第5話 ■
「え、皇帝陛下にお会いしてはならない、って……?」
皇帝陛下から呼ばれるまでの暇を持て余し、四夫人との親交を深めていた(小屋の掃除を手伝ったりモフモフを堪能していた)私は、今日も訪れてくれた茗将軍にがっかりなお知らせをいただいた。
ちょうど午前中、池でお茶会をなさっている
「読んでみろ」
二夫人が水面に嘴を突っ込み、餌……お茶菓子をパクパクしているそばで、私は茗将軍に手紙を手渡される。
香の匂いがきつくたきしめられたその手紙は太后陛下の達筆で書かれていた。
「読めません」
「……悪い。あんた頭いいから娘娘文字も読めるのかと思っちまった」
娘娘文字とは貴族の婦女が用いる独特の華やかな文字だ。学と言えば男子向けの学しか受けてない、佐州の田舎娘には当然読めない。
茗将軍が読み上げてくれた内容は、ものすごく回りくどく「皇帝陛下はあなたを呼ばないわ。理由は教えてあげない。とにかく呼ばれるのを白髪が生えるまで待つがいいわ、野鳥の寿命が何年かは知らないけれど!」ということが書かれていた。
「隼家と太后陛下の介入で……陛下と会えなくなってしまったのですね……」
「まあ落ち込むな喜鵲。これは吉報でもあるんだ」
「と、おっしゃいますと?」
「喜鵲と会ってから陛下が前向きになってな。勉強も修練も力が入ってきたと、家庭教師が苦々しく漏らしていた」
「なんで苦々しく?」
「だってほら、隼家の息がかかった連中は陛下に自己肯定感の低いぼんやりビクビクとした傀儡でいて欲しいわけだからさ」
「なるほど〜……つまり、私は仕事ができた! ってことですね!」
「その通り!」
「目をつけられる程度には陛下のお役に立てた! やったー!」
「ははは前向きでいいねえ」
茗将軍は足元を蠢くミミズを
「えひゃー」
「陛下がいたく喜鵲を気に入っているから、太后陛下と隼家でも、あんたにここから出て行けとは言えないらしい。しばらく焦ったいだろうが、ここでまったり後宮生活をしててくれ。俺もなんとかするから」
「鑑定の精度を高めるためにも、情報収集は必要です。むしろこの暇潰しをいい感じに利用しますよ」
私が笑顔を向けると、茗将軍は片目をすがめて、にやりと笑う。
「それも『運命』……ってやつ?」
「そうですね、『運命』ですね。多分」
と言うわけで。
「私のやるべきこと……それは、占いだ!」
◇◇◇
私は動物——げふん、後宮の占い屋を開業した。私にあてがわれた宮のすぐそば、かつて後宮が繁栄していた時代に商人が不定期に市を開いていたという長屋風の建物、その一角だ。
出入り口には暗い帷をかけて、中には机と椅子を置いて。占い師らしくあれこれとそれっぽい道具や本を置いた方が印象戦略としてはいいのだろうけど、競合相手もいないし、胡散臭いことはしてませんよ〜の身の潔白を主張するためにも、私はあえて風通しの良い質素な占い部屋にした。
「鵲鵲娘娘、やってるかい」
「あっ茗将軍〜! 本日最初のお客様です!」
「残念ながら俺、占いは間に合ってんだよな〜」
「あはは〜なら今日も
最初はこんな感じで、茗将軍と一緒に暇つぶしにだべっていただけだったのだけど。
最初に訪れた客層は女官。
隼家の占いは政治のためのいわゆる「男社会の占い」だから、婦女目線の結婚や職場の悩み、親子関係嫁姑問題といったものは相談しにくい。「女は貞淑に、慎み深く目上と男を敬え」で片付けられてしまったら、何も言い返せなくなってしまうのが普通だから——それじゃ解決しないから、占い師に相談したいのにね。
「許嫁はいい男だけどお姑さんが怖い? ええと……ああ、このお姑さんは話を右から左に流しておけば、ガミガミ言った内容忘れてます。気を遣っても遣わなくても嫁に対する態度は変わらないので、適当にあしらいましょう」
「職場の人間関係が怖い? ……今年は空亡だから……そうですね、とにかく穏便に流すことを重視して今は流れに身を任せる時ですね! あと二年です!」
「言い寄ってくる男が出所不明のお金をちらつかせる? あとで捕まる可能性があるから穏便に避けとく方が無難ですね〜」
続いて、次に訪れ始めたのが男性の官吏たちだ。
みんな顔を隠したりこそこそ偽名を使いながら、隼家がいる場所では相談できないような内容を打ち明けてくれた。命式が読めても、占い師も知らない情報はアドバイスできない。私は毎日茗将軍に皇城の常識を教えてもらいながら、官職についても仕事内容も常識も叩き込み、鑑定に打ち込んだ。
「上司がいい顔ばっかりする同僚ばかりを優遇する、と……ああ、この上司は案外見てるところは見てますよ。実績で殴りましょう」
「女官といい思いをしたい? その浮ついた感情がバレバレなので、先に仕事で目立つ方がモテると思いますね。おすすめは来月の祭りで……」
「今の激務が耐えきれない……お辛いですねそれは……。実家の方で何か良い話がありそうです。里帰りの時に心を開けるご家族に相談してみては? 相性としては三番目のお兄様が良さそうです」
占いをやっていると、それなりに冷やかしがやってくるのが普通だ。
しかし後宮の占い小屋に訪れる人はみんな、とても真面目で真剣だった。
どうしてだろう? と首を傾げながらお昼を迎えたころ、倹飩箱を持参した茗将軍の陽気な笑顔を見てピンと来た。
——ははあ。この人が私の後ろ盾だとみんな分かってるから、冷やかしに来ないのか。
「今日は坦々麺持ってきたぜ。食おうぜ」
「わーいありがとうございます」
私は占い小屋から出て、後宮の庭園のお気に入りの四阿に向かう。
以前は妃嬪たちの……色んなもので結構汚れていたのだけれど、最近は私と茗将軍に気を遣ってか、いつも綺麗に磨かれるようになっていた。謝謝。
卓に坦々麺を取り出して並べ、私は大喜びで箸を取る。
「いただきます!」
「おう、食え食え」
赤くて美味しい汁に浸った麺を啜りながら、私は無言で大口で平らげる茗将軍を見やる。この占い師家業の日々の中でだんだんと、彼がそれなりにかなり畏怖されている存在だと気づいてきた。
文官たちは彼を見ると青ざめてきびきびと礼をするし、武官たちは輝く眼差しで大きな音をバシッと立てて軍礼する。
鑑定を行う中でも、茗将軍の噂話も悪口もまったく聞かない。
顔はいいけれど女性に性的な好意を向けられているわけではないようで、その理由は大体成り上がり独特の粗野さと、男世帯生活者特有のガサツさというか、ざっくばらんさにあるようだった。顔は美男子だし、佐州の宿場町育ちの私にとっては優しい人だなあ、という印象だけど皇城の女官さんたちはやっぱり印象違うよね。
ちなみに後宮生活の安全面に関しては、茗将軍が近くに泊まり込んでくれたり部下を巡回させてくれるから全く問題なかった。
「ん? 顔じろじろみてどうした」
「……随分恐れられているんだなあと思いまして。茗将軍が」
「そりゃあなあ。隼家は文官の一族で俺にびびるし、武官で俺に文句を言えるやつはまあ、いねえからなあ」
「強いなあ」
「叩き上げで血飛沫浴びながら西夷を撃退した血判将軍ってことで、文官の一部からは嫌われてるけどな。ははは」
「血判ってなんですか?」
「手が血まみれの時に面倒でそのまま書類仕事してたら、全部血でべたべた汚れてるってもんで気の弱い官吏がバタバタ倒れてなあ」
「怖いなあ」
怖いと言いながらも、私は真っ赤な坦々麺をはふはふと食べる。佐州は薄味の地方だ。辛い味は慣れていないけれど、はふはふと水を飲みながらいただく坦々麺はとっても美味しい。綺麗な襦裙を着てるわけじゃないから汁が飛ぶのも怖くない! 美味しい!
私をみていた茗将軍が、しみじみとした風に言う。
「あんた、怖い怖い言いながら、よく俺と一緒に飯食えんなあ」
「んー……何だか知らない人って感じがしないんですよね。昔馴染みっぽいというか……」
「『運命』なんじゃねえの? 俺たち」
「……ッ!?」
——運命。その言葉に坦々麺が気道に入ってごほごほとむせる。
「どうした大丈夫か」
「げほげほ……び、びっくりするじゃないですか『運命」っていきなり言われると」
「へえ? 意識した?」
「てっきり父と知り合いなのかと思いましたよ」
「……」
茗将軍は眉間に皺を寄せて黙り込む。
「し、知り合いじゃないんですよね?」
「顔は知らねえよ」
茗将軍はそう言って水を飲み、肩をすくめた。
「運命って別にそう言う意味で言ったんじゃねえよ。占いの世界ではどうなのか知らんけど」
「あ、……あはは、そうですよねすみません、こっちの話です。えへへ」
「変なやつ。……ははは、それはいつもか」
彼は笑って再び食べ始める。私はその顔を見ながらぼんやり思った。
——『運命』の人だから、こんなに気安く楽しく過ごせるのかなあ。
まあ考えても仕方ない。命式は読めても自分の人生の謎はわからない。
「ああそういえば、気になることと言えば」
「ん?」
「妙に生年月日詐称する人が多いんですよ」
「詐称? 冷やかしが来るってことか?」
「いえ、それが……真剣な顔をして詐称をしてくるんです。最初は占い師相手だから隠してからかってるのかなと思ったんですが、どうも本当の生年月日は言いたくない、でも占ってほしい気持ちは真剣で……という感じの人、多いんですよー。私に命式を見誤らせて占い失敗するのを期待してる層なのかあ……とも思ったんですが……深刻な悩みを打ち明けてくる人も、生年月日詐称してくるから不思議で」
「ふむ。……まあ、生年月日から立場がバレるのを恐れてるのかもしれないな。しかしそれでも喜鵲は占えるんだな?」
「まあ、私は特別なので。えっへっへ」
一子相伝の天命眼については秘密だ。片目を閉じて胸を張って誤魔化すと、茗将軍はそれ以上深く聞いてくることはなかった。
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