第八話 星の贖罪 前編

「お前の術式アルス、正体は概念的なブラックホールでしょう。」

 ブラックホール。それは天上に存在する仮想の暗黒空間。莫大な重力を核に、あらゆる物質や光さえも吸い込み、粉砕して真の闇を生み出すとされている。

「あらゆる物質を飲み込み、無に帰すと考えられてきたブラックホールですが……。現代錬金術においては、三大保存法則から逸脱する事はないとされています。それが、『質量保存の法則』『エネルギー保存の法則』『情報保存の法則』です」

 まず初めに、この世の万物は質量・エネルギー・情報の三つで構成されている。

 情報が物質の設計図であり、それに形を持つ質量と形を持たないエネルギーが組み合わさって、事象を構築するのだ。

 三大保存法則とは、世界全体を見た時、質量・エネルギー・情報の移り変わりこそあれど、その総量が変化する事は決してないとする法則だ。つまり、世界は完全に閉じた水槽のようなものであり、内部の水は循環しているだけで量が変わる事は起こりえない。

 これが、三大保存法則。錬金術でも干渉し得ない、この世界の絶対法則である。

 ブラックホールに飲み込まれた事象を構成していた質量・エネルギーは一見消滅しているように見えても、実は形を変えただけで、まだ世界の内側に存在するのだ。

 そして情報に関しては、ブラックホールに飲み込まれた後も、そのままの状態で保存される事が分かっている。つまりブラックホールとは質量・エネルギーと、情報を乖離させる装置であり、同時に巨大な情報保存媒体でもあるという訳だ。

「お前は自分自身と召喚獣エイドロンをブラックホールの力で情報のみの状態にし、あらゆる物体をすり抜けていたんです。まさしく、立体映像ホログラムのように!」

 ボクの指摘に、ネブカドネザルは微笑む。

「その通りですよ。ですが、どうやって情報体の召喚獣エイドロンに攻撃を当てたのです?」

「ベルの持つ『人間を作り出す術式アルス』を借りて、今そこに存在しているお前達の情報をベースに、立体映像ホログラム化した肉体を物体へと錬成し直させてもらいました。言わば、お前達に死の概念を付与したという事です」

「そうか、キミは星に愛された少女でしたね。僕とした事が、すっかり失念していましたよ」ネブカドネザルは愉快そうに笑い、一瞬目を閉じた。

 開いた瞳は漆黒に染まり、ボクへと向けられる。

「僕の第五元素エウレカ・『闇』がこんなに早く解明されてしまうとはね」

 彼の腕からは黒い靄が噴き出し、透明な水に墨汁を垂らしたようなゆっくりとした動きで滞留している。

「この力は僕が見出し、教団の母体となる伝説として利用してきた力です。不死の身体を持ち、如何なる城にも容易く侵入し、黙示録の獣テリオンですら身一つで討ち取る山の老人アルジェバル。その伝説に王国を失ったバビロニアの民は奮起し、戦いを続けてきました」

「アサシン教団の創設者って……。お前、一体何者なんですか」

「バビロニアのネブカドネザルといえば、正体は一つしかありませんよ。僕はギルガメシュの後継者であるバビロニアの古い王、ネブカドネザルその人です。三一四〇年前からずっと、僕はの王としてバビロニアを導いてきたのです」

 ネブカドネザルの発言に、ベルが眉根を顰める。

「フン、またその手の法螺話か。乃公が不老不死を求めるなどと、笑わせるわ」

「おや、侮辱に聞こえましたか? ただの戯れ言ですよ。それよりも、そろそろ決着を付けようではありませんか」

 ネブカドネザルの左腕を覆う闇は手へと収束し、闇を纏う一本の斧となる。その形状は、ギルガメシュの後継者としての意匠か、ベルの王笏セプターに酷似している。

「“第五元素エウレカ地獄暗殺手ザッハトルテ”」

 その詠唱を合図に、向かい合う二人は走り出した。ベルは斧を回転させ、“神界隔つ星炎の盾メラム”を振るってネブカドネザルの斬撃と打ち合う。接触した光と闇は反発し、互いに弾き返された。

「興味深いですね。星と闇の力は表裏一体……。故に相殺し合うという訳ですか」

「人間の王が乃公に並んだ気になるか……。その思い上がり、万死に値するぞ!」

 ベルは全身の筋肉を駆動させ、ただ的に刃を打ち込む事だけを考えた捨て身の動きで斧を振るう。その激しさは最早極小の竜巻と形容するに値し、ネブカドネザルの細身を圧倒的な膂力差で押し込んでいく。

 ベルは遠心力を利用した絶え間ない斬撃の嵐に蹴り足を絡め、ネブカドネザルのあばらを蹴り砕いて後方の崩れた壁へと叩き付けた。蹴られた後の服には黄金の燈で印が刻まれており、ベルが二本の指を立てると同時に光を放って起動する。

 ネブカドネザルの上半身は火柱に包まれ、強制的に顕現させられた肉体を焼かれて絶叫が響き渡る。彼は痙攣しながら何とか印を結ぶと、水飛沫を錬成して炎を消し止めた。

 並の術師が相手であればショック死してもおかしくない程の火傷だが、ネブカドネザルは印を結んでその傷を再生させていく。

 黒衣を焼かれて露わになった彼の上半身には、『獣』と『闇』の生名エメギルが刻まれていた。

「参りましたね。流石は神に完全な肉体を与えられた王です。僕のひ弱な肉体では敵いそうにない」

 ネブカドネザルはまだ再生の済んでいない指先を身体にあてがうと、自分の血で身体に象形文字を記していく。身体の側面から顔にまで及ぶ血の化粧が完成すると、彼の肉体が不意にぼこんと盛り上がった。爆発的に増えた筋肉がみるみるうちに鎧の如き肉体を形成し、遂にはベルと互角の豊体へと変身を完了させる。

「お待たせしましたね。さ、第二回戦といきましょうか」

 ネブカドネザルは獣のように四つ脚の姿勢を取ると、瓦礫を蹴って荒々しく突進していく。重心の低い奇怪な姿勢に動揺したベルの足元を左手の斧が襲い、体勢が崩れた所に四つ脚の機動力を活かして肉薄すると、肩から闇の靄を放出してベルの左足を豪快に削り取った。

 ベルは王冠クラウンを起動させて失った脚を再生させようとするが、その一瞬の隙を逃さずネブカドネザルは斧で切り掛かる。

「呆気無かったですね、王よ!」

 だがベルは右腕を伸ばして遠くの壁跡を掴むと、一気に縮めて身体全体を移動させる。敵の攻撃は空を切り、その間にベルは脚を完治させて仕切り直した。

「人外の肉体同士、楽しめそうではないか!」

 ベルは肉体を更に変形させ、八つの眼と四本の腕を持つ異相の戦士へと姿を変える。両の肩には獅子と悪魔角蛙が咆哮し、四本の腕はそれぞれが王笏セプターを持って、回転させ星炎の輪を作った。

「この姿を見せるのも数千年ぶりよ。巨人共を打ち倒した乃公の武勇を見せてやるとしよう!」

 地を砕き進むベルに、ネブカドネザルは四足の構えで迎え打つ。ネブカドネザルが咆哮すると、その身体を闇の靄で出来た体毛がざわざわと包んでいく。

 獣に似た姿となったネブカドネザルが再びベルの足元を崩さんと突進を仕掛けると、ベルは右の脚を大きく上げた。その指が虚空へと突っ込まれて斧を引き出し、足元へ繰り出される刃へと打ち下ろす。

 全体重を乗せた一撃はネブカドネザルの体勢を大きく崩し、頭上から振るわれる四つの円刃が容赦無くその頭部を切り飛ばした。

「足元が留守だと油断したか? 生憎だが、乃公の身体に無駄な部分など肉の一片も存在せぬわ」

 ベルは一瞬勝ち誇るが、彼に備わった八つの眼の一つが、切り飛ばされた敵の首の異変に気付く。それは眼光を失わず、首筋から広げた闇を身体の代わりにして頭上のボクへと狙いを定めたのだ。

 更に残された首の無い胴体はベルへと組み付き、その動きを封じんとする。

 眼前に迫るエンキドウと目が合って、時間の流れが遅く感じる程濃密な恐怖の中で、ベルが咆哮するのが聞こえた。

 そして、気が付けばボクは空中に放り出されていた。自分の頭が地面の方向を向いているのに気付き、ボクは反射的に印を結ぶ。錬り出した大量の水をクッションに、ボクは階下へと放り出された。

 顔を上げれば四〇キュビット二〇メートルはあろうかという縮尺にまで巨大化したベルが、天を裂かんばかりに吼える。地上の光に照らされた姿は神々しくもあり、同時に黙示録的な恐ろしさを感じさせた。

「時は来ました! 悪魔の王が、我等の世界に帰還したのです!」その光景を見て、蛙の腕に捕らえられたネブカドネザルの頭部は狂気的な叫びを上げる。すると、海から射し込んだ光が次々にベルを捉えた。

 オケアノス海に布陣していたのは、神殿騎士団が保有する軍艦だ。船団がいつの間にか周囲に集まり、積み込まれた照明機材でベルを照らしている。その甲板に見えたのは、投影放送の報道陣であった。次いでオケアノスの上空に、老人の姿が立体映像ホログラムとなって大きく投影される。

『聖地オケアノス、そして世界中で祈りを捧げる敬虔な神の仔羊達よ! 我々は今、ローゼンクロイツ様の生誕祭を前にして、最大の試練に直面しています!』

 ハルフィが言っていた、法国全土にまで流される投影放送。それが今、異形の姿となったベルの姿を画面上に映し出す。

『悪魔の王:ギルガメシュが、偉大な聖者の祝福を汚すべく現世に降臨したのです! 我々はこの試練を乗り越えるべく、心を一つにせねばなりません! 今こそ、誠の祈りを捧げるのです。然もあれかし!エイメン!

 聖女の呼び掛けに応え、街中から『然もあれかし!エイメン!』の声がこだまする。寝静まったと思っていた街は、ずっと待機していたのだ。この投影放送を発動させる為に。

 だが、こんな事をして何になるというのだろうか。ボク達を世界の敵へと仕立て上げ、軍隊でも送らせる気か?

 その答えは、直ぐに分かった。人々が祈りを捧げているであろう街中の家屋から次々と燈が立ち上り、天上羅針ヘヴンコンパスに向けて集い始めたのだ。

 そしてネブカドネザルは、すっかり再生した身体でベルの腕から抜け出てきた。よく見ればベルの足元には六芒星を内包する黄金の円環が展開されており、その内に囚われるベルは完全に正気を失っている。

 ボクを庇い、ネブカドネザルに捕まったのだ。

「遂にアクア初体は起動する。全てキミ達のお陰ですよ。約束の王と、星に愛された少女よ」

「お前達は一体、何をやろうとしてるんですか……!」

 ボクの問いに、ネブカドネザルはくっくっと笑って振り向く。

「決まっているでしょう。神がすべきは人類の救済ですよ。特別に、キミには教えてあげましょう。全ての人類を死から解放する、『星の贖罪』計画の全てを」

 星の贖罪計画。アサシン教団が自分達の王国を取り戻す為の計画であると、シナンは言っていた。

「人類の救済……? お前達の目的は、バビロニアの再建じゃなかったんですか」

「そんなものは建前に過ぎませんよ。バビロニアの民に約束した王国の再建も、メディチ家に約束した永遠の命も、本当の目的の前には単なる付属物です。僕の目的は、全ての人類を不朽の『二次元世界』へと連れて行く事なのですよ」

 ネブカドネザルはゆっくりと身体の大きさを元に戻していく。どうやら、ボクと話をする気らしい。

「失礼ですが、『二次元』と『三次元』の概念はご存知ですか?」

「二次元が平面で、三次元が立体でしたか。……それがどうしたんです」二次元が一枚の紙。三次元が四角い箱。そんな風に聞いた憶えがある。

「まぁ、一般的な認識としてはそんなものでしょう。二次元世界は情報だけの世界。三次元世界とは、情報に物質とエネルギーが乗せられた事象によって構築される世界の事を指します。つまりは僕達が今いるこの世界が、三次元世界という訳です」

 成程。ベルの言っていた神の世界と人間の世界を、鉄学的に置き換えたものか。

「だとしたらお前は神の住む、概念で出来た世界に人間達を連れて行こうとしてるって訳ですか」

「少し違います。そもそも、人間が神の世界へ行く事は不可能ですから。たとえ聖杯の力を使ったとしてもね」

 ネブカドネザルは、頭上で出来上がりつつある巨大な黄金の円環へと指を伸ばす。

「戦いが始まる前に、原初の火ビッグ・バーンについて話をしたでしょう。かつてイスカンダルが原初の火ビッグ・バーンの断片を使っても理想の世界を創る事ができなかったのは、彼が作り上げた断片が小さすぎたからです。原初の火ビッグ・バーンを召喚するには、大量の人間の意思を束ねる必要がある。ですから僕は人々の祈りを利用したのですよ。悪魔の王:ギルガメシュは人間にとって恐怖の象徴です。それをこの世に顕現させ、救世を祈らせる事で、僕は強大な断片を作り上げる事に成功しました。ですがこの大断片を以てしても、神の世界へは届き得ない。故に僕は天上の概念ではなく、大地の記憶を二次元世界の依り代として選んだのですよ」

「大地の記憶……? 何ですかそれは……」

「ふふ。バビロニアでは、死んだ人間の魂は地底へ潜っていくとされています。それは単なる迷信などではなく、大地に存在する過去の情報を指し示した占星術の知識なのです。大地には、万物を引き寄せる力がある。これを鉄学者は『重力』と呼んでいますが、この重力は物体やエネルギーだけでなく、情報にも作用するのです。人間が死ねば、その記憶や肉体の情報は全て情報として大地に引き寄せられる。そして大地の中で、巨大な一つの情報集積体となる。この情報集積体を、一部の鉄学者は『世界の記憶アカシック・レコード』と呼んでいます」

 ネブカドネザルの言葉に、ボクは理解した。彼の言うバビロニアの再建とは、過去のバビロニアを現代へと召喚する事なのだと。つまりは過去と現在を一つの情報集積体として混濁させ、全ての時間が同時に存在する永遠の世界を創り出す計画なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る