第23話

 ゆっくりと目を覚ますと、白っぽい天井と簡素な照明が見えた。……ここは、どこだ。


「お加減は、いかがですか」

 聞こえた声に顔を向けると、サイがベッド際に腰を落として視線を合わす。


「……大丈夫よ、多分。ここはどこ?」

「本土へ向かう船の中です。お嬢様は丸二日、お眠りでした。何かお召し上がりになりますか?」


 いつもどおりの口調で尋ねるサイの手を借りて、ゆっくりと体を起こす。ぐるりと見回した部屋は、行きがけよりは随分質素だが、確かに船室だった。波の揺れも感じ取れる。


 本当に、助かったのか。

 信じられない生存に、ネグリジェをたくし上げて腹を確かめる。貼りつけられたガーゼをめくると、縫合された傷口があった。


「あのあと、すぐに医務室へ戻り手当てをいたしました。毒のせいで仮死状態になっていたのが幸いだったようで、間に合いました」

 サイは水を注いだコップを差し出しながら、私が息を吹き返した理由を伝える。受け取って、久しぶりの水で喉を潤した。


 仮死状態にできる毒の噂は聞いたことがあるが、あれは植物のものではない。尤もハンナは植物に詳しかったから、私が知らない知識を得ていた可能性はあるだろう。

 ただ、サイとは長く一緒に過ごしている。その言葉に滲む違和感に気づかないほど、私は鈍い主人ではない。それなら、事実はどこにあるのか。


 ふと浮かんだ可能性に、コップを返しながらサイを見上げる。


「ねえ、ギデオンは?」

「申し訳ございません。ギデオン様はお嬢様を連れて屋敷へ戻った時、イアン様に襲われ命を落とされました」


 視線を落として告げられた事実は、浮かんだ可能性を裏打ちするものだった。


「……苦しんで、死んだの?」

「一瞬のことでしたので、長くは」


 神妙な顔つきで答えるサイに、唇を噛む。膝の上で、拳を固く握り締めた。分かったところで、もうどうにもできない。穏やかなあの笑みが胸の奥へと沈んでいった。


「島は?」

「旦那様のお手紙にございましたとおり、燃やして出ました」


 頷いて、サイドテーブルに置かれていた封筒を手にする。一息ついて取り出した手紙には、美しい筆記体で父の遺言が綴られていた。



 『我が最愛の娘、ジョスリン


 私がもし目的を達成できぬとすれば、お前に阻まれたのであろう。その時のために、これを記す。


 本土へ戻る際には、医務室の冷蔵庫にある私の血液サンプルを持っていきなさい。中には、非常に感染力が高くペニシリンに耐性のあるトレポネーマが存在している。私が生み出したものだが、島の兎を発生源にしてある。同封した報告資料を役人へ渡し、突然変異したこれが私や兄妹を蝕み殺した元凶であると伝えれば良い。

 有色人種と成長・女性ホルモンともに分泌量が多い女子は感染しないから、お前達が生き延びた理由を疑われることもないだろう。ラジーヴは私の従者として自死したことにしておいて欲しい。


 島を出る時は、オートマタ達を含めた全てを燃やすように。感染を食い止めるためだと言えば良い。既に必要なだけの爆薬は設置してあるから、船着き場の倉庫にある無線スイッチを持って行きなさい。但し、三キロは沖合いに出てから使うように。

 本土へ戻り検疫が済んだら、私の弁護士を訪ねなさい。ロージーではなく彼を後見人とし、引き続き財産管理を頼めば良い。私の遺産は全て、お前のものだ。


 お前が私を超える日を、地獄で楽しみにしている。


 溢れんばかりの愛をこめて ウィリアム・フィッツウォルター』



 一息ついて、手紙を畳む。


「最期まで、勝手な人ね。全てを決めて押しつけてくる」

 サイの手を借り、ベッドから下りる。まだあちこち痛むが、大したことはない。


「この傷は、全部まとめて精神的に錯乱したイアンにやられたとでもするしかないわね」

「はい。そのほかのことも、到着までに口裏を合わせておきましょう」


 サイは私の肩に薄いカーディガンを羽織らせ、サングラスを手渡す。受け取って掛け、裸足のまま船室を出た。


 広がる海を見渡しても、もうあの島は見えない。

 サングラスの周囲に満ちる光を感じながら、緩やかな風に髪を靡かせる。フェンスへ近づくと、行きがけと同じようにサイが腰を支えた。


「証拠は、きちんと消しておかなきゃね」

 大きく裂いた手紙を重ねて裂き、少しずつ小さくして散らしていく。


――素晴らしい、ジョスリン。お前のように優れた子を与えられようとは!


 記憶の声が、今日はより鮮やかに聞こえる。

「さようなら、お父様」

 挨拶の声は少し震え、頬を涙が伝う。腰の手に自分の手を重ね、背を預けるようにサイへ凭れた。


「お嬢様」

「大丈夫よ、私にはサイがついてるもの」


 穏やかな声に頷き、手を握る。昔から変わらない唯一の熱だ。

 この熱さえ失わないのならあとのことはもう、「自分が何に生かされているのか」なども、考えないことにした。

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