第七話 でも貴女、ずっと気にしていたでしょう?

 時間は、少し巻き戻る。


 リーチヒルトが最初の生徒に殴りかかったのを見て、エミカーシュはすぐに行動に映った。

 場の全ての者がリーチヒルトに集中する中、彼はエントランスを全力で駆け上がる。

 どうしてこんなに長い階段にしてしまったのか、どうして複雑な構造にしてしまったのかと、学院の建造物に対し悪態をつきながら、彼は医務室を目指した。

 そこには、マーレの魔法にボロボロにされて、今もここで治療を行っている実力者がいる。

 どこにいるとも知れない学院長を探し出し、事情を説明するよりも、ずっとこの方が早い。彼はそう考えた。


「ヴィクター先生ッ!!!」


 医務室に体当たりで飛び込み、怒られるのも覚悟で教師の名を呼ぶ。


「”災厄”が現れました!」


 もちろんこの時、彼は偽リーチヒルトが”黄金の災厄”だとは知らない。

 だが、災厄が出たと言えば、ヴィクター先生は味方になってくれるはずだと確信していた。何せ、マーレの件もある。

 教師たちがマーレを災厄と知っているのであれば、必ず対策は講じているはずだ。それを利用し、なんとか、リーチヒルトを助ける。エミカーシュはそう考えていた。


「思ったよりも、早かったのぅ」

「学院長―――先生…!?」


 だが、ヴィクター先生のベッドの前に居たのは、筋骨隆々の魔戦士ではなく、ふわふわの白髭を蓄えた老人だった。

 エミカーシュは驚いたが、しかしこれは、好都合だった。


「学院長先生! 災厄が!」

「分かっておる。ヴィクター、準備は済んだか?」

「は!」


 そこには、愛用の双剣を背負い、既に完全武装となったヴィクター先生がいた。

 そこで、エミカーシュは知る。

 この事態は、既に彼の知らぬところで対処が始まっていたのだと。


「回復魔法で肉体のダメージは誤魔化したが、そう長くは保つまい。気をつけよ」

「感謝致します! では!」


 ヴィクター先生は、エミカーシュとすれ違う。肩にポン、と手を置かれた。


「よく伝えに来てくれた、エミカーシュ少年」

「なん…―――え……?」


 途端に、エミカーシュの緊張の糸が切れる。

 エミカーシュは忘れていた疲労を思い出し、その場に崩れ落ちた。

 そういえば、さっきから走り回ってばかりだった。

 突然の激しい運動の繰り返しによって、彼の両足は攣り、パンパンに膨れ上がった。


「あっ、ぎっ……うぁっ……!」

「彼は私が看よう。行け、ヴィクター」

「は!」


 倒れたエミカーシュに後ろ髪を引かれたようだったが、ヴィクターは学院長の言葉に背中を押され、医務室を後にした。


「ど、どうし……て!」


 痛みを堪えながら、エミカーシュは学院長に尋ねる。


「こうなる、ことが、分かってたんですか…!?」

「我々が、何故ここを作ったか、君には説明したはずじゃ」


 世界を滅びより救うために、魔導の真髄を極め、その深淵を飲み干し、これより世界に訪れる未曾有の危機を打破できる者を鍛える。


「予言は、”滅び”を示す。しかし、いつ、どこで、どんな滅びが訪れるのか示されてはいない―――なれば、我らはそれに抗うのみ」


 ここは、そのための学び舎。


「―――と、いうと不思議なものじゃ。さもに聞こえる」

「え―――?」

「もうとっくに、滅びは世界に来ておるんじゃよ。マーレと一緒にいる君ならば、分かるじゃろう?」


 強大過ぎる特異な力を持って生まれた少女は、青の災厄と呼ばれていた。

 故郷を壊し、誰からも疎まれ、忌避され、心を閉ざしていた。

 もし彼女が、人としての道を踏み外したのなら?


「使い方を一つ誤れば彼女は世界の敵となる。そんな者が、一度に幾人も現れたら、どうなる?」

「まさか、それって―――」

「そう、君たちなんじゃよ。滅びの可能性とは」


 いつかこの世界を、滅ぼす可能性のある者。

 滅びを齎す凶鳥の雛。


「じゃ、じゃあ、ボクらがここに集められたのは―――」

「故に、我々は教師として導かねばならん。正しき道へと」


 欲望に染まり、人の道を踏み外さぬように。

 悲しみで狂い、心を壊してしまわぬように。

 圧倒的な力に、酔いしれてしまわぬように。 


「ここは、そのための学び舎なのじゃ」


 とっくに滅びはやってきている。

 それでも、世界が滅ばず抗い続けていられるのは、力を抱えた者達がここで鍛え、滅びの道に堕ちぬ力を身に着けたから。


「――――…どうして、それを今、ボクに…? 他の皆にも、話せば―――」

「全ての者に全てを話せば、中には諦める者も出てしまうじゃろう。時を見て、話しておるんじゃよ。君のようにな」


 そっと、学院長はエミカーシュに触れた。

 回復魔法が全身を奔る。


「さ、これで足の痛みは誤魔化した。そろそろ、向かうとしよう」


 学院長の言う通り、足の痛みが嘘のように消えている。


「ど、どこにですか…?」

「決着の形を見に行くんじゃよ」

「―――!」


 そうだ。ヴィクター先生が向かったからといって、決着がついたわけではなかった。

 リーチヒルトの安否を確認しなくては。

 エミカーシュが立ち上がった瞬間、巨大な黄金の光が学院本館全てを包み込んだ。



□ ■ □ ■ □



 エミカーシュが学院長と共にエントランスへと向かうと、光は収束し、状況は収束していた。

 そこには、魅了の魔法から解かれ、自失呆然としている生徒たちと、ヴィクター先生、そして、身の丈ほどの黄金の両手剣を掲げるリーチヒルトが立ち尽くしていた。


「リト!」

「エミさん! やりましたわー!」


 エミカーシュの声に気づいたリーチヒルトは、満面の笑顔となって手を振る。

 彼女が両手剣から片手を離した瞬間、剣は重さを思い出したかのように傾き、手からこぼれ落ちてエントランスに突き立った。


「危ないよ!?」

「まだちょっと反抗的ですわね…」

「それ、なに…!?」

「私の偽物ですわ。魔法で姿形を作り変えて差し上げたのですわ」

「えぇ!?」


 リーチヒルトにそんなことが出来たのかと、驚くエミカーシュ。


「最初はどんな粗大ゴミにするのか決め倦ねていたのですけれど、寸前でヴィクター先生の剣が目に入ってしまって、この形に」

「粗大ゴミにするより、剣にしたほうが先々で役に立つので良いでしょう」


 如何にも近接戦闘職らしい意見を述べるヴィクター先生。


「もう片付いた?」


 学院本館の扉を開けて、マーレもやってきた。顔にいくつも、汗の珠が浮かんでいる。


「げ……」

「マーレ・インブリウムさん」


 そしてタイミングが悪いことに、復活したばかりのヴィクター先生と真っ先に目があった。


「…ど、どうも―――」

「マーレ! ちょうど良いですわ! ほら、ヴィクター先生が良くなりましたの! チャンスは今ですわ!」

「ちゃ、チャンスって何よ…!?」

「ヴィクター先生に謝るんですのよ!」

「は、はぁ!? それ、今蒸し返す!?」

「でも貴女、でしょう?」

「うッ…」


 マーレは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 決して、リーチヒルトやエミカーシュの前で、気にしているなどと口にしたことはない。しかし、リーチヒルトは、まるで心を読むように、マーレの心の引っ掛かりを見抜いていた。

 助けを求めて、マーレはエミカーシュを見る。

 しかし、エミカーシュは、このときばかりはマーレの味方ではなかった。


「ボクもその方がいいと思う」

「エミ! アンタ―――」

「ほらほら、マーレ! 今ですわ!」

「ッ……ッッ……くぅ…!」

 

 マーレは目をぎゅっと閉じ、両拳をぐっと握りしめて、覚悟を決めた。頭を深々と下げる。


「け、怪我をさせて、すみませんでした!」

「全力を出して欲しいと言ったのは私です。この怪我は私の力不足が原因でしょう。許す、許さないもありませんが―――しかし、私を気遣い、声をかけて下さったことを嬉しく思います。ありがとう、マーレさん」


 ヴィクター先生の返事を受けて、マーレは顔を上げる。

 顔を赤くして、そっぽを向くと、彼女は踵を返した。


「…――――ふんッ! もう帰る!」


 彼女のやってきた道すがらには、偽リーチヒルトに魅了され行く手を阻んだ生徒達が倒れていたが、皆大きな怪我はなく、麻痺によって痺れて倒れていた。

 マーレならば、わざわざ麻痺の魔法など使わずとも、より強力な魔法で突破できたはずだ。しかし、彼女はそうしなかった。


「貴女は、ちゃんと謝れるし、怪我をさせない方法も出来る方でしたのね。それなら絶対、災厄なんかじゃありません。私の誇れるお友達ですわ」


 背中にかけられたリーチヒルトの言葉に、マーレは一瞬足を止めた。

 しかし、振り返る事はなく、彼女は不機嫌そうに歩み去っていった。


「これでまた、滅びが一つ遠のいたようじゃな」

「学院長先生…」

「さて、それでは倒れた生徒の治療に行かねば。アトナフ婦人」

「は~い、ここに」


 いつの間にか、霊薬の権威であるアトナフ婦人も、エントランスにやってきていた。


「麻痺した生徒達の治療をお願いできますかな」

「はい~、お任せ下さい~」

「ヴィクターはベッドに戻るんじゃ」

「しかし学院長、念のため、災厄の影響の調査を―――」

「そろそろ魔法の効果が切れるぞ」

「は――――…? うっ、がはぁ…!?」


 突如、ヴィクター先生は塞がったはずの傷口から血を吹き出し、エントランスに倒れた。


「誤魔化しただけと言ったじゃろ…」

「え、ってことは、まさか、ボクも…―――――いったあぁぁあッ!」


 エミカーシュが真実に気づいた瞬間、足の痛みが戻ってきて、彼もまたエントランスの絨毯の上に突っ伏す。


「エミさん!?」

「アトナフ婦人、怪我人を2名追加じゃ」

「あら~」

「エミさん! しっかりしてくださいませ! 傷は浅いですわ!」


 いつしか、傾いた日が赤みを帯びていた。

 開け放たれた学院本館扉から差し込む輝きは、このエントランスに集う、滅びに抗う者達の前途を優しく照らす。

 剣となった”黄金の災厄”は、エントランスの突き立ち、鈍くその光を照り返すのみであった。

 


 

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