変調する獣

 赤い眼がクウィルに気づく。


「グギィアアァァァ!」


 耳障りな叫びを空に向かって放つ。

 黒狼は仲間を呼ぶ。集団での狩が基本だ。群れは必ず近くにいて、斥候せっこうの叫びをしるべにして集う。


 剣が届く距離まで詰めた途端、黒い影が両脇の屋根から飛び降りてきた。踏み込んだ足のつま先から踵へと重心を滑らせ、後方に跳ぶ。

 今まさにクウィルが届こうとした場所に、新手の二体が着地した。


 まだどこかに潜んでいる。単独では迂闊うかつに飛び込めず、三体を前に剣を構えて動きを待つ。

 と、すぐそばの路地でじり、と音がした。

 少年が取り残されている。装いからして良い家柄の子だ。歳はアデーレとそう変わらないか。

 木箱の影で震えていた少年が、こちらを見るなり立ち上がった。


「だめだ! 動くな!」


 少年の頭上から、大型の黒狼が降ってくる。

 クウィルが動くと同時に、こちらに惹き付けていた三体も動く。背中を向けた獲物クウィルに向かって牙を剥く。


「氷陣」


 背後に向けて魔術を放つ。クウィルを中心に光が円弧を描き、氷が地面から突き上がる。二体が阻まれ、残る一体は氷の槍が築いた障壁を飛び越えた。

 少年を左腕で抱え込み、上空へ向けて剣を振り上げた。

 剣先は少年を狙っていた大型黒狼の皮を掠め、赤黒い体液をわずかに散らす。落ちた体液が木箱を焦がし、少年が悲鳴を上げた。


「大丈夫だ」


 少年を抱えたまま、路地を奥へと走り、広い通りに抜ける。計四体に増えた黒狼が、クウィルを追ってこちらに向かってくる。

 通りに出て少し走ったところで、少年を離して背中を押した。


「人のいるところまで走るんだ。振り向いてはいけない」


 少年が涙顔でうなずいてクウィルに背を向ける。走っていく背中を横目で確かめてから、向かってくる黒狼に視線を定めた。


 数が足りない。黒狼の群れは少なくとも五。多ければ十に届く。


 先頭を走る大型個体がくい、と鼻面を跳ね上げた。後方に続いていた三体が前に出る。

 だがクウィルの耳は、背後で動く風の音を掴んだ。

 右へ思い切り横跳びして躱す。左腕にザッと熱が走る。後ろから迫っていた黒狼は二体。そのうち、片方の爪に引っかかった。


 群れを相手に、王都のような建物の密集した場所とは運が無い。

 前から四体、後ろから二体。これで計六体。打ち止めであってくれと祈る。


 剣に魔力を通す。

 刃が冷気を帯び、剣身を伸ばす。氷を纏う剣の表面に、左腕から滴った赤い血が線を引く。


 ぐるりとクウィルを囲う六体の黒狼。真正面にいる最も大きな個体、これがおそらく群れの長だ。

 長がクウィルを見据え、グゥルと喉を鳴らす。


 その口が開き牙を見せた瞬間。

 先に、クウィルが動いた。


「氷刃」


 詠唱は短く、剣は光放つ。

 振り抜いた剣の描いた軌道を、わずかに遅れて氷の刃が追う。長が開いた口からずぱりと頭部を分断し、そのまま刃は隣の黒狼の腹を薙ぐ。


 背後の黒狼が吠える。長を失くした群れは統率を失い、それぞれが思うままに獲物を喰いに来る。


「氷槍」


 左手を振り払う。クウィルの血が地面に散り、そこから長く鋭い氷が突き上がる。

 氷の槍は黒狼の胴を貫き、体液を浴びて水蒸気と黒い霧を吹き上がらせる。


 残り三体。


 飛び掛かる一体を切り伏せ、勢いそのままに身体を反転させる。後ろへと振り抜いた剣身に、黒狼が食いついた。

 刃に食らいついて離れない黒狼をそのままに、クウィルは左手を構えた。


「散」


 刃が纏っていた氷を破裂させる。内から氷に破られた黒狼は剣身から口を離し、そのまま地に崩れ落ちて動きを止めた。


 最後の一体に狙いを定め、剣を向けた。

 赤い眼が、クウィルの暗赤色を捉える。

 グル、グルと喉を鳴らし、牙の間から赤い体液をこぼしていた黒狼が、突然耳を後ろに倒した。


 ――なんだ?


 怯えているように見える。


 何に。クウィルに?

 違う。


「クウィル! 後ろだ!」


 ハッとして振り向いた。


「氷壁ッ!」


 築いた防壁は一瞬にして砕ける。

 崩れ落ちる氷塊のむこうに立つのは、双頭の狼――オルトス。


「馬鹿な……王都の内部だぞ」


 黒狼よりもはるかに大きな体躯。

 胴を守る硬い皮は魔術を跳ね返す。後部には長い尾があり、その先端には蛇の頭部がついている。

 後ろ足で立てば、その身体はクウィルの背の倍ほどもある。

 魔獣の巣窟、アッシュフォーレン山脈近郊ですら滅多に現れない大型獣。それがなぜ、ここにいるのか。


 氷塊を放ちながら後方へ飛び下がると、クウィルの元に騎士たちが駆け寄ってきた。


「遅れた。悪い」


 ザシャが詫びながら、顔をしかめた。


「どういうこった。黒狼にオルトスだと?」

「わからない。黒狼の群れはあれが最後の一体だと思うが……しかし」


 オルトスの遠吠えが王都を揺らす。

 あまりの音に鼓膜どころか頭を揺さぶられながら、クウィルは目を逸らさずに剣を構えた。

 ザシャが第一隊の部下たちをオルトスの周囲へと動かす。

 しかし、オルトスのもつ蛇の尾は自在に動き、自身の周囲へと敵を寄せ付けない。

 

 そうして外敵を威嚇しながらも、オルトスの眼は常にクウィルを捉えている。

 ここ最近の討伐でずっと感じていた通り。魔獣はやたらにクウィルに執着するようなそぶりをみせる。


 ベツィラフトの赤目が、そんなに気になるのか。

 クウィルは口の片端を歪に吊り上げ、オルトスへ向かって駆けだした。


「クウィル! おまえ、何を」


 ザシャの制止の声を振り切り、左手を突き出した。


「氷塊、散ッ!」

 オルトスの右頭部めがけて、クウィルの血が乗った氷のつぶてを放つ。

 頭部ならば魔術は通る。


 ダンッと尾が地面を打ち、右の頭がぐぅと下がった。左の頭が負傷した片割れをかばうように前に出る。

 唐突に。

 クウィルはオルトスの赤い眼を、自分に似ていると思った。


 そうだ。似ているのだ。このベツィラフトの赤目は。

 魔獣のそれに酷似している。


 オルトスの四つの眼がこちらを向く。クウィルはその目を見つめ返した。


 つ、と。汗が背を伝った。

 わずか数秒か、あるいは数分か。


 睨み合っていたオルトスが、唐突にふたつの首を下げた。まるで、クウィルに服従を示すように。


「……は」


 クウィルが呆然とした瞬間。


 斬撃が降る。

 風の一刃がオルトスの首を両断した。首はずるりと胴から滑り落ち、地面を揺らす。少し遅れて足が崩れ、胴が倒れた。砂ぼこりを舞い上がらせ、地鳴りはゆっくりと静まっていく。


 見上げると、すぐ側の屋根の上にギイスが立っていた。


「ご苦労」


 にっかと笑うギイスは、周囲をぐるりと見回して飛び降りると、クウィルの元へやってきた。


「どうした、クウィル。間抜けな面になっとるぞ」

「団長、今……私は」

「何も無かった。なぁザシャ」


 ギイスが声をかけると、一瞬ぼんやりとしていたザシャが首をぷるぷると振った。


「何もないわけあるか! 王都にオルトスとか、今すぐ会議だ!」


 ギイスがかっかと笑って首肯する。


「違いねぇな。こりゃあ近年稀にみる大惨事だろうよ。リネッタ嬢の一報がなきゃ、誰か確実に死んでたぞ」


 今目の前で起きたことを、うやむやに流してくれた。そう理解すると、ゆっくりとクウィルの中にある混乱が鎮まっていった。

 代わりに思い出すのは、伝令を頼んだ婚約者の顔だ。


「団長。そのセリエス嬢はどちらに?」

「あぁ、団長室で待たせてある。俺たちもひとまず戻るか」


 ギイスとザシャが交互にクウィルの背中を叩くから堪らない。


「何か、とても背中が痛い気がする」

「うん? おわぁあぁ! クウィル、背中やばい! 爪でバッサリ!」


 ああ、どうりでと。

 負傷を自覚した途端に痛覚が追いついてくる。ザシャの背中にどさりと寄りかかってうめいた。


「つかれた……」

「おーい。甘えるなら婚約者様にしとけよー。俺だって甘えられるなら断然女の子がいいー」


 くだらない小言を聞き流し、引きずられるように詰所に向かう。

 追いかけてくる第一隊の面々に屈託ない顔でねぎらわれる。どうやら彼らもまた、今しがた見た、あってはならない光景に蓋をすると決めたらしい。

 やっぱり自分はここを居場所にしてよかったのだと、ザシャの背中にのしかかりながら思った。そうすると、重い重いと悪態をつかれた。

 ここでなら、息ができる。クウィルはただのクウィルでいられる。




 ほどなくして詰所に戻り、駆けつけた第二隊の面々に抱えられて団長室に向かう。

 ギイスが扉を叩くが、反応が無い。

 無反応に首を傾げるザシャが、扉を開けた。


 テーブルの上でカップが転げて、飲みかけの紅茶が水たまりを作っていた。受け皿が床に落ち、割れた破片が散らばっている。


「……セリエス嬢?」


 ザシャの背中から下りて声をかけるが返答はない。

 リネッタとニコラは、団長室から消えていた。

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