第4話

 私達は、馴染みの香木店に入った。

 フワッと、良い匂いがする。花のような匂いや、少し薬のような苦い匂い。香木店というだけあって、いろいろな匂いのする木が展示してある。引き出しも無数にあって、店主が迷いなく引き出しを開けて、注文の品を出していくのを、いつも驚愕の目で見ている。


「おや、いらっしゃいませ」


 店主が気づいて、声をかけてくれた。店主の前には、男が二人座っていた。どうやら、商談をしていたようだ。中断させては悪いと思って、目だけで挨拶をする。

 すると、店主はまるで待ってましたとでも言う風に、男二人を座らせたまま、自分だけ私達の方に近づいてきた。


「慶珂と一緒という事は、今日は、例の環木を買いにいらしたんですよね」


 店主は、私が慶珂の主人筋、だというのをなんとなくわかっているようで、私には丁寧に接してくれる。だが、今日はなんだか様子が違う。まるで、後ろの男たちに聞かせるように、私にそう言うなんて、今まで無かったことだ。


「え、ええ。できたら売って欲しいのだけど」

「お客様。ほら、他に買いたい方がいらしたでしょう」


 店主が、私の言葉に明らかにホッとして、後ろを振り向いた。私も、つられて後ろを見る。すると、先ほどまで座っていた男二人が、こちらを見ていた。

 若い。

 第一印象は、それだった。伯景と同じか、少し下ぐらいだろうか。その年でこんな店にいるという事は、貴族か金持ちの息子だろう。

 ショートヘアで、切れ長の目元が涼しい整った顔立ちの男と、愉快そうに笑っているやんちゃそうな、髪の長い男。

 ちなみにこの土地では、髪形は自由だ。ロングも、ショートも、結うのも結わないのも、自由だ。位などは、冠で表すので、それなりの人たちは髪を結ったり短くしたりして被りやすいようにしているが、一般の人はそれこそ自由だ。この間、真ん中だけ髪を残したパンクな人を見かけた。

 そういう事なので、髪の長い男は使用人かもしれないが、隣の男はそれなりの地位の人間なのかもしれない。と、ここでようやく気付いた。

 酒臭い。

 他の匂いで気付かなかったが、二人が振り向いた瞬間から、こちらに臭いが漂ってきだした。真っ赤になっているわけではないが、酔っぱらう程飲んでいるのは間違いないだろう、というぐらいには酒臭かった。なるほど、店主も困っていたハズだ。

 髪の短い男が、ニヤニヤ笑いながら、酒臭い口を開いた。


「ふ~ん、そっちのお嬢ちゃんが買うのか? へー、平凡だけど可愛いじゃん。この後俺たちに付き合ってくれるなら、あの環木買ってやろうか、かわいこちゃん」


 カチン、ときた。酔っ払いの言う事だ。気にする方が大人げない。わかっている、わかっているが、


「いりません。知らない人に、施しをうけるいわれはありません」


 つい、口走っていた。これには店主も、言った男も驚いたような顔をしていた。たぶん、後ろにいる慶珂は、あーあという顔をしている事だろう。


「店主、入荷している環木を全てちょうだい。いくらでもいいわ、持ってきて」

「は、はい、ただいま」


 ひゅーう、という人を小馬鹿にしたような口笛が聞こえる。長い髪の男だ。手入れを怠っているのか天然なのかしらないが、毛先がツンツンしてパサパサしている。あまり良い暮らしをしている人間では無いだろう。


「やるぅ。お嬢さん、アレ、結構高いってよー。俺たちが断られるぐらいには。なあ、思戯しぎ

「あ、ああ」


 プイっと横を向いたので、男たちの顔はわからなかった。顔を背けてから少しもしない内に、店主が一抱えもある包みを持ってきた。いつもなら怖気づく量だが、今の私はどうにでもなれと思ってる。腹が立ってしかたないのだ。


「お待たせいたしました。こちらで、全てでございます」

「おい、ちょっと待てよ。俺たちが先に居ただろう。いくらだ、いくらでも払ってやるよ」


 店主が私達に差し出そうとするのを、短髪の男が止める。ここにきて、まだ邪魔しようと言うのか。怒りが、またふつふつとわいてきた。


「あなた達に、この香木の価値が本当にわかるの? 焚き方は? 焚く量は? 保管方法は? 合わせる匂いは? 無駄にするだけなら、香木が可哀想だわ。高いだけ、珍しいだけで欲しいなら、他をあたって!」


 ドクドクドク。ヤバい、心臓が早鐘を打っている。動機が止まらない。こんなに人に声を荒げた事も、怒った事も、この世界で初めてかもしれない。感情が高ぶり過ぎたせいか、涙が出て来た。


「なんだよ、泣くほどの事じゃ……」

「うるさい! 慶珂、お金払って。私先に帰る」


 もう、此処に居たくない。この男たちと、同じ場所に居たくない。私はくるりと踵を返し、後ろで戸惑っている慶珂に金の入った財布を渡し、そのまま店の扉に向かってずんずん歩いた。パッと、袖と手が捉まれる感触がした。


「なあ、おい、わ」

「離して」


 その手を、思いっきりバッと振りほどき、そのまま振り返らずに店を出た。外に出る直前、


「お前、謝るの下手くそな」


 という、愉快そうな若い男の声が聞こえた。今はただ、もう何もかもが腹立たしい。

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