第3話

あぁ、疲れた。今日は色んなものを見すぎた。あの大量の死体を思い出す。上がっていたテンションが、一気に落ちた。感情がぐちゃぐちゃだ。腹が鳴っているけど食欲はない。というか、これからどうしようか。感情的には、あの実験の関係者は全員ぶちのめしたいところだが。


「ん、んん」


そんなことを考えて居たら、抱えていた少女が目を開いた。まるで夜の闇のすべてを吸い込んでしまったような黒い瞳だった。


「え」

「おはよう」


微笑みながら挨拶した。紳士たるもの挨拶は基本。


「え、あ、おはよう?」


少女の瞳がこちらを向いて、あたりを見回して、またこちらを向いた後、自分の体を見て、

顔が真っ赤になった。


「え?あ?え?は、だか?え?」

「そうだね」


にこっと笑いながら答える。かわいい。平静を装っているが、内心心臓バックバックである。やっべどうしよ。


「ご、ごーかん?」

「しない」

「じゃあ、へんたい?」

「ちがう」

「じゃあ服は?」

「ない」

「やっぱ、変態」


体を震わせながら、じとっとした目を向けてくる。


「違うんだ。誤解なんだ。とりあえず、おろしていいか?」

「あ、うん」


降りた後、ちらっと俺の下半身を見た。


「やっぱ変態だ」

「誤解だ」


後ろを向いた少女の背中も血塗れだった。耳も赤い。たぶん恥ずかしいから。仕方ないだろ。生理現象なんだ。


「ここはどこ?」


少女が聞く。


「わからん。適当に走ってきたから」

「あなたは誰?」

「俺は彰人。君をあの研究所から連れ去った異世界人。君は?」

「私、は、134番。連れ、去った?」

「そうだよ」

「そっか、そう、なん、だ」


少女はそう言って崩れ落ちるように座り込んだ。体の震えがひどくなり、嗚咽が聞こえ始める。


「そう。そうだ。わたし、何度、も、何度も。

 さされて

 きられて

 さか、れ、て、

 う、た、れ、て、

 ころ、され、て、

 だ、から、もう、いやで、つらくて、くるしくてっ、

 いたくてっ、いたくてっ、いた、くて…

 だからぁ、ありっ、あ、ありがっ、とう、あき、と、わたしを、たすけてっ、くれてぇ」


少女は体を震わせて、泣き続けていた。

この子はあの部屋で何度も何度も殺されたのだろう。痛かったんだろう。苦しかったんだろう。辛かったんだろう。

俺がそれを想像したって、現実には到底届かない。この子の苦しみはこの子にしかわからない。だから俺は言葉をかけることができなかった。代わりに、自分もしゃがみ込んで、頭を撫で続けた。



落ち着いた後、少女が尋ねてきた。


「なんで、服を着てないの?」

「君もだろ?」

「私は、けん、しょうとかいうのをさせ、られてたから、着せてもらえなかっただけ。あきととは、違う」


背中合わせになりながら言葉を交わす。


「俺、この世界に転生してきたんだよ」

「てんせい、ってなに?」

「生まれ変わるってこと」

「死んだあとが、あるの?」

「少なくとも俺にはあったらしい。それで、気が付いたら、裸のままあの研究所に飛ばされてた」

「そう、なんだ」

「そういえば聞いてなかったけど、君に名前はないのか?134番とかじゃなくて」

「ほかの子たちにはリタって呼ばれてた」


ほかの子、か。脳裏にあの部屋の光景がフラッシュバックして、息がつまった。


「リタ、か。きれいでいい名前だ」

「ありがと」


えへへとリタは笑っている。


「それにしても、俺のこと警戒しないんだな」

「そう、だね。なんでだろ。なんか彰人は大丈夫な気がして」

「なんだそれ」

俺は笑いながら答える。でも、その気持ちはわかる。俺もなぜかリタには親近感を感じていた。最近この感覚を感じたことがあるような。いつだっけ。

「そしてリタは重大な事実に気づきました」

妙に大仰な口調でリタが言った。

「なんでしょう」

「私、血を操れるみたい」


そう言った瞬間、背中の重みが消えた。それと同時に脳内で音声が流れる。


「新しいスキルを獲得しました」


「うぉ」


後ろに倒れる。何が起こった?見上げると、赤いドレスを着たリタが立っていた。


「きれい?」

「あぁ」


ドレスから伸びる手足は白くつやつやとしていて、白い髪はさらさらと風に揺らめいている。あんなに血だらけだったのに。そしてその膝丈のスカートが風に揺られ、その中が視界に入っていた。


「ほんとに、きれいだ。だけど、なぁリタ気づかないのか?」

「え?何が?」

「見えてるぞ」

「え?あ」


リタの顔が真っ赤に染まった。その瞬間、俺の体に着いた血がひとりでに動き出し、帯状になって、俺の視界を閉ざした。


「ばか」


いつの間に下半身に布の感触がある。ズボンだろうか。上半身は相変わらず裸のままだが。


「これ、リタがやったのか?」

「うん。血を固めて、イメージしたらできた、すごいよね。ね」

「あぁ、すごい、すごいよ」

「えへへ」


下半身に何かが乗っかるのを感じる。そしてその何かが上半身に倒れこんできた。


「ねぇ、あきと」


首のあたりでリタの声がする。少しくすぐったい。


「どうした?」

「やっぱり変態だよね」


リタが足を動かして、俺の硬くなった部分をさする。仕方ないだろ。転生前まで含めれば数日間ご無沙汰だったんだから。


「違う」

「ふーん」

「リタこそ、顔真っ赤だぞ」

「え?なんでばれて...って、見えてないでしょ?ばか」


胸を優しくたたかれる。かわいい。


「なぁそろそろ、目のこれ取ってくんない?」

「仕方ない」


視界が開ける。すぐ近くにリタの大きな瞳が見える。燃えるように赤い瞳が。


「あれ、そんな赤い目だったっけ」

「いや違うけど...」

「でも今赤いよ」

「そう、なんだ。じゃあこの力を使うと、赤くなるのかも」


頬を胸にすりすりしながらリタは言った。体温が伝わってきて、安心感が広がっていく。


「ねぇあきと」

「ん?」

「このまま寝ていい?」

「あ、ああ」

「あり、が、と」


疲れていたのだろう。すぐにリタの寝息が聞こえ始めた。俺、寝れないよなぁ絶対。ずっと心臓がバクバクしてるし。

そういえばさっきあの音声がしてたよな。ステータスを開き、スキルの【特殊】の欄を見ると、「血の支配者」と書かれていた。血を操作できるのだろうか。それは...めちゃくちゃ強いんじゃないか?人間は血がなければ生きていけないんだから。例えば血を操作して血流を止めてしまえばそれだけで人は死ぬ。とんでもない力だ。そんな力がこんな子供に...顎を少し引くと、リタの顔が近くに見えた。あどけない可愛らしい顔で寝ている。こんな子があんな目にあうなんて、結局、異世界も前の世界と変わらずに、ひどく残酷らしい。



「あきと、あきと、おきて」

「ん、あぁ、おはよう」


目を開けると、お腹をさすっているリタが立っているのが見えた。


「お腹減った」

「おれも」

「ご飯はどこ」

「どこだろうな」

「この草とか食べられない?」

「わからん」


いつの間にか上半身にも服が着せられていた。


「この服いつの間に。ありがとうな」

「いえいえ」


ちらりとリタの手首を見ると切り傷がついていた。


「俺の服なんだからリタの血使わなくてもいいのに」

「いいの。どうせ不老不死だから」

「でもなぁ、傷は治っても、痛みはするだろ。血を出すためにどっか切ったりしなきゃいけないだろうし」

「いいの。あきとのためになるなら私は嬉しい」

「でも俺がうれしくない」

「もう、あきとが頑固だ」

「リタに苦しんでほしくないんだよ」

「仕方ない。じゃあ今度からは、あきとの言うとおりにする」

「おう、そうしてくれ」

「あきとの言うことならどんなことでも従う」

「何言ってんだ。そこまでしなくていいよ」

「えー。エッチなことでも従ってあげるのに」

「ほんと?」


俺は勢いよくリタの方を振り向いた。


「じょ、じょうだん。えへへ」


リタは苦笑いしながら俺から目を逸らした。

やっべ、さすがに引かれたか。

横目でリタをとらえると、その耳が赤く染まっていた。

ほっとする。照れていただけか。


「きょ、今日はどうするの?」

「とりあえず山を下りよう。村か町に行きたい」

「どこにあるの?」

「知らん。リタは?」

「知らない」

「そっか。とにかく移動しようか。研究所の人たちが追ってくるかもしれないし」

「うん」


しばらく歩いていたが、モンスターは一切現れない。「探知」も時々使っているが気配すらしない。この世界ではモンスターは珍しいのか?あるいは出る場所が決まっているのか。

そしてその間、リタと他愛のない話をしていた。好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな言葉、面白かった本、そんな他愛のないことばかりを話した。まるで、何かから目を背けるように、言葉で沈黙を埋めていった。


そうこうしているうちに、村らしきものが見えてきた。


「あれ村じゃないか?」

「かも」


村の入り口で兵士と村人が話している。


「リタ、こっち」

「え」


とっさに草むらに隠れる。あの兵士、リタのいた部屋を見張っていたやつだ。

ここからならぎりぎり声が聞こえてくる。


「ここら辺で、こんな少女を見ませんでしたか?」

「うーん、見なかったですねぇ」

「そうですか、一応村の方全員にお聞きしたいので、寄り合いで尋ねていただいてもよろしいですか?」

「かまいませんよ。研究所の皆さんにはいつもお世話になってますから。話は変わりますが、先日流していただいた、「ヘブン」の売れ行きはどれほどですかな」

「かなりいいですよ。この分ならあと数日で、今ある分は完売するでしょうね」

「そうですか。それは良かった。今更ですが、こんな帝国をダメにするようなものに帝国軍が加担してよろしいのですかな」

「いいんですよ。とにかく、今後ともよろしくお願いしますね。もしこの少女を見つけたら、いつもの通信機で連絡をおねがいします」


兵士はそう言ってこちらのいる方向へ歩いてくる。まずい。


「隠密」


これリタにもかかるのかな。触れていることが条件とかありそうだ。隣で心配そうに俺を見つめているリタと手をつなぐ。


「え?」

「静かに」

「う、うん」


兵士が近づいてくる。俺たちのいる草むらの近くまで来た。鋭敏になった耳が足音をはっきりと捉える。心臓が激しく鼓動している。俺たちの目の前まで来た。

そして...そのまま通り過ぎた。

ふうと聞こえないように息を吐いた。しばらく兵士が離れるのを待つ。

..................................

..................................

.....................

..........

もういいだろう。


「どうしたもんかな」

「ねぇ、今何してたの」

「あの兵士たちの会話を聞いていた、残念ながらあの村には入れそうにない」

「なんで?」

「あの村に入ると、研究所に連絡がいくらしい。あの村は研究所と懇意らしいからな」

「そっか。じゃあどうしよう」

「それを決める前に、ちょっと確認したいことがある」

「なに?」

「リタは研究所で何が行われていたのか、知ってるのか?」

「う、うん、あいつらがべらべら話してたから」

「そっか」


リタのつないだ手に力が籠められる。そうか、なら話しても大丈夫そうだな。


「じゃあ、これからとれる行動としては二つの選択肢がある。一つ目は研究所をつぶすこと。研究所に残されてた書類を見る限り、不老不死研究はいくつかの研究所が競争的にやっていたから、その内容は秘匿されていたらしい」

「こんな研究をほかのところでもやってたんだ」


リタは無表情のまま言った。手を震わせながら。


「あぁ。だからあの研究所を、というよりリタのことを知っている人間と、資料を消せば、リタも追われなくなるはず。でももしかしたら情報が洩れてるかもしれないから確実ではない」

「それでいこう」

「まぁ待て、一応二つ目もあるから。二つ目の方針は亡命する。理由はほかの国であればリタの捜索は困難になるだろうから。まぁ見つからない保証があるわけじゃないからこれも確実性はない。でも顔を隠すなりすれば、ほぼばれないとは思う」

ただスキルのことを考えると速攻で見つかる可能性もあるんだよな。だから個人的には一つ目のほうがよかった。あいつらを潰してやりたいっていう感情的な理由と、もし、情報が洩れていても、俺たちに手を出せばこうなるぞっていう脅しにも繋がるだろうし。それに情報が洩れていて帝国が俺たちを追ってきてから二つ目のプランに移っても遅くはないだろう。でも、一つ目のプランを実行するには一つ、心理的なハードルを越えなくちゃいけない。つまり、人を殺さなくちゃいけない。

「やっぱ一つ目しかない」

「人殺しになるぞ?」

「あんなやつら人じゃないよ。用済みだからって、みんなのこと、あんな簡単に殺した人たちなんて。…私知らなかった。研究所からいなくなった人たちが何をされていたのか。引き取ってくれる人が見つかったんだって、あいつらがそう言ってたから。私たちはずっと、自分たちのいる場所が孤児院だって思ってたんだ。でも違った」


リタは息継ぎもせずに言った。知っていたんだな。殺されたことを。検証中に研究者が話していたのかもしれない。だから、リタはこんなにも怒りに燃えている。さらに

リタは話を続ける。


「だから...殺そう。私が、殺す」

「そっか」


リタは真っすぐに俺を見つめてそう言った。物語の中では復讐は無意味だといわれる。でも本当にそうだろうか。結局そういう話は全部フィクションで、実際に経験したわけでもない。経験した人から話を聞いたこともない。だから、俺にはリタのこの意志を否定する権利はないはずだ。


「わかった。じゃあ行こうか」

「うん!」

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