44、皇太子の時計塔前演説

 『皇帝の乱心事変』――『南北戦争の終了』――そんな文字を帝国の歴史書に刻みつつ、月日は流れた。

 

「天気がよいと気持ちが晴れやかになる。気持ちが晴れやかだと健康によい。そう思うだろう、私のジャンヌ」

 

 何もかも吸い込んでしまうような青空の下、皇太子の称号を得たエミュール皇子は時計塔前の広場に集まる都民に手を振った。一連の事件の後始末がようやく落ち着き、皇都は落ち着きを取り戻し、ナバーラは帝国領になっていた。

 

「薬師のタウンゼント・スピークマンという男が、ナバーラの技術を活かして、魔力増強の効果がある果汁シロップ入り炭酸飲料を開発したので、振る舞うことにした。魔力を持つ者はもちろん、持たない者にも健康によい効果があるというのだ」

 

 果蜜汁ジュースは、透明なグラスの底側がオレンジ色で、上が無色。気泡がぽこぽことのぼっていて、飲むとしゅわっとする。爽やかな果実の甘みがあって、美味しい。

 

「国民は、健康でニコニコしているのがよい。私は未熟だが、支えてくれる弟や妹、頼もしい臣下がいる。いざというとき、最高権力者にも勇気をもって立ち向かったり、助け合い、自分たちの国を守ろうとする気概のある民もいる。みんなで健やかに、良い国をつくろうではないか」

 

 エミュール皇子が親しみの湧く笑顔で明るく語りかけると、拍手と歓声があたたかに湧いた。

 都民の中に混ざっていた小さなティファーヌは、パパに買ってもらった新しいドレスを着て、大好きなおじちゃまに抱っこしてもらっていた。パパはというと、警備のお仕事中だ。時折「ティファーヌのパパは我輩なのに」という嫉妬の視線が寄せられていたりする。


 

「遠い日に喧嘩別れしてしまった兄弟、その子孫とも、仲良くしていきたい」

 

 北方の民族衣装をまとった者がその中にいるのを見つけて、エミュール皇子は真摯な眼差しを向けた。

 

「南北の親世代は、お互いに自分たちの正義を子世代に伝えた。子世代は、孫世代へとそれを伝えた。それが何代もつづいたのだから、みぞは深い。過激な教会などは、敵国の兵士は悪魔だと教えることもあるらしい」


 

 エミュール皇子は聖剣をすらりと抜いた。

 そして、その切っ先で自分の腕を浅く切りつけて、赤い血を流してみせた。

 


「けれど、我々は同じ人間で、友人や家族を大切だと思い、守りたいと思い、生きている」


「斬られれば同じ色の血が流れて、寒いところにいるとガタガタと震えて、そんな中で誰かと身を寄せ合うとあたたかいと感じる……近しい人が裏切ったり亡くなったりすると哀しくて、誰かに憎しみをぶつけられると、肉体が無事であっても、心が傷ついて痛むのだ」

 


 エミュール皇子は剣をおさめ、杯に自分の血を一滴垂らして、太陽に掲げた。

 杯のふちがキラキラと煌めく様は、綺麗だった。

 


「解決しないといけないこと、話し合いが必要なこと、歩み寄りが求められること……未来につづく我々のきざはしには、時には痛みが伴うこともあるだろうが、一段一段、みんなで登っていこうではないか」


 

「みんなで登ると、きっと、きっと……健康によいっ!」


 

 皇子はその日一番の笑顔を魅せて、都民の胸を熱くさせたのだった。

 

  

 ――この演説に居合わせた歴史家は『皇太子エミュールの時計塔前演説』として記録するのだが、その手記には「そのあと『あと、税金も払ってくださぁい!』と仰ったのが残念だった」という素直すぎる感想も書かれていた。

 

 

 * * *


 

「元々、大地はランヴェールの一族が統べていたのです」


 『皇太子エミュールの時計塔前演説』の後、ランヴェール公爵夫妻は教会を訪ねていた。


 教会の奥には、特別な許しがなければ立ち入りできない『聖域』という場所がある。

 アシルは妻ディリートを伴い、長い通路を歩いて、聖域に通じる大きな扉に手をあてた。



 扉がひらくと、小さな小部屋があった。

 小部屋には調度品などはなかったが、真ん中に光輝く不思議な輪があった。


「これを、精霊の輪フェアリーサークルといいます」


 アシルはそう言って、輪の外側で妻の肩を抱いた。


「綺麗ですわね。魔法の輪かしら。キラキラしていて、幻想的……」


「各地にある教会は、精霊の輪フェアリーサークルのある場所に建てられて、秘匿ひとくしているのです」


 では、この不思議な輪はこれだけではなく、他にもあるのだ。

 ディリートは未知の真実に触れてドキドキしながら、夫を見上げた。


「そなた、その上目遣いはちょっと可愛すぎるので他の男にはしないように」


 アシルは真面目な顔でそう言って、続きを話した。


「この精霊の輪フェアリーサークルは、精霊たちの住む世界につながっています。精霊獣は、こちらの世界で生まれるのではなく、あちらの世界で生まれる生き物なのです」


「精霊たちの住む世界。おとぎ話や、神話で語られるような世界ですわね」

 

 ディリートは驚いた。

 空想上の世界だと思っていた世界が、実在するのだ。この先にあるのだ……。 


「古き時代、ランヴェールの一族は内陸を治めていて、ゼクセンの一族は、海辺を治めていました。二つの一族は、あちらの世界と交わって、精霊の加護をたまわったり、精霊の血を子孫に混ぜたりしたのです」

 

 ランヴェールは火精霊と交わり、ゼクセンは水精霊と交わった。内陸と海辺は「自分たちこそが大陸全土を統べる者だ」と争ったが、そこに現在の皇族の祖先が現れた。


「みんな、仲良くしない?」

 

 皇族の祖先はフレンドリーなゆるキャラで、コミュニケーション能力が高かった。

 皇族の祖先はランヴェールともゼクセンとも仲良くなり、気付いたらちゃっかり大陸全土を統べていた。


 しかも、子孫にランヴェールやゼクセンの血を取り入れて、精霊の輪フェアリーサークルを皇室が管理することにして、火精霊には「火精霊さんが一番すき!」と言って加護をもらい、水精霊には「水精霊さんが一番すてき!」と言って加護をもらった。


 何世代も経る中で、ゼクセンの一族は古い時代の記録を失ってしまい、子孫は精霊の輪フェアリーサークルの存在を忘れてしまったのだが、ランヴェールは古い時代の記録があり、「自分たちは覚えているのだぞ。皇族の独り占めは許さないぞ」と皇室に紳士的に許可をもらって聖域通いをしているのだ。


「ゼクセン派は、過去から現在につづく血統により水魔法使いが生まれています。けれど皇族やランヴェールの場合、全ての者ではありませんが、子を宿した妊婦が聖域の精霊に加護を願う儀式をするのです。妊婦が精霊に好まれると、願いをきいた精霊が子供に加護をくれるのです」

 

 

 アシルは少しためらってから「イゼキウスの母は水精霊に加護をもらえなかったのかもしれない」と教えてくれた。

 加護がもらえなくても、皇族の血統からは両属性が使える子供が生まれる可能性は高いが、不運だったのだろう、と言う声には同情のようなものも感じられた。

 

 ディリートは共感しつつ、首をかしげた。

 

「ゼクセン派や他の民に、精霊の輪フェアリーサークルのことを教えないのですか?」

「そなたはそう思うのではないかと考えていました。これについては、我々の皇太子にも相談してみましょうか? 以前は気にしていませんでしたが、ゼクセン派は……ゆうこうはばつ……ですからね……たぶん……」

 

 微妙に自信がなさそうに『ゆうこうはばつ』という単語を唱えてから、アシルは言葉を続けた。

 

「特に才能あるランヴェールの者は、火精霊に加護を願い、精霊との子を授かることもあります。その場合は、生まれる子は半精霊と呼ばれ……魔力が高いのはもちろんとして、高確率で精霊獣に身を変じることができるのです……」

 

 自分の父と母が仮面夫婦と呼ばれるのにふさわしい夫婦であった――いわゆる、白い結婚(マリアージュ・ブラン)である。自分は半精霊の生まれである。アシルはそう語るのだった。

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