第6話 父子の対面
「僕のお父さん、ですか?」
父親かと確かめるパーシヴァルの言葉にヒューバートはうなずいて応えると、少年の視線がヒューバートの頭から靴までゆっくりと這う。
容貌や口調は幼くあるが、視線はやけに大人びていて、堂々と値踏みされる居心地の悪さにヒューバートはもそりと体を動かした。
再びパーシヴァルの視線が頭に戻り、そこで止まる。
誰も動かず、何も言わない。
緊張を孕む静寂に、ヒューバートが口内に溜まった唾を飲み下したとき、
「あはは、嘘みたいです。本当に僕と同じ黒髪なんですね」
初めて会った子どもの、想像もしていなかった反応にヒューバートは戸惑った。
「髪の色?」
「この街の人は茶色い髪ばかりなので、僕の髪は目立つんです。お母さんの金色も珍しいけれど、お店のお客さんに時々いますし」
ヒューバートはパーシヴァルが自分に向ける、正確には髪の毛に向けた好奇心旺盛な目に戸惑っていたが、その目が説明を求めていたら応えなければと感じた。
「ノーザン王国で黒髪は珍しいが、レイナード家には黒髪が多い。私の父と妹も黒髪だ。大昔に帝国から嫁いできた黒髪の令嬢の影響だと言われている」
父親の説明に「へえ」とパーシヴァルは自分の前髪を摘まみながら感心していたが、それ以外の感情は何も見えなかった。
ずっと会えなかった、状況から見て自分を恨んでいるに違いない子どもに会うことはヒューバートの人生で初めてのことだった、それでもパーシヴァルの反応は想定外過ぎた。
熱烈に歓迎するような反応ではないが、恨みや辛みの様な感情は見られない。
ヒューバートの存在を否定するようなことはなく、前向きに捉えているようでもある。
その戸惑いが顔に出ていたのだろう。
ヒューバートの視線を大人しく受け入れていたパーシヴァルが、口元を歪めつつも、仕草だけはコテッと首を傾げてみせた。
「『どうして今まで僕たちを放っておいたの!?』とか言った方が良かったですか?」
「正直言うと、そういう反応があると思っていた……だが」
「だが?」
「聞かれても俺は……君たちが納得できる答えは返せないと、思う」
返せる答えは言い訳でしかない。
言い訳など自己満足でしかなく、「今まで放っておいた」という事実の前では意味はない。
「それじゃあ叩きましょうか?」
「君が望むなら俺は構わないが……君の手の方が痛くなると思う」
「そうですよね、侯爵様は壁みたいですし」
(俺が壁みたいなら騎士たちはどうなるんだ?)
子どもならではの発言にヒューバートの思考が思わずずれたが、幸いパーシヴァルが軌道に戻した。
「僕のこと、お母さんのこと、探しましたか?」
「ああ、ずっと君たちを探していた」
ヒューバートの答えにパーシヴァルはしばらく考える素振りを見せた後、後ろを向いてアリシアを見た。
背を向けられたヒューバートにはパーシヴァルの表情が見えなかったが、アリシアの顔が強張ったのを見て察する。
「違う!アリシアが俺に報せたわけじゃない!」
「……本当ですか?」
自分に戻ってきたパーシヴァルの目には苛立ちが浮かんでいた。
「それではどうしてここが分かったんですか?ずっと分からなかったのに」
責めるような言葉はいままでの好奇心混じりの、どこか面白がるような声とは違う。
明らかにショックを受けている声にヒューバートはこぶしを握る。
「最近になって新しい情報が手に入ったから調べたんだ」
金髪に翠の瞳の二十代、『アリシア』という女性がいるという情報だけで、ヒューバートがこの街に来る理由としては十分だった。
仕事を調整している間に届いた追加の情報で、その『アリシア』は黒髪の幼い男児を育てているとあり、仕事を放りだすようにして王都を出てきた。
「アリ……お母さんからは何の連絡もなかった。俺は何も知らない、君の名前もさっき知ったばかりで、何でこの街にいるのか、どうやってここまで来たのか、君たちの……『シーヴァス』という姓が何なのかも俺は知らない」
ヒューバートは視線をアリシアの手に向け、ヒューバートの視線に気づいたアリシアは指輪ひとつ付けていない左手を右手で隠した。
「母子証明書のために姓が必要だったので、祖父の姓を借りました……ヴァル、一度家に帰って着替えていらっしゃい」
「……うん、分かった」
興奮した自覚があるのだろう。
母親の言葉に素直にうなずいたパーシヴァルは、ヒューバートに何も言わずに店を出て行った。
「一人で大丈夫なのか?」
「あの角を曲がれば目と鼻の先です。治安も良いエリアですし、今までも問題ありませんでしたから」
そう言いながらもアリシアは窓辺に立って、パーシヴァルが通りを渡って角を曲がるまでずっと見ていた。
***
「祖父の話でしたね」
アリシアの祖父、ルーク・シーヴァスはこの街で商会を営んでいて、この街の顔役の一人である。
アリシアの母は彼と最初の妻の間に生まれた娘だった。
「色は違いますが、私はおばあ様にそっくりだそうです。私が訊ねていったその日におじい様は私を孫と認めてくださいました」
アリシアの祖母は娘を産んで直ぐに亡くなり、ルークは今の妻を後妻に迎えた。
アリシアの母がなぜ王都にいたかはルークも分からなかったようだが、この街で暮らし始めて直ぐにアリシアの母が家出のようにこの街を出て行ったと聞いた。
理由についてアリシアは祖父に聞かなかった。
彼の妻である女性の自分を見る視線に、何となく母の家出の理由を悟ったからだ。
「子爵が王都に連れて行ったのか?」
「ここはコールドウェル子爵の領地ですし、母が子爵の好みの容姿をしていたとは聞いているので」
そこまで言って、アリシアは何かに気づいたような顔をした。
「元子爵領でしたね」
「……知っていたのか」
「領主様が領地を王家に返上すれば騒ぎになります。あれは侯爵様がやったのですか?」
「ああ」
子爵の唯一の子であるアリシアには領地を継承する権利があった。
それを奪ったことにヒューバートは罪悪感があったが、ヒューバートの仕業かと問うアリシアの口調は責めておらず、まるで天気を聞くようなさり気なさだった。
「私たち庶民にとっては領主が子爵でも陛下でも変わりませんもの」
領主といえば領民にとって雲の上の存在、場合によっては一生会うこともない存在である。
彼らにとっては領官の方がよほど身近で、今回は領官が変わらないので特に大きな問題としてとらえられていなかった。
「子爵には領主の資格はなかったので、こうなっても仕方がないことです」
アリシアにとって父親は領主とは言えなかった。
子爵邸にいるとき、アリシアは歴代の当主たちの手記を読みこんだ。みな政治手腕の優れ、特に先代と先々代の成したことは偉業の域だった。
偉大な祖先が領民のために蓄えた資産を父子爵は食い散らかし、領地のことで気にしたのは税収の増減だった。
「先代子爵は息子の領主としての素質の無さを理解しており、彼は領地を王家に返上しようと考えていらっしゃいました……その途中で病に倒れ、無理だったようですが」
「そうだったのか」
子爵の資産を奪い取ることがヒューバートの復讐で、そのため最初に目を付けたのが子爵の領地だった。
ノーザン王国において貴族の領地は貴族のものではなく、領主は支配者ではなくあくまでも領地の管理人だった。
つまり「無能な領主」と判断されれば領地は奪われ、その管理は他の貴族か王家から委任された領官が行うことになる。
子爵を貶めるべくヒューバートは奮闘したが、ことごとく失敗に終わった。
最初は優勢でことが進むのに、すぐに後手に回り、最後は失敗に終わる。
領の管理は領主代理に任せきりと聞いていたため、ヒューバートは領官の買収も試みたが、彼の部下である領官たちに阻まれて彼に会うことすらできなかった。
(領官代理はアリシアだったのか)
アリシアが姿を消すと同時に領官も姿を消したことから『もしかして』という推測がヒューバートの中にはあったが、領主の資格について語るアリシアの毅然とした態度に推測が当たっていたことを確信できた。
アリシアがなぜ父親に代わって領地を管理していたのかは分からない。
父親に命令されたのか、コールドウェル家のものとしても義務感か。
アリシアは、領地は守ったが子爵家を守る様なことはしていなかった。その証拠にヒューバートがターゲットを領地から子爵本人に代わると妨害は一切なくなり、ヒューバートとアリシアが結婚する頃には莫大な資産を全て食い潰して借金に首まで浸かっている状態だった。
(アリシアは子爵家の没落を望んでいたのか?)
子爵への復讐だと思いたかったが、どうしても捨てられない疑念がヒューバートにはあった。
子爵家が没落すればレイナード家とコールドウェル家が交わした婚姻の契約を無効になる。
つまりもう一日でも早く子爵家が没落していれば、アリシアはヒューバートと結婚する必要がなくなっていたのだった。
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