓子に手を出した。今日はちなみに、紅色の皮の中に白あんが入っている饅頭のようなものにしてみた。これは、懇意にしている高級菓子店から買ってきた。貴族御用達の店だけあって、上品な甘さで美味しい。の、だが、今日食べ損ねた、屋台の甘辛い餅のような物が脳裏をよぎり、少し残念に思った、それもこれも、全部あいつらのせいである。誰かに聞いてもらいたい気分だ。祖母も機嫌がよさそうだし、今日あった事を聞いてもらう事にした。もちろん、私が外に出とバレるのはまずいので、慶珂がから聞いた態にする。


「そういえば、今日、いつもの香木店で変な二人組がいたそうですよ。若い男たちで、酒に酔っぱらってて、よりにも寄って環木を買おうとしてたんですって。店主も困っていた所に慶珂が来て、買って帰ってきたそうです」

「へえ? 酒に酔って、香木店に行ったのかい。そりゃまた、言葉通り酔狂だねえ」

「でしょう?!絶対おかしいですよね、そんな、繊細な匂いもわからない状態で!」


 つい、力説してしまった。危ない危ない。祖母は、面白そうなものを見る目で、私を見ていた。誤魔化すように、二煎目を祖母に淹れる。


「なんだい? その男たちに絡まれでもしたのかい?」

「まさか! 振りほどいてやりました」


 あっ。

 お茶が、茶器から溢れそうになったので、慌てて止める。なんでもないようにして、茶海を卓子に置く。


「……」

「……」


 一瞬置いて、祖母が大笑いし始めた。老人とは思えない声量で、高らかに笑い声をあげる。そんな笑い声を聞いたのは、久しぶりだ。


「なんだい! やるじゃないか、さすがアタシと景峻の孫だよ」


 良かった。外に出たのを怒られるどころか、なにかお気に召したらしい。笑いが止まらなくなっている。


「あんたは、大人しい顔をして、やるときゃやる子だと思ってたよ。で? 振ってやったのはどんな男だい?」

「いや、別に振ったわけじゃないですが……最悪な男でした」

「そうかいそうかい。あんたは、昔から何かと言っちゃあ、後ろに引く子だったからね、心配してたんだよ。その様子なら大丈夫そうだね」

「だから、おばあさま、違います」


 祖母が、いったい今の会話の何をもってして大丈夫と判断したのか、マジでわからない。最低な男にキレただけなんだけど。まあ、あの時はカッとなった私も悪かったかなと、ちょっとだけ思う。ちょっとだけ。もう会う事は無いだろうから、今日の事は、犬に噛まれたと思って忘れようと思う(でも実際この時代の犬にかまれたら、狂犬病とか怖いよね?)


 そんなこんなありながらも、夕方の法要は恙なく終わり、来てくれた親戚の人たちも帰っていった。

 父や兄妹たちはみな、仕事のために城に戻ったが、祖母は泊まっていくようだった。


 祖母の昔話を聞きながら、穏やかに夜は更けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る