第2話

 この家は、広い。


 2Kで独り暮らしていた私には、手に余るほどに。というか、私個人に割り振られた部屋が、すでに2Kより広い。逆に落ち着かない。

 そんな広い家、むしろお屋敷なので、使用人の数も多い。

 この屋敷は城下町の貴族区画なる所にあるが、使用人の人たちの家というか寮も、この屋敷の敷地内にある。

 広すぎだろ、古代。


 ただ、意外な事に、文明は進んでいる。

 家は木造だが板張りで、瓦葺かわらぶきだ。

 熱を逃がしたり留めたりという概念もあり、寝具や家具も不自由なく、快適に暮らせる。この家が貴族の家だからかもしれないけど。

 被褥ふとんもふかふかで、上下水道もきっちり作られている。蛇口はないが綺麗な井戸や水路と、下水があって、トイレはなんと簡易水洗だ。マジでびっくりした。

 そして、ここ環の国の首都、環都かんとは十万人都市らしい。

 なんかもう、江戸? 中華風の、江戸? ってぐらい文明が進んでいる。しかも、この国は中堅ぐらいの規模しかないが、他の最も栄えている国の都市だと、五十万人くらいいるらしい。政令都市レベルだ。私がもともといた地方より人が多いんですがそれは……。


 それでも私がここを古代、と思ってしまうのは、この国が、いやこの国だけでなく周りの国々やこの世界が、まじない、で動いているからだ。

 そういったものをほとんどの人が信じている。そしてどうやら、本当にそういう力が働いている、らしいのだ。

 なかなか信じられないが、私達の先生が言っていた。


 歩き慣れた廊下を進み、厨房にたどり着く。

 すると、すでに夕食の支度を開始していた料理人たちが、一斉に私を見た。


二姐にしお嬢さん」

「みんな、今日は久しぶりに家族全員そろったの。父上には酒にあうつまみを多めに。大哥たいかには魚を中心になますにして、双子そうしにはとりあえずあぶりにくを。妹妹めいめいは食べてきていないみたいだから、とりあえず米と米にあう野菜中心のスープを作って。お願いね」

「はい」


 料理人たちはおのおの返事をし、料理の支度にかかる。

 らく~。言ったこと全部してくれる、めちゃくちゃ楽ぅ。

 手を出せないのが馴染めないと思っていたが、だんだん毒されてきた自分がわかる。

 が、申し訳ない気持ちは多分にあるので、私も厨房のすみっこを借り、料理を始める。勝手知ったるなんとやら、だ。


 今日はちなみに、魚の煮付けを作ろうと思う。彼女たちは、何故かこれが好きだ。

 しかし、この世界にも日本と似たような調味料や食材があって助かった。

 日本にいても天涯孤独だったし、あの世界に未練はなかったが、食べ物が違うのは耐えられそうに無かったから、これも有難かった。

 イージーモード、ってこういう所から易しいみたい。有難い。

 能力が、顔が平凡がなんだというのだ、ここに生まれて良かった。まあ、顔も良かったら更に良かったんだけど……、仕方ない。




 数十分後、私の作っている分も含め、あらかたの料理が終わった。

 火から熾しているのを考えると、早い方だと思う。

 米も大量に炊けた。

 成長期の双子がたくさん食べる、というのもあるが、これは使用人の人達も食べる分だ。

 父というか、この瑞の家のしきたりがあり、使用人と家族で食べる物を分ける必要はない、というのがある。

 すごく良い食材や、少ししか手に入らない希少な物は私達家族に提供されるが、それ以外は使用人の人達の分もまとめて作る。

 同じ釜の飯、というやつだ。これには、感心した。すくなからず人扱いされていない使用人というのを別の家で見た事があるから、この家の人が稀有なのだろうか。


「二姐お嬢さん。こちらでしたか」


 ふいに、さらさらの黒髪が憎らしい、大人びた少年が話かけてきた。

 彼は、この家の執事長とでもいうのか、家宰かさいという役職の人の息子で、将来的にその地位を継ぐ子だ。

 名を、慶珂けいかという。

 遊び盛りの年だが、仕事はきっちりこなす優秀な少年だ。

 私と同い年だというのに、ちゃんと父親の仕事を手伝い、成果をあげている彼に、嫉妬のようなものを抱いているのも確かだ。が、それはお門違いだと、自分を戒めている。


「なに? 慶珂」

「明日の法要で使うこうですが、馴染みの店に良いものが入ったそうです。朝一で買いに行きますが、よろしいでしょうか」


 彼が、わざわざ父や自分の父ではなく、私に買い物のお伺いを立てているのは、ちょっと外に遊びに出よう、と誘う合図のようなものだ。


 私は昔、貴族の娘という自覚が薄すぎたようで、一人で街まで買い物に出かけて、大騒ぎになった事があった。

 その事件の後、誰か護衛か使用人を付けて、なるべく外出しないように父から懇願され、折れた経緯がある。

 だから、彼のように気が利く人間が、たまにこうやって外に連れ出してくれるのだ。

 私はわざと少し悩む様子を見せて、頷いた。


「そうね、お母様にお供えする物は大事ですから、私も確認しに行きます」

「かしこまりました。それでは、門が開く刻限には準備をしておきます」

「ええ、おねがいね」


 慶珂は、わかっているとでもいう風に恭しくお辞儀をして、厨房を離れていった。

 私が、外に行こうという申し出を断らないのを知っていて、悩むそぶりにも合わせてくれる。本当に、末恐ろしい少年だ。


 ここでは18歳で成人とされるが、すでに大人びて見える彼は、よその貴族の使用人たちに大人気だ。

 顔は整っている方で笑うと愛嬌があるが、いかんせん、我が家の美男美女家族を見慣れ過ぎたせいで、特に何とも思わない。むしろ弟のように思っている。これが、前世にいた時なら、美少年キタコレとテンションが上がっていただろうに、少し残念である。


 私が彼と遊びに行く約束をしている間にも、料理はどんどん運ばれて行き、ほぼすべての準備が終わっていた。

 この家の使用人たちは、私達のこのやり取りの意味を知っており、生暖かい目で見守っている。使用人の人たちと仲良くしておくって、大事。彼らがいなければ生活が立ち行かなくなるのは想像にかたくないので、これからも仲良くしていきたいものである。


 作り終わった魚の煮付けを家族の数だけ取り出し、大量に余った分は厨房に置いておく。

 使用人の分の用意まではしないで欲しい、と当の使用人、むしろ料理長に言われたが、お世話になってるのにそんな事できないので、余りましたみたいな態で置いておくしかないのだ。自由に取り分けて食べているみたいだから、結果オーライだと思う。

 私が家族に取り分けた皿も、取り分けたそばから運ばれて行く。自分の分ぐらいはと思うが、それも取り上げられるので、されるがままだ。




 全て終わり、手ぶらで家族が待つ餐間ダイニングへ向かう。

 ここもまた広いし、何より贅沢な部屋だ。

 調度品はきらびやかだし、仕切りすら細工を施され存在を主張している。さらに、各個人に低い机があてがわれており、家族の顔が見えるように円形に並べられている。

 そこに料亭よろしく何種類かずつ料理が出てくるのだ。

 食事を置くだけというのに、机や椅子や敷物は個人の好みを反映させながらも質の良い物を使っている。

 もう、私には高そう(語彙力)としか言い表せない。実際、高いし。


 そうそう、そういえば個人の食卓がある、というのはメリットがあるのだ。

 私がわざわざ厨房で個人個人で作るものを指定しても、料理人たちが困らないのだ。家族は好き嫌いも多いし。

 特に双子。

 あの二人は、基本的に肉しか食べない。肉が好きすぎるのだ。

 成長期だし、身体を動かす仕事なので仕方ないと思うが、もうちょっと別のものも食べて欲しい。と思って頑張ってるが、味付けを濃くして、歯ごたえのある野菜を混ぜて食べさせるぐらいしか、成功してない。いつか、おひたし系を食べれるようにしようと、少しずつ慣らしている最中だ。


あねさま。今日は、何がでてきますか」


 私が自分の机の前に座ると、横に座る末妹すえっこが話しかけて来た。

 淡く微笑んでいる顔が桃の花にたとえられる私の妹は、本当に可愛い。癒される。この子のためなら、なんだって頑張れる。という、キモい心の声を顔に出さないように、平静を装ってこたえた。


「今日は、魚の煮つけにしてみたの。ぎょく、好きでしょう?」

「わぁい。今日、お暇貰ってきて正解でしたわ。ね、春姉さま」

「そうだな。珠香の作る魚のにつけとやらは、なんか身の味が薄いけど美味い」

「春のだけ味付け濃くしてるって言ってたよ」

「そうなのか? 味が薄いと思っていたのは私だけなのか?」

「嘘だよ。っていうか、アレで薄いって相当バカ舌だよね」

「なんだと! ちゃんと美味いって言っただろ」

「はいはい、珠香の作るものはなんでも美味しいよ? でも美味しいの味の違いわかってるぅ?」

「わかってる! お前こそ、この前果実酒を使ったヤツわかってなかっただろ」

「はあ? わかってたけど!」

「はいはい。少し落ち着け、お前たち。嬉しいのはわかるが、珠香がおろおろしているだろうが」


 大輪の華が咲くような末っ子の笑顔に鼻の下を伸ばしていたら、いつの間にか双子が立ち上がり仲良く喧嘩しそうになって困っていた所を、長兄が止めてくれた。

 ハッと双子がこっちを見て、申し訳なさそうに座った。

 長兄ありがたや。


 しかし、この双子は本当に似ている。

 似すぎてよく喧嘩するが、仲直りも早い。ただ、今は別々の場所で働いているため、こうやって食事を共にするのも、実は久しぶりなのを知っている。だから、喧嘩しても騒いでもあんまり怒れないのだ。

 そんな兄妹の様子を、父は目を細めて嬉しそうに見ていた。

 お酒が入ると、笑い上戸というか気分が良くなるタイプの人らしい。飲む量はザルだが、悪い酔い方をしないので、とても助かっている。


 父は、この国の軍のトップに立っている。

 司馬しば、という役職らしい。

 この国の重要な役職は、割と世襲が多い。もちろん、能力が無いと判断されれば、重要な貴族の子弟でも外されるが、国の重要な役職は、だいたい貴族の子弟だ。

 たまに、本当に能力が優れている、天才のような人が重要な役職に就く事もある。それこそ侯につぐ権力の持ち主、宰相さいしょうに、もと平民の人が就いた国が実際にあるのだ。

 優秀な人材は、どの国もこぞって欲しがるので、才能がある人にはどの国も門戸を開いている。


 話が逸れたが、父がそれだけ重要な役職に就いており、息子がいるのなら、その地位は息子が継ぐだろうと思われている。

 すなわち、悠陽である。

 何故長兄の伯景ではないのかは、私は詳しく知らない。ある日突然、伯景が悠陽に家督を譲る、と言い出したのだ。


 このずいの家というのは、武門ぶもんの家らしい。

 武門、というのは、わかりやすく言えば、軍人、武士だ。

 武を修め、武によって国を守る。故に、軍のトップにも立つし、自分も戦の時は武将として戦場に出る。


 そんな我が家の家訓は『差別なく、鍛錬せよ』である。

 つまり、女子供であろうとも、そういった武器を使った稽古をせよ、という事なのである。

 稽古を始めたのは、私がまだ私として目覚めてなかったぐらい幼い頃だが、厳しかった。

 女児にやらせるものじゃない。当時の私をもってすらハッキリ言って、異常だと思った。

 思ったが、私以外の兄妹はみなスイスイ稽古をこなし、メキメキ上達していくのだ。

 特に双子など幼い頃から鬼のように強く、特に春陽は鬼子おにごと呼ばれる程だった。

 いくらなんでも、てんよ不公平すぎやしませんか、と嘆いたものである。


 まあ、その後父母はこれはダメだとさっさと見切りをつけて、私だけ嫁入り修行に切り替えてくれたので、助かった。これもまた修行には違いないし。

 いくら軍人の名家とはいえ、例外はいるのだ。

 そして、伯景も例外だった。

 彼は、文官ぶんかんになった。現代でいう、官僚だろうか。しかも結構優秀だという。

 この瑞の家は、確かに武に秀でた人が多かったみたいだが、たまにこうやってひょっこり文官になる人間が出てくるらしい。

 だから、伯景もわりとすんなり文官になった。

 それには、この家の実質的な支配者である、祖母の助力が大きかったそうだ。

 私がこうして家族の中で一人、城に勤めもせず、家事手伝いのような事ができているのも、祖母が許してくれたからなので、その影響力や押して知るべし、だろう。




 その口喧嘩以降は、双子も喧嘩せず、久しぶりの一家団欒は穏やかに過ぎていった。

 いつもは忙しい家族が、年に一度こうやって母の命日、墓参りの日だけは集まれることが嬉しい。

 今年も、一人として欠けなかった事を母に報告し、感謝する日。

 そして、来年ももう誰一人欠けず、この日を迎えられますように。

 そう願う日。

 来年も叶うと良いな。




 夜は更けていく。

 穏やかに。

 しめやかに。

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