第34話

 暫く夕星とあれやこれや話していた岡崎に、先程までほとんど黙っていた少年が近付いてきた。岡崎が視線を向けると、少年は立ち止まって夕星の話を遮ってこんなことを問うた。

「ここから帰りたい?」

「藪から棒になんです?」

「いいから。ここから帰りたいか聞いてる」

「そりゃあ帰りたいというか、帰らないといけませんけど……ねえ、先輩方」

「そうね、わたくし達はここに移住するために来たのではないから。見学が終われば帰りますわよ」

「ああ。もっとも、あの悪路をもう一度運転するのは骨が折れるけどな」

「そう。なら、残酷な要求をされても耐えられる?」

「え? 残酷な要求ってなんです?」

「ものによるわね、でも帰るのに必要なら耐えるわ」

「ここは特殊な村だ、ここに来た人は可哀想だと思う。今からやる方法は一時しのぎでしかないことを納得してくれる?」

「帰れるなら俺達はまあ、構わねえけど」

「なら、少しそこで待って。……夕星、ちょっとこっち来い」

 明星は夕星の手を引き、岡崎達から少し離れた所へと離れる。そして彼は一言二言夕星に何かを話してから、黒い手帖のようなものを彼女へと渡した。

 夕星は何度も明星に対して何かを言おうとしているが、その度に明星に止められ何も話せず口を噤むしかできない。口を噤んだ彼女は、渡された手帳を大事そうにポケットの中へとしまって、少しだけ俯いた。

 そんな夕星をよそに、明星はまた岡崎達の方へと足を進めて彼らが歩いてきた方向を指さす。そちらへ目を移せば、古びた校舎のようなものが見えた。

「帰る前に学校、見ていけば。外の人達はそういうの、興味あるんでしょ」

「え、いいんですか? なら是非!」

「こっち。……夕星、お前も来い」

「う、うん……」

「夕星さん? 貴女先程から元気がないようだけれど、どうかしたのかしら?」

「あ、いえ、そういう訳じゃ……」

「あらそう、ならいいのだけれど」

 西園寺の言葉に力無く笑って、夕星はまた俯く。足を動かしてはいるが、少しずつしか地面を進んでいないその様子は、なにか思い詰めているような主おもしさを感じる。

 明星が何を言ったのかは分からない。だが、何か彼女が抱え込むようなことを言ったのは間違いないだろう。

 岡崎は夕星の方をちらちらと見ながら、先を歩く明星の背を追った。

 そのまま歩くこと数分。岡崎達は学校らしき建物の中を歩いていた。どうやら子供の数が少ないようで、小学校から中学校までが同じ建物の中にあるらしい。

 古びた校舎の中に詰め込まれた学年の違う教室を眺めながら、五人は上へ上へと上っていく。上った先は屋上で、明星が器用に鍵を開けて岡崎達を通した。

 通されるがまま屋上に辿り着くと、まず目に飛び込んできたのは異様な光景だった。周囲より高いだけ、遠くを見渡せるそこから見えたのは山の中にそぐわない船着場だった。

 だが、その船着場はどうにも不自然だった。まるで美術の時間に作るコラージュのように、そこだけ切り貼りしたように周囲と馴染んでいない。ぽっかりと、まるで穴でも空いたような不自然さがそこには寝そべっていた。

「村から帰るなら、あそこから出る定期船に乗るしかない。行きはよいよい帰りは怖い、なんて言うだろ。この村に来る時は運転出来た道も、帰りは運転が難しいから。あれに乗った方が安全」

「なるほどね、あれ、無理矢理作ったみたいだけどホントに大丈夫なわけ?」

「……多分、大丈夫」

「多分って不安だな、確証はねえのか」

「俺はこの村から外に出たことがない。それは夕星も同じだ、だから絶対とは言えない」

「そりゃ悪かったな」

「いや、別に。……誰でもいいんだけど、少し手を貸してくれないか」

「手、ですの? 構いませんけど」

「私もいいですよ!」

「ならこっち、こっちに来て手を貸して」

 明星はそう言いながら、フェンスの側まで歩き背を向ける。そしてフェンスに体を預けながら、岡崎と西園寺へと腕を伸ばす。

 不審に思いながらも二人が明星に手を伸ばした時だった。ぐっとその手が捕まれ、引っ張られた。

 突然のことに何も出来ずにいれば、がしゃ、という音と共にフェンスが外れて明星の体が宙へと投げ出される。投げ出された彼の体は、重力に従って落ちてゆく。

 岡崎と西園寺の両名もそれに引きずられかけたが、彼女達が屋上から落ちる前に明星の手は離れ、そのまま明星一人だけが地面へと叩きつけられた。猟銃を一発打ったような乾いた音が響き、しん、と静寂が降りる。

 岡崎と西園寺が慌てて下を見れば、ぐったりとした明星の体があった。肢体は投げ出されたような格好をしており、ゆっくりと血液が滲み出ている。

 このままでは明星が死んでしまう。西園寺がスマートフォンを使おうとするも、電波はなく県外の文字が突きつけられる。スマートフォンをしまってかけだそうとする西園寺を、夕星が止めて横に首を振った。

「お姉さん達は、今回のことに関わらなくていいです」

「何をおっしゃいますの! わたくしと綾が突き落としたようなものですわよ!?」

「いいんです! 今から村の人を呼んでいたら、定期船が出ちゃうから、だから知らないフリしてここを出ていって!」

「で、でも明星くんはどうなるんですか! 私、放っておけませんよう!」

「それは私が突き落としたって言うから、お願い! 何も知らないフリをしてここを出ていって! じゃなきゃ、明星がこうなった意味が無くなっちゃう!」

「……分かった」

「ニコシマ先輩!?」

「ここまで言うなら、俺達は関わらない方がいいんだろ。現実問題、俺らが関わったとなれば社会的にも面倒くさいことになる。それなら言葉に甘えてここから出た方がいい」

「それはそうですけど……」

「ブタ箱に入りたかねえだろ。とにかく帰るぞ、車を取りに行く」

 島部はそう言って屋上から姿を消した。岡崎はどうするか迷った様子を見せたが、夕星の覚悟が決まった顔を見て仕方なしに島部の後を追う。

 残されたのは西園寺と夕星の二人になった。西園寺は岡崎がいなくなってから、夕星のポケットの方を指さして口を開いた。

「先程明星くんからなにか受けとってらしたわね。見せていただけるかしら」

「今は、見せられません」

「そう。今はということは、いずれは見せていただけるということね?」

「はい」

「ならいいわ、その時に見せていただくことにしましょう」

 髪を払い、夕星と共に屋上を後にする西園寺。車を準備した島部が途中まで車を走らせており、それに乗り込んだ西園寺達は夕星の案内を聞いて船着場へと向かった。

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