第4話 祝福のない結婚式

 窓の外を見ていたヒューバートはこの街の女性と思わしき女性が数人集まり、こちらを見て何かを話していることに気づいた。

 その下卑た視線はヒューバートにアリシアとの結婚式を思い出させた。


 ***


 資金援助で始まったアリシアとの関係は、七年の婚約期間で様相を大きく変えていた。

 ヒューバートが立ち上げた商会が巨万の富を築くほど大きなものになったからだ。


 アリシアが成人する一年前には子爵家からの援助は要らなくなっていたが、二人の婚約はレイナード家とコールドウェル家が取り交わした契約。神殿で交わした正式な契約は重く、貴族の婚約は「どちらかが死亡、もしくは双方の当主たちが賛同しない限り絶対に結婚しなければならない」と決められていた。

 それに従う形で、二人はアリシアが十八歳になってすぐに結婚した。


 **▲


「ご成婚おめでとうございます。この輝かしい祝宴の席でぜひ娘を紹介させていただきたい」


 一足先に聖堂に入ったヒューバートは多くの貴族に囲まれた。彼らは祝辞を述べつつ、連れてきた娘をヒューバートの次の妻候補として思わせぶりに紹介した。

 これから新郎であるヒューバートが新婦と誓いを述べる祭壇の前であるというのに。


「やあ、これから結婚する新郎がなに怖い顔をしているのさ」


 そんな露骨で品のない行為に辟易するヒューバートを救ったのは、学院時代に出会った友のステファンだった。


「その花婿が結婚の誓いを述べる前に再婚をすすめるってどういう神経だ?」

「彼らは君が渋々結婚すると思っているんだよ。ああ、あの子?すごい面の皮だね。学院で君のことを『ハズレ』と笑っていた子の一人じゃない」


 頼む必要もなく自ら花婿付添人に立候補したステファンの皮肉めいた言葉にヒューバートは冷たく笑った。

 ヒューバートの知る限り、ヒューバートをハズレ扱いしない令嬢はアリシアただ一人だった。


「こんな茶番劇は直ぐに終わらせる、時間のムダだ」

「それ、花嫁さんに聞かれたら即刻離縁だよ?」


 呆れたステファンの言葉をヒューバートが鼻で笑い飛ばすとパイプオルガンが音を立てた。新婦の入場を報せる音に、祝う者の方が遥かに少ない教会の中に嘲笑が満ちる。


「金で花婿を買わなきゃいけない醜女しこめの登場よ」

「やだあ」


 聞えよがしな女の声に歩いていた新婦の体がびくりと揺れ、少し歩調が乱れると嘲笑が大きくなる。悪意の醜さが形となってヒューバートには見えた。社交界にデビューしていないアリシアは大勢の視線に晒されて緊張していた。視線が好意的なものでないからなおさらである。


(祝福する気がないなら参列しなくていいのに)


 このような式なら多少のことは融通が利くとヒューバートは判断し、神官が驚くのをしり目にさっさと祭壇から降りると、周囲のざわめきを無視して独りで耐えていたアリシアに向かって手を差し出した。

 目に見えてアリシアの体から力が抜け、小さな手がヒューバートの手の上に乗った。神官も周囲の雰囲気に嫌な思いをしていたようで、花嫁を連れて祭壇に戻ったヒューバートに微笑みかけると、周囲のざわめきを無視して式を始めた。



「それでは誓いの口付けを」


 ヒューバートはアリシアと向かい合い、その顔を隠していたヴェールに手を掛けてそっと持ち上げた瞬間、その場は水を打ったように静かになった。


(顔も知らずに醜女などと言うからだ)


 アリシアを醜女と嘲笑った参列客の方を見れば、視線の合った女性たちは羞恥に顔を赤く染めて俯いた。見当違いな悪口ほど恥ずかしいものはない。

 政略的な婚約という出会いだったけれど、ヒューバートは初めて会ったときからアリシアをキレイな女の子だと思っていた。


 コホンッ


 誓いの口付けをせずにいる新郎に痺れをきらした神官の咳払いにヒューバートはハッとして顔を戻し、改めてアリシアと向き合った。

 アリシアは目をパチクリとさせていて、「こういう顔も可愛いな」とヒューバートが思っていると花が咲く様にふわりと微笑んだ。


 そこにはヒューバートの記憶の中にあった少女、ヒューバートを見てはにかむ様に微笑んで、可愛らしい小さな唇を一生懸命動かして話をしていた『アリシア』はいなかった。

 美しい金色の髪も、暖かみのある穏やかな翠の瞳もそのままだったが、


(―――コノ美シイ女性ヒトハ誰ダ?)


 ***


 結婚式の後は夫婦になった二人をお披露目するための宴に移る。ヒューバートとアリシアは腕を組んで入場したものの、このときの彼はアリシアから受けた衝撃を処理しきれていなかった。

 その結果、ヒューバートのアリシアへの態度はぎこちないものになり、それは周囲が拒絶と誤解するには十分なものだった。


 このぎこちなさが、アリシアを生贄にしてしまった。


 この場にいた者の多くはヒューバートの赦しを求めていた。彼らは過去に散々ヒューバートを「ハズレ」とか「金で買われた男」とか嘲笑し続けたからだ。

 そんな、言い返すことはできないだろうと思って貶しめ続けた男が、わずか数年で社交界に影響力をもつ商会を作った。

 すでに何人かヒューバートを敵に回し、社交界でハズレ扱いされている家門はいくつか出ていたため、彼らは焦っていた。許してもらうために差し出せるものがないからなおさら。


 だから彼らはアリシアを生贄にした。

 金にものを言わせて婚約して結婚までこぎつけたアリシアをヒューバートは恨んでいると思ったから。


 ***


 ヒューバートが商会関係者に囲まれたのを機に、ヒューバートから離れたアリシアを、祝福の仮面をかぶりながら取り囲んだ。


 社交界に慣れていないアリシアに彼らの吐き出す毒を処理することはできなかった。特に、若い花嫁に投げかける卑猥な言葉を往なすことができず、顔色を悪くして俯くことしかできなかった。

 金で結婚したことや、ヒューバートの妻として至らぬところがあるなど、彼らが言っていること全てが間違いではなかったことも、アリシアが黙って耐えた理由である。


「ヒューバート君、花嫁さんの顔色が真っ青だ。あとは僕に任せるといいよ、きっちりとシメておくからね」


 そんなアリシアを救ったのは新郎の隣にいた、友と紹介された男性だった。


 ***


(あいつが友だちになったキッカケはアリシアだったな)


 陽光で輝くアリシアの金色の髪を見ながら、同じく金色の髪をしたステファンをヒューバートは思い出す。

 立候補ではあったが、結婚式で花婿付添人を務めてくれた彼と友だちになったキッカケは寮の部屋が隣同士だったことだった。



 ステファンは初対面のときからなれなれしい男だった。

 彼の他人との距離感はヒューバートの三分の一以下で、初めはその距離が近さに戸惑ったものだったが、一緒に過ごすうちに印象は変わり、やりとりにも慣れていった。

 そうして最初の季節が終わる頃には友だちに、一年後には親友になっていたのだから人の縁は分からないとヒューバートは思っている。


(円滑な人間関係の構築方法、か)


 ステファンと友だちになってからの時間はヒューバートにとって子ども時代のやり直しのようなものだった。

 良いことも悪いことも彼と共に学び、経験していった。


 ***


 アリシアの手を引いて退場するまでは良かったが、彼女のために用意した部屋まで向かって廊下を歩く間に緊張がぶり返していた。

 部屋の前で控えていた家政婦長のマリサにアリシアを預け、自分は隣の部屋に向かう。元々使用人がいない生活をしていたため、ヒューバートは使用人全てを下がらせて一人で身支度を整え、隣の部屋に通じる内扉の前に立つときには、緊張は最高潮だった。


 貴族男性として閨での作法は成人する少し前に学んでいたし、アリシアには口が裂けても言えないが先輩商人に誘われて花街に行ったこともあった。

 しかし、相手が自分の花嫁と思えば気分も勝手も全く異なるのだと気づき、必要以上に深呼吸を繰り返したヒューバートが心臓をバクバクさせながら扉を叩くと、「はい」とアリシアの小さな声が応えた。


 扉を開けると、そこにいたアリシアは所在なさ気で、ヒューバートの庇護欲をそそる姿だった。

 年上と、男としてのプライドだけで平然を装い、右左右左と内心で唱えながらアリシアに近づく。体温を感じられそうなほど近づくと、アリシアの体の華奢さが際立って、


「触れても?」


 首をタテに振って許してくれたアリシアの頬に手で触れれば、風呂上がりのはずの彼女の頬は冷たかった。

 触れた手から伝わる微かな震えに、ヒューバートは生け贄の子羊を連想させられ、怯えるアリシアに優しくしたいと思った。


 自分の腕の中で安心して笑っていて欲しいと思った。



「幸せか?」


 いま考えても、なぜそんなことを訊いたか理由は分からないが、このときはアリシアの返事を聞かなければ先に進むことができなかった。幸いにして、


「はい、私はあなたの花嫁になれて幸せです」


 空気に溶けて消えてしまいそうなほど小さな声だけど、アリシアは幸せだと言った。その声はヒューバートの想像よりも力強く、その笑顔と合わさってヒューバートの脳は焦げそうなほど熱くなった。


「アリシア……」


 熱くなった脳から沸き上がる衝動を抑えてヒューバートはその日初めてアリシアを名前で呼び、これから彼女が「コールドウェル子爵令嬢」ではなく、「レイナード侯爵令息夫人」とか「アリシア夫人」とか自分の妻だと分かる名で呼ばれることが嬉しかった。


「口付け……」


 口づけの許可を取ろうとしたが、これからすること全てに許可を取るのも変だと思ってやめた。

 頬に触れていた手を顎に滑らせ、小さな顎に指を絡めて顔をあげさせ、朝露に濡れた花びらのように初々しい唇に唇を重ねた。


 誓いの口づけは頬にしたから、これが二人の初めての口づけだった。



 そこからは無我夢中だった。


 戸惑い混じりの小さな甘い声も、自分の肩に刺さる爪の痛みも、ヒューバートの記憶には断片的にしか残っていない。

 ヒューバートにはアリシアしか目には入らなかったし、アリシアの潤んだ瞳にもヒューバートしか映っていなかった。

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