第六話 私の鉄拳をくらえッ! ですわーッ!

 魔法の詠唱が始まった瞬間、リーチヒルトは真っ直ぐに駆け出し、そして一番正面にいる生徒の顔面を殴りつけた。


「なっ―――!?」


 不意を突かれ、生徒は床に沈む。

 

「な、殴りやがった!?」

「こ、こいつ!」

 

 急速接近してきたリーチヒルトに、慌てて照準を向け直そうとする生徒達だったが、魔術師が密集し合っている状態では魔法の誤射が生じる。唱える魔法によっては、狙いが外れれば味方に当たり、大怪我をさせてしまうだろう。

 だから戦い慣れていない生徒たちは戸惑った。魔法を恐れず、接近してくる相手とどう戦えばいいのか分からずに。


「とりゃぁー!」


 リーチヒルトは次に、隣の生徒に回し蹴りを放つ。顎を穿たれ、蹴られた生徒も意識を手放した。


「な、な―――」

「こ、こいつ、めちゃくちゃ強いぞ!?」

「か、囲め! 囲んでしまえ!」


 囲むのも悪手である。

 もし魔法を使って相手を制圧したいのならば、魔法発動までに接近されないだけの距離を保ち、かつ、誤射を防ぐために一方向に固まった陣形を取る必要があった。


「はぁー!」


 リーチヒルトは男子生徒の一人の腕を取り、捻り上げると、足も使って投げ飛ばす。飛んだ生徒の先には、別の生徒がいて、二人はもつれ合って転がっていった。

 

 リーチヒルトは、分かってか分からずか、相手が一方に逃げないよう、遠くへ散らぬよう立ち回り、一人、また一人と、拳と蹴りで、黙らせていく。


「なんという低落でしょう」


 偽者のリーチヒルトが呟いた。


「魔術師の卵とはいえ、この程度とは…。失望いたしましたわ」

「勝手に失望なさいませ!」


 偽リーチヒルトに向けて、リーチヒルトは生徒を投げつけた。

 偽リーチヒルトは瞬時に魔力の壁を作り出し、投げつけられた生徒を弾き飛ばす。

 果たして、本物はそこまで読んでの行動であったか。

 弾き飛ばされた生徒の影から、本物のリーチヒルトは、偽物に肉薄する。


「私の鉄拳をくらえッ! ですわーッ!」

「ッ!」


 偽物は、寸でのところでリーチヒルトの攻撃に気づき、半ば転ぶようにして拳を躱した。

 エントランスの絨毯の上を転がり、何とか立ち上がるものの、その立ち上がりに、更に本物が追撃を加える。

 偽物は、何とかギリギリでその攻撃を躱すことで精一杯だった。

 そして、周りの生徒たちも、偽物と本物が乱戦していては魔法を撃てず、両者の戦いを眺めるだけの傍観者に成り果てていた。


「くっ…! 野蛮な…!」

「いきなり出てきて成り代わろうだなんて! 野蛮はどっちですの! そもそも、お前は一体何なんですの!?」


 リーチヒルトの問いに、偽物はニンマリと笑った。


「何度も言っているでしょう? 私こそが、本物なのですわ」

「いい加減、その戯言を―――!」

「いいえ、本物なのですわ。私こそが、本来”災厄”と成るはずだったリーチヒルトなのですから」

「は、はぁ?」

「古き鳥の予言に従い、世界を滅す災厄となるはずであった魔女―――それが私」

「私はここに居ますわ! そして、私は災厄なんかになりません! 災厄を打ち払い、世界を救うために、この学院に来たのですから!」

「ええ、ええ、そうでしょうね。そう言って学院長に絆されて、期待を仄めかされて、いい気になってやってきた愚か者ですわ!」


 本物の攻撃が、止まる。


「それに、私は成り代わろうとしているのではありませんの。再び貴女と一つになろうとしているのですわ」

「な、何を―――」

「未来は定まっていますのよ。余計なことはしないでくださいませ」


 どろり、と、偽物のリーチヒルトが溶けた。いや、溶けたように見えた。

 それはリーチヒルトの姿をしているが、肉体を持った存在ではなかった。

 言わば、超高密度の魔力の塊だった。


『魔法というのは世界の裏側、ヴァーネシアと呼ばれる異界から引き出したエネルギーを、肉体という変換器に通すことで、現象として世界に表出する行為であるわけです』


 最初の授業で、教師が言っていた言葉だ。

 魔法を実現させるエネルギーとは、魔力のことである。

 そして、このリーチヒルトであると名乗るものは魔力の塊である。

 ならば、即ちそれは―――

 リーチヒルトは


「貴女は、本来私が使―――?」

「その通りですわ」


 もし予言によって未来が決まっているのならば、そのために使われるはずの魔力エネルギーがヴァーネシアに存在することになる。

 最新の研究では、人がヴァーネシアから汲み出す魔力は、個人個人によってその質と量が違うと判明している。おそらく、人の魂によて定められた分の魔力がヴァーネシアと結びついているのだろうと推論されていた。

 つまり、予言が成就しなければ、この魔力は、ヴァーネシアに残ったままとなるはずだ。

 

「で、でも、だとしても! どうして貴女がこの世界にいるのですか!?」

「未来を正す為に、彼方の世界ヴァーネシアから来たのですわ」

「そ、そんな―――」

「予言をお忘れになったのかしら? あの予言が、今まで一度でも外れたことがあって? いいえ、逆なのですわ。あの予言は、外れてはならないのです」


 古き鳥の予言。

 それは、この世界が始まる前に、神より一羽の鳥が賜った、世界の道標なのだという。

 山のように巨大な石版には、これから世界規模で起こりうる事象が、散文の形で刻まれていた。

 あるときには、大陸の形が変わるほどの洪水の模様が。

 あるときには、覇者の死を悼む言葉が。

 あるときには、新たな王の誕生を示す希望が。


 そして、最後にこの予言は、世界の滅びを示して終わっている。


「この世界は、終わらなくてはなりませんのよ」

「そんなこと、させませんわっ!」

 

 リーチヒルトは

 判断する材料も、真実だと断じる論拠も、確信に至るだけの証拠もない。だけど、彼女は感じるのだ。

 そんな物は絶対に違う、と。


 リーチヒルトは真っ直ぐに、拳を突き出した。

 リーチヒルトの魔力は、その拳をあえて受ける。

 彼女の腕が、どぼん、と、魔力の塊の中に沈んだ。


「なぁ!?」

「これで、一つに戻れますわ。成り変わることも少し考えましたが―――」


 フフ、と、偽物は笑った。


は少々手強かったので、安全に融合させていただきますわ」

「ぬ、抜けませんわ…!?」

「それはそうでしょう。元々一つなのですから。2つのコップに注いだ水を、1つの桶に戻すようなものですもの」


 ずぶずぶと、リーチヒルトの腕が、魔力の塊の中に吸い込まれていく。


「ご安心下さいな。一つになっても、私たちは変わりません。ただ、マーレのようになるだけです」

「!?」

「”災厄として目覚める”というだけですわ。貴女はマーレのように膨大な魔力と魔法を手に入れられる。ずっと、彼女に嫉妬していたのでしょう? ようやく届きますわ。貴女の望む姿―――天才令嬢になれますのよ」

「わ、私は――――…」


 彼女は、確かに望んでいた。圧倒的な魔法を。

 最初の授業のあの日からずっと、たった一撃で教師を打倒したマーレの姿が、脳裏から離れないでいた。

 天才じゃなかったのだと、単なる胃の中の蛙だったのだと、主人公ではなかったのだと、思い知らされた。

 だから彼女が気に食わなかった。

 ずっと彼女が気に入らなかった。


 でも―――…


 リーチヒルトの心に、生まれて初めて出来た友人の顔が浮かぶ。


「いいえ、今もそんなに悪いものでなくってよ? 私は、十分満足していますわ」

「―――そう」

「ええ。…――――しかし、こうして客観的に自分自身を見つめることで、一つ見えてくるものがございました。貴重な体験ですわ」

「―――…?」

「貴女―――いえ、私ですわね。私、ご自身の正体を明かすのは本当に最後の最後にするべきでしたわね」

「―――!?」

「貴女が私の魔力だというのならば――人の形を成し、意志を持つほどに有り余っているというならば! いま! ここで! 全てさせていただきますわ~!」

「なっ――――!?」


「世界を滅ぼせるだけの量の魔力ですわよ!? 万能になれるだけの可能性を秘めた力を、空撃ち…!? 貴女、正気ですの!?」

「持っていたら世界を滅ぼす力など、捨てるに限りますわ! 粗大ゴミでよろしくって?」

「させませんわ! 貴女が私を使い切る前に、私が貴女を飲み込んでしまえばいいだけのこと!」

「えぇ!? そんな事も出来ますの!?」


 ぐわっと、偽リーチヒルトはその姿を捨てた。

 溶け切った身体は、黄金に輝く魔力の光となり、リーチヒルトを飲み込もうと広がる。

 だが、その動きは、突如止まった。

 リーチヒルトを飲み込まんと立ち上がった魔力の塊に、まるで楔のように、2つの剣が突き立つ。


「間に合いましたか」


 声は、頭上から降りてきた。


「ヴィクター先生…!? お身体はもうよろしくて!?」

「ええ、動けるようにはなりました」


 学院本館のエントランス、その上階より、実践演習担当教師ヴィクター・ノレラントが降り立つ。

 魔力を練る彼は、止めとばかりに、剣の楔で打ち付けた魔力の塊に、捕縛魔法を繰り出した。

 黄金の輝きは、折重る光の鎖で縛り上げられる。


「エミカーシュ少年に感謝しなくては。未然に災厄の暴走を止めることができたのですから」

「エミさんが…!?」


 そう、リーチヒルトが戦う間に、彼は自身の立てた作戦を成功させていた。

 本物のリーチヒルトを知る実力者を味方につけること。それは、よく考えれば何も学院長でなくてもよかった。

 別の実力者でも構わなかった。

 できれば、居場所がはっきりと判明している者が好ましかった。

 例えば、マーレにボロボロにされて、医務室送りにされているはずの者であってもよかったのだ。


「エントランスの階段を全力疾走で駆け上り、医務室までやってきたのです。今は両足が攣って悶絶していますよ。彼は運動不足ですね…鍛え直さなくては」


 リーチヒルとが劣勢であろうと考えたエミカーシュは、可能な限り早く援軍を送るべく死力を尽くしたようだ。


「おのれ! 雑魚どもが!」

「形勢逆転ですわね。これにて、この騒動は終わりですわ!」


 リーチヒルトは、本来己であるはずだった縛り上げられた魔力の塊に、魔法を走らせる。


 物質創造魔法


 土属性魔法の最上級に位置する大魔法の一つ。

 世界を滅ぼせるだけの魔力を一気に消費するには、こうするのが一番いい。

 リーチヒルトは

 考えるのではなく、感じて、そう決めた。


「―――でも、粗大ゴミって、どんなゴミがよろしいのかしら…? ゴミ捨て、あまり詳しくなくって…」

「”黄金の災厄”であるこの私を、あまりにも雑に扱いすぎでありませんこと!?」


 最後まで締まらない令嬢達は、魔法によって練られた黄金の光に包まれた。

 

 

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