06

「っ…」


震える手をとおして、ゆっくりと記憶の断片がソラの中へと吸い込まれていく。

春も夏も、秋も冬も、何度住人が入れ代わり立ち代わり過ぎ去っても、稀に幽霊の存在に気づく者がいる以外、変わり映えのない歳月が過ぎ去っていく。

長いこと啓司は、常に独りだった。


「…そうか。…お前は、別ればかりを見送ってきたのだな…」


【なあ、俺って生霊なんだろ?】


「その様だな…」


【じゃあよォ、どこかで身体は生きてるんだよな。なあソラ、俺の身体を探してくれねえかな?】


戯れのあと、さっさと離れて身繕いをするソラの背中に、啓司は深々と頭を下げた。


【頼むっ。どうか、このとおりだ!!】


「は…?」


自身の記憶すらないのに荒唐無稽な願いではあるが、寄る辺のない啓司には、ソラに頼る他に手立てがない。

それに───今は生き霊だが、ゆくゆくは身体を取り戻して、堂々と彼女(性別不詳)の傍に立ってみたいと、思ってしまったのだ。


【それでさ……身体が見つかるまででいいから、此処に置いてくれると非っ、常に助かる…!】


「貴様の場合、案外そっちが本音だったりしてな」


【ひでー言われよう。ちがわい。なあ…ソラってよ、キツいように見えて困ってる奴を放っとけないタイプだろ】


「……藪から棒になにを言うかと思えば。何故そんなことが貴様に分かる」


毅然と睨むソラを、啓司は真正面から見据えて見つめ返す。


【だって俺、幽霊だし…お前には悪いけど、少し読んだんだ】


「……変態が」


忌々しげに吐き捨てるソラに、啓司はかか、と朗らかに笑った。


【誤魔化しちゃいるが、アンタ…目に濁りがねぇんだよ】


「バカにしているのか? 言うに事欠いてヒトを市場の青魚と同列に扱うとは……身の程知らずが。今度こそ、本当に散るか?」


五百数十年単位で生きてきたが、今かつて鮮魚と同列に例えられるなど、前例のない不測のことだ。

まったく、無礼にも程がある。

強制成仏させようかと考えかけた一瞬、また思考を読んだらしい啓司から「待った」と合いの手が入った。


【まあ聞けって。そんなヤツは大抵、根はいいヤツなんだ】


短時間でそこまで観察できる啓司を凄いと感じると共に、察された己の不甲斐なさに何とも言い難い虚脱感が渦巻いてきて、ソラは物凄く凹んだ。

それに、この話の流れだともう諦めしか選択肢は残っていない。


「…生霊の癖に変なヤツだ」


最大限に皮肉ったつもりだが、まったく堪えた様子もなく啓司は能天気に首を傾げている。

鋭いのか、バカなのか全く以て判りにくい男だ。


【ん?】


「まったく、貴様というヤツは。どうしても…と云うのならば置いてやらんこともないが……どうする?」


【本当かっ、そうこなくっちゃなあ! これからよろしく頼むぜっ】


「こらバカ、近い!髭が障るっ」


ソラは盛大に抵抗して、必要最低限のパーソナルスペースを確保すべく暴れる。

しかし、大型犬のごとく喜ぶ啓司には届いておらず結局は揉みくちゃにされてしまった。


「くそ、やっぱり幽霊にロクな奴はいない…」


【まーまー…そう言うなって】


人好きのする懐っこい笑顔を向けられて、ソラは口ごもる。

綿密に練っていた霊的存在追い出し計画は、まったく生霊らしくない幽霊・小田切 啓司との出会いでかなりシナリオが歪んでしまった。

とりあえず、しばらくのお預けである。

しかしこの出会いが、波乱を織り込んだ日常の始まりとはまだ、誰も知らないのであった。

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