(50)ピィ助

 ――翌日。

 太陽が山の稜線から顔を出すと同時に、アニたちは峡谷を渡りだした。

 この渓谷は昨日のよりも大きくて、マヤの橋では負担が大き過ぎるため、徒歩で下っていく。

 とはいえ、マヤが垂らした蔦が、梯子の代わりになって助かった。


 清冽せいれつな水が流れる浅瀬を渡り、今度は自力で崖をよじ登る。

 その頂上までたどり着けたのは、アニと、バルサだけだった。


 一方、神代ヘヴンは……何と、巣の中で雛にもたれて、まだ眠りこけていた。

 そして足音に目を覚ますと、大あくびをしてこう言ったのだ。


「やあやあ皆の衆、お迎えご苦労である」


 ……アニは無性に腹が立った。

 昨夜、心配で一睡もできなかった、こっちの気も知らずに!


 反射的に足が出ていた。

 寝起きのマヌケ顔を蹴り上げて、ズタズタのジャージから覗く腹を踏み付ける。


「バカ野郎! もうちょっとマシな物語を考えろ! へっぽこ作家め」


 ……怒りながらも、なぜか涙が止まらない。

 踏み付けられながらも、そんなアニを、ヘヴンは不思議そうに見上げている。

「な、何だよ、腹が減ったのか?」

「てめえ、いつか本気でブッ殺す!」



 ……そして。

 バルサは巣の様子を調べていた。

 灌木かんぼくや葉の多い木が組み合わさった巨大な巣には、親鳥と雛の他、運動会の玉転がしくらいの卵がいくつかあったようだが、親鳥が倒れた拍子に割れてしまったようで、今生きているのは、ヘヴンの横で丸い目を見開いている雛一羽だけだった。


 雛は、真っ白の柔らかな羽毛に包まれて、他の鳥の雛がそうであるように、丸々と愛らしい姿をしている。

 そして突然現れた見慣れぬ大男を怖がって、ヘヴンの背中に隠れるようにして、小さく

「ピィ」

 と鳴いた。

 状況から判断すると、割れてしまった不幸な卵と一緒に産卵されたうち、真っ先に孵化ふかしたのだろう。

 体だけはヘヴンよりも一回り大きいが、生まれて何日も経っていない幼い雛には違いない。


「…………」


 バルサには、昨夜、ニーナがアニを止めた気持ちが、痛いほど分かった。

 親を失った雛……親を失った赤ん坊。


 ――親が殺されたんだ。ひとりじゃ生きていけない。


 アニの言った事は、自然界において、全く正しい。

 このまま生きながらえさせておいて、エサを取る事も知らずに飢えさせるのは、最も残酷な事だろう。


 ……しかし、しかしだ。

 親を亡くした赤ん坊が、ひとりで生きていけない事を認める事は、バルサたちがこの世界で求めている「目的」――彼らの子供の生存を願う、親としての切なる望みをも、否定してしまう事になるのだ。


 それだけは、絶対に、絶対に認められない。

 雛だって、赤ん坊だって、誰かに拾われて、幸せに生きていく可能性が、あるはずだ――!


 そんなバルサの様子に気づいたのか、アニが雛に目を向けた。

「分かってるんだろ、あんたの思いが、この雛をどれだけ苦しめるかを」

「…………」

「人間と鳥とは違うんだ。ひと思いに楽にしてやった方が、こいつの幸せだろう」


 無意識に、体が動いていた。

 アニの足元にすがりつくように顔を伏せ、バルサは懇願していた。

「それでも! 俺には、この雛を殺す事ができない……! たとえ一%もなくても、生き残る可能性を、俺は見捨てられない!」


 それにはアニも驚いたようだった。

 しばらく困ったように考えている様子だったが、そこに口を挟んだのは、ヘヴンだった。

「俺たちが連れて行けばいいんじゃね?」


「おまえ、バカか? 雛でこのデカさなんだぞ? 親を見ただろ。あんなん、どうするんだよ!」

「こいつ、俺に妙に懐いてるんだよな。鳥の雛によくある、刷り込みってやつ? ……多分、昨日の夜、初めて目が開いたんだ。で、初めて目に入ったのが、俺だったんだろうな。親鳥には目もくれずに、俺にばっかり寄ってきてさ」


 ……昨日、アニが「ヘヴンが襲われている」と認識した光景は、実は雛にじゃれつかれているだけだったのだ。


 バルサとアニを見比べながら、ヘヴンにすり寄る雛を、彼は優しく撫でてやる。

 すると雛は、その手に身を任せて目を細くした。


「俺からも頼む。……俺が責任を持つから、こいつを、仲間に入れてやってくれないか」



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 ……まだ飛びも歩きもできない巨大な雛を背負って峡谷を渡るのは、死ぬほど大変だった。

 けれど、空を飛ぶ鳥だけあって、見た目よりも重さはない。

 それに、モフモフの羽毛が最高に気持ちいい。


 途中で合流した、エドとニーナが、モフモフの巨大毛玉を見て目を丸くした。

「か、かわいい……」


 それは分かるのだが、出合頭にアニがエドに弓を向けて、

「言うなよ、言ったら殺すからな」

 と言っているのは、意味が分からない。でも、ヘタに追及すれば、俺が殺されそうなので、スルーしておく事にする。


 みんなの協力で、何とかマヤとも合流し、そしてチョーさんとファイのところへ雛を運ぶ。

 するとチョーさんが

「アイヤー。すごく食べそうなお客さん来たネ」

 と言うものだから、みんな笑った。

 ……確かに、チョーさんの「目的」も、これで叶ったのかもしれない。


 既に、チョーさんとファイで、少し遅めの朝食の準備はできていた。

 メニューは、山菜粥とオーク肉のそぼろ煮と新鮮なフルーツ。

 昨晩食べ損ねている空腹に、チョーさんの優しい味付けが沁みる。


 ヤクは相変わらず、勝手に草をんでいる。


 ファルコンは、巨鳥の雛を警戒しながらも、やはり鳥同士、母性本能じみたものが働くのか、そのうち、エサのオーク肉を細かくして餌付けしだした。

 ……昨日、オーク肉を大量に得られたのは本当に良かった。

 ファルコンは、無限に口を開ける雛に食べさせるのに忙しそうだ。


「……にしても、酷い格好ね。後で脱ぎなさい、縫ってあげるから」

 エドが俺のジャージを見て言った。……まるでお母さんだ。

 みんなの様子に気を配る細やかな気遣いと、豊富な知識と高い判断力は、このチームに於いて、参謀チーム・オフィサーと呼ぶに相応しい。


 一回りも二回りも頼もしくなったバルサは、安心して先陣を任せられる猛将。

 より隙のないサポートができるようになったニーナがいるから、彼は安心して突撃できる。


 そして、敵と対した時、相手にとって最も怖い存在が、アニだろう。

 正確無比な鷹の目ホーク・アイを持つ狙撃手スナイパーは、恐るべき脅威に違いない。


 それから、工兵コンバット・エンジニアとしての才覚を発現したマヤ。

 この先の長い旅路で、彼女の生み出す植物に助けられる事が、どれだけあるかは想像に難くない。


 あと、言うまでもなく、ファイの超能力サイコキネシスは、情報戦を有利に進める上で、非常に価値の高いものだ。


 ……それに、忘れてならないチョーさんの美味しい料理。

 メンバーの体調管理とモチベーションの維持は、彼の腕に掛かっている。

 「食事が美味しい」という事が、どれだけ人の心を豊かにするか。

 この世界に来てから、骨身に染みて思い知らされた。


 こう考えると、冒険パーティーのバランスとして最高ではないかと、俺は思った。


 ……一番頼りないのは、まだまだ原稿用紙が満足に使いこなせていない、リーダーとは名ばかりの俺だろう。

 昨日、ルフにさらわれた件だって、アニから話を聞くまで、仲間たちを危険な目に遭わせているという事に、考えが及んでいなかった。

 小説家ストーリーテラーとして、まだまだ未熟だ。


「……ねえ、この子に名前を付けてあげない?」

 雛の羽毛をモフモフと撫でるエドの提案に、ニーナも乗ってきた。

「そうね、可愛い名前を考えてあげて」


 みんなの目が俺に集まる。

 ……まぁ、「俺が責任を持つ」と言ったからには、仕方がない。

 だけど、底辺作家をやっていた頃から、ネーミングセンスが壊滅的なんだよな……「神代ヘヴン」と、自ら名乗っている程度に。


 俺は腕組みをして雛を見た。

 疲れ果てた様子のファルコンの横で、雛は満足そうに

「ピィ」

 と鳴いた。


 俺は言った。

「うん、『ピィ助』にしよう」


「……アナタに期待したのが間違いだったわ」

「メスだったらどうするんだよ」

「何かこう、もうちょっと、何かあるだろ」


 だが、散々にけなされる俺のところにすり寄って、

「ピィ、ピィ」

 と声を上げるものだから、みんな苦笑しつつも、認めざるを得なかった。


「よし、おまえは今からピィ助だ!」

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