第6話 ■

 よく晴れた気持ちの良い天気の日。

 私がいつものように占い小屋に入ってお客様を待っていると、早速お客さんが駆け込むように入ってきた。聞き慣れた靴の音だ。


「師兄さん!」

「喜鵲……!」


 師兄さんはしばらく私を見て目を瞠り、感極まった顔をする。そして肩の力を抜き、安堵の笑顔を向けた。


「全く……! なかなか会えなかったぞ!」

「そうだね、ずっと会いたかったよ。忙しかったの?」


 私がお茶を淹れながら尋ねると、師兄さんは怒りを滲ませたしかめ面になる。


「あの茗将軍があれこれと介入して、こちらまで来れないようにしてくれたもんだからな……」

「えー、茗将軍そんなことしないよ」


 私が手を顔の前で振って笑うと、師兄さんはますます苦虫を噛んだような顔をした。


「私が喜鵲を宮廷から逃がすとでも思っているんだろう。……喜鵲、何か困っていることはないか、足りないものはないか、大丈夫か、嫌なことはないか」

「ありがとう師兄さん」


 両肩をつかんで顔を覗き込んでくる師兄さんに、私は笑顔で答える。


「大丈夫だよ。毎日元気でやってるし、陛下とも太后陛下にもお会いしたし、茗将軍は守ってくれる店は繁盛してるし」


 指を二本立ててにっこりと笑う。

 佐州の故郷は宿場町なので異国の手勢ジェスチャーも広まっている。

 そんな私を見て、師兄さんは険しい顔つきになった。思い詰めた顔で卓に身を乗り出し、私の耳に囁く。


「……遊びじゃないんだぞ、喜鵲。君は……皇兄殿下を不適格と鑑定したのが、君の父親だとわかっているのかい」

「え」


 頭が真っ白になる。


「嶌家は如家の庶家の名だが、四維侵襲の戦乱で全員殉死している。偽名なんだ」

「嘘、でしょ……?」


 私が顔を見ると、師兄さんは怖いくらい真剣に頷いた。


「だから君を皇城にだけは来させたくなかった。あの茗将軍も知らない事実だ。聞いていないだろう?」


 私は冷や水を浴びせられた気持ちのまま、頷く。


「うん。茗将軍は私を選んだのは……噂を耳にした陛下の勅命だから、ってだけで……」

「如家は佐州に逃げ延びた師父を匿ってきたんだ。師父の占いで何度も窮地を助けられた礼として。不思議だと思わなかったかい? 師父の隠れるような暮らし。君に教養を与えた思い。どれも……筋が通るだろう?」

「待って。通らないよ」


 私は首を横に振った。


「父さんが人を不幸にする占いをするわけがない……!」

「声が大きいぞ、喜鵲」


 口を塞がれ、私ははっとしてこくこくと頷く。そして声を潜めて言った。


「……だっておかしいよ。父さんが絶対……そんな占いするわけが……」

「隼家に嵌められたんだ。悪い占いをしたのだと言われて。……わかったかい、相手は白も黒にしてくる相手なんだ。喜鵲はすぐにここから逃げるべきだ。占いができなくなったとでも、巫覡が消えたとでも言い訳はつく。私がなんとか」

「待ってよ師兄さん。……父さんのことはわかったわ。でも仕事を放り投げるのは別問題よ。陛下はこのままでは幸せになれない。……私を頼ってくださったのだから、怖くなったから逃げるなんて」

「弁えろ喜鵲。どんなに占いが上手くても君は女だ」

「……師兄さん……」


 師兄さんに言葉を遮られる。

 触れ合いそうなほど近い距離で、師兄さんは声を低くする。


「婦女が迂闊に首を突っ込んでどうする。喜鵲が優しいのは知っている。占いが好きなのも知っている。だが皇帝陛下の力になるなど、不相応な願いを持つな。娘が占いに命を賭して、師父が喜ぶと思っているのか」


 今までにない剣幕で師兄さんは訴える。


「頼む、聞き分けてくれ……喜鵲……」


 ——そうだ。師兄さんの言葉は正論だ。

 私は父から占いを習ったけれど、正規の方法では官吏にも占術師にもなれない。ただの女で。

 師兄さんは呻くように懇願した。


「喜鵲。……私は君に幸せになってほしい。師父が守った大切な……いや、…………私の、幼馴染に……当たり前の幸福を……」


 師兄さんは頬を赤くして唇を真一文字に結び、黙した。

——どう返事をしよう。どうしよう、私は。

 衝撃的な事実と師兄さんの言葉に、頭が真っ白になる。

 みじろいだ懐の奥で、かさ、と音がする。


「……あ」


 私は我にかえった。

 ——父さんは、何を私に託したのか。


「師兄さんごめんなさい。私、この仕事を投げ出せない」

「喜鵲、」

「師兄さん。私はもう陛下にお約束した。茗将軍の力になると決めた。……父さんが濡れ衣を着せられた追い出された場所から、尻尾を巻いて逃げるにはもう遅いよ」

「……茗将軍……その名を口にするのか、喜鵲」


 師兄さんは目を昏くする。


「あの男は……私が権力を掌握した暁には宦官にしてやる……」

「なんか怖いこと言ってない? 師兄さん」

「喜鵲、駄目だ。あの男に持ち上げられて調子に乗っているんだ、君は。意地をはるもんじゃない。……もういい、言葉で納得しないのなら、無理矢理にでも」

「俺をどうするんだって? 状元様ぁ?」


 聞きなれた声が響き、師兄さんが弾かれるように振り返る。

 占い小屋には不釣り合いなほどの図体の茗将軍が、にやにやと目をすがめて笑う。嫌そうに拱手をする師兄さんに軍礼で返すと、茗将軍は真面目な顔になって兄を見下ろした。


「安心しろ。喜鵲は俺が責任を持って守る。この命に賭けても」

「…………喜鵲は普通の幸せを得るべきだ。それなのにこんな……あんまりだ」


 師兄さんの悲しげな顔に私は胸がずきりと痛む。

 師兄さんは心から私を思いやって、私に占いをやめさせようとしているのだ。

 しかし茗将軍は正面から師兄さんに「違うだろ」と言った。


「それは喜鵲のためじゃない。あんたが幸せになりたいもんだから、理由をつけてるだけだ」

「ッ……!!」


 師兄さんの顔が真っ赤になる。


「まっ!!! まあまあ! まあまあ!」


 私は慌てて二人の間に割り込んだ。


「茗将軍、違いますよ。師兄は私を思って言ってくれているんですよ」

「本当か〜? その真っ赤なオニイサンに聞いてみろよ?」

「本当ですってば〜。ねっ。そうだよね、師兄さん?」

「……ッ……そうだ……私は喜鵲のために……状元になり、出世して……」

「だよね! ありがとう!」


 私は茗将軍を振り返る。


「ほら聞きました、茗将軍。師兄さんは本当に優しんです〜!」

「……だんだん不憫に思えてきたな、心中察するぜ、状元様」

「……貴殿に何がわかると言うのだ……」


 うめくように呟くが最後、師兄さんは黙り込んだ。私は師兄さんに言った。


「大丈夫。師兄さんの気持ち、伝わったよ。……でも……父さんに『運命』を託されているから、もう少し頑張りたいんだ。許してくれる?」

「……今の案件までだ。今の問題が片付いたら、喜鵲は結婚する。それならば丸く収まるだろう?」

「そうだね。……うん、それが一番無難な落とし所かなあ」


 師兄さんの心配はもっともなので、私は素直に私は頷いた。

 そもそも女の身で、こんなに占い師家業を続けられたことが幸福だったのだ。嫁入りにもそれなりに期限があるし、都市部はともかく田舎では行き遅れの年齢だ。私は頷いた。


「もう見つけたい『運命』は見つけたし、潮時ではあるよね」

「……運命、か……」


 顔をまっすぐ見て微笑む私に、師兄さんはようやくホッとしたような、暖かな笑みを浮かべた。頬を染め、師兄さんは強く頷く。


「……そうだ。君にそう言ってもらえるなら私も最後まで支えよう。また来るよ」


 師兄さんは立ち上がると、茗将軍を振り返って睨みつけた。


「……喜鵲に変なことをしてみろ。私は隼家と結託してでも茗将軍を打ち滅ぼす」

「わかったわかった、お師兄さん」

「師兄さんと呼ぶな!」


 師兄さんはそのまま去っていった。


「……嵐みたいだったな」

「ええ、嵐でしたね」


 私たちは顔を見合わせ、微笑みあった。

 ——そうだ。私がここにいるのは、父に託された『運命』だ。師兄さんの切実な訴えに流されて忘れるところだった。

 茗将軍のためにも、私は半端な気持ちで離れるわけには行かないのだ。

 私は茗将軍に言った。


「今日も来てくれてありがとうございます。お昼前に珍しいですね?」

「ああ。今日は美味しい倹飩箱じゃなくて、悪い招待状を持ってきた」

「聞きたくないなあ」

「太后陛下からのお誘いだ」

「……聞かなければなりませんね、嫌でも」

「ああ。腹くくってくれたら助かるぜ」


 茗将軍は笑う。


「あの。一応一つ聞きますけど」

「なんだ?」

「私の父のこと……知ってたんですか?」

「……あの師兄さんが教えたのか、喜鵲に」

「ええ」

「まず、俺はあんたの親父さんのことは知らなかったぜ、それに嘘はない。ただ」

「ただ?」

「……なんとなく、察していたものはあったよ。あの占い師の占いに、あんたの占いはよく似ていたからな」

「それって、」

「気になるのはわかるが、話は後だ。とにかく蓮華宮に向かうぜ、支度もあるだろ」

「はっ! そうですね、袍服のままじゃ行けないですね!」 


 それから私は、茗将軍と共に大慌てで蓮華宮へ向かう準備を始めた。

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