第十話 絶望の箱 後編

「僕を……。見つけるだって……?」エンキドウは言葉に嫌悪感を滲ませる。「言ったでしょう。今此処にいる僕達こそが、僕という存在の残り全てです。キミが見つけ出せるものなんて、もう何も残ってはいませんよ」

「そんな事はありません。冥界でも人間の世界でも、まだボクが見つけ出せていないお前がいる。……に横たわる、死にゆくお前でありボクの姿です」

 ギルガメシュは言っていた。エンキドウの魂は、冥界に帰ってはいないと。そして今この場所にも、死にゆくエンキドウの姿は何処にもない。彼の能力があくまで『過去から未来に干渉する力』なのだとしたら、起点となる過去のエンキドウが存在しなくては辻褄が合わない。

「病床のお前はまだ、死ねてはいないのでしょう。お前はたった一人の親友を為に、眠る事さえできずにいる」

「救う……? 僕が誰を救うですって……? 分かったような口を利くな! キミなんて、僕の器の一つでしかないくせに!」

「……器。そういう事ですか」

 もしエンキドウが死んでいないのだとしたら、ボクになる筈がない。ボクは目の前にいる七人のエンキドウ達と同じように、彼の能力によって生まれた分身の一人なのだ。

 だから、病床にいる彼とボクは繋がっている。もし、そうであるならば……。

 ボクは一瞬脳裏を過ぎった悪い仮説を振り払い、再びエンキドウと瞳を重ねる。

「待っててください。ボクが必ず、お前を救ってみせますから」

「僕を救う……? ふざけるな。ふざけるなよっ……! キミはそこまで弱いんですか、!」

 エンキドウ達は絶叫し、散開してボクに襲い掛かってくる。傍へやってきたベルはボクの前に立つと、背を向けたまま口を開く。

「お前という奴は……。忠実な臣下と呼ぶには我儘過ぎるぞ」

「ふふん。ボクがこんな欲張りちゃんになっちゃったのは、お前の所為なんですからね。……それに、もうお前の臣下じゃありません」

 怪訝な顔で振り向くベルに、ボクは得意げな笑みを浮かべる。

「ボクはお前の、唯一無二の親友ですから!」

 ベルは一瞬きょとんとしたが、ボクと同じように目を細めて笑った。

「乃公さえも手に入れんと欲するか。だがまあ、欲深いのは猫の性よ。獅子である乃公は受け止めてやらねばな」

 ベルは斧を引き抜くと、横顔で満面の笑みを浮かべる。「さあ、行くぞ我が友よ。共に望んだ波を見に行くのだろう!」

「はい!」

 ボクはベルの背に跳び乗ると、彼と共に星が照らす夜空へと飛び出していく。

「何という愉快な夜だ! 未だかつてこれ程心の躍った事は無いぞ!」

 ベルは呵呵大笑しながら、王笏セプター切り掛かってくるエンキドウ達を空中で打ち返した。

「アルカ達を援護するよ! 少しでも負担を減らすんだ!」

 キザイア達が基本術の弾幕を張り、エンキドウの群勢を分断してくれる。アサシン教団の操る死神も鎌で攻撃を仕掛け、数体のエンキドウをまとめて相手取ってくれた。

 ボクとベルは分断されたエンキドウの一人に狙いを定め、互いの王笏セプターで火蓋を切る。

「どんな第五元素エウレカを開眼したのか知りませんが、闇の力に敵いはしませんよ」

 エンキドウは水を身体に纏い、高速機動でベルの懐へと潜り込む。回転させた斧を回転鋸チェーンソーのように使い、防御を合わせたベルの刃を撥ね飛ばす。

 対するベルは剛力に任せた斬撃でエンキドウの武器を砕こうとするが、回転する刃はベルの攻撃を絡め取って器用に受け流してしまう。そうやって敵の体勢を崩した隙に、回転させた刃でベルの強靭な脇腹を切り裂き、反撃を避ける為にそのまま脇へと距離を取る。

 エンキドウの動きはかなり消極的だ。訝しんでいる内に背後からもう一体の個体が襲い、周囲を警戒していたボクのアゾット剣と火花を散らした。

 通常のアゾット剣程度では王笏セプターを弾き返す事など到底できないが、ボクのアゾット剣は刃同士が接触する瞬間に柄を作動させて刃を巨大化させる。肉厚の刃が盾となり、砕かれながらも辛うじて奇襲を受け切った。

「“アルキメデスの螺旋ウンディーネ”!」

 既に身に纏っていた水を放射させ、背後を突いてきたエンキドウを押し流そうと試みる。敵は『闇』を展開して水を飲み込んでいくが、視界の外から飛来した鎌型の燈が『闇』を切り離して無効化した。

「しまっ――」乱入者は怒涛の水に飲まれ、眼下へと落ちていく。

 危機を脱した所で背中ががくんと動いて後方へ引っ張られたかと思うと、ベルが目の前の敵と刃を咲かせる激しい打ち合いへと吸い込まれていく。分厚い刃同士が致命的な角度で衝突し合い、刃が振動で深い金属音を鳴らす。

 息をつく間も無い剣戟の中に、ベルは捨て身の間合いで胴体の部分を顎へと変形させ、歯で刃を食い止めて印を結ぶ。

「“神秘の炉バーンマ太陽より下す神風ルガルバンダ”!」

 十三陣の業火がエンキドウを取り囲み、一斉に襲い掛かる。

「血迷いましたか。あの厄介な第五元素エウレカから離れれば、基本術如き恐れるに足りませんよ」

 身体を覆う『闇』が炎を飲み込もうと展開を始めるが、再び死神の刃が闇を刈り取った。

「馬鹿な……。何故こんな所にまで……!」

 眼下には、キザイアの空間跳躍に連れられた暗殺者達が円の陣形を組んでいた。

 エンキドウは歯をきっと結ぶと、その場から一瞬にして掻き消え炎から逃れる。彼はかなり離れた上空へと姿を現し、職人と暗殺者のマークを外れた他の六人と合流した。

「空間跳躍まで使えるのかい……。これじゃ幾ら意表を衝いてもきりがないね」

 キザイアも、流石に焦りと苛立ちの混じった声を漏らす。これだけの人数差があって敵の一人も仕留められない状況が続けば、無理もないだろう。既にこの場の全員がかなりの燈を消耗し、戦闘の継続が難しくなり始めている。

 一方でエンキドウ達は微塵の消耗も見せず、涼しい顔で此方を見下ろしている。

「哀れですね。人間など、所詮今を生きる事しかできない存在。僕の積み上げてきた四六〇〇年を前に、敵う道理など無いのですよ」エンキドウ達はそう言って、全身から天を衝かんばかりの燈を立ち昇らせる。「心を摘む為に教えてあげますが、僕達は四六〇〇年をかけて溜め込んできた燈をこの現在へと収束させる事ができます。これから一〇〇〇年戦おうが、燈が尽きる事はありません」

 僕達は七人のエンキドウと戦っているのではない。これまでの歴史で消費し続けられてきた、計り知れない程膨大な数のエンキドウ達。その生涯を相手にしているのだ。

 それは最早、狂気の産物だ。四六〇〇年もの間、唯一無二の友を失った孤独な世界で生きていく。それも無数の自分の死を積み上げながら。そんな人生を前に、ボクは自分の生きる意味を見失わずにいられるだろうか。正直、自信は無い。

 永遠を生きるという事は、自分にとって大事なものがどんどん零れ落ちていく箱の中に閉じ込められるようなものなのではないかと今では思う。バビロニアの民の価値観が、血脈という大河の一部として自分の生を全うする事を喜びとするのであれば、その血脈から外れる事はどれ程孤独な事なのだろう。

 エンキドウがベルに求めるものも、自分自身に課したものも、共に孤独だ。無二の親友であった筈の二人を、どうして互いの孤独で隔てようとする? 

 もしかしたらエンキドウが否定したいのは、『二人が無二の親友であった』という事実そのものなのではないか。

 己の存在を歴史から抹消し、ギルガメシュの記憶さえも二つに別って、自分の事を知らないもう一人のギルガメシュベルを作り出した。……エンキドウとベルが出会う事で、一体何が起こる?

 その答えを、ボクはもう得ている。エンキドウの友は、暴君から王になったのだ。人間の為に原初の火ビッグ・バーンを盗み出す程、人間を愛する善き王に。

 そしてエンキドウは神からの罰を引き受け、ギルガメシュは永遠に友を失った。それがきっと、エンキドウの避けようとする悲劇だとボクは思う。

「そうか……。お前は、ボクと同じだったんですね」考えてみれば、当然の事だ。ボクはエンキドウの分身なのだから。

 ボク達は二人共、自分の命が惜しかった訳ではない。ただ、孤独に襲われる親友を置いて行きたくなかっただけ。お前は不幸にも、親友の不幸な結末を知る事ができてしまったから。

 以前星空の下で、ベルはボクに尋ねた。死は恐ろしいかと。死んでしまうぐらいなら、生まれてこない方が良かったのかと。

 あの時ボクはその問いに、偽りの答えを返してしまったけれど。今なら本当の答えを告げられる。

「どんなに不幸な結末が待っていたって、その始まりを否定する必要は無いんですよ。死の先に待っているのは、完全な無なんかじゃなかった。むしろ生を受けない事こそが、ボクの恐れた無の本質なんです。命が始まった時点で、人間は既に最大の恐怖から解放されていた」

 この答えはあの時ボクが偽ってしまったベルの為と、エンキドウの為にある。エンキドウを動かしていたのは、自責だったのだ。自分が出会ってしまった事でギルガメシュという王を生み出し、彼の人生を不幸へと歪めてしまったのだと。

「お前が愛したギルガメシュは、お前が出会ったからこそ生まれてくる事ができたんですよ。それを否定する事は、あいつへの愛情なんかじゃない。ただあいつを、絶望の底へと沈めるだけの行為です!」

 残酷な答えだと思う。ボクは今、たった数年のエンキドウとギルガメシュの絆を肯定する為に、エンキドウの孤独な四六〇〇年を否定しこの世の万物は、

「キミは……。本当の絶望なんて見た事がないから、そんな綺麗事が言えるんです! どんな事をしてでも、あんな結末だけはあってはならなかった!」

「お前こそ、絶望の先にある希望から目を逸らしたんでしょう。お前は自分の親友を信じるべきだった。あいつはお前の死から立ち直って、立派な王としての人生を全うしたんです。そうやって今でも、冥界でお前を待ってるんですよ。王として生きたギルガメシュは、決して不幸なんかじゃなかった!」

 エンキドウは、絶望に狂うギルガメシュの姿を見た。そして、そこで彼の未来を見る事を止めたのだ。死という絶望に怯え、それを乗り越えた先にある希望を捨てて、死そのものを否定する事しか見えなくなったボクのように。

「エンキドウ、お前には世界の果てに何があるのか、確かめに行く覚悟はありますか?」ボクは左眼に第五元素エウレカを起動し、世界に満ちる『波』を見る。髪は星の光を宿して黄金へと染まり、右眼に黄金の輝きが宿る。「ここからは、互いの信じる未来へと辿り着く為の戦いです!」

 ボクが印を結んで黄金の円環を紡ぐと、周囲に波が巻き起こってエンキドウ達を包んでいく。

「なっ……。こんなもの!」

 エンキドウは『闇』を全身から放出して波を掻き消そうとするが、波濤は幻の如く彼の身体を通り抜けていくばかりである。

 そして波が去った時には、七人いたエンキドウ達はたった一人を残して消滅していた。

「そんな……。馬鹿な! 一体どんな能力を……!」

「お前と同じですよ。ボクとお前は、元から一つの存在だったんです。保有する第五元素エウレカもまた、根本の部分は繋がっている。お前の未来へと干渉する力は、を利用したものでしょう」

 未来とは何か。それは即ち、まだ誰にも観測されていない状態である。『証明完了クオト・エラト・デモン』。古いマケドニアの諺では、あらゆる事象は悪魔の観測を以てその存在を立証されるとされている。この世の万物は、何者かによる観測を受けて初めて存在する事ができるのだ。

 では万物の観測を可能にする悪魔とは何か。それは、重力だ。エンキドウは言っていた。重力は万物に作用し、世界の記憶アカシック・レコードを構築している。万物に作用しているという事は、万物を観測しているという事。そして現在の観測結果の積み重ねが、世界の記憶アカシック・レコードという過去を作り出す。

 巨大な重力の塊であるブラックホール、即ち『闇』の本質とは、万物を観測する巨大な悪魔であったのだ。

「ブラックホールによる観測を受ける事で、あらゆる未来は現在として顕現する。その力でお前は、自分自身の未来の可能性を自分の分身として召喚し、操ってきた。ですがボクの第五元素エウレカ:『波』は、あらゆる『普遍0』と『奇跡1』を一つに結ぶ。つまりは数多に分かたれた並行未来を、一つの現在へと収束させる事ができる」

 これが、ボクとベルの二人で手にした世界の見方。未来という各々の結果を追い求めるのではなく、現在だけを見詰めて生きる新たな世界の観測者となる。

「もう此処にあるのは現在だけですよ。現在は、未来へと辿り着く為に消費するものなんかじゃない。今を大切に生きる事で、本当に満足のできる未来が手に入るんです!」

 目の前に立つエンキドウは、もう如何なる未来の分身体でもない。あらゆる時空間から切り離された病床で死を待っていた、本物のエンキドウ。止まっていた時間が、再び現在での観測を受けて動き始めたのだ。

 ボクはベルの背を下り、彼と共に並び立つ。そして、力強く印を結んだ。

「エンキドウ! お前を葬送して、ギルガメシュの所にまで送り帰します!」

「やってみろ……。その前に、こんな現在如き粉々に踏みつぶしてやる!」

 エンキドウは印を結ぶと、背後に直径四十キュビット約二十メートルはあろう巨大な鏡を錬成する。

「“召喚術ネクロニトクリスの鏡アンシャバ”!」

 鏡面からはおびただしい数の召喚獣エイドロンが湧き出し、地上を蹂躙し始めた。『闇』の力の一部を封じたとはいっても、無尽蔵の燈や王としての力が無くなった訳ではない。事実、死に瀕している筈の彼は分身体と同等の姿で動いている。

「ぐ……。何て数だい全く。エヴァーライフの職人はあの化け物共を迎え撃つよ! アルカとベルの道を作るんだ!」

「アサシン教団の戦士達も行くぞ! 祖霊の大河を絶たせてはならぬ!」

 二人の女傑の鼓舞に応じ、術師達は己の燈を振り絞る。

 吠声が最後の火蓋を切る中で、ボクとベルはエンキドウに向かって走り出した。

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