第5話

 店を出て、速足で歩いていると、大通りに出た。

 少し立ち止まるが、胸の動悸はまだ早い。これが、速足のせいなのか、先ほどの事を引きずっているのか、もうわからない。

 私、こっちでも運動不足なのよね。武門の家の娘が運動不足ってどうなの、と自虐していると、


「お嬢さん!」


 後ろから聞きなれた声がした。後ろを振り返ると、慶珂が走ってこちらに向かってきていた。思わず、慶珂のさらに後ろを凝視する。昼だというのに、高い建物に囲まれたその通りは薄暗いが、慶珂以外にこちらに向かってくる人影はないようだ。

 慶珂は私の目の前で止まり、息を吐いた。肩で息をしているので、どうやら急いで追ってきたらしい。慶珂には悪いことをしたな。そう思って口を開きかけた時、


「さすが、あの家のお嬢さんだな。あんな威勢の良い啖呵たんかきれるなんて、見直した、いや、見惚れたぜ」


 にかっと、あの愛嬌のある顔で笑う慶珂。あの時は、ただただ思った事を、憤りのまま吐き出しただけだ。そんな言われる程の事じゃない。これは、慶珂が私に気にするな、と言いたいのだろう。その気づかいに、少し、気持ちが落ち着いた。肩をすくめて、言い訳じみた言葉を並べる。


「だって、嫌だったんだもの。あんな酒臭い酔っ払いに、馬鹿にされて、香木まで横取りされるの」


 苦笑する慶珂。私が歩き出したので、慶珂も並んで歩き出す。


「外だから言うけど、お嬢さんのその卑屈さ、少し勿体ないと思うぜ。なんで、昔から可愛いって言われると、馬鹿にされたと思うんだか」


 大通りの喧騒の中でも、ハッキリ慶珂の言葉が聞こえる。治まりかけていた動機が、少し早くなる。


「……あんなに可愛い妹が横に居るのよ? 私への可愛いは、憐憫か、同情か、馬鹿にする為の言葉でしかないのよ」


 そう。玉雲は、妹は何も悪くない。悪いのは、私達を見比べ、勝手に私に同情したり、嘲笑したりする人の方だ。わかっている。わかっているが、その言葉に傷つくのは、もう嫌だ。前世のように、人の言葉に勘違いして、嘲笑されたり、馬鹿にされたりしたくない。もううんざりだ。それなら、その言葉を言う他人は、誰であろうと、私を馬鹿にしていると思った方が、楽だ。

 慶珂が、息を吐くのがわかった。この聡明な使用人は、ちゃんと引き際を心得ている。今は、それが有難い。






 それ以降、特に会話する事もなく、貴族区画へ戻るための門に着いた。

 行きと同じように、証である木片を門番に見せる。いつもなら、そのまま何事もなく通してくれるのだが、今日はちょっと違った。


「なあお前達、城下町へ行っていたのだろう?」


 慶珂を見知っていたのだろうか、門番の一人が話しかけて来た。

 少し身構えながらも、素直に返事をする慶珂。


「そうです」

たいの馬車を、見なかったか?」

「戴の、ですか? 見ませんでしたが、何かありましたか?」


 慶珂が素直に答えたからだろうか、門番は頭をかきながら、ひそひそ声で教えてくれた。


「あまり公にはできないんだが、戴の使者についてきた同行者が、城下町にお忍びで行って、まだ戻ってこないんだ。探してはいるが、あまり大々的に探せなくてな。こうやって、情報収集をしているんだ」

「そうなんですか。すみません、お力になれず」

「ああ、良いんだ。こっちこそ、すまないな」


 門番は苦笑し、通っていいぞ、と私達を通してくれた。もう一度殊勝にお辞儀をする慶珂を見習い、私もペコっとお辞儀をすると、門番はもう次の人の確認をしていた。

 テクテク歩き、門から遠ざかった所で、慶珂に話しかける。


「戴の使者って、昨日来た筈よね。玉がそれで帰ってきたんだから。何かあったのかな。春と玉、大丈夫かな」

「心配しすぎなんじゃないか。こうの前で変な事をしたら、それこそその場で使者の首が飛ぶんだろう、物理的に」


 その言葉に、少し顔が青ざめるのがわかった。昔から、血とかグロとか、苦手なのだ。ホラー映画だって見れなかったのに、現実に目の前で、そんな事が起こったら倒れる自信がある。父や、悠陽は軍人だから、もちろんそんな場面に出くわす事もあるのだろうが、私は無理だ。

 そもそも、最近世界は均衡を保って平和らしいし。先生が言っていた。諸侯の中でも大きい勢力の、そうという大国があって、そこが主導して色々もめごとを解決しているそうだ。盟主、と先生は表現していた。そのあたりの詳しい話は、今度先生の講義で聞く事になると思う。ちゃんと聞こうと思う。いつもちゃんと聞いてるけど。


「あ!」


 唐突に思い出した。大通りを曲がり、ここを真っ直ぐ歩けば自宅に戻れる所でだ。

 慶珂がビックリした顔でこちらを見た。


「なんだよ?」

「屋台! 寄るの忘れてた。あいつらのせいよ! そうだ、お金は? 残った?」


 思いつくまま言葉を吐くと、慶珂は眉を上げて私を見て、ニッと笑った。


「安くしてもらって、すっからかんだ。ほら。袖の下にも入れていないぜ?」


 慶珂は、私の財布というか巾着を逆さまに振りながら、私に返してきた。自分の袖の中もひっくり返して、こちらに見せる。私がそこまで疑っていないのを知っていながら、律儀な事だ。まあ、袖の下、とうのはこちらでも賄賂の隠語なので、それをしなくても、高かった、無茶をした、でも言いたいのだろう。慶珂の腕の中にある包みは、高価な香木とわからないように、木の箱に入れられ、安っぽい布で包まれている。箱の大きさを鑑みても、香木にしてもかなり大きいサイズだ。これは、見つかったら祖母に怒られるかもしれない。隠しておこうと、心に決めた。


「そう。じゃあ、仕方ないわね。でも、あいつら一体なんだったのかしら」


 自分で怒りの対象を思い出して怒るなんて、頭悪いと思う。が、心の整理がまだつかないのだ。慶珂も肩をすくめる。


「さあ。少なくとも、環人じゃあないな。こう、南の方の訛りっぽいのがあった」

「南? 、まではいかないわよね、そうしたらわかるもの。じゃあ、戴か、いんかな」

「そうやって、すらすら国の名前が出てくるのも、風伯ふはく先生の努力の賜物ですなあ、お嬢さま」


 ニヤッと笑って、私を茶化す慶珂。失礼な。確かに先生の教え方もうまいけど、私も頑張っているのだ。というのは、グッと飲み込む。屋敷の前に、とある人物の人影が見えたからだ。

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