43、マルクスの『帝国紳士たちのお悩み、相談コーナー』


 本のページには、『帝国紳士たちのお悩み、相談コーナー』という謎のコーナータイトルがあった。


「マルクスは、三冊目を出すに至って語るネタが尽きたようで、読者からの相談を募集したのです」


「無理に三冊目を出さなくても良いのでは……?」

「これまでの本を愛読する帝国紳士の間には、続編を求める声があるのです」

「あっ、はい」

 

 本には、『帝都の三十路夫』やら『海辺のロマンスグレー夫(年齢は秘密)』やら『前線のパパ(涙目)』といった匿名の紳士たちから寄せられた文章が掲載されていた。


『妻がドレスや宝飾品を買い過ぎだと思うのです。我が家はそんなに裕福ではないのですが……相談者:ポテトな夫』


 マルクスは、相談への回答を書いていた。

 

『ポテトな夫さん、マルクスです。奥様がお金をたくさん使うのは、お元気な証拠です。素晴らしい! 奥様に遠慮なくお金を使ってもらえるように、あなたはもっとお金を稼ぎましょう。ところで私の既刊には「今日から三倍稼げる領地経営」というあなたにうってつけの本があります。今すぐ買ってください!』


『政略結婚することになりました。でも年齢がかなり離れていて、相手は年上で三度目の結婚、自分は初婚なのです。アドバイスをください……辺境の夫』


『辺境の夫さん、マルクスです。いっそ相手にリードさせてみてはいかがでしょうか? ご参考までに、私は年上の女性が大好きです。実にうらやましい……ちょっとお宅に訪問して奥様にご挨拶してみたいのですが、よろしいでしょうか? 宿泊もできると嬉しいです』


『親しくなったら名前を呼んでくれると約束したのですが、妻がぜんぜん名前を呼んでくれません。それに、妻は美しすぎてモテモテなのです……相談者:蜜柑色の夫』


『蜜柑色の夫さん、マルクスです。もっと親しくなりましょう。美しい奥様を持つと大変ですね! がんばれ! そんなに美しい奥様、ぜひ拝見したい。私も奥様に会いにいきます! よろしく!』 


『妻が愛人を百人も囲っている。昨日なんて見せつけるようにパーティをしていた……相談者:悔しい夫』


『悔しい夫さん、マルクスです。あなたが百一人目になりましょう。次にパーティをしていた時がチャンスです! ぜひ名乗りを上げてください!』 


 相談は、たくさん載っていた。

『娘が権力者に人質に取られています……前線のパパ(涙目)』『主君に奥方との関係を疑われてピンチです……炎の騎士』といった投稿や『妻に贈り物をしたいが何がいいだろうか』『妻に気持ちを伝えたいが照れてしまって口に出せない』『義務を果たして子供を作った後だが、役割を果たしたと言って妻が一緒に寝てくれなくなった』『嫌われている気がする』『家に帰ると妻が必ずネコチャンのふりをしています』『運命の出会いをしたが、相手は人妻なのだが……』といった投稿が、びっしりと載っていた。


 

「私が体験したのと同じ状況に陥っている夫や、私が感じているのと同じことを感じた夫。私と同じような望みを抱いている夫……そんな夫がたくさんいるのです」

 

 アシルはそれが特別であるように言って、さりげなく『相談者:蜜柑色の夫』の部分をしおりで隠した。

 

「この本には、共感がありました。妻とどう接するのがよいのか悩ましい。妻を喜ばせたい。妻との仲を良好にしたい。妻と親しくできると嬉しい。妻の気を引きたい。妻が浮気しているのが悲しい。妻と他の男が一緒にいるのがつらい……世の中には、同じ想いを持つ男がたくさんいるのだと……彼らに共感できる私は、人間なのだと思えたのです」


 淡々と言っているが、内容はなかなか照れてしまうような、心が痛む部分もあるような。あと、この本おもしろい――ディリートは頬を染めた。


「もちろんです。アシル様は人間です。とても人間らしい、好ましい方ですわ」

 

 ディリートが言うと、アシルは春風のように微笑んだ。


「……嬉しい。私が笑むのは、嬉しいからです。人は嬉しいと自然と微笑んでしまうのです。そうでしょう?」

 

 初々しい声がはにかむように言うのが、微笑ましい。

 ディリートは夫の頬を撫でて、そっと顔を寄せた。いつくしむようにキスを落とせば、長いまつげが揺れて、幸せそうに瞬きをする。

 

「そなたも、笑っている……」

 首をかしげて、とても素晴らしいものに出会ったような顔でアシルが言う声が、なんだか胸を熱くさせるのだ。


 

「嬉しいからです、アシル様。ディリートは、嬉しいから笑っています」

「そなたも、今嬉しいのですね」

 

 

 アシルは頬にあてられていたディリートの手を取り、自分の心臓のあたりに指先を添わせた。

 そして、聖書の一節を唱えるように、神聖に言葉をつむいだ。

 

「私が夫になれたのは、そなたが妻になってくれたおかげです」

 

 心臓の鼓動が感じられる。

 落ち着いていて、安心する、一定のリズムの拍動だ。生きているのだ――ディリートは、それを実感した。

 

「今度、画家を招いて肖像画を描いていただきましょう。家族画です」


 ――自分たちは夫婦で、家族なのだ。

 

 当たり前のようでいて特別な関係を、大切そうにアシルが口にする。

 ディリートは幸せな気持ちで頷いた。


「ええ、アシル様」


「定期的に描いていただきましょう。家族がすこしずつ増えていく絵を壁にたくさん並べて、将来は私たちの家族みんなで絵を鑑賞しながら思い出語りをするのです。いかが」 

 

「素敵ですわね」


 

 馬車がランヴェール公爵家の別荘に着いたとき、イゼキウスはすっかり拗ねた様子で「俺の存在を忘れてるだろ。そういうのは二人っきりの時にやれよ」と呟いたのだった。

 

 

 * * *

 

 

 馬車からイゼキウスが降りると、先回りした使いに知らされていたらしきティファーヌが明るくはじける笑顔を咲かせて声をあげた。

 

「おじちゃま……! かえってきたぁ!」

 

「帰ってきちゃったんだなぁ……」 


 イゼキウスは真っ赤になりながら、腕を広げてしゃがみこんだ。

 その腕の中に元気いっぱいに飛び込むティファーヌは、全身から喜びをあふれさせていた。


「さっきあんなに格好つけてたのに……これはなんか見ているほうが恥ずかしいような」

「子供が喜んでるし、いいんじゃないか」

 

 兵士がコソコソとささやきを交わす中、アシルは「葡萄代や時計塔購入代、北方への遠征費用も経費として請求しましょうか、第一皇子殿下は二つ返事で『認める』と仰りそうです」と返済金額を増やして、イゼキウスの寿命を延ばしたのだった。

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