第四章 永劫の箔

第十話 絶望の箱 前編

 地の底より、再びイスカンダルの大灯明が燃え上がる。天上羅針ヘヴンコンパスは崩壊し、その破片も大灯明に飲まれて消えていく。長きに渡って最果てへの夢を拒み続けた修道会の妄執は、永遠の世界という幻想と共に消えたのだ。

 世界を包んでいた闇を上書きするように元の景色が再錬成され、ボクとベルは半ば崩落したオケアノス基地の露台ベランダで星の光を浴びて闇夜に立つ。ベルの髪は黄金に染まり、身体から立ち昇る燈でゆっくりと揺れていた。

「フン。何だか分からんが、この世界に戻った途端にすこぶる気分が良いわ。神であった頃の力を取り戻したかの如しよ」

「あながち気の所為じゃないかもしれませんよ。何たって、ボクらは世界を創ったんですから」

 ベルが黄金の髪を手に入れた理由は、ボクだけが知っている。バビロニアの祖霊が束ねた願いは、今や彼が受け取ったのだ。

 神としての光輝を手に入れたベルの美しさに半ば見惚れていると、近くの瓦礫が弾けて腕が突き出してくる。

「ぷはーっ!」っと瓦礫を掻き分けて出てきたのは、下の階にいたであろうハルフィだった。「アルカちゃん! ベル様も無事だったんすね!」

 ハルフィに続き、周囲の瓦礫からアサシン教団の戦士達が次々と身体を起こす。その中には、手を血に染めたシナンの姿もあった。彼女はボク達に気が付くと、軽やかな動きで傍までやって来る。

「これは……。そなた達がやり遂げたのじゃな」

 アサシン教団が掲げていた目標は、これで頓挫してしまった。山の老人アルジェバルが掲げた王国を取り戻すという目標も、最早叶わないだろう。

「シナンさん達はこれでよかったんですか……?」

「当然じゃ。儂等が選んだ結果じゃからな。……それに何より、儂は祖霊の望みを知った。大切なのは国の名を付けた大地を手に入れる事ではなく、血の大河を繋げていく事だったのじゃ。その流れの傍に、儂等の国は今も広がっておる」

 過去の世界でシナン達もまた、生きていく為に必要なものを取り戻す事ができたようだ。


「ば……。馬鹿なッ! こんな馬鹿なァァァァァッ!」

 絶叫と共に姿を現したのは、地下の部屋に隠れていたと思われるコジモ=メディチだった。その手には機関銃を持ち、真っ赤な顔で涎を撒き散らして奇声を上げている。戦慄いていた銃口は、ボクへと狙いを向けた。

「き、き、貴様等をブチ殺し、ワシはもう一度不老不死になってやるう! 祖人種アダムシア共もワシに従えい! この薄汚い魔女を血祭りに上げれば、ワシが貴様等に王国を与えてやるぞ!」

 周囲の祖人種アダムシア達の眼が一瞬嫌悪と苛立ちに染まったが、彼等が動くよりも早く、一筋の手刀が老人の心臓を貫いた。

「はびゃ……。何だこれは……? ふ、ふざけるな。ワシが負傷しておるではないか! ワシが死ぬなど、あってはならんのだぞ!」

 コジモは半ば発狂し、周囲へと喚き散らす。その叫びは誰にも聞き入れられず、抜かれた手刀が開けた穴から大量の血が噴き出して、彼を昏倒させる。倒れたコジモの後ろにいたのは、引き攣った笑みを浮かべるフランチェスカだった。

「バァーカ! 貴方が生きていては、小生がメディチ家を手に入れられないでありましょう!」

 フランチェスカはコジモの頸を踏み砕き、哀れな老怪に止めを刺した。

 彼女が飛び出してきたであろう背後の穴からはキザイアが到着し、周囲を見渡して状況を確認する。

「……終わったみたいだね。これでもう、二度とアクア初体が作られる事もないって訳だ」

「否、まだだ。最後にもう一人、この世界の所有者を決める為に戦わねばならん相手が残っている」

 ベルが言い終わるや否や、ボクの目の前にネブカドネザル……。もといエンキドウが姿を現す。

 コジモとは違い、彼に表情は無い。計画を潰された怒りも悲しみも、彼からは感じられなかった。

「……理解に苦しみます。求めていたものをすべて手放して、『これが世界のあるべき姿だ』と満足する気ですか? そもそも、あるべき姿とは何です? キミ達がやっている事は、只の妥協に過ぎませんよ。そうやって何かを手に入れた気になって、人間は何も得られずに死んでいくんです」

 そして彼は、その場にいる全員を一望する。

「一、二、三、四、五……。後は有象無象の集まりですか。まあ、片手間に解いてさしあげましょう」

 エンキドウは溶岩と錯覚する膨大な燈を練り、自身の周囲に放出する。

「“神秘の炉バーンマフワワの竜炎骸キュベレイ”」

 印を結ぶと同時に背後に浮かぶ炎の貌は、莫大な燈で以て遂に身体を持つ業火の巨人となる。それはエンキドウの身体を包み、あたかも彼自身が巨人と化したかのようだ。

「怯むな! 全員の“流転の杯アルカフ”で迎え撃て!」

 シナンの鋭い声に続き、三〇名近くの暗殺者達が一斉に印を結んで水流をぶつける。並の火事であれば瞬く間に鎮めてしまうであろう水量であるが、炎の巨人に触れた水は傍から蒸発し、術は一向に衰えを見せない。

「何という出鱈目な規模の術じゃ……。火口が出現したも同然じゃぞ」シナンは彼我の出力差を嘆きながらも、印を結んで黄金の円環を紡ぐ。

「“第五元素エウレカ腐怨弾フォンダン”!」

 湧き上がった至極色の粘液は砲弾程の大きさで勢いよく射出され、エネルギーさえも分解する『毒』の概念で炎を穿ちに掛かる。自分の術の中で腕を組み様子を見ていたエンキドウは、腕から漆黒の靄を広げて毒さえも飲み込んでしまう。

第五元素エウレカ:『毒』ですか。『闇』から破壊の側面を抜き出しただけに過ぎない欠陥品で、僕に向かってくるとは滑稽ですね」

 『闇』の第五元素エウレカは、『毒』の上位互換のようだ。あらゆる事象を破壊する力。自分の肉体を情報化し、物理的な干渉を無効にする能力。攻防両方において、最高峰といえる能力だ。更には、未来に干渉する力さえも持ち合わせている。

 エンキドウの計画を破りはしたが、錬金術戦では一度敗北を喫しているのだ。『闇』の本質を解明しない限り、ボク達に勝ち目は無い。

「何処のどいつかは知らないけど……。随分と甘く見てくれるもんだねぇ」

 キザイアは後ろ手に“ネズミ穴ブラウン・ジェンキン”の門を開き、エヴァ―ライフの職人達を集結させる。

「エヴァ―ライフにアサシン教団、ついでにメディチ家! あんたが踊らせようとした、現代の術師の力を思い知らせてあげるよ!」

「えっ、小生は関係な……」と言いかけたフランチェスカの胸を、いつの間にか隣に移動していたベルが鷲掴みにし、「ぎょぴい!」と悲鳴を上げさせる。

「う、うおー! やってやるでありますよー! もうどうにでもなれー!」

 鉄学者達も歓声を上げてオケアノスの夜闇を震わせ、暗殺者達もそれに呼応する。

「さあ、乃公に続け人間達よ。この世界の夜明けへと、乃公が導いてやろう!」

 ベルが皆を鼓舞すると同時に敵へ向かって走り出し、周囲も続いて戦闘へと行動を移す。

「エヴァ―ライフの職人達は“流転の杯アルカフ”で援護射撃を行え! あの王には誤射なんて当たりっこないから、気にせずに撃ちまくるんだ!」

 キザイアの指示に従い、四方に散開した職人達が水流をエンキドウに向けて一斉に放つ。

 百筋以上の洗練された“流転の杯アルカフ”が集中して“神秘の炉バーンマフワワの竜炎骸キュベレイ”を叩き、巨大な水蒸気を上げて炎の壁に穴を開けた。

 そこにベルが突っ込み、拳でエンキドウを後方へと殴り飛ばす。

「よし! 敵の基本術はあたしらでどんどん相殺していくよ!」キザイアも印を結び、援護の列に加わっていく。

「フン、心地よい祭囃子よ。乃公も興が乗ってきよったわ!」ベルの背で、二房のおさげがどどんと鳴る。「さあ、リリス太鼓の錚々に乗り遅れるな! 天地が踊るぞ! 女神が飛び起きるぞ!」

 ベルは拳を振るい、踊るようにエンキドウと交える。二人の拳が重なる度に空気が弾け、波紋となって世界を鳴らす。その波紋は黄金の光を帯びて『嵐』の象形文字となり、竜巻を生んで立ち昇る。

「“神名刻む天命の星ディンギル”!」

 ベルの打撃はその一発一発が基本術へと派生し、風の刃や噴き上がる火炎となってエンキドウを襲う。その上四方八方から放たれる援護射撃にエンキドウは基本術での対応を諦め、『闇』の力を全身から噴き上げた。その頭上には王冠クラウンが咲き、王の力を開放した事を暗示する。

「四大元素の水かけ合戦で互角に渡り合えたつもりですか。つくづくおめでたい事ですね」

 エンキドウの黒衣と一体化した闇が周囲を薙ぐと、基本術の弾幕はいとも容易く掻き消されていく。術の練度や量を問題にしない絶対的な上下関係が、基本術と『闇』との間に存在しているのだ。

「これじゃ燈の無駄遣いだね……。やっぱり応用術しかないか」

 キザイアが呟いた刹那、戦列から離れていたアサシン教団の面々が夜闇の中から姿を現す。彼等は円の形で陣形を組み、その中心にエンキドウを捉えていた。

「暗殺術の練度ならば、七六〇年の歴史を持つ儂等に任せよ!」

 印を結んだ暗殺者達の放った燈が集合し、半透明の死神となってエンキドウを包む。それは『闇』による破壊の影響を受けず、巨大な鎌を振り上げた。

「質量もエネルギーも破壊し、情報さえ飲み込むブラックホール闇の力であっても、人間の意思であるイスカンダルの燈を破壊する事はできぬ。願いとは、人間が神に捧げるもの。即ち人間が保有するものの中で唯一、神の世界へ到達する事が許されたものだからじゃ」

 シナンの開眼した至極色の第五元素エウレカが砕け、星の輝きに酷似した眩い黄金に輝く。彼女だけではない。その場にいるアサシン教団員全ての瞳に、その第五元素エウレカは宿っていた。

 第五元素エウレカとは、世界を観測する自分自身の概念化だ。世界の見方を変えるならば、その色彩は新たなものへと変化する。彼女等を蝕み続けた『毒』は消え、如何なる薬でも与えられない希望に満ちた。

第五元素エウレカ:『神』。儂等はもう、待つ必要は無い。儂等の祖霊が信じ続けた神の写し身は、今この地に顕現した! 儂等はその道を照らす星の光となり、闇を切り開こうぞ!」

 死神の振り下ろした鎌が、エンキドウを包む闇を彼の身体から切り離す。術師の制御下を離れた『闇』は閉じ、小さくなって消えてしまった。

「ぐっ……! この程度で僕を無力化できたとでも……!」

 エンキドウは跳躍し、シナン達の作り出した円陣の外に出ようとする。そこにベルが躍り掛かり、高速で回転しながら脚をぶつけてエンキドウを円陣の中へと押し戻した。

「バビロニアの王は帰還した。最早貴様の座る玉座は此処には無いぞ」ベルは黄金の光輝を纏い、両の手を広げる。「乃公こそがバビロニアの真の王、ギルガメシュだ! 王として、貴様に裁きを下してやろう!」

 ベルがを口にした途端、エンキドウの表情が変貌する。目を見開いて表情を凍り付かせる様は、彼の内に秘められた闇が体中の穴という穴から噴き出そうとしているかのようだ。

「キミが……。キミがその名を騙るな……!」エンキドウの声は、怒りとも絶望とも知れない震えを帯びる。「何故キミが王である必要があるんです! そうやって人間達の願いを背負い続ける事で、キミ自身の願いが失われるのがどうして分からない!」

 エンキドウが吐き出したのは、怨嗟の言葉ではなく。只一人の親友の行く末を案じてのものだった。この場にいる人間達に、その意味は理解できないだろう。エンキドウの記録は、他でもない彼自身が消してしまった。この世にもう、エンキドウの名を知っている者はボクしかいないのだ。

「戯言を。乃公は人間である事を願い、人間達を作ったのだ。孤独な神である事など、三千年前より望んでおらんわ!」

 だからベルにその思いは届かない。彼の振るった斧が、エンキドウの胸を裂いて絶命させる。こと切れた肉体が地面に崩れ落ちると同時に、星空へ七つの闇が広がる。

「“召喚術ネクロ最古の七つ首ムシュマッヘ”」

 闇の中から現れたのは、七体のエンキドウ達だった。彼等は各々が王冠クラウン王笏セプターを備え、『闇』の衣を身に纏っている。

「これは僕が計画を始動した四六〇〇年前からずっと、この世界の裏で暗躍し続けてきたです。……もうこれ以上のは必要ないでしょう」

 ベルもエンキドウも、もう互いの事を殺すべき相手としか認識できなくなっている。ベルは王として臣民を守る為に。エンキドウは、ベルを王にしない為に。

 エンキドウ、どうしてお前はベルが王である事を拒む? どうしてベルを人間達や、自分自身とさえ切り離そうとした? ベルは孤独であるべきだと、本当にそう思っているのか。

 ボクはその答えの解を、導き出さなくてはならない。それがおそらく、ボクの前世の胸に渦巻く果てしない闇の正体であるように感じたのだ。

 目を瞑ったボクの真っ白な頭の中に、ギルガメシュが立っている。

『エンキドウの事を、救ってやってくれ』

 ボクはお前との約束を、叶えてあげたいんだ。ボクの親友を取り戻してくれた、もう一人の王の為に。

 ギルガメシュの立つ先に、青く輝く波が見える。ボクは答えを探すように。波打ち際へと歩いていく。

 これはボクとベルが望んだ未来の形。世界の最果てエルシオンではなく、その場所へと続くオケアノスの波を見よう。全てが手に入った結末よりも、何かを手に入れていく道のりを愛そう。

 そんな世界の形をエンキドウにも見せてやれる、もう一つの選択肢は無いだろうか。

 『普遍0』を『奇跡1』に。現実と幻想をひっくり返すような、神の介入を疑うような都合のいい未来へ。

「……波の色なら、青がいい」

 覗き込んだ水面には、青く染まったボクの双眸が映っていた。

 ボクは静かに開眼する。黄金のような輝きに満ちていた世界はその色彩を変え、奇跡を捉える為の青い光を放つ。

 視線を合わせたエンキドウは、ボクの目の変化に気付いた。

「キミ……。その目は……!」

第五元素エウレカ:『波』。――エンキドウ、ボクがお前を見つけてあげます!」

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