第八話 星の贖罪 後編

「もしキミが僕の世界を受け入れるのであれば、永遠の命を与える事を約束しましょう。勿論、キミだけではありません。キミにとって家族同然であるギルドの仲間達だって、永遠に一緒です。僕はあらゆる人間を差別しません。人間は遍く救う。この計画は、を贖罪する為のものなのですから」

 なんて甘美な誘い文句なのだろう。エヴァーライフを出発する前のボクであれば、二つ返事で受け入れていたに違いない。今だって、不老不死を渇望する思いで喉の奥から声が出かかっている。

「……ベルはどうなるんですか。お前の計画には、人間しか含まれていないでしょう」

 それでも喉を衝いて出たのは、ベルを案じる言葉だった。

「……言ったでしょう。彼は人類を作り、死を背負わせた張本人です。人間を永遠の存在にする為の世界に、そんなものは必要ありません」

「そうですか。じゃあお前をぶっ殺すのは、今が最後のチャンスって事ですね」ボクは印を結び、背後から渦巻く風で編まれた騎士を召喚する。

「“哲学の卵フラスコデデキント切断シルフ”!」

 目に見えない斬撃が、目を見開くネブカドネザルの左手を切り飛ばす。

「うぐあああッ! この期に及んで無駄な足掻きを……。こんな真似をして、永遠の命が惜しくはないのですか!」

「お前にもう理想の世界は創れないでしょう。印も結べないそんな腕じゃね」

 片腕を失い、ネブカドネザルはもう印を結べない。それはつまり、もう錬金術が使えないという事だ。

「なめるなアアア!」彼は絶叫し、体術のみでボクを仕留めに掛かる。アサシン教団の指導者という経歴は伊達ではなく、鋭い手刀が尋常ならざる速さでボクの首を切り裂かんと疾駆した。

「“流転の杯フラスコアルキメデスの螺旋ウンディーネ”!」

 激流に身を任せ、宙を駆ける龍の如き機動で手刀を回避する。その動きの中で身体の傾きに伴って振り上げた足を蹴りに変えて、ネブカドネザルの頬を捉えて薙ぎ倒した。

 身体を支える片手の無いネブカドネザルは顔面から足場に突っ込み、整った鼻が無様に折れて血が噴き出す。

「こんな馬鹿な……! 小娘風情に僕が格闘で後れを取るなんて……!」

「只の小娘じゃありませんよ。お前が相手にしているのは、キングスランド一の美少女鉄学者ですから」

 ネブカドネザルは歯をぎりっと噛み締めると、「調子に乗るなァ!」と絶叫する。頭上でベルを縛り付けていた黄金の円環の一部を解いて四代属性の術に替え、眼下のボクへと放った。

 台風と豪雨、灼熱の岩石弾が蒸気を噴き上げながら襲い来る様は正に天変地異であり、最早基地そのものを消し飛ばさんとする勢いである。だがそれにも怯まず、ボクは冷静に印を結ぶ。

「天と地を隔つはデデキント切断。最小の無限アレフ・ゼロを根源とし、アルキメデスの螺旋が世界を回す。遍く理よ、今我等が拝むハノイの塔に集いて、再び天と地を結び留めよ!」

 髪と瞳を黄金に染め、自分の燈を限界まで燃やして四大精霊を同時に召喚する。風・火・水の元素を放射して敵の攻撃と相殺し、“ハノイの塔ノーム”が残った瓦礫を受け止めつつ突進した。

「こんな事をしてどうするつもりですか……! この計画を阻止した所で、キミの願いは叶わない。不死を手にする好機をみすみす棒に振るだけなのですよ!」

「お前の語る理想の世界になんて、微塵も魅力を感じませんが。だってそこにベルはいないんでしょう? ボクの王に刃を向けた奴は、たとえ世界の神だろうと拝みはしませんよ」

 祈りに代わって印を結ぶ。“ハノイの塔ノーム”が自身の腕を身体よりも大きなサイズにまで変形させ、神をも畏れぬ巨腕でネブカドネザルを叩き潰した。

 同時にベルを捕らえていた黄金の円環が消滅し、彼の身体が解けて元に戻っていく。

「よかった……。ボク一人でも戦えた……!」

 ベルを救う為に、ボクは死の恐怖に打ち勝つ事ができたのだ。


「残念ですね。できれば円満に、僕の世界で永遠を享受して欲しかったのですが」

 安堵に震えていたボクの身体を、聞き覚えのある声が一瞬で硬直させる。背後を振り返ると、そこには一糸解れぬ黒装束に身を包んだネブカドネザルが立っていた。

「そんな……。お前は確かに殺した筈じゃ……!」

「ええ、死にましたよ。ですからまた。四六〇〇年前の病床からね」

「四六〇〇年前……? 何を言って――」

「まだ分かりませんか? 僕は過去の世界から未来である現在に追い付いてきたのですよ。キミは『闇』の何たるかを上っ面でしか理解していません。闇の力で『未来に追い付く』術式アルス:“独立変数ラプラス”がある限り、訪れるのはたった一つの未来だけです」

 ネブカドネザルがそう告げた刹那、一陣の風がボクの四肢を切り落とす。訳も分からぬまま地面に叩き付けられたボクは、上手く呼吸もできずに自分の血が流れていくのを感じていた。

「大丈夫です。死んでも、この世が二次元世界になれば生き返れますから」

 微笑みと共にネブカドネザルがボクに止めを刺そうとしたその時、一筋の炎球がその背中を叩く。

「乃公の臣下に……。何をしている……!」ベルだ。彼は怒髪を天に突かせ、印を結ぶ。

「“神秘の炉バーンマ太陽より下す神風ルガルバンダ”!」

 突き出した手の先に刻まれるは、四つの翼を持つ十字星の紋章。そこから一三の炎が放射され、渦を巻いて前方を喰らい尽くしていく。

 相対するエンキドウもまた印を結び、船を模った四角形を内包する光陣を刻ぶ。

「“流転の杯アルカフ全地清める大蒼星アトラハシス”」

 ネブカドネザルの頭上に巨大なヒビが入り、砕け散って大量の水がなだれ込む。オケアノス基地全体を圧し潰さんばかりの洪水が、天を焦がさんと立ち昇る炎とぶつかり、爆発と形容するに相応しい水蒸気を巻き起こした。

 ベルは水蒸気の中へと跳躍し、黄金の斬撃を纏う斧を振るって斬り込んでいく。水蒸気が両断されると同時に開けた景色の向こうから覗いたのは、ベルの王笏セプターと全く同じ形をした紫の斧を手に、闇の斬撃で競り合うネブカドネザルである。

 互いに弾き合った二人は印を結び、それぞれが光輝と暗黒を身に纏う。

「“哲学の卵フラスコ天駆ける簒奪の翼イムドウグド”!」

 ベルは詠唱と同時に風に乗り、再び敵へと接近していく。ネブカドネザルも空中で自身の身体を静止させ、印を結び終えた手を前方に翳す。

「“流転の杯アルカフ大地裂く生贄の鱗ギシュシエシュ”」

 印から湧き出した水はエンキドウの身体に纏われ、激流が肉体の限界を超えた駆動を可能にさせる。あれは、ボクの“アルキメデスの螺旋ウンディーネ”と同じ使い方だ。その力でネブカドネザルは倍近い体格差のあるベルと正面から互角に斬り結び、互いに急所を狙い合った鬼気迫る打ち合いを十数合にも渡って繰り広げる。

「どうしてあんな小娘を守ろうとするんです? 人間なんて、取るに足りない存在ではありませんか」

「たわけが。人間以上に守るべき宝があるものか。乃公は人間の為に、この世界を創ったのだ!」

 鋭い刃が訴える。ベルがこの世界で手に入れた、人間の王としての在り方を。

「ふうん……? 随分とこの世界に入れ込むようになったじゃないですか。キミはそうやって、またであろうとするんですね」それまで温和な表情を崩さなかったネブカドネザルの顔に力が籠り、歯がきっと食い縛られてベルの刃を押し弾く。「それで誰が幸せになるんです? キミは何も学んでなんていませんよ。ずっとあの時のまま。愚かで不幸な王のままです」

「……これ以上の問答は不要だ。貴様は乃公の家臣ではない」

 互いに振り翳す刃が退け合い、火花となって散っていく。ベルとネブカドネザルは距離を取りながら、印を結んで燈を練り上げた。先に印を結び終えたのは、風の印を組んだベルの方だ。

「“哲学の卵フラスコ悪風渦巻く大神殿ムシュフシュ”!」

 七陣の風が大気を這い裂き、ネブカドネザルの腕を切り飛ばして印の構築を阻止させる。ネブカドネザルは半端に組み上がった“神秘の炉バーンマ”を放つも、人間一人を丸焼きにする程度の炎球をベルは容易に躱して追加の印を結ぶ。敵は未来に追い付く力で自身を上書きして腕を再生させるが、それでもベルが印を結び終えるには充分な猶予だった。

 今度は土の印。練り上げられた燈も、一線級の術師数人がかりでさえ比肩し得ない量だ。

「これで終わりだ。――“永劫の箔ダアルス神界突く禁忌の塔バベルアンキ”!」

 周囲の地形が鳴動し、無数の手となってネブカドネザルへと掴み掛かる。彼はようやく治った手で咄嗟に風の印を結び、四方全域に不可視の刃を放つが、強力な燈で固められた岩石を砕く事は敵わなかった。

「一帯の大地全てを貴様の棺に変える封印術だ。指一本さえ動かす事を許さぬ大地の抱擁と共に、今度こそ眠れ。……バビロニアの王よ」

 ネブカドネザルは一瞬目を細めると、数多の手に飲み込まれていく。それは螺旋を描いて天高く結ばれ、地面へと沈み始めた。

 だが戦いの終わりを感じさせる間もなく、炸裂した塔から黄金の火柱が横一文字に伸び、その内側からネブカドネザルが姿を現す。その手に、“神界隔つ星炎の盾メラム”を纏う斧を回転させて。

「印すら結ばせない封印術……。流石はキミです。ですが、一足遅かったみたいですね」ネブカドネザルの頭上には、黄金の円環が咲き誇っていた。「原初の火ビッグ・バーンの大断片は完成し、ボクを新たな王として認めました。最早印を結ぶ必要はありません」

 言葉を失うベルの前で、ネブカドネザルは刃を回して闇の円環を作る。その内側から、至極色の流星が一瞬でベルの右腕を消し飛ばした。

「この“人界穿つ暗黒の剣カディギラ”は神の世界と人間の世界の隔たりを切り裂き、神界を満たす闇を現世へと流出させる。この力で三次元世界は消滅し、二次元世界が到来するのです」

 ネブカドネザルはその矛先を、目の前の敵ではなく世界へと向ける。

「キミへの墓標にこの流星を捧げましょう。――“神と人を別つ獣星レグルス”」

 七つの“人界穿つ暗黒の剣カディギラ”が流星群となり、視界を至極色に染める。世界の終わりと形容するに余りある光景へとベルは背を向け、ボクの瞳を見詰めて微笑んだ。

「……アルカ、お前は生きろ。その命が永遠のものとなろうとも、乃公はアルカを愛している」

 瞬間、ベルとの短い思い出がボクの脳裏を駆け巡る。互いの信念で擦れ違い、争った事。互いに本音を秘めながらも、興味の無かったこの世界を通じて向かい合った事。星空の下で、彼が心の内を明かしてくれた事。ボクはまだ、ベルに本当の自分を見せていない事。

 その全てが遠く翳み、ベルの姿が消えていく。

「待って、ベル。ボクを置いて行かないで……!」

 そして、世界が暗黒に染まった。

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