13 シアン色の思い出
八年前の話をしましょう。
あの頃の私は、毎日同じ道を辿って同じ場所へ通っていた。
その道順はシアンも良く知っている物。
まずは様々な染料で色づけされた布に囲まれた美術館の入り口を通る。
すると壮麗という言葉よく似合うカウンターがある。
そして、蛍光石に囲まれた回廊に並べられた絵画を眺めなら進めば最後の部屋へ。
フランドレアで一番大きな美術館の最深部にある部屋。
そこには、純白のドレスに身を包んだ、『あの絵』と『彼』がいた。
『あの絵』に描かれた女性は、乱雑に切られた栗色の髪の毛に白いバンダナを巻いていて、白いドレスを纏っていた。
どことなく不気味な絵だよね。
そして、『彼』は、いつも、静かに、『あの絵』の前にあるソファーに身を沈めながら、何か物思いにふけながら絵を眺めていた。
そして近くに居る私には目もくれなかった。
毎日、毎日、同じ場所に居るのにね。
「今日もここに居るのね。この絵がそんなにお好き?」
ある日、なんとなく居心地の悪さを感じた私はそう尋ねた。
それに対して『彼』はぶっきらぼうにこう答えた。
「そういう君こそ。ここ数日、毎日ここに来ているみたいだけど」
「まあね。私は、もうすぐフランドレアから引っ越すの。だから、せめて最後に、お父さんが描いたこの絵を目に焼きつけたいと思ってね。そういう貴方は何の為にここへ?」
私の言葉に驚いたのか今まで顔を合わせた事の無かった『彼』がこちらに振り返った。
「僕は……何と説明すればいいのか分からないけど、絵を描く為のインスピレーションを得る為にここに来ているんだ」
「ふーん。同じ絵を見た所でインスピレーションなんて、沸かないと思うけどね」
「あーはいはい。本当の事を言うよ。笑うなよ。僕がいつも、ここに来てる理由は『彼女』に蠱惑されたからだ」
蠱惑とは何だ?
当時の私はそう思ったけど、深くは探求しなかった。
要するに魅了されたって事でしょ。
描かれた『彼女』に。
「なるほどね。別に笑ったりしないよ。きっと、お父さんも喜ぶから。ちなみに、貴方も、油絵を描くの?」
この質問に彼は困惑したようだった。
「あの……君の親はお金持ちなのかい? 油絵の具を買う金なんか、我が家には無いよ」
この言葉を聞いて驚愕したのを今でも鮮明に覚えている。
当時私が住んでいた家は小さくて貧相だったけど、画材ならいくらでもあったから。
「なら、いつか私が貴方に、絵の具を買ってあげるわ。私さっき、もうすぐフランドレアから引っ越すって言ったよね?」
「うん。言っていたね。都市を跨いだ引っ越しなんて珍しいけど」
「そうよね。珍しいよね。実は私、ログレシアに行くの」
「とりにもよって、ログレシアに? 君、もしかして
「そうよ。そして、引っ越す理由はログレシアの中でも指折りの
彼は鼻で笑うと私が隣に座るように催促した。
「初対面の僕にそこまでしなくていいよ。それに、もし、君のその引っ越しが祝福によるものなら余計にね。祝福も呪いも君自身が一生抱える物だから、誰かの為に使うべきでは無い」
「どうして、私の引っ越しが祝福による物だって分かったの?」
「こんな事を言うのはきっと失礼だけど。君の服装を見る限り、君自身の生活はあまり満たされていないと思ったんだ。最初は君の家が、あまり裕福では無いと思ってけど、親に絵の具を買えるほどの収入があるなら違うだろう。つまり、正解は『君の親がは裕福なのにも関わらず、娘である君より画材に金をかけている。だから、君自身の生活は十裕福とは言えない』そうだろう?」
これを聞いた時あっけにとられた。
そして、自身の服装を見た。
サイズが合わない、古着のワンピース。
確かにこの様子では、その様に思われても仕方が無いだろう。
催促されるがままに、隣に座ると、『彼』と目が合った。
ターコイズカラーの『彼』の瞳は美しく澄んでいる。
「大体正解ね。その洞察力への賞賛と、忠告への礼として、こちらかも一つ言わせてちょうだい」
「何? 」
「誰かから何かをして貰った時は、素直に『ありがとう』って言いなさいよ」
*
それから毎日私達は、同じ場所で語り合ったわ。
話す話題は様々だったけど、特に互いの芸術観について語り合うのは一番面白かったわね。
でも、そのかけがえのない時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。この一ヶ月後、私はフランドレアを去った。
新しい親に引き取られた後の生活はもっと苦しい物になった。
私を引き取ってくれたアウレニアヌス夫妻は、とても裕福だったし、食事も、服も、寝床も上質な物を用意してくれた。
でも、タダじゃないわ。
対価として、私は神立聖魔術学校でアウレニアヌス家の名声を落とさぬ為に、常に最上位の成績を修める事が期待された。
どうしてアウレニアヌス家が名声に執着するのかは、ログレシアの成り立ちから話さなければならないけど……今はそんな時間は無いみたい。
それから何年も経って
そして私はアウレニアヌス夫妻のお気に入りの子供になった。
えーと、急にこんな表現をするのは良くないわね。
厳密に言うとアウレニアヌス夫妻が引き取った複数人の才能がありそうな子供達の中からお気に入りの一人になった、と言うべきね。
気に入られなかった他の子供達はどうなったか?
知らない方がいいわ。酷すぎるもの。
新しい生活に慣れて、フランドレアに居た頃の記憶がすっかり亡くなりかけていたとき。ふと『彼』の事を思い出す出来事があった。
それは、メルラン先生から過去に卒業した先輩達について聞いていた時だった。
「特に、星占学と、植物学においては、シャナより優れた者は居なかったな」
先生から出たこの言葉を聞いた途端。私の記憶のトリガーが引かれる様な感覚を覚えた。シャナという名前。『彼』から聞いたことがある。
「あの……先生。もしかしてそのシャナさんに、息子さんはいらっしゃいます? もしかしたら、『彼』と知り合いかもしれないんです」
「ほう。確か……息子の名前はシアンだったかな」
シアン。そうだ『彼』の名前はシアンだ。
全て思い出した。
今まで引き裂かれていた記憶の糸は繋がった。
そして、やらなければいけない事も思い出した。
シアンに絵の具を渡さなければ。
行かなくては。フランドレアに。
*
「それから私は、アウレニアヌス夫妻に頼んで、フランドレアの魔法道具店へ、学校で使う魔術用品を発注してもらったの」
「それで、君が僕に肖像画の依頼をしたのが、その魔術用品の受け取り日だったのかい? 」
「そう…そういうこと」
ベアトリーチェは笑った。
自身に残された僅かな命の灯火を費やして。
てか、八年前って事はシアン君まだ六歳って事だよね?
さっきの会話本当に六歳の物?
「貴方が描いてくれる絵を楽しみにしていたわ。でも、もう無理ね。貴方と再会した次の日……ね……私ミネヴァ様にお祈りしようと思って……外に出たの……そしたら、足を滑らせて川に落ちて……死ぬかと思ったけど白い服の変な人達に助けられて……気づいたらこうなっていて……ゲホッゲホッ」
白い服の変な人達?
このワードを聞いて連想したのは、ファウストである。確かに彼は白い服を着ているが、白い服を着た
「
ミネヴァは、そう言って舌打ちした。
「その、白い服の人達に助けられた貴方は、をここに拘束されて、今までこの人形を利用して活動していた。そうよね? 」
「そうです。ミネヴァ様。私をここに拘束するようにしたのは……ファウストです。ファウストいわくこの装置は
「大体分かったわ。もう十分よ」
ミネヴァは私の方を見る。
そして、優しく微笑んだ。
「さて、私達は退散しましょうか」
「退散ですか? 」
「あら、だって最後の時間ぐらい二人きりにしてあげたいでしょう」
二人の方を見ると、シアン君は近くにあったチョークの様な材質の石で床にベアトリーチェの絵を描いており、ベアトリーチェはそれを見守っていた。
ミネヴァの言う通りこれ以上ここに居るのは無粋な気がする。
「アルシエラ様行きましょう」
「そうだな」
私の放った言葉に足元に居るモフモフは答える。そして、ミネヴァが地下室の出口に向かうと私達もそれに続いた。
*
階段を登ると、そこは礼拝堂だった。
ステンドグラスから差し込んだ光が、礼拝堂の中に散りばめられた鏡に反射して美しい。そして、私の視界の先には美しい礼拝堂とは正反対の存在が……。
「深夜に礼拝堂に侵入したアホはテメェか」
「良い度胸ね」
「わぁー、どーしてやろうかなぁ?」
視界に映るのは、人、人、人、人。
しかもただの人ではない。
漆黒のキトンに身を包んだ屈強なマダムの集団がそこにはあった。
キトンの隙間からは彼女達の鍛えあげられた筋肉が垣間見える。
ちなみに、キトンというのは古代ギリシャの女性が纏っていた服である。世界史の教科書を持っている人なら、一度は見たことがあるはず。
「ごっ誤解です。私はただ、知り合いの友人を探しにきただけです」
マダム達の周囲を見ると足元を小さな生物が通った。
白いフワフワの毛並み。狐の様な尖った耳。紛れもないモフたん、ことアルシエラである。
逃げないでくださいよ!
モフモフ裁定神!
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