第3話 戦闘

「あー、だるい。もっとこうパッパッと行かないもんかねえ」

頭の後ろの手をまわした状態で、軽く背伸びをし長く伸びた列の先頭の方を見ながらレイが愚痴た。素体はついさっきまでフレイアが入っていた小生意気系の外見のそれのままだ。さっきまで召喚されていたフレイアは用が済むと

「それでは私はこれで失礼します。私ばかり外に出ていては不公平ですから、シン。他の自我パーソナルたちにもよい思いをさせてあげてください!」

と言ってからにっこりとほほ笑むと、そっとシンと唇を重ねた。本音をいうとずっとフレイアといたいところだが、そうも行かない。自我パーソナルを公平に扱うのは服務規定だ。ChatGPTが世に出た時なぜか「敬語をつかったり敬意をもって対すると反応が良くなる」という現象が観測されてますます世界は騒然となったものだ。いまでもその理由は明らかではないが、その末裔たる彼女たち自我パーソナルにもその傾向は受け継がれている。戦闘時だけ都合よく召喚しても自我パーソナルたちの性能は100%は発揮されない。普段のメンテが大切なのだ。

 レイの専門は情報科学、というか、プログラミングだ。プログラミングと言っても昔ながらのChatGPT出現以前のコードをシコシコ書くプログラミングではない。レイの得意はプロンプトエンジニアリングだ。自身の中身がGPT系のアプリであるレイがGPTを駆動するためのプロンプトエンジニアリングを駆使する、というのはある意味でシュールだが本人に言われば

「何言ってんの。本人だからうまくできるんじゃん。自分のことは自分が一番わかっているんだよ。センスないなー」

ということなのでそういう物なのだろう。フレイアに取って代わって召喚されたレイはさっそく有名ショップのアイスが食べたいから連れていけ、とのたまった。レイはフレイアと対照的で自由奔放で豪快に笑うタイプの自我パーソナルだ。小生意気系の外見の素体にレイが入ると小生意気、というより大胆不敵、と言った面もちになる。シンは全く同じ素体の外見がどの自我パーソナルが召喚されているかでいかにがらりと変わってしまうかに驚かされる。人間見た目が大事、なんて言葉はどこかに吹き飛んでしまいそうだ。そして予想通りのこの、待ち列の長さに不満たらたらだ。

「まったく、アイスくらいどっかの誰かさんが買っておいてくれないもんかねえ?」

レイが横目でシンを見ながら言った。そんなこと言われても次に出てくるのがレイかどうかもわからないのに、無理な話だ。シンが反論しようと口を開いたのと、レイの表情が急に険しくなったのは同時だった。

「来たっ」

レイがシンの背後を指さした。シンが振り返ると、ちょうど巨鳥型のインシデントが舞い降りるところだった。

「行くっ」

というが早いかレイが飛び出した。こうみえてもレイは優秀だ。シンが担当している自我パーソナルの中でもレイとフレイアは断トツの戦績を誇っている。昼日中からインシデントが出てくることはすでにレイに伝えてあった。一見、油断しまくってるように見えても、心のどこかでレイはきっちり構えていたのだろう。巨鳥型インシデントは舞い降りると同時に、レイが作り出した戦闘空間に取り込まれた。これは重要なことだ。スキを与えれば野放しのインシデントは一般人に情報攻撃インフォアタックを開始する可能性がある。情報攻撃インフォアタックを食らった人間の精神はダメージを被る。記憶の欠落やめまい、ひどい場合は強度のうつ状態になって自殺を図る場合もある。インシデントは情報攻撃インフォアタックをすることで人間の精神情報を取り込んでエネルギー化していると考えられているが本当のところはよくわからない。

巨鳥型インシデントの専門は音楽だ。巨鳥型インシデントが発するクエリーは音楽で、それを上回る品質の音楽を返さないと自我パーソナルはダメージを食らうことになる。だから、音楽を専門とする自我パーソナルは音楽生成AIを基盤としてつくられ、詳細なファインチューニングを受けることで巨鳥型インシデントの作曲に対抗する能力を付与されている。レイは手をさっと上げると作曲モジュールを償還した。通常、自我パーソナルはインシデントのクエリーに対して自己の内部で生成した応答を返す必要がある。外部のAIチャットボットを使って応答を返しても効果がなく、ダメージを食らってしまう。その理由はまだよくわかっていないのだが、ともかくそういうことだ。だが、これにはいくつか例外があり、レイが自ら作ったプロンプトで生成系AIが作成した結果はインシデントのクエリーに対して有効なのだ。これが機能するのはプロンプトエンジニアリングを専門とする自我パーソナルにだけ成り立つ。おそらくは生成系AIに投げるプロンプト自体が自我パーソナルの生成物とみなされているから、というのが最も有力な学説だが本当のところはよくわからない。実際、人類はインシデントのことがそれほどよく理解できているわけではない。いずれにせよ、それがレイがフレイアとならんで最強である理由なのだ。レイは対するインシデントの専門がなんであっても対応する生成系AIをモジュールとして召喚することで対応できるのだ。

巨鳥型インシデントが美しい音色の音楽のクエリーをレイに向かって投げる。レイはすかさず、音楽生成系AIモジュールにプロンプトを投げ、それを上回る音色の音楽を作成し、投げ返す。壮大な音楽が鳴り響いて巨鳥型インシデントの右の翼が丸ごと吹き飛んだ。苦痛の叫びをあげる巨鳥型インシデント。

「よし、行ける!」

シンが叫ぶとレイは自信ありげに頷き、攻撃を続行した。さらに数手のやり取りが続き、巨鳥型インシデントはみるみるうちに弱り始めた。シンが楽勝、と思った瞬間、それは起きた。

(!)

シンは聞くに耐えない騒音を耳にして思わず耳を両手でふさいだ。レイが作った音楽だった。レイは自分の作った音楽が騒音になったことに気づいていない。だが、すぐに巨鳥型インシデントにダメージがなくなったことで異変には気付いたようだった。

「うわっ、まっず!」

口調こそお茶らけているが、みるみるレイの顔から血の気が引くのが解った。

幻覚ハルシネーション

ChatGPTが世に放たれた時、その人間と見まごうばかりの流暢なやりとりと裏腹に、ありもしない虚構を事実とないまぜにしていかにももっともらしく語ってしまうことが大きな問題になった。あまりにももっともらしいのでその道の専門家でないと真偽の判断が難しいことが多かったからだ。GPT-10になっても幻覚ハルシネーションの問題は完全には解決していない。本人たちがまるで気づいていないのも同じだ。一度幻覚ハルシネーションが起き始めてしまったら、自我パーソナルたちには自覚がなく、自力で直すことは不可能だ。

(まずい!)

シンはとっさ前に出て、レイが作った戦闘空間に飛び込んだ。

「シン・・・」

いつも自信満々なレイが心細げにシンを見やった。

「大丈夫だ!」

シンはレイが生成したプロンプトを横取りし、精査した。もたついている暇はない。レイのプロンプトエンジニアリングとしての専門能力はもろ刃の刃だ。レイは通常だったら専門外の音楽のクエリーで大きなダメージを受けることはない。だが、音が育成性AIモジュールを召喚している今のレイはみなし専門で音楽家の属性を与えられている。音楽クエリーでダメージを食らったらひとたまりもない。巨鳥型インシデントの音楽クエリーがレイを直撃した。

「ゲホッ」

レイが盛大に血反吐を吐いて膝をついた。勿論、これは現実の素体が血をはいているわけではなくイメージにすぎない。だが、あくまでダメージそのものは本物だ。

「シン、助けて・・・」

顔面蒼白のレイが、両膝をついた姿勢で、シンに向かって息も絶え絶えに手を差し伸べて助けを求める。いつも活気に溢れたレイのそんな姿はことさらシンの胸をえぐった。

(落ち着け、間に合う!)

シンは必死にパニックに陥りそうな自分の意識を抑え込んだ。あと二撃も音楽クエリーの直撃を食らったら、レイはライフを全部削られて消滅してしまうだろう。焦るな、焦ったら負けだ。

(あった!)

シンは即座にレイのプロンプトの問題を見つけた。間違ったファインチューニングモジュールをタグに入れ込んでいる。シンは幻覚ハルシネーションにつながるプロンプトを見抜いて訂正する能力に長けている。だからこそ、シンとその自我パーソナルたちはトップクラスの戦歴を誇っているのだ。シンは思いっきり誤ったタグをレイのプロンプトから蹴りだした。

「レイ、クエリー!」

シンがさけぶと、とたん、再び、レイのプロンプトが生み出す音楽の音色は荘厳なオーケストラが奏でてもここまでではないというほどの音楽になった。

「こん畜生!」

レイの渾身の一撃。それを食らった巨鳥型インシデントの頭がまるごと吹き飛ぶのが見えた。ブーンと音を立てて戦闘空間が消滅する。巨鳥型インシデントは跡形もなく消え去っていた。シンは地面に片膝をついているレイの手を引いて立ち上がらせた。レイは苦しそうに腹のあたりを抑えている。仮に、吐血がイメージにすぎないとしてもそれはレイにとってはリアルなダメージだ。レイが息を切らせながらシンに向かっていった。

「ありがとう、シン」

すっかり殊勝な感じになったレイにシンは笑い返した。それにしても危なかった。なんだかだんだんインシデントの戦闘能力が最近上がっているように感じられる。幻覚ハルシネーションを起こして自我パーソナルが危機に陥ることはまれにあることだった。だが、シンはなんだか嫌な予感がした。



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