第10話 嗤う唇


(10)



 ――影法師とは何者だったのか。


 彼、いや彼女、それも違う。

 その人名は霧里マリ。

 大阪府警の刑事だ。

 容貌はドイツ系ハーフで端麗であり、今の髪型から見れば男性にも女性にも見えた。いやそれは自らの意思でそうさせているのかもしれない。

 その意味することは何か。

 自分をトランスジェンダーとして認識してるという事である。戸籍上の性別は女性だが、自分にはその意識は皆無だ。

 しかし捜査上は十分役に立った。それは十分すぎる程、そう――ある連続殺人鬼を探すには。

 彼女は手帳を広げると自分が担当した殺人事件の捜査上で得た情報を指でなぞってゆく。

 自分が担当した殺人事件。

 殺された女性人物。

 それをSSと自分は言ってる。そのSSは去年、自分の部屋で殺害された。

 それも「情死」だった。

 はじめSSの死体を検視した時、直感的に分かったことがあった。

 

 それは

 ――女による独特の愛撫跡がある

 という事だった。


 その死体に残された独特の癖は言えない。言えないが、SSの捜査上で彼女の交友範囲、行動範囲、つまり「領域(テリトリー)」を調べて行くうちに二つの有る接点を見つけた。

 それはまず、田中美恵子。

 そして意外だが美恵子の行動範囲の中で情死が発見されている事件が多いという事だ。

 それも性別の見境なしに。

 つまり男と女の情死。

 何故にこれ程、一人の女性で無数の「情死」が多いのか。これが意味すること。そしてSSの死体に残された女独特の愛撫跡。


 自らの内にある意識は肉体の性を否定し、精神の内なる自らの原性(オリジン)のみを肯定している。その精神が警笛を直感的にならせば、おのずから田中美恵子の人物像が見えてくる。

 それは彼女自身が認識しているかどうかは知らないが、自分と同じ肉体より精神の肯定。

 であるがゆえに、それは精神の高い緊張を張り巡らせ、心を落ち着かせ、時に甘く強い快楽に酔わなければ日常のコントロールは厳しいのかもしれない。

 自分は厳しい社会で生きなければならない。静謐と快楽こそが現代ビジネスで生き残る必須条件かもしれない。

 取り調べで田中美恵子は自分に言った。

 ソクラテスの問いに対してディオティマが答えた様に「つまりそれは、肉体的にも、精神的にも美しいものの中で出産することなのです」”

 それが私の中では必須なのです。


 だが、それは最後に醜い側面を見せるだろう。

 つまり「失恋」すればそれは悪魔(堕落)するという側面を。

 それは人間性を失い、やがて「敵」として相手を捕食し、殺害する。

 その習性を何に例えればよいか。


 ――それはつまり


 蟷螂。


 彼等は交尾の際、共食いをする。聞けば交尾の最中に(もしくは交尾後)、メスはオスを頭から生殖器まで食べる――捕食するのだ。

 正に田中美恵子は互いに絶頂を迎えても尚無限に続く絶頂を送り続け、やがて精神の鎌を相手に振り下ろすのだろう。それこそ果てしない愛撫の果ての情死。

 正に蟷螂と言う悪魔(堕落)と言える。


 霧里マリはそこで手帳を閉じた。

 閉じて瞼を閉じた。長い睫毛の下である仮定をする。

 

 もし…、

 田中美恵子が自分の告白を聞いたらどう思うか。

 そう、

 SSが私の

 いや僕の恋人なのだという告白を聞けばアイツはどう思うか。

 

 霧里マリは瞼を閉じて笑った。笑いながら頬を伝う涙を流すままにして、一人仮定の先に灯る蝋燭を見た。そこに見えたのは影法師の全ての答えを知って嗤う田中美恵子の唇だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蟷螂の隣人 / 『嗤う田中』シリーズ 日南田 ウヲ @hinatauwo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ