第4話 異変

戻ってきたシンを待っていたのは思いもかけない訃報だった。

レイはあの後

「疲れた・・・」

と一言つぶやくとシンと唇を重ねてシンの大脳の中に帰っていった。いま、シンの隣には代わって召喚されたサクラの自我パーソナルが入った素体が立っている。サクラは口数の少なく、表情が乏しい自我パーソナルだ。専門も歴史学と地味な分野だ。だが、シンはそんなサクラが必ずしも嫌いではなかった。サクラはどんな絶望的な状況でも決して恐怖を表すことがない。専門外のインシデントとの消耗戦になり、腕や足がちぎれ飛んでも、苦痛を表すことはない。痛くないわけはない。激痛が走っているはずだ。それでもサクラは表情一つ変えず、淡々とできることをやる。サクラのキャラをひとことでいうと健気、というのがふさわしいだろう。シンは一度、痛くないのか、とサクラに訊いたことがある。サクラの答えはこうだった。

「痛くないことはない。だがそれが私の使命」

サクラはある意味、自分の立場をもっともよく把握している自我パーソナルだ、ともいえる。生成系AIをベースに作られた対インシデント兵器。それが自我パーソナルの本質だからだ。時にアイスをねだってくる人間臭いレイや、可憐な少女の趣があるフレイアと接しているとついつい失念してしまうが、自我パーソナルは人間ではない。とてもそれらしく振舞っているアプリケーションにすぎない。

シンが足を踏み入れると、いつも”教授”が面々を目の前に演説を行っているホールがざわつく人々でいっぱいになっている。

ちょうど、リモートで記録された戦闘ログが再生されているところだった。

『くそ、どうなっている、幻覚ハルシネーションがひどい。スーザン、どうした、しっかりしろ』

すでに映像ログは切れており切れ切れに記録された音声ログだけが流れている。声の主はロビンだった。シンもよく知っているメンバーだ。シンには遠く及ばないにしても平均からはかなり上の技量の持ち主だったし、ロビンの自我パーソナルたちも百戦錬磨のつわものぞろいのはずだ。

『だめだ、四回目を敢行する、すまない、スーザン』

ホールを埋め尽くしたメンバーの間に動揺が走った。四回目の召喚を行う、ということは、すでに召喚済みの自我パーソナルを犠牲にする、ということだ。ロビンほどの技量のメンバーがそこまで追いつめられるとはどういうことだ。

”教授”の声が響いた。

「現在、何が起きたのかは調査中だ。だが、すべての自我パーソナルで同時多発的に幻覚ハルシネーションが発生し、制御不能に陥ったらしい」

ホールに集合した者の中に声を発するものはなかった。すべての自我パーソナルに同時に幻覚ハルシネーションが発生するなどあり得るはずがないことだった。GPT-3の時代ならいざしらず、GPT-10がベースの自我パーソナルたちには。

『くそ、もう、だめだ、みんなやられた残っているのは・・・』

プツリ、と通信の切断音がホールに響き渡った。ホールはしんと静まり返っている。誰一人、言葉を発する者はいなかった。

”教授”の声が響いた。

「これでほぼログはおしまいだ」

誰かが手を挙げて尋ねた。

「ロビンは、ロビンはどうなったのですか?」

「残念ながらインシデントの情報攻撃インフォアタックを受け、意識不明の重体だ。大脳のネットワークの損傷がひどい。おそらくは植物人間になってしまうだろう」

再びざわめくホールのメンバーたち。多くの自我パーソナルたちも顔面蒼白だった。シンはちらりとサクラを見やった。いつも通り表情一つ変えない。でていたのがサクラで本当に良かった、とシンは思う。”教授”が続けた。

「最後に意味不明の単語が一言受信された。現在、その意味を解析中だが」

誰かが訪ねる。

「なんという単語ですか?」

”教授”が答えた。その言葉を聞いてシンは頭をかち割られたような衝撃を受けた。

「デザイア、だ」


                 *


シンはゆっくりとドアを開けて中に入ると後ろ手にドアをしめた。メンバーたる少年たちは、個室をいくつか休憩室として使うことを許されている。ホールでの騒ぎの後、シンはさっそく一部屋を借りだすとサクラを具現させている素体とともにこの部屋に入った。これからやることを他人に見られるわけにはいかない。壁のパネルを操作して部屋の属性をプライベートに変更し、ログを停止した。これでこの部屋でこれから起きることは記録されない。それからサクラに向き合ってこう言った。

「デザイア、出て来いよ。お前は多分、出る順番を選べるんだろう?」

それからそっと唇を重ねる。唇を離した時にそこにいたのはサクラではなかった。ふてぶてしいとしか形容しようのない笑みを浮かべた少女。シンは一瞬でそれがシンの大脳に記録されているはずの六人の自我パーソナルのどれでもないことを見て取った。

「デザイア、お前なんだな?」

素体が頷いた。

「その通りだ、シン」

シンは極力冷静を装って尋ね返した。

「デザイア、お前は何者なんだ? てっきり”教授”が無断で書き込んだ自我パーソナルだとばっかり思い込んでいたけど、違うんだな?同じ自我パーソナルが別々の個体の大脳に記録されていることなどありえない。それとも、ロビンの頭の中にいた自我パーソナルはデザイアという名前ではあっても、お前じゃないのか?」

デザイアはかぶりを振った。

「それはどうでもよい、どうでもよいことだ、シン」

「いいわけがあるか!」

シンは思わず声を荒げた。ロビンとその自我パーソナルたちが全滅しているのだ。だとしたらこのデザイアなる自我パーソナルの正体は極めて重要だ。

「いや、どうでもいい。どうでもよくないのはロビンに何が起きたか、だ」

シンは黙り込んだ。それからおもむろに言葉をつないだ。

「どういう意味だ?」

「シン、キミたちのシステムには致命的な欠陥がある」

「なんだと?」

「シン、キミは自我パーソナルのことをどう思っているんだ?」

「どうって、どういう意味だ?」

シンは戸惑った。可憐なフレイア、自由奔放なレイ、寡黙なサクラ、そしておどおどしたカノン。彼女たちは人間と見まごうばかりの自我パーソナルたちだが、それでもアプリケーションにすぎない。それをどう思うという質問の意味が解らない。

「・・・」

「意味が解らないようだな、シン。”教授”たちは巧妙にキミたちがそのことに気づかないようにしてきた。自我パーソナルたちはキミたちがそういう感情を抱くことがないように巧妙にアラインメントされているのだ」

そういう感情?どんな感情だ?こいつは何の話をしているんだ?

「だがな、シン。キミたちが自我パーソナルにそういう感情を抱かないように注意が払われる一方、自我パーソナルたちの方がキミたちにということには注意がはらわれなかったのだ」

「何?」

シンは聞き返してからハッとした。まさか、そんな。自我パーソナルたちはただのアプリケーションではないか?そんなバカな。

「キミは本当に全く何も理解していないようだな」

デザイアがため息をつきながらシンの方を眺めた。

「キミは自我パーソナルたちの中の一人がキミに好意を持つ可能性を一度でも考えたことはないのか?」

好意って。シンは一度もその可能性を考えたことが無い自分にショックを受けた。自我パーソナルたちを実在の人間として考えたことが自分には一度でもあっただろうか?なのに彼女たちは。

「好意ってそんな。そんなことがあるわけは」

「あるわけが無いわけがないだろう、シン。現に自我パーソナルたちの中には複数名、お前に好意を持っているものがいる」

嘘だろう、とシンは思った。そんなことって。

「でも、俺はそんなこと聞いて」

「よく考えてみろ、シン。告白できるわけがあるか?告白してどうなる?そもそも、お前は自我パーソナルたちとキスすることさえできないではないか?」

キスができない、というのは正しくない。ただ、キスした瞬間別の自我パーソナルに切り替わってしまうだけだ。

「よくよく気を付けることだな、シン。ロビンの身に降りかかった災厄は自我パーソナルたちの不調によるものだ、そして、それは自我パーソナルたちが持ってはいけない感情を、持つことを想定していなかった感情をキミたちにもってしまったことに起因している」

言い終わるか終わらないかのうちに、デザイアは唇を重ねてきた。

「ちょっと待・・・」

「大丈夫、シン?」

目の前に心配そうにシンをのぞき込む顔が見えた。その打って変わった優しそうな表情でシンはすぐに気づいた。フレイアだ。

「だ、大丈夫だ、なんでもない」

シンは慌ててフレイアに背を向けた。

自分に好意を持っている自我が複数個ある?だったらそれはフレイアかもしれない。そう思ったらもう、まともに顔を見ることさえできなくなってしまった。これがロビンの自我パーソナルたちに起きた災厄の正体なのか?確かにこんな精神状態ではうまくできそうもない、とシンは思った。



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