第7話 ■

 よそゆき用の襦裙を纏い蓮華宮に連行された私は、太后陛下に意外な提案をされた。


「——占い対決、ですか?」


 以前対面した時と全く同じように、私は茗将軍と共に蓮華宮の房間を訪れていた。数段高い位置に設られた豪奢な椅子に座った太后陛下は、私と茗将軍を見下ろしながら開口一番「占い対決をなさい」と命じてきたのだ。


「ええ。あなたの占いはどうにも評判がよろしいようだから、ぜひ三省六部の者たちの前で披露して欲しいの。皇帝陛下がご自身のご意志で呼び寄せた占い師というものが、どのような力を持つのかを明らかにするのは、皇城の風紀と規律を思えば当然必要なことだわ」


 皇帝陛下に会えないように妨害されていたので、いきなり表舞台を用意されて驚く。意外な展開だ。無視して放置していられないくらい、私の評判が増してきたのだろう——隼家の占いに支配された宮廷の雰囲気、少し変えられたのかな?

 私は頭を下げたまま、拱手の姿勢で太后陛下へ答える。


「言上奉ります、太后陛下。占い対決の経験はございませんが、お声かけいただきましたことは至福の喜び。私嶌喜鵲でよろしければ謹んでお申し出承ります」

「そう。……雀銀じゃくぎん、入りなさい」


 扇子をぱちんと鳴らし、太后陛下は私の背後へ呼びかける。


「紹介するわ。あなたが対決するのはこの占い師よ」


 絹の衣擦れの音を立ててやってきたのは、銀髪を垂髪にした、白練りの絹の袍服を纏った金瞳の麗人だ。あっと思う。天命宦官てんめいかんがんの人だ。

 天命宦官とは、性器をして宦官になった人——ではなく、天に祈りをささげ官房術なる秘術を施され、生殖機能と性欲を代償に不老の美貌を持った人だ。北方の一部民族にだけ生まれる特別な人たちで、一部のとても貴い人の側近として重用されていると父に教えられたことはあるけれど。まさか本当に出会えるなんて。

 銀髪金瞳の麗人は神経質そうに眉間に皺を寄せ、目を背けたまま嫌そうに拱手する。太后陛下が紹介した。


「彼は孔雀銀こうじゃくぎん。隼家の庶家、孔家に養子入りした天命宦官よ。彼は先帝陛下の時代から占い師をしているの」


 先帝陛下は五〇代で崩御し、太后陛下も今五〇代のはず。ということは彼もそれくらいなのだろう。けれど見た目は高く見積もっても三〇代そこそこだ。男女共に心を惹きつけるような妖しい美しさを感じる。目が離せなくなりそうでそれがまた——本能的に、怖い。


 彼は「下賤の女と話すことはない」と言わんばかりに、私に話しかけることも目を向けることもない。太后陛下は扇を揺らす。


「勝負は一ヶ月後、鳳慶殿にて。三省六部の官吏たちにも同席してもらうわ。野鳥と孔雀の翼比べ。楽しそうじゃなくて? 楽しませてちょうだいね、野鳥娘」

「……勿体無い場をいただき誠にありがとうございます。喜鵲叫喳喳かささぎの鳴き声は吉事の前触れの名に恥じないよう、精一杯努めさせていただきます」


 私と茗将軍に、下がっていいわと空気で促す太后陛下。

 退出して蓮華宮の門を潜り抜けたところで、私は強張った体を緩めた。緊張した。


「……とんでもないことになりましたね」

「とりあえず戻るか」

「ええ」


 まだお昼前なのに、すっかり一日中働いたような疲れを覚える。

 茗将軍と二人牛車に乗り込み、私の屋敷へと戻った。


 ——しかし、悪い騒動は続く。

 茗将軍と一緒に戻った屋敷は、しっちゃかめっちゃかになっていた。

 女官たちが真っ青な顔で私たちの元にやってくる。


「申し訳ございません! 突然、隈昭儀イノシシが暴走し、屋敷の中に入ってきまして……それで男手を呼びに行っている間に、あっという間に部屋が荒らされてしまいました……」

「大変だったね。みんなに怪我はない?」

「はい……」


 ただただ申し訳なさそうにする女官たちを慰めながら、私は屋敷へ目を向ける。

 壁には馬糞が投げつけられ、門には鵲の落書きがされ、部屋の中も荒れ放題、糞を踏んだ靴で蹂躙し放題だ。あまりに現実感がない露骨な嫌がらせだった。


「……こういうの、宮廷小説で読んだことあるなあ〜」

「少しは怒れよ」

「いや、私が持参した荷物ほとんどないので……服から小物から化粧品まで、こちらで用意してもらったものですし」


 私は頭を掻いて肩をすくめる。

 ぐちゃぐちゃになった服や下着についた馬糞などを見ていると、図太さには自信のある私でもさすがに胸が痛む。けれど私の荷物をめちゃくちゃにされたことよりも——せっかく陛下や茗将軍や師兄さんが私のために用意してくれた、その心遣いが踏み躙られたようで辛かった。

 だからこそ、茗将軍に悲しい顔は見せたくなかった。

 すぐに綺麗な襦裙を佐州から着ていた普段着の袍服に着替え、襷掛けをして裾をまくり、私は茗将軍の前に戻った。

 むん、と力こぶを作る。


「掃除します! 洗えば新品同然ですし、化粧品も使えます! 無駄にはしませんよ!」

「たくましいな。あんただけじゃ大変だろ、俺も手伝うよ」


 茗将軍は優しく笑って、私では立て直せない箪笥や物入れを直してくれた。将軍の部下の皆さんや女官たちも集まって、大きなものから小さなものまで動かしてくれる。片付けながら茗将軍が話しかけてきた。


「しかし、喜鵲。……やれんのか?」

「何をですか? 洗濯?」

「いや、占い対決のことだよ」


 部屋の掃除に夢中になって、忘れていた。


「もちろんやりますよ。やっと私を『邪魔なもの』として見てくださったんですし。茗将軍が命懸けで守って助けてらっしゃる陛下、私も守ります。それに……きっと、太后陛下も……」

「太后陛下も?」


 私は片付けの手を止め、つぶやく。

 太后陛下は野鳥なんかにわざわざ、追放や断罪の場を与えようとしている。


「これは想像ですが……太后陛下も、隼家の占いを信じすぎるのに、少し疲れているのかなって。だってあの人の力があったら、私のことなんてすぐに捨てられますよね? でも好きにさせてくれている」

「……なるほど。一理ある」

「まあもちろん、多分私は今回処刑されるかもですけどね。まず少なくとも対決は絶対敗北させられますし、陛下の占いをさせるというのも、言葉をあげつらって不敬罪とかで難癖つけて、私を陥れるつもりなんでしょうし」

「その割にあんた、随分と落ち着いてるな?」

「まー、慌てても仕方ないですし」


 私は肩をすくめる。そして、少し考えた末に口にした。


「……私の父、宮廷占い師だったそうなんです。陛下のお兄様を……誤読した。知ってましたか?」

「この間、師兄さんが話してたな」

「やっぱりあんなところで話しちゃ聞かれますよね」


 私は苦笑いして続ける。


「絶対父はあんな鑑定をしない。父は……貶められたんです。隼家によって」


 私はぎゅっと拳を握る。


「仇討ち気分か?……そんなギラギラした顔もしてねえな」

「仇討ちなんてやっても無駄死になので」

「いい心がけだな」

「ええと……なんだろう。父が……やり残した仕事を、私が引き継げるっていうのが……『占い師』として嬉しいのかもしれません。女に生まれて本来なら宮廷占い師なんてなれない立場です。そもそも占いの勉強だって、普通なら女にやらせません」


 占いは政治のための道具だ。嫁いで子を生むことが役目の女に、わざわざ時間と勉強道具を渡して覚えさせるものではない。私が天命眼を受け継いでいるのだから、本来ならすぐにでも結婚させて、後継の男子を産ませるのが「政治的には正しい」。けれど父は——私を占い師に育ててくれた。


「私、女に生まれて嫌だとは思いませんけど、一つだけ残念だったのが父の後を継げないことだったんです。師兄さんとか——父の思いを継ぐって頑張ってる男の人を見ると、何だか羨ましくて。だって私、お父さんが好きだったから」

「喜鵲……」

「父はこの宮廷で陛下のために進言し、罪をなすりつけられて処刑が決まり、命からがら逃亡した。そして母と出会って私の父になってくれて……そして私が、父と同じように陛下のために進言する。それって『運命』ですね」


 口にしながら、あ、と思う。

 ——もしかして、父が私に渡した『運命』って、こういうこと?

 私の言葉を、茗将軍は厳しい顔をして聞いていた。

 女のくせに思い上がってる、なんて思ってるのかなーなんて思いながらえへへと笑って誤魔化すと、茗将軍は手に持った籠を放り、ツカツカと近寄って私をギュッと抱きしめた。身長差がすごくて、私の足は宙に浮いた。


「ひえっ!? 今私、臭いですよ、ちょっと」

「臭いなんて構うかよ。……よく、生きてくれた。俺についてきてくれて感謝する」

「茗将軍……?」


 私はあれ、と思った。

 いつもの気のいいお兄さんとも違う、将軍として陛下や太后陛下と接している時ともまた違う態度のように感じた。どこか別人みたいだ。具体的に何が違うのかは、うまく掴めないけれど。

 茗将軍は私を抱きしめたまま続ける。


「喜鵲の忠義と決意、俺は……必ず無駄にしない。茗朱鷹の名に賭けて、喜鵲を絶対に守る。安心してぶつかってこい」

「……ありがとうございます」


 私は温かい腕に抱きしめられて、幸せな気持ちでお礼を言う。満たされたような、安心するような、不思議な気分だった。部下の人たちもこうして激励されることがあるんだろうな。きっとみんな茗将軍が大好きなんだろうな。

 私を解放すると、茗将軍は眉間に皺を寄せていた。


「……こんなつもりじゃなかったんだが」

「どういうことですか?」

「ええい、こっちの話だ」

「えひゃー」


 頭をぐちゃぐちゃわしわしと撫でられて悲鳴が出る。


「あのさ、喜鵲」

「はい」

「……ありがとうな」

「はい!」


 その時、どたどたと足音が近づいてきた。扉を勢いよく開き、師兄さんが転がり込むような勢いで滑り込んできた。


「喜鵲! 聞いたぞ、君は占い勝負なんて……!」

「あ」


 師兄さんに茗将軍と二人っきりでいるの見られちゃった。怒られるかなとひやりとしたけれど、師兄さんは私たちより部屋の中の惨状に頭を抱えて目を剥いた。


「うわー! なんだ!! この部屋の中は!!!」

「いえーい! 宮廷あるあるの、嫌がらせ!!」

「指を二本立てて元気にするんじゃない!!」


 それからは師兄さんも手伝ってくれて、三人でわいわいと部屋の掃除を行なった。


 終わった頃にはすっかり日が暮れていたので、作戦会議などはとりあえず明日以降にやる、と決まった。



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