1967年12月5日

最終話

 『サイへ


 こんなに手紙を出していて大丈夫かと思うかもしれないけれど、問題ないわ。この前のテストも一番の成績で、先生達にも褒めそやされたばかりよ。ただあまりに目立つせいで、昨日はお姉さま達のお茶会に招かれてしまったの。でも心配しないで、みんな「とても理解の早い人達」だったから。やっかみで私のアクアマリンを隠した子達に比べれば、素敵な人達だったわ。きっとこれからは優しく見守ってくださるはずよ。


 寮生活が思ったほど楽しくないのは残念だけれど、今度皆で大きなツリーを飾るんですって! それだけはすごく楽しみにしているの。


 クリスマス休暇になったら、すぐに飛んで帰るわ。ツリーの飾りつけは待っていてね。それ以外は全部あなたに任せるから、久しぶりに帰る主人をもてなしてちょうだい。楽しみにしてるわ。じゃあね。


 PS.タイシルクのネクタイとアクアマリンのカフスボタンなら、どちらが好きかしら。


 愛をこめて  ジョスリン』



 しなやかな筆記体で綴られた手紙を、いつものように書斎の窓際で三度読み返してから封筒へ戻す。たっぷりと花を活けた花瓶を運ぶオートマタを横目に、猫脚が優美なコンソールへと向かう。ポケットから小さな鍵を取り出し、一番上の引き出しに差し込んだ。


 お嬢様からの手紙は、これで二十通か。九月に入学されてから約三ヶ月、未だこまめに送ってくださるのは私を慮ってのことだろう。これほど傍でお仕えしないのは初めてだから、大丈夫だと知っていても落ち着かないのだ。幼い頃から傍で咲き続けていた花が突然奪われてしまったかのような……きっと、少なからず嫉妬も含まれているのだろう。今お嬢様の傍にいるのは、私ではない。お嬢様のことをろくに知らない役立たずどもが、我が物顔でその幸運を貪っているかと思うと。


 響いた鈍い音と手応えに視線を落とすと、引き出しの取手が折れていた。

「ああ、しまった。力を込めすぎたな」

 ぼそりと呟いて腰を落とし、引き出しの具合を確かめる。根本から金属製の取手が折れただけで、引き出しの方には問題なかった。買い物ついでに、これも買ってくればいい。


「私は出掛けるから、留守を頼む」

 オートマタ達に声を掛け、隣の私室へ入る。引っ掛けていたコートを羽織り、玄関へ向かった。

「買い物へ行ってくる。お客様が見えたら、記録簿に記入のあとお帰りいただきなさい」

 ドア脇に佇むオートマタに伝えたあと傘を受け取り、開かれたドアを出る。傘を差し、まずは宝飾店を目指した。



 ロンドンの一角にある今の屋敷は、旦那様がお嬢様に遺した財産の中に含まれていたものだ。お嬢様は、元々住んでいらした屋敷をそのままリリー様とロージー様へ、そしてバーバラ様、クラレンス様、エレイン様、ギデオン様、そしてハンナ様のご遺族にも多くをお渡しになった。


――いいのよ、私は元々インペリアル・イースターエッグ一個で良かったんだもの。しかも、ちゃんとお父様をぶちのめして勝ち取ったのよ? 最高の戦利品だわ!


 あの花が綻ぶような笑みを思い出すと、今でも頬が緩む。時折覗くあどけなさと情への脆さは、私の心を惹きつけて片時も離さない。

 タイシルクのネクタイとアクアマリンのカフスなら、当然後者だろう。

 また緩んだ頬をごまかすようにさすりながら、宝飾店の前で傘を閉じる。ドアマンのオートマタに渡して、中へ入った。


 お嬢様はオートマタに関する権利を全て引き継ぐ一方で、旦那様の右腕だった副社長に経営を一任された。主力機種の製造ラインは止まってしまったが、お嬢様は諦めていない。


――お父様が悪魔の知識を利用して成し得たことを私が自力で成し得れば、それはお父様を超えたことになるでしょう?


 脳裏に浮かぶ美しい笑みが一瞬、暗く霞んだ。


「お待ちしておりました」

 奥から聞こえた声に、軽く瞬きをして視線をやる。大丈夫、なんでもない。


「仕上がったと聞いて、居ても立ってもいられませんでした。急かしてしまって申し訳ありません」

「いえいえ、どうぞこちらへ」


 にこやかな店主は、恰幅の良い体を揺すりながら私を店の奥へと案内する。脱いだコートを腕に、きらびやかなガラスケースの間を縫ってあとに続いた。


「そのお気持ちは分かりますよ。女神の胸に輝く最高の逸品です」

 入った応接室には、緊張した面持ちで待つ従業員とベロア張りの宝石箱があった。店主は私にソファを勧めたあと、向かいに腰を下ろす。従業員から宝石箱を受け取って、重厚なテーブルの上に置いた。


「どうぞ御覧ください」

 野太い指が、ゆっくりと蓋を開ける。現れたのは、エメラルドカットの美しい大粒アクアマリンのチョーカーだ。プラチナのワイヤーに一粒だけのシンプルなデザインだが、三十カラットは十分な迫力だった。


「素晴らしいですね、理想どおりの出来です。手にとっても?」

「ええ、どうぞ」


 そっと手を伸ばして持ち上げると、アクアマリンが部屋の灯りを弾いて揺れる。あの瞳を思わせる輝きに、知らず溜め息が漏れた。


「美しいですね。きっとよくお似合いになる」

「気に入っていただけましたか」

「ええ、とても」


 頷いて再びケースへ収め、蓋をする。


「では、クリスマスまで保管をお願いします」

「はい。責任を持って保管させていただきます」


 店主は大事そうに箱を引き取ると、再び従業員へ渡した。この次来る時は、お嬢様と一緒だろう。きっと瞳を輝かせて喜んでくださるはずだ。


 腰を上げた私に店主も続き、再び表へ戻る。クリスマスが近いせいか、若い男達が品定めをしていた。幸せそうな顔を見て幸せになるために、皆が腐心している。平和な光景に、小さく笑った。


「ジョスリン様は、いつ頃こちらへ?」

「二十日にはお戻りになられる予定です」

「そうですか、楽しみですね」

「ええ、本当に」


 答えてコートを羽織り、形式的な挨拶をして店を出た。



 蕭々と雨を降らす分厚い雲を見上げ、冷えた空気を吸い込む。オートマタから傘を受け取った時、近くで叫ぶ声がした。引ったくりか。


 通りの先に視線をやると、ハンチング帽を目深に被った男が戦利品と思しきバッグを抱えて走って来るのが見えた。一息ついて男が近づくのを待ち、その首に傘の持ち手を引っ掛ける。潰れた声を上げた男を引き寄せて腹に一発入れると、あっさり崩れ落ちた。呆気ない。


 掴んでいたバッグは女もの、走って来る若い女性が持ち主だろう。一緒に近づく制服とスーツは、警察官らしい。

 女性より早く駆け寄った警官達は、すぐさま咳き込んでいる男を捕獲する。


「これは、あなたのものですか?」

「はい、どうも……ありがとう、ございます」


 息を切らしながら、女性は雨に濡れながらバッグを受け取る。

「男物ですが、どうぞお使いください」

 傘の持ち手を拭い、開いたものを差し出す。女性は少し戸惑ったあと、顔を赤らめながら受け取った。


「すみません、盗まれた時のお話を聞きたいのでこちらに」

 制服の警官に促され、頭を下げて私の傘と共に去って行く。


「実に鮮やかでしたね」

 一人残ったスーツは刑事だろう、栗色の髪を掻き上げて雨宿りするかのように私の隣へ並んだ。三十を越えた頃か、ひょろりとした背格好は、安っぽいスーツも相まって決して強そうには見えない。顔立ちも至って凡庸だが、視線だけは鋭かった。


「心得があるのに助けないのは、我が主の矜持に反しますので」

「失礼ですが」

「フィッツウォルター家で執事を務めております、シャルマです」


 身元を明かして手を差し出した私に、刑事は納得したように頷いて握り返す。滑らかな手だった。


「テイラー巡査部長です。捜査のために、スコットランドヤードから送り込まれまして」

 テイラーは、肩を竦めながら答える。


「引ったくりに出動とは、手厚いですね」

「いえ、あれは捜査中に起きただけでして」


 ああ、と小さく頷いた私をテイラーは窺う。


「ロンドン一円で起きている『連続通り魔殺人事件』については、ご存知ですよね?」

「ええ、存じております。もう少ししたらお嬢様がお戻りになるので、それまでに捕まえていただければ一番ですが」


 最初の犠牲者は今年の六月、以来毎月一人ずつ市民が殺されている。性別も年代もばらばらだが殺害の手口は同じその事件を、警察は同一犯による連続殺人事件として捜査していた。街中に警察官の姿が多いのは、まだ出ていない今月の犠牲を警戒してだろう。


「ジョスリン嬢は、その後は変わりなく? 父親と全ての兄妹を喪う悲劇でしたが」

 馴れ馴れしくお嬢様を呼ぶ口に、明るい鳶色の瞳を見つめる。


「お嬢様は気高い方です。悲しみは胸の内に秘められて、私にぶつけるようなことは決してなさいません」

「確かに。検疫後に話をしたらしい警部補は、『とても十五の小娘には思えない、特に皮肉の才能は』と」

「それは仕方ありません。愚鈍さを何よりお嫌いになる方ですから」


 お嬢様曰く、島での話を聴取した市警の警部補は「脳に蜘蛛の巣が張ったクズ」だったらしい。アンドリュー様とよく似た、豚のような男だったと。


「この店には、どのような用事で?」

 話題を切り替え、テイラーはきらびやかな背後を一瞥する。


「お嬢様へのクリスマスプレゼントを確かめるためです。注文していたものができたと連絡がありましたので」

 事実を伝えた私に、苦笑で頷く。まあ、この状況では警察官に「幸せなクリスマス」は訪れないだろう。


「あなたは、いつからジョスリン嬢の従者を?」

「拝命したのは十七歳の年ですが、私自身はお産まれになった日からと思っております」

「もし、ジョスリン嬢が『人を殺せ』と言ったら?」


 目を細め、突きつけるように尋ねたテイラーに笑みで応える。


「おいさめいたします。それが従者の役目ですから」

「なるほど。では雨も小降りになりましたし、私はこれで」


 テイラーは空を眺めたあと手で挨拶をして、雨の中を去って行った。


 さすが、スコットランドヤードは多少使いものになる奴がいるらしい。小さく笑ってコートの襟を立て、雨の中を今度は金物屋へ向かった。


――だから私は、その種を含まない『新たな人間』を作り出すことにしたのだ。その贄として求められたのが、私の血を引く十人の魂だった。


 旦那様はあの時、私の血を引く「AtoJ子供達」とはおっしゃらなかった。それなら「九人の子供達と本人の魂」でも許されるのではと気づいたのだ。もちろん賭けではあったが、腕の中で熱を失っていくお嬢様をそのまま葬ることなど私にはできなかった。


 私達は一旦屋敷へ戻り、まずは魔法陣を探した。存在する確証もないまま、片っ端から部屋の絨毯を捲っていった。その最中にイアン様のご遺体を見つけ、逃げ道に使われた窓の存在を思い出した。すぐ確かめた地下室の床には予想どおり、旦那様の血で描かれたらしい魔法陣があった。


――俺は構わないよ。ジョスリンに救われなければ消えていた命だ。


 ギデオン様は穏やかに笑んで仰ったが、ためらいはあった。その時点では、悪魔が私の声に応えて現れる保証はなかったからだ。現れなければ、無駄死にだ。それでも結局は、一抹の可能性を捨てきれずギデオン様を殺した。途端、魔法陣から立ち上った赤黒い炎が瞬く間にギデオン様の遺体を灰に変えた。


――随分と若返ったな。人種まで変わったようだが?


 予想より若い声で嘲笑したそれの姿を私は確かに見たはずだが……覚えていない。何度思い出そうとしても、不自然にそこだけが黒く塗り込められて浮かんでこないのだ。


 それはともかく、私は悪魔に十人の魂を与えた見返りに、お嬢様を甦らせるよう要求した。


――随分と些末さまつな願いに収束したな。まあ良い、叶えてやろう。但し、その娘を「まるで人間であるかのように」生かしたいのならば、条件がある。


 悪魔は私を「多分」見つめて、下卑た笑みを浮かべた。


――月に一人、命の贄を寄越せ。贄が続く間は、生かしておいてやる。


 拒む理由はなかった。

 以来、月に一人ずつ贄として殺している。対象は大人のみ、警察がそれ以上の傾向を絞り込めないよう性別や年齢、人種はばらばらだ。今月は、お嬢様がお戻りになる前に片付けておく必要がある。


――だから、あなただけは傍にいて。


 小さく震えたあの肩を知っているのは、私だけだ。守ることができるのなら、私は何千人でも殺す。でも、その必要もなくなるかもしれない。


 あのトレポネーマは役人の手に渡ったあと行方が知れない。今頃は、おそらく生物兵器としての新たな道を歩んでいるはずだ。奴らは自分達に都合良くあれを作り変えようとするだろうが、旦那様が凡夫に扱えるものを作り出されるわけがない。きっと全てを見越して、この世に終末の種を植えつけていかれたのだ。神の遊戯は、人の世は、そう遠くない内に終わる。


 お嬢様が、その瞳に私以外の男を映す前に。


 辿り着いた金物屋のドアを開けると、金物屋らしく金属のツリー用オーナメントが売られていた。既にたっぷりと買い求めてはいるが、三つ四つ増えたところで構わないだろう。


 お嬢様の好きそうなトナカイと雪の結晶、星を選んだあと天使へ伸ばした指先を止める。小さく笑い、金色の卵を選んで店の奥へと向かった。



                        (終)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤島に神はいない 魚崎 依知子 @uosakiichiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ