第7話 祝えない幸福

「パーシヴァルを産んで育てる選択をしてくれて……感謝している」


 ヒューバートの言葉にアリシアは首を横に振って応えた。

 これが謙虚ゆえの反応なのか。それとも「礼を言われる筋合いはない」という拒絶の反応なのか。


 子爵家で抑圧されて育ったアリシアは自己表現が得意ではないようで、こんなときでも薄い反応にヒューバートは困惑させられた。

 もっと感情を見せて欲しかったが、そう言う資格がヒューバートには無かった。


 元夫婦といっても結婚生活はたったの七日間。

 感情を見せあえる、遠慮も許可もなく触れあえる、アリシアとパーシヴァルのような家族となるには短すぎる時間だった。


 ***


 離縁による胸に空いた穴を埋める間もなく、ヒューバートは母親の強い勧めもあってヒューバートは爵位を継いだ。

 領主としての資格と言うならば、ヒューバートの父親である前侯爵も資格のない者だった。


 爵位を継いでから数か月たった頃、家令のボッシュがヒューバートに書斎の移動を提案した。

 侯爵としての体面もあるのだからと説得されて、父親が使っていた書斎の扉を開けて唖然とした。


「何だ、これは?」


 部屋が未決済の書類を詰めた木箱で埋まっていた。

 申し訳なさそうなボッシュの説明によると、最初は持ってきた書類をそのまま積んでいたが雪崩れるだけで、どうせ見ないのだからと思って木箱にどんどん放り込んでいったとのこと。時代が分かるだけで、請求書も嘆願書も全て一緒になっている状態にヒューバートは痛む頭を押さえ、


「全部燃やしてしまわないか?」

「だめです。ツケの未払いは後々の問題になります」


 領政に関する書類はほとんど領地にいるヒューバートの母の元に送られていたため急ぎ処理する必要は無い。ボッシュの手を借りながらヒューバートは一箱ずつ片づけていった。

 全体のほとんどを占めた恋文は全て焼却処分した。

 酒場や花宿からの請求書は請求金額に色を付け、謝罪の手紙を添えて返済した。


 箱が減り、一年前の箱に手をつけ始めた頃には書類を裁く速度もあがる。何しろほとんどは父親宛ての恋文や遊びに誘う手紙。焼却するものの方が圧倒的に多い。


 焼却、焼却、と言いながら箱の三分の一が終わった頃に見つかったのは見覚えのある文字。しかも宛名にはヒューバートの名前があり、


「……アリシア?」


 差出人の名前を無意識に呟き、脳が理解できるとヒューバートは急いで消印の日付を見る。

 十カ月ほど前の、見た覚えのない手紙が開封されていることにイヤな予感がした。


 予感は当たった。

 ヒューバートが震える手で取り出した便箋には、見慣れたアリシアの字で、【子どもができました。お気持ちをお聞かせください】と書いてあった。


「ボッシュ!」


 急いで連絡先とあった住所地の宿に人をやったがアリシアはおらず、何があったか分からないためヒューバートに代わって手紙を開けた人物を問いただすことに決めた。


 ***


「旦那様、雨の中をどちらへ?」

「父上に確認すべきことができた、領地に行く」


 降り出した雨が馬車の窓を濡らし始め、暗くなる空に嫌な予感がどんどん膨れていった。

 ヒューバートは馬と御者を代えながら領地に向かって進み続け、二日後には領地に着いた。


「どうしたんだ?」

 突然領地に来た、爵位の継承で忙しい息子の登場に母カトレアは驚いたが、そんな母親を無視してヒューバートは父親を捜した。

 そして見つけ出した父親の首を、彼が着けていたクラバットで締めあげて手紙について問いただした。


「好、好きにして構わないけれど侯爵家は一切関与しないって返事をした」


 怒りで目の前が真っ赤になったが、自分の背後で剣を抜く音がしたので制裁は母に任せることにした。父への制裁よりも優先すべきことがヒューバートにはあった。


 ***


「王都に戻る」


 ろくに休まずに領地を発とうとするヒューバートを止める声は多かったが、御者と護衛を交代させると領地を発った。

 帰り道も雨が馬車を濡らし、ヒューバートには流れる雨の雫がアリシアの涙のように見えた。


「旦那様!?」


 領地からとんぼ返りしてきた主人に家令は驚き、さらに命じられた内容にさらに驚いた。


「コールドウェル子爵の動きを探るのですか?」

「そうだ。あの男がアリシアを探していないか調べろ」


 アリシアの妊娠を子爵が知っているかを知る必要があった。


「アリシアを探していたら徹底的に邪魔しろ……絶対に俺より先に見つけさせるな」


 ***


「あの手紙を書いたのが貴方ではないことは分かっています。字が違いましたから……ですから、侯爵様の謝罪は必要ありません」


 感謝も謝罪も不要とアリシアの表情は言っていた。その態度にヒューバートはアリシアが良くも悪くも貴族令嬢なのだと認識する。

 感謝であっても謝罪であっても、庶民のアリシアは貴族のヒューバートから与えられたものを受け入れなければいけないと思っているのだ。


「分かった」


 結局、ヒューバートは礼をいう事も、謝る事もできなかった。


「一つだけ聞きたい……君は、幸せか?」


(過去に引きずられてしまっていたみたい)


 幸せかと訊ねるヒューバートに答える前にパーシヴァルが戻り、「ただいま」と笑う少年にアリシアの体から力が抜ける。

 満足のいく仕事と、子どもという大切な存在。これがアリシアの『いま』だ。


「ヴァル、こっちに来てくれる?」

「どうしたの?」


 首を傾げつつも近づいてくる息子を見るアリシアの目にヒューバートは息を飲む。

 愛しさ、幸せ、誇り、嬉しさ、様々な感情をたたえた瞳。かつてヒューバートは一度だけ、あれと似た彼女の瞳に自分を映したことがあった。


「大好きよ」


 母親の拡げた腕の中で愛の言葉を聞いたパーシヴァルは照れ臭そうに、嬉しそうに笑う。


「僕も大好きだよ」


 そう言って返すパーシヴァルの目には愛しさと信頼があった。ヒューバートの目の前にいるのは相思相愛の、幸せそうな母子だった。


「ご安心ください、私は幸せですわ」


 そう答えたアリシアはヒューバートの顔を見て、少しだけ困ったような顔をする。


「不幸な方が良かったですか?」


 アリシアの指摘にヒューバートは驚いたように目を見開き、自分の中の汚い思惑まで見透かすアリシアに恥ずかしくなった。


 ヒューバートはアリシアの不幸を願っていた。

 彼女が嫌いとか、ましてや憎いとかではない。完全なヒューバートの打算、卑怯な考え。

 アリシアが不幸ならば、アリシアに手を差し出す理由ができた。その手をアリシアが取って、三人で家族になる未来を勝手に描いていた。


「そうかもしれないな」


 反吐が出るような考え。あまりに恥ずかし過ぎてアリシアを直視できない。

 しかしそんな醜悪な考えは自分の本音だったから、ヒューバートは肯定の返事を返すしかなかった。

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