青の大乱立

 約束の日は、なかなかの晴天に恵まれた。

 その天候も手伝ってか、王都の中心街は陽気に賑わう。


 今日のリネッタは深々と帽子をかぶっている。さすがに羽をいくつも突き刺すような斬新ざんしんなものではなく、小ぶりなリボンと花がついたシンプルなもの。彼女はあまり華美なものを好まないのかもしれない。


 今日の参考にと、リネッタの装いを注視しながら腕を差し出す。


「組んだほうが、それらしく見えます」


 甘さの欠片もない誘い文句でも、リネッタはあっさりとクウィルの腕に手を添えた。後についているニコラがうんうんとうなずくからには、この対応で間違いない。

 正しい婚約者の振舞い。その研究は続いている。参考になるのは黒騎士団の同僚たちだ。


 とにかくゆっくり歩け。歩幅が違うと理解しろ。手でも腕でも、どこかしら常に接しておけ。隙あらば甘いものを食わせろ。

 そして、最大の注意は。

 買い物は、時間がかかると心得よ。絶対に疲れた顔と興味の無い顔を見せるな。


 付け焼刃で叩きこまれた、正しいエスコート。

 ひとつひとつ聞けば、なるほどと思う。どれもこれも根底は、相手を思えということに行きつくのでわかりやすい。

 




「では、おふたりで出られる初めての夜会でらっしゃるのですね」


 仕立て屋の店主がにこやかな顔で生地を並べる。

 この時点でクウィルには魔境だ。色と艶が違うのはわかるが、どれが高価でどれが人気なのか、さっぱりわからない。

 この仕立て屋は宝飾屋とつながりがあり、装飾品も合わせてあれこれと並べてくれる。

 いっそう混迷を極めるテーブルを前に、クウィルの喉がごきゅ、と派手な音を鳴らした。


「そう構えずともよろしゅうございますよ。お嬢様のお気に召したものが正解でございます」


 それが一番難しいのだと、内心で悲鳴をあげた。

 リネッタには、お気に召していたものはあっても、今お気に召すものはないのだ。出発前、彼女はクウィルに言った。『クウィル様がわたしに似合うと思ったものを』と。

 そして、正しいエスコート指南役たちは言っていた。どれでも似合うは悪手だと。


 驚異的な難易度。

 緊張で喉をしわがれさせながら、リネッタと布を比べる。


「ご店主。選ぶにあたって、コツのようなものはあるだろうか」

「今時分の流行りですと、互いの色を盛り込みます。例えば、ドレス地に瞳の赤、あるいはリボンに髪の黒を加えてはいかがでしょう」


 流行りと書いて絶望。クウィルはがっくりと項垂うなだれて助言を却下した。見かねたニコラが口を挟もうとする。それを素早く目で制し、リネッタの手を引いた。

 悩むより動くほうが早い。本人を連れているのだから、端から合わせていけばいい。


 無言で立つリネッタの肩に、店主がひとつずつ布をかけては下ろす。クウィルの感覚でいいと言われたのだから、それに従う。こうなれば意地でも自分で選んでやると気合を入れる。

 ところが、これがまたクウィルには難しい。

 恐ろしいことに、どれも似合って見えるのだ。


 だったら、と。自分なりに条件を絞っていく。

 白い肌が映えて、彼女のシルバーブロンドの髪が引き立って。瞳の強さに寄り添うような、それでいて角の無い色を。

 華美なものは選ばない。リネッタは人の目を引いてしまうことに煩わしさを感じている。それは彼女の気持ちからではなく、衆目をクウィルがいとうからだということもわかっている。

 細やかな心遣いに、こちらも誠意を返したい。


 これだ、と。クウィルは鼻息荒く、萌黄もえぎ色の布を手にした。


「それは……少しばかりお嬢様にはお早いかと」

「は、早い、とは?」


 ん、ん、とニコラが咳払いで前に出る。


「クウィル様。お若い方が選ぶには地味だ、ということです」


 耳打ちで通訳されて、あたふたと布を手離す。よくよく見ればどうにも団長ギイスの瞳である。これは駄目だ。

 クウィルは頭を抱え、テーブルに両肘をついた。


「難題にもほどがある……」

「ここはひとつ、リネッタ様の瞳に合わせるとかでいかがです? 冒険なさるよりはよろしいかと」


 ニコラの言うことはもっともだ。慣れない者が急に背伸びしていいところを見せようとするから、こうも混迷に落ちるのである。やはり最後に頼れるのは姉のようなメイドだ。


 青い布に手を伸ばしかけて、また手を止めた。

 青が、乱立している。

 

「この春は青がよく出ますもので。流行りのお色というのも、選び方としてはよろしゅうございます」


 店主がにこにこと言う。誰だ、流行らせたのは。喉まで声が出かかった。

 もっともリネッタの瞳に近いものをと思うが、どれも違って見える。

 あるものは濃く、あるものは薄すぎて。色は良くとも光沢が過ぎて邪魔をしたり、かといえば抑えすぎて彼女らしさが無く。

 もっとしっくりくる青はないのかと乱立する布をめくる。

 その下に顔をのぞかせた柔らかな薄紫に目を止めた。


 上に被さった布の山を寄せて、それを引きずり出す。

 店主がすぐさま受け取って、広げながらリネッタにかける。


 正直なところ、クウィルにはやっぱりこれもただ似合っているとしか思えない。だが今度の夜会の目的を思えば、これが正解だという気がした。


「こちら、どうでしょうか」


 リネッタに伺いをたてる。すると、彼女は肩にかかる布を撫でて左手を上げた。


「わたしもこれがふさわしいと思います」


 クウィルの赤と、リネッタの青。互いの色の間を取るような紫。単純な思い付きだが、リネッタの賛同を得られた。

 安堵のあまり、クウィルは店主の両手を握りしめた。




 そこから意匠いしょうの打ち合わせをして、装飾品はドレスに合わせたものをと店主に任せることにした。素人がおいそれと手を出して台無しにするのが目に見えたからだ。


 宝飾品を贈ってもらう。リネッタの手帳を叶えてやるには、クウィルに経験が足りない。


 今日の主目的を果たし、肩の荷が下りた心地で店を出る。

 エスコート指南役の言葉を思い出し、どこかで甘いものでもと思った時だった。


 通りの向こうで悲鳴が上がった。


 クウィルは身構え、目を凝らす。

 人が流れてくる。その向こうに、黒い霧が立ち昇っている。


「まさか、王都内部に?」


 次第にその姿がはっきりと見えてくる。

 狼の体躯たいく。鋭い牙と爪。燃えるような赤い眼で、口からは赤い体液をとろとろとこぼす。体液は地面に落ちるとその場を焦がし、じゅわりと音をたてて黒い霧を湧かせる。


黒狼こくろうか」

 

 なぜ、この王都の城壁の中に。

 腰の剣に手を伸ばし、目は前方を見据えたまま。背後にいるリネッタに声をかける。


「黒騎士団の詰所はわかりますね?」

「はい」


 気は進まない。だが、聖女が魔獣に襲われないのは確かだ。


「貴女が一番安全に、そして冷静に動ける。伝令を頼みます。黒狼が出たとお伝えください。必ずニコラを連れて、ひとりにはならないで」


 うなずく気配がして、リネッタがニコラを連れて走りだす。

 クウィルは剣を抜き、人の波に逆らって駆けだした。

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