第9話 ■

 そしてついに鳳敬殿での勝負の日が訪れた。

 私は日が昇る前から目覚め、茗将軍から贈られていた美しい襦裙に身を包んだ。私の名前と同じ鵲が裙の裾から上までぐるりと弧を描いて舞い上がる刺繍が施されていて、揃いの被帛は薄絹に星を模した硝子玉があしらわれている。鵲が夜空に橋をかける織女伝説を模したような組み合わせだ。長い髪も二つに分けて低く結って肩に流し、紅も薄く引いた。


「……私じゃないみたい」


 皇城に上がってからはこれまでも時々おめかししていたけれど、今日は意味合いが違う。私は気を引き締めるように、鏡の中の自分を睨んだ。


「歴戦の将軍様に『戦装束』をいただいたんだから、がんばろっと」


 特に人前に立つときは、小汚い小娘より胡散臭くても美しく着飾った女の方がより迫力があるはずだ。

 かくして準備をすませ、牛車ではなく輿に乗って鳳敬殿へと向かう。

 会場となった鳳敬殿にはすでに三省六部の高官たちが集まり、中心に四角く設られた舞台の四方に作られた雛壇に座っていた。

 私は雛壇からも隠れた隅、控え室に続く回廊のそばで様子を見る。

 会場の北面、雛壇の最も高い場所に薄絹の帷がかけられた席がある。陛下の席だ。腰から下しか見えないけれど、しっかりと肘掛けに両腕をかけ、拳を緩く握ったその佇まいはご立派だった。

 陛下の真横に皇帝陛下より存在感の強い太后陛下が鎮座し、場を見下ろしていた。

 また、あちこちで銀髪の美男子が見受けられる。普通に平民として暮らしていたら一生会うことのない天命宦官が、舞踏集団でも組めそうな数出揃っているのが壮観だった。

——やっぱり、隼家は強いなあ。

 私はすぐに、官吏たちの大袍に刺繍された隼に気づいた。

 あれが、隼家の象徴と見て間違い無いだろう。


「喜鵲!」


 呼ばれて振り返ると、正式な官服を纏った師兄さんが片手をあげてやってくる。近づいたところで、師兄さんは私を見て息を呑む。そしてしげしげと、上から下まで見つめた。


「……綺麗だな」

「えへへ、ありがとう」

「……いつも女の姿をすればいいとは思っていたが……なるほど、これは……」


 師兄さんは口を覆う。

 私はあははと笑った。


「いつもは着ていられないよ。だってあの後宮で襦裙なんて日常的に着てたらすぐに汚くなっちゃうし」

「まあそうだが。……そうだ、占い師を辞めたら、もう男装もやめなさい。いいね?」

「はーい」


 そこに重たい足音を立てて回廊を闊歩し、茗将軍がやってきた。


「おっ!! 俺が贈った衣装、着てくれたのか!」


 師兄さんがすごい顔で茗将軍を見ている。


「俺が……贈った……だと……?」


 師兄さんが何かをいう前に、茗将軍の部下の皆さんがビシッと私に軍礼する。


「ッ!! 鵲鵲娘娘!! 初めましてッ!! 武運をお祈りします!」

「ありがとうございます!」


 茗将軍は私の肩をポンと叩いて囁く。


「俺はこれから陛下の傍にいる。予定通り、あんたの話す好機は俺が作る」


 開始時刻前を告げる銅鑼が鳴る。

 太后陛下の傍に、孔雀銀——孔老師が立っているのが見えた。

 遠い距離なのに、鋭い瞳で睨まれた気がする。

 私は胸に手をあて、『運命』がそこにあるのを確かめる。


——さあ、勝負だ。


 そして銅鑼が鳴る。

 かくして舞台の真ん中に、私と孔老師が立つ。

 しんとした鳳敬殿の中心、私たちは二人で拱手を交わしあった。


「よろしくお願いいたします、孔老師」

「野鳥。あなたの衣装だけは褒めてあげましょう」


 そこから二人で順番に、皇帝陛下に対して占い結果を口にすることになる。


 孔老師の鑑定はやはり、古式ゆかしい感じのものだった。

「陛下の命式は我が国の皇帝として君臨するには弱く、誰かの力を持って輝くような脇役の星です。つきましてはその脆弱な星を増強するべく、周りに強い星の者をつけ、努力により権威をつけることが肝要です」


 私の読み方とは全然違う。

 皇帝陛下はいつも言われ慣れているのだろう。

 御簾で顔は見えないけれど、肘掛けの上で握り締められた拳が、ぎゅっとなっている。


 続いて、私の占いが始まる。

 私は以前と同じように、陛下の生まれた星がいかに素晴らしいものかを讃え、陛下の良いところを伸ばすように褒めた。

 隼家の人たちは明らかに嫌悪感を示す顔を見せる。

 素人の女が適当なことを言っていると、嘲っている風でもある。


 ——今の私がやるべきことは、私をすごいと思わせることではない。

 どこからも揚げ足を取られにくい、陛下をただただ褒める無難な鑑定をすることだ。

 言葉選びは私だけでは心配だったので茗将軍と師兄さんにも助言してもらった。


「陛下は我が国の未来、数千年と続く脈々たる繁栄を築くお方です」


 堂々と、私は陛下を寿いだ。

 時間の終わりを告げる銅鑼に官吏が近づく。

 私は余裕を持って拱手し、深く頭を下げて後退り退席する——終わった。

 

 その後、じっくりと時間をかけ私と孔老師の鑑定が判定される。

 雛壇の偉い人たちの雰囲気はすっかり寛いで酒でも欲しいといった感じで、もうすでに勝敗は決しているという空気だ。

 私は控えの席に下がり、女官たちが淹れてくれたお茶を飲んでいた。緊張感で手が震えて、両手でしっかりと持たないとお茶が飲めない。落ち着いているつもりでいても体は正直なんだなと、他人事のようにおかしかった。

 観覧席の雛壇を見上げると、礼部侍郎らしきおじさんの隣で師兄さんが真っ青な顔でこちらを見ていた。師兄さんの方が処刑されそうな様子で、私はふっと緊張感がほぐれる。

 次に北側を仰ぎ見る。

 皇帝陛下の護衛として立っている茗将軍は私を見て——目を細めて、確かに頷いてくれた。信じてくれているのが、心強い。

 銅鑼が鳴り、私は女官に蓋碗を返して紅を直し、立ち上がる。

 舞台の中心に私と孔老師が並んだところで、太后陛下の傍に立っていた官吏が、よく通る声で高らかに宣言した。


「判定——孔老師の鑑定を最良とする!」


 場が拍手で満ちる。それに拱手で応える孔老師。

 場の賑わいが落ち着いたところで——茗将軍が一歩前に出る。

 低く張りのある大声で、茗将軍は私の名を呼んだ。


「占い師、嶌喜鵲! 汝、占いに申し開きはあるか」


 ——好機は今だという、茗将軍の合図だ。

 私から言葉を発することはできない。

 陛下の命でここに私を呼び寄せた当人である茗将軍の言葉により、私はようやく自由に話せる。

 私は一歩前に進み出て、深く拱手した上で口を開いた。


「恐れながら言上奉ります。孔老師の鑑定、誠に感じ入るものでございました。私のような未熟な野鳥がこうして場を同じくして畏れ多くも皇帝陛下の鑑定をさせていただけましたこと、一生の喜びでございます。孔老師の鑑定をもとに、皇帝陛下に対して良い運気の人材を選んでいらっしゃるということならば、皇城の隆興は間違いなしと存じ上げます」


 四方の雛壇から、私を好奇の目で見下ろす視線が集まる。

 たっぷりと私に注目が集まったところで、


「……しかし」


 私は顔を上げて微笑み、四方をぐるりと見回した。


「陛下。一つ気がかりな事がございます。差し出がましくもありますが、この野鳥に囀りの許可を頂きたく存じます」


 太后陛下、隼家の刺繍を纏う人々が怪訝な顔をする。

 陛下が帷の奥から答えた。


「申してみよ」

「ありがとうございます。……では」


 私は躊躇いなく、雛壇の一段目に座っていた官吏に近づいた。


「失礼致します。仁殿。あなたの生年月日をお聞かせください」

「な、何を」

「一つ、陛下の御前で確かめたいことがあるのです」

「……」


 彼は沈黙する。私は彼の双眸を見つめたまま言った。


「生年月日、違うものを科挙の際に申告していらっしゃいますよね?」

「っ……そんなことは!」


 私は彼の額に浮かぶ命式と生年月日を読む。


「提出の生年月日より三ヶ月と四日、遅く生まれていらっしゃいますね?」


 言葉を失った彼は置いたまま、私は、次の官吏に目をつける。


「次はあなたです」

「な、何を根拠に」

「根拠は後ほどご説明いたします」


 私は裙の裾を摘み、ずかずかと雛壇に乗り込む。青ざめたり逃げたりする官吏を笑顔で捕まえ、私は次々と生年月日の詐称を明らかにしていった。


「あなた、生年を2年偽ってますね」

「ひいーッ!」

「あなたは生まれ場所を偽っています」

「ど、どこでその事を知った!?」

「あなたは日付を、誰かと入れ替えていませんか? ……ああ、弟?」

「言いがかりだ!」


 逃げないようにこっそり袍服の裾を踏みながら、私はふふふと笑う。


「申し訳ありませんが……こちら、全て証拠は出揃っております」


 私は袖から書物を取り出し、刑部と陛下に見えるように高らかに掲げた。師兄さんに手伝ってもらって手に入れた、列表リスト、その写しだ。


「こちら、から入手いたしました戸籍と来歴書の写しでございます。すでにしかるべき方にお渡しし、調査の準備を進めていただいております」


 師兄さんが私を見て、小さく頷いた。

 ——師兄さん本人に出して貰わなかったのは、師兄さんが志半ばで隼家に目をつけられないため。

 官吏でも男でもない、野鳥のような女占い師という異物が、勝手に調べ上げたという体のほうがやりやすい。

 私自身も、底知れない巫覡を使う占い師のように見えるだろう。

 私は赤く紅を塗った唇で、ふふ、と微笑んでみせる。


「戸籍と履歴書、違う内容を書いている人もいれば、戸籍のほうを改変している人もいるようです」


 ちら、と私は戸部の雛壇の方へと目を向ける。

 それだけで足がもつれて転がり落ちる官吏がいた。


「とある戸籍のご担当者様はそういえば最近はぶりがよろしくて、宮廷内の女官に何かと言い寄っていた——との証言も集まっています。さて、彼にどこからお金が入ったのでしょう?」


 私は袖の中に証拠をしまう。そして雛壇をゆっくりと降り(優雅な振りをしているけれど、本当は慣れない裙で転ばないようにするためだ)、悠々と舞台に戻る。

 困惑の顔を見せる孔老師と並び立ち、北の陛下に向かって拱手した。


「驚くべきことです。本日の占い勝負の結果の通り、孔老師の鑑定は皇城の皆様が信頼しているものですが……孔老師の鑑定のご威光をあろうことか利用して……抜擢されやすい運気の良い生年月日を秘密裏に知り、出世しやすい生年月日に偽る手口が横行しているのです。孔老師の鑑定通りの政がなされていない現状……孔老師のお力に感じ入った身として、私は至極遺憾に存じます」


 しん、と場が静まり返る。

 鳳敬殿に顔を揃えた三省六部の官僚官吏たちは、今何を考えているのだろうか。周囲を盗み見れば表情は様々だ。

 素直に驚く者。青ざめる者。

 素知らぬ顔をしてあさっての方を見る者。私を冷めた目で見下ろす孔老師。

 そして——目が覚めたような顔をして、呆然とする太后陛下。

 沈黙を切り裂くように、茗将軍が声を張り上げた。


「戸籍係をとらえよ!」


 ばたばたと武官たちが立ち上がり、叫び声をあげる官吏を連行していく。騒ぎが落ち着いたところで、私は皇帝陛下と太后陛下の方向に向き直り、深く頭を下げた。


「孔老師の鑑定を正しく皇城で活かすため、今後は三省六部の官僚官吏の皆様の経歴書を、一旦洗う必要が出てくるかと存じます。しかしながら、それで政治が滞るのは孔老師も本意ではないでしょう」

「……何か良い方法があるの? 野鳥娘」


 口を開いたのは太后陛下だ。私は明るい声で告げた。


「生年月日がずれていた人々も、たまたま……ということもありましょう。全てを処断することはより大きな政の混乱に繋がるやも知れません。私ならば生年月日が最良からずれていたとしても、彼らをより活かす鑑定をすることもできます。……官吏官僚の皆様の混乱を最低限に留めたまま、孔老師の占いに沿った人事に切り替える場繋ぎも可能です」


 孔老師の鑑定を全面的に支持しながら、同時に自分のできることを提案する。それが——今の私ができる精一杯の行動だ。


「……人を……活かす……」


 太后陛下が呟く。私は笑顔を向けた。


「え、偉そうなことを! 小娘風情が……!」

「俺は悪くないぞ! 俺の生年月日は……そうだ! きっと記載の時に間違えられたんだ!」


 場がだんだんざわついてくる。武官たちが暴動に備えて身構え始めた。ちょっと危険な感じになってきた。

 太后陛下が私と皇帝陛下を見て——何かを言おうとした。その時。

 悲鳴を上げながら官吏が場に転がり込んできた。


「た、大変です! 後宮で妃嬪たちが……暴れ始めました!!!」

「妃嬪……?」

「誰だ……? 後宮は今妃嬪はいないのでは……?」


 そこに、ドドドドドと足音を響かせて黒い弾丸が飛び込んできた。


「あ」


 ——薩貴妃。勇猛果敢な黒豚である。

 続いてドドドドドと地響きが鳴り、鳳敬殿に妃嬪たちとその女官たちが飛び込んできた。


「う、うわー!!!」


 黒豚に猪に駝鳥に虎。数々の妃嬪たちが大暴れし、雛壇に突撃し、官吏たちの官服を食べる。場は突然阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 皇帝陛下が立ち上がり、変声期の掠れ声ながらはっきりとした言葉で、臣下たちに命じた。


「勅命である! 禁軍の我が矛よ、我が妃嬪たちを怪我させぬよう丁重に捕縛せよ! そして他の者らはそれぞれ身を守れ!」


 茗将軍の部下の皆さんがやってきて、私を助けてくれる。


「ありがとうございます!」


 私は茗将軍を見上げた。彼は皇帝陛下を抱き上げ、颯爽と雛壇を舞い降りて駆け出して行く。

 それからの大騒動により、結局対決も疑惑の追求も——有耶無耶になってしまったけれど。

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