友と師と踊る戦場

 * * *


 竜の首が激しく大地を打つ。土がえぐれ、砂礫されきに崩れながら吹き飛ぶ。

 細かなつぶてが時にクウィルの肌をかすめ、そのたびに傷ができていく。

 些細な衝撃が身を削り、血を流れさせる。


 身を護るのは、黒騎士が援護に放つ風だ。もっとも補助に適した風魔術は、盾となり、衝撃を緩和し、身体を押し上げてあり得ないほどの跳躍を生む。

 十二歳からずっと、ギイスに仕込まれてきた共闘術。背を預ける相手がいるからこそできる、人の力の域をはるかに超えた戦術。


 それは間違いなく目の前にいるドゥオイグニシアにも見抜かれている。誇り高きアッシュフォーレンの王はクウィル個人を試しながらも、その助力を受け入れる。個体としての圧倒的な差を理解し、人の身が振り絞る知恵を許す。

 炎を王自ら封印したのも同じこと。クウィルを正しくはかるための手心てごころだ。


 これが、魔獣の王。


 知れば知るほどに、クウィルはドゥオイグニシアに魅せられる。魔獣を前にこれまで抱いたことのなかった想いが、胸を支配していく。

 しだいに口元が緩み、口角が上がる。心が高揚する。


『よく似ている』


 ぐるる、と攻防の合間でドゥオイグニシアが語りかけてきた。それは誰と、と思いながら、クウィルは汗に滑る剣を握りなおした。

 大地を蹴って飛び上がる。下からの風がクウィルの跳躍を助け、竜の首に届く。


「氷刃」


 剣を氷が覆う。

 ギィンッと硬い音が響き、張り巡らせた氷が砕けて散る。そのままの剣であればとうに折れている。

 跳ね飛ばされた身体を空中でひねらせて、左手で仲間の助力を乞う。すかさずギイスの風がクウィルの身体を押し戻し、そのまま竜の背に飛び乗った。

 熱を帯びた巨躯を駆け上がる。ふと視線を移すと、眼下にいる騎士たちが魔術を編む構えを見せた。


「手を出すな!」


 一喝で制すると、がっがと竜が笑う。


『その威勢は心地よい』


 氷剣を振りかざし、右翼の付け根に突き立てる。わずかに切っ先が通ったところで、竜の巨躯がしなやかに震える。それだけの動きで、背にまとわりつく者を振るい落とそうとする。


「氷槍、爆!」


 竜の背中から落下しながら、氷の槍を投擲する。鱗の少ない腹部に達した槍が、端から爆散していく。

 巨躯がかしいで片足が浮いた。

 倒れかけた竜はしかし、羽ばたきで体勢を立て直し両前足を地に打ち付ける。

 どぉと大地が揺れ、衝撃で城壁の一部が崩れた。

 ふい、と。ドゥオイグニシアが右の頭を持ち上げ、城壁を眺めた。


『そうか……ここでは満足に踊れんな』


 城壁に気を取られていたクウィルの身体に、ドッと衝撃が来る。

 竜の尾が、脇腹に直撃した。


「クウィル!」


 ギイスの叫びを満足に耳で拾いきれない。景色が高速で流れていく。

 地面に叩き付けられる直前、ふっと身体が風に支えられる。それでも衝撃は大きく、束の間クウィルは呼吸を手離した。


「ぁ、がッ……は」


 悲鳴をあげる肺を無理やり目覚めさせ、手探りに剣を拾う。地面に突き立ててすがるように立ちあがる。


 王都が、城壁が遠い。広大な平原のただ中。相応しい戦場へ送られたのだとわかる。

 血と土の混じった味がする。唾液混じりのそれを吐き捨てて、口元を拭った。

 殴打おうだされた脇が疼く。足を踏み出すごとに響く痛みに、いくつか骨が折れただろうこと自覚する。


『治癒はうまく使えぬか? 内より癒しを早めることもできように』

「あいにくと、呪術の師がいない身だ」


 再び剣を正面に構える。

 するとクウィルの隣に、ギイスが並び出た。


「な、団長っ!」

「アッシュフォーレンの王。今更だが、正式にこの身の参戦をお許し願いたい。彼は今しがたリングデルの王と一戦交えたばかりだ」


 堂々としたギイスの言葉に、竜の喉が鳴って応える。


「王はなんと?」

「……許すと。ですが団長」

「どのみち、この野っ原じゃ隠れようもないからな」


 ギイスがクウィルの背を押して、背後を守るように陣取る。

 それを待っていたかのように、竜は首をもたげた。同時に、ゴォッという風切り音とともに、竜の首に火球が直撃する。

 その使い手は確かめずともわかる。


「おまえまで! 手を出すなと言うのに!」

「無理。王を二体も友に押し付けて、それじゃあオレの人としての矜持きょうじがもたんね」

 

 両手に火を灯し、ザシャが涼しい顔で言う。

 双頭の片割れがザシャを見据えた。


『ほう。リングデルの血か』

「違う! 彼もまたアイクラントの騎士だ」


 血筋だの魂だの。この竜もあの狂王と同じことを言うのか。

 ふつりと胸に失望を抱く。そんなクウィルを見抜くように、ドゥオイグニシアの眼が細まった。


『そう血を沸かせるな。おまえが思うよりはるかに、ベツィラフトの血と魂は、我らに必要なものであったゆえな』


 クウィルの頭上から、ドウッと竜の頭が降ってくる。飛び下がり、大地の揺れに足を掬われながら、そのままクウィルは全身を転がしザシャの元へたどり着いた。


「いよぅ、友よ」

「まったく。どうして私の周りにいる人間はこうも豪胆なんだ」

「それはあれよ。クウィルがその最たるだから。同類同類」


 ザシャが竜の鉤爪を剣で受ける。


「ぐっ、重」

「まともに受けるな!」

「重圧過ぎて流せんわ!」


 クウィルは、ザシャの止めた前脚に飛び乗った。友が作ったり合いの隙に、がら空きの胴めがけて氷槍を放つ。


 送り込まれる風の後押しに師の支えを感じる。身体に叩きこまれているのは、剣術、氷魔術、そしてクウィルには使えない風魔術の扱い方だ。

 補助術者は決して戦場の中心へは近づけない。姿なき援護を信じて、クウィルは剣を振るう。

 剣で十字を切る。この剣に風を送れという合図に、ギイスの魔術が届く。クウィルの剣身に風が渦を巻く。


「氷刃、雪花」


 風に乗せた氷の細かな粒子が、竜の胴に少しずつ、だが確実に損傷を与えていく。


「炎輪、爆!」


 ザシャの放つ炎の輪が、ドゥオイグニシアの双頭を下から跳ね上げ、爆裂の光を生む。

 大きく仰け反った首に、氷刃を突き立てる。

 剣身の二割をのめり込ませ、わずかに開いた傷口に魔術を叩きこんだ。


「グゥルアアアアアアアアアアアッ!」


 双頭の右頭がのたうち回る。剣を握るクウィルの身体は、激しいもがきに右、左と振り回される。頭が揺さぶられ、呻きが漏れる。


「おおおおおおおおおおお!」


 ザシャの炎を纏う斬撃が、竜の首を真横から捉えた。


 氷と炎。

 内と外から。

 ふたつの相反する魔術を受け、ドゥオイグニシアの鱗が剥がれる。

 

 クウィルは突き立てていた剣を引き抜いた。むき出しになった竜の肌。深紅の鎧を手離した淡い橙色めがけ、剣を振る。

 咆哮を上げた左頭の首がしなり、今まさにクウィルが狙っている右首を叩く。


 衝撃が竜の首全体を震わせる。

 身体が弾き飛ばされる寸前、クウィルの剣は露出した橙色の肌を大きく斬り裂いた。


 竜の流した赤い血が、目の前を舞っていく。

 華のような赤に、クウィルの鼓動が大きくひとつ鳴った。


 記憶が揺さぶられる。


 ――あれは、いつだ。


 十二歳のあの日。この両目に魔獣の血を浴びた日か。

 否。もっと、もっと遠く。まだあの森にいた頃。


 足元に、手が転がった。手首から血を華のように吹かせながら、父は最後にクウィルに向かって笑った。


 ――クウィル。よく、聞きなさい。


 優しくさとす父の声。あの日。息絶える前に、父は何と言ったか。

 物心つく前の記憶。覚えているはずのない言葉が、今になって鮮明に聞こえてくる。


 ――耳をすまし、目を開いて。ベツィラフトの血は、寄り添うためにある。



 どっと風が吹き抜け、父の幻影を消し飛ばした。


 記憶との一瞬の邂逅かいこうは、戦場においてあまりにも長く。

 ずくりと鈍い音が、クウィルのごく近い場所で響く。


 ドゥオイグニシアの尾。

 鋭く長い針のような先端が、クウィルの右肩を貫いていた。

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