capture3 しがらみ

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湿っぽく陰鬱な夜のベッドタウンには、虫の音色さえない。女の啜り泣きにも似た夜風が、か細くしなりながら電線を揺らしている。

此処は昭和の中盤にベッドタウンとして開発された街だが、最近著しく過疎化が進み、暮れ時を過ぎれば人通りは疎か車さえも全く通らない。

音もなくただ存在だけが異様に濃い集団住居の群れは、まるで廃墟のようだ。

ゆるく吹き上げる夜風はどこか微かに生臭く、腐臭にも似た瘴気を孕んでいた。


宵闇に浮いた半月は野ざらしの髑髏されこうべのように無機質な色を晒して、浩々と下界を照らしている。

だが、唐突にその『半月』が大きく引き攣って、チェシャ猫の口に………嘲笑の形に歪んだ。

歪みながらゆっくりと掻き消えたあと、今度は黒い闇の表面にくぱりと紅く細い亀裂がはしる。


【じゅる…】


だらしなく滴る唾液に絖る牙の覗く“それ”は、間違いなく口だった。

朧に明暗を繰り返しながら闇を漂う様子は、人魂、もしくは水母にも似ている。

その『何か』は不安定に蠢きながら建物の影が作りだす漆のような闇の中で粘土細工のように形を変えた。


【ぐふぅぅぅ…ウウウゥ…ウウウウウ…】


やがて不可解な鳴き声と共に影から滲み出して現れたのは、凶悪で鋭利な鈎爪を持つ血膿ちどろ色の獣だった。

ケモノ……いや。形はそのものだが、元は“人や獣の霊魂だったもの”が濃い執着を持ちながら変異を起こしたいわゆる怨霊体なのである。

堕落者アン・シーリーと呼ばれるこの怪物は、霊力の高い幽霊や生身の人畜を好んで襲う性質があり、おそらく今もどこか余所で魂魄を捕食してきたのだろう。

生臭い腐臭を纏い、全体的に血膿色に見える身体は一部だけ黒い地色を残して斑になっていた。

血走った眼は銀光を弾いて、凶悪に赤い。


【アァァァァァァァ――――……っ!! 】


悲鳴じみた咆哮が冷気を揺るがせ、地響きが闇を攪拌する。夜空に向けた咆哮に篭るのは果たして、歓喜か悲しみか。

それは誰にも解らない。或いは、そこに意味など存在しないのかも知れなかった。


【ふ、グ、うフふ、ふゥ……エモの…ミツ、ケタ】


異獣は舌足らずな声で鳴き、大きく跳躍すると巨体を撓やかに操ってそのまま闇に溶け込んでいった。


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