第3話


 次の日。


 日の出には、城下町の門が開く。門が開けば、中の住人と外の商人とで、街が賑やかに活気づく。今日は慶珂との約束で街に行ける。それを家族に悟られると面倒なので、なんでもない風に朝食をお膳立てし、それぞれ仕事に行くのを見送った。

 春陽と玉雲は、後宮で寝泊まりしているから、次帰ってくる日はわからない。無茶しないように言い含めて送りだすと、二人とも、私こそ無茶するな、と言いおいて出て行った。納得いかない。私は家に居るだけの、しがない家事手伝いなのに。

 とにもかにくにも、家族には不信に思われなかった。

 今日は、お出かけできるとウキウキで街行き用の服を選んでいると、扉の外から声がした。


「お嬢さん。こっちは準備できてるぜ。まだかよ」

「女の支度は長いのよ。もうちょっと待って」


 昨日とはうってかわった口調だが、彼は本来こちらが素の性格らしい。他の使用人や私の家族がいたら、ちゃんとした言葉を尽くすが、誰もいなくなると途端にこれだ。

 正直、人にかしこまられるのは、寂しい。それが、近くにいる人、まして自分と同い年(肉体年齢)として親近感を感じてた彼からの、この対応はむしろ私が望んだものだった。

 それに街に行くにしても、この方が良いと思うのだ。あまりにも良い所のお嬢さん、となると危ない悪い人に利用されないとも限らない。私は、家族に恩を仇で返すような事はしたくない。これでも考えているのだ(失敗も多いけど)


「お待たせ。どう? これ。街で浮かないかな」


 投げ散らかした服を片付け、ようやく扉の外に出る。慶珂はうんざりした顔をしていたが、私の服装を見て、真剣な顔で頷いた。


「ああ、どっからどう見ても、その辺にいる普通の娘だ」


 この言葉には、傷つかない。むしろ、自分の容姿に親指を立てたい。これも、街に行って不信に思われないようにするためだ。


 瑞家の人間として、豪奢な服だって持ってる。金銀の刺繍がちりばめられた良い生地の服や、寒い冬に外に出てもちっとも寒くない、ゴージャスな手触りのコートだって持ってる。でも、そんなの着てたら、攫ってくださいと言っているようなものだろう。それは、此処だろうと、日本だろうと一緒だと思う。

 私の家は、貴族の家。それは変わりようのない事実なので、自己防衛はきちんとしないと。

 よく女の子と遊んでいる慶珂のお墨付きをもらい、ようやく安心して、家を出る事にした。


 使用人の人たちに声をかけると、いつもの事かという風に挨拶を返してくれる。今日も上手く外に行けそうだと、ウキウキしながら家の門を出る。






 この区画は、貴族区画というだけあって他にも豪邸が立ち並んでいる。

 高い塀と、広い道路。

 この世界では馬車が発達していて、この広い道路も馬車がすれ違えるように、広く造ってあるという。

 私はもちろん、徒歩で行く。

 前世でも、それなりの街に住んでいたから、歩くのはむしろ当然だと思っているが、他の貴族の子弟は違うらしい。どこに行くにも、御者をつけて馬車に乗る。それも、ゴテゴテキラキラに装飾した馬車に。ギャルの持ち物か。


「そういえば、今日は香木を買うのか? それとも、大当主おおとうしゅ様が来るから、練り香?」


 貴族区画から、城へも城下町へも通じる大通りへ差し掛かったとき、慶珂が話しかけて来た。流石だ。

 大当主である祖母は、練り香という、色んな匂いを混ぜて楽しめる丸薬型のお香が好きなのだ。明日は確かにお母様の法要、葬式の後の供養のようなものがあり、いつもは別宅に居る祖母も来るのだが、今日の目的はちょっと違う。


「今日は、香木を買うわ。良いのが出ているなら、ストック……予備が欲しいから」


 英語は、もちろんこの世界には無い。それに類する言葉も無い、ようだ。なので通じない。

 偶にこうやって出てしまうが、慶珂は慣れたものでスルーしてくれる。だが、知らない人からすると気味が悪いみたいなので、なるべく使わないようにしているが、難しい。評価が、普通から変な子になると苦労しそうなので、何とかしたい所だ。


「わかった。店主の話では、久しぶりに環木かんぼくが入荷するらしい」

「本当? 高そうね、ちょっと予算超えるかも……」

「そうなったら、他の客と折半させてもらおうぜ」


 コミュ力の高い慶珂は何でも無い事のように言うが、無理。店で知らない人と商品を分け合って、お金も半分払いましょうとか、交渉するのを想像するだけでも、コミュ障は物怖じしてしまう。まだ、店主と交渉する方が難易度が低い。


 香木こうぼく、という物は、凄く高価だ。それこそ、金より高い値段で取引されるものもあるそうだ。

 ここ環は、土地の三分の一が森林で、木が豊富だ。

 香木、というくらいなので、木が無いと話にならないのだが、環の木は良い香木になる物が多いらしく、この国の主要な特産物になっている。

 環の香木、環木かんぼくは、諸侯よりさらに上の、瞬王しゅんおう様にまで献上されるのだという。

 瞬王様は、戦国時代の天皇家を思ってもらえばわかりやすいと思う。この辺一帯の土地をもともと支配していた王朝の、まさに王様なのだが、今は支配力が衰えて、名前だけになっている、そうだ。だが、格や位は変わらず一番上なので、瞬王様に献上するというのは、とても名誉な事なのだ。


 だから環木は、一般の人ならず、貴族ですらその値段にしり込みしてしまう事がある。

 今回入荷する物が、何とか奮発して買えるぐらいの値段であれば良いのだけど。

 そんな事をつらつら心配していると、城下町と貴族区画を分ける門まできた。せわしなく馬車が行き来をしている。いつ来ても、この辺は土煙がすごい。

 この大通りは、城から貴族区画、城下町、さらにこの都市の一番外側の城壁の門まで、続いている。なので、色んな人がここを通らざるをえないのだ。

 慶珂は、瑞家の使用人の証となる木片を門番の人に見せた。一瞬、門番の一人が私を見たが、特に不信に思われなかったようで、すんなりと門を通過した。毎回、ここ変に緊張するのよね。私が幼い頃、一人で城下町に行った時はこんなに物々しく無かったのに。






 門を潜り抜け、大きな橋を渡ると、そこはもう別世界だ。人、人、人!

 喧騒と乱雑さが入り混じった、この国最大の街だ。市場も、食堂も、宿屋も、なんでもある。どこまで行っても中華街が続いているような煌びやかさと、休日のようなワクワク感。だから、ココに来るのが好きなのだ。


「どうした?」


 最近忙しくて、久しぶりに来れた感慨に浸っていると、慶珂が声をかけてきた。

 彼は先に進む事もなく、私と一緒に止まっている。私が歩き出すと、彼も歩き出す。

 私はそんなつもりはないのだが、どうやら護衛のつもりらしい。別にいらないと言っても聞かないので、家族の誰かに言い含められているのかもしれない。聞いても教えてくれないだろうから、自由にさせてくれる間は聞かない事にしている。


「今日は、香木を買ったら、屋台に寄って帰ろう。いくら残るかわからないけど、お菓子は買いたいわ」


 くるりと振り返り、慶珂に言う。慶珂は苦笑しながらも、頷いた。彼もまた、甘い物には目が無いのだ。

 屋台には、何でも売っている。

 まさに、庶民の食堂だ。朝、昼、晩、すべて屋台で済ます人もいるらしい。

 一度、家でも食べたいと言ったら、家宰かさいに、あんな下賤な物は食べてはいけません、と怒られた。納得いかない、あんなに美味しいのに。

 でも、家の事全てを取り仕切る慶珂のかさいにそれ以上は言えず、こうやってお忍びで街に出た時にコソコソ食べている。

 そんな屋台には、色とりどり、味とりどりのお菓子もあって、今日も大福のようなお菓子を買って食べようと思っていた。


 屋台の話しや、最近流行った事などを話していたら、曲がり道を曲がり、少し静かな通りに入った。

 表通りの喧騒が遠のいていく。

 ここは、貴族や金持ちの人たちが通う店が多く立ち並ぶ、いわゆる高級店街。

 貴族の使用人や、よその諸侯の子弟もお忍びで来るとか、来ないとか。


 そんな通りで、私達は馴染みの香木店を見つけ、入って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る