1967年6月

第2話

 『我が愛しきAtoJ子供達


 我が身も七十三と老い、遂にすべき話をする時が来たようだ。私の話を聞く準備が整った者は、用意した船に乗り我が島まで来るが良い。少しばかり滞在が長くなるやもしれぬから、それぞれが体調を崩し長期療養を島で行うと周りには伝えておくように。では美しきバラ咲き誇る六月、皆に会えることを楽しみにしている。


 溢れんばかりの愛をこめて ウィリアム・フィッツウォルター』



 何が『溢れんばかりの愛を』、だ。

 うんざりしながら読み返した手紙を畳むと、傍らに影が差す。


「お預かりいたしましょうか」

「いいわ、自分で捨てに行くから」


 恭しく尋ねたサイに答え、しどけなく横たわっていた長椅子から体を起こす。二日前から続く忌々しい揺れに溜め息をついて、テーブルの鏡を覗き込んだ。


 私が父から引き継いだものはプラチナブロンドの髪とアクアマリンのような淡い水色の大きな瞳、細く通った鼻筋にきめ細かな白い肌、ほのかに色づく頬と唇。要は、この美貌だ。しかも左目には八年前、七歳の時から本物のアクアマリンが嵌っている。

 父が作ってくれた美しい義眼はその後の機械人形、いわゆるオートマタ制作に大きな影響を与えた。今や富裕層は皆お気に入りの宝石を瞳にしたオートマタを所持しているし、損壊事件に遭う彼らは大抵目を潰されて瞳の宝石を盗まれている。


「私も、ツイッギーみたいに髪を短くしようかな。背は足りないけど同じような体型だし、あの服を着て化粧も真似したら『新しい』感じになるんじゃない?」

「髪型と服はお似合いになると思いますが、あの化粧は、少しばかりお嬢様にはお早いのではないかと」


 平らな胸に垂れる柔らかな髪を撫でながら尋ねると、サイはいつもと似たような答えを返す。卒のない所作で、影を揺らめかすグラスに水を注いだ。


 私とは違う、褐色の肌に黒髪と黒い瞳。彫りの深いエキゾチックな顔立ちは、年々精悍さを増して色気まで出てきた。父の従者であるラジーヴの息子で私より十歳年上だが、八年前から私に傅いている。私以上に、サイが望んだのだ。

「もう十五歳よ。もうすぐ学校にも行くんだから」

 以前受け取った父からの手紙には、九月から寄宿学校に入学せよとあった。左目のことがあってずっと家庭教育で学んできた私には、これが初めての学校教育になる。


 ほかの兄妹達より二年遅れだが一番「敷居が高い」ところへ通うらしく、どこからか聞きつけたAやBが煩く言って来た。でも私が決めたわけじゃないし、入学に必要なテストも軽々とクリアした。フィッツウォルター家のJは飛び抜けて優秀なのだ、ざまあみろ。……まあ、性格が悪いのは認めよう。

 片方に寄せた髪を緩く編んで結び、サングラスを掛ける。船室を出た途端吹きつけた潮風に肩を竦め、サイと共にデッキへ向かった。



 広々としたデッキでは、予想どおりアンドリューとディーンとフレデリックがカードをして、バーバラとエレインが軽食をつついていた。

「ああ、我らがお姫様の登場だ。今、フォーミュラ1の話をしてたんだよ。来月シルバーストン・サーキットである。お前も行くか?」

 スコッチのグラスを揺らしながら、アンドリューが粘つくような笑みを向ける。これがうちのA、四十五歳の長男だ。兄妹の中で一番肥えて、多分二百八十ポンドはあるだろう。汗と脂で照る肉づきのいい赤ら顔は首との境目もなく、目も鼻も小さくなって埋もれている。平々凡々な焦げ茶色の髪に茶色の瞳はバーバラとクラレンスも同じ、今は亡きフローレンス譲りだ。


「最高ね、耳が割れそうで素敵」

「じゃあ、カードはどうだ? 暇潰しに来たんだろう」


 手元のカードを少しもたげて、小さな目を更に細めながらこめかみを伝う汗を拭った。


「ううん、お父様からの手紙を破り捨てに来ただけ」

「いいのか、招待状の確認があるかもしれないぞ? ないなら哀れなジョスリンお嬢様はお入りいただけませんってな!」


 カクテルを緩く混ぜながらディーンが茶化し、面白くもないのにフレデリックが笑う。こいつらがDとF、三男のディーンは賭け事狂いの新聞記者で、顔をぎゅっと上下に押し潰されたような顔だ。アンドリューほどではないが肥えて、近くを通るだけで脂っぽい臭いがする。まだ三十六歳なのに亜麻色の髪はべたついて、少し地肌が透けて見えるようになっていた。ちゃんと風呂に入っていないのだろう。


 四男のフレデリックは二十六歳で、ディーンとは逆に顔のあちこちをつまんで引っ張り出されたような顔立ちだ。ぎょろ目で出っ歯で、しゃくれた顎先は尖っている。


 リリーに似た兄のフレデリックと、父に似た弟のギデオン。

 栗色の髪に榛色はしばみいろの瞳は同じなのに、顔立ちが違うだけでこれほど卑しく見えるとは。誰がマッシュルームカットなんて勧めたのか、絶望的に似合っていない。まあ、フレデリックの根性がひん曲がって一つ下の弟に嫉妬を募らせている理由は、分からないではない。私はギデオンの方が圧倒的に好きだけど。


「ラジーヴが私を忘れるわけないじゃない。ディーンこそ、あまりの紳士クズっぷりにラジーヴが戸惑って、招待状だけじゃ入れないかもよ? お父様は優雅で洗練されたものがお好きだから」

「J!」


 わざとらしく鼻先をつまむ仕草をして手を払うと、ディーンはがなるように呼ぶ。もちろん、そんな威嚇ごときでうろたえるような私ではない。言い返されるのがいやなら、最初から言わなければいいだけだ。行きましょ、とサイに声を掛けて、誰も泳いでいないプールを横目に奥のテーブルへと向かった。


「J、またDを怒らせるようなことを言ったの?」

 辿り着いた私に、似合わない太眉を顰めてエレインが小言を言う。緑色の瞳を引き立てるスモーキーな化粧はよく似合っているが、時代はツイッギーだ。逆らうように服のサイズが大きくなっているのも気になる。まあ、「概ね」善き姉だ。ディーンとは母を同じくする兄妹だが、性格はまるで違う。男女の差か、二歳の差か。


「向こうが茶化すんだから、仕方ないじゃない。悪いのはあっちよ」

「放っておきなさい。あなたはちょっと口が立つからって、生意気なのよ」


 エレインの向かいで長女のB、男爵夫人のバーバラがティーカップを傾ける。前髪を立てた大きなウェーブが揺れるボブヘアも膝の隠れる丈のスカートも、化粧っ気の少ない目元も全てが古臭い。エレイン曰くグレース・ケリーの真似をしているらしいが、痩せぎすの四十二歳に匂い立つような色気はない。せめて髪の色を抜けばいいのに。


「クラレンスとハンナは?」

「ハンナの船酔いがまだ治らないから、ずっとついてるわ」


 答えながら、エレインはサンドイッチを頬張る。その姿に眉を顰めるバーバラの傍らでは、瞳にサファイアをはめ込んだオートマタが甲斐甲斐しく次の紅茶を準備していた。


 一九四七年のオートマタ規制法により、一目で人ではないと分かるよう躯体の色は白とされ、頭部のかつら、帽子などの装飾は禁じられている。顔立ちも人から遠ざけるようにとのお達しで、鼻はなだらかにあるが口は作られなくなった。


 発明家の父が作り出すオートマタは、会話こそできないものの「まるで人間のように動く」と評判で、富裕層から絶大な人気を集めている。単純作業用のオートマタなら三百ポンドだから庶民でも買えないわけではないが、毎日二回以上のネジ巻きと週一の丁寧な油差し、月一回のメンテナンスが必要だ。手と金を掛けられる者でなければ、購入できても維持できない。

 もちろんそこでメイド服を着ているような、ややぎこちなくも紅茶を淹れてサンドイッチをサービスできるような型は二千ポンドでも足りない代物だ。そこにサファイアだのダイヤだの嵌め込めば、いくらでも「高くできる」。


 近年は国内だけでなく国外からの注文も増え、専門の工場が休むことなく稼働中だ。父がオートマタの制作を始めて約五十年、その資産は数千万ポンドとも言われている。島をまるごと買って屋敷を構え自分の名前をつけた客船を造らせるくらい、簡単なことだろう。


「ジョスリンも、どう? フランスの話をしてたの」

「遠慮するわ、立派なお父様の手紙を海に読ませてあげたくて出てきただけだもの。潮風は、髪がべたつくから好きじゃない」


 眩しいし、とサングラスのブリッジを押し上げて、海を見た。瞳の色が淡いせいで、昔から強い日差しに弱い。美しさには犠牲が伴うのだ。


「お父様の勝手なんて、今始まったことじゃないでしょうよ」

「だけと腹が立つんだもの。こちらの話なんか一切聞かないで、全部勝手に決めて押しつけてくるの」


 うんざりしたように言うバーバラに、視線を戻して頬を膨らませる。


「でも、今度通う学校はとてもいいところよ。羨ましいわ、私達の頃は『近くのところでいい』だったのに」

「ほんと、お父様が『全部勝手に決める』って言ったって、あなたは甘やかされ放題じゃない。従者を許されてるのも、家にいながら至れり尽くせりなのもあなただけよ」


 エレインが口にした「とてもいいところ」に触発されて、バーバラが堰を切ったように私への嫉みを言い連ねる。バーバラはアンドリューとクラレンスの間に挟まれて、自分より良い学校へ入った二人を恨めしく眺めていたのだろう。三十年以上前の恨みを、まだ引きずっている。細い眉間に走る皺や下がった口角は、取り繕えないものを滲ませていた。


「バーバラ、良くないわ。サイがついてるのは」

「分かってるわよ!」


 窘めるエレインにヒステリックな声で答え、窮屈そうな服の肩で息をする。いつもに増して苛立っているのは、父の勝手に付き合わされているせいだろう。皆、自身の生活を中断させてここにいる。

 苦笑で目配せするエレインにあとを任せて、サイと共に海へ向かった。


「お気をつけて」

「腰を掴んでて」


 サイはフェンス際に寄った私の腰を掴み、地に植えるようにがっちり据える。それを支えに、少し身を乗り出して手紙を裂いて散らしていく。潮風に乗った欠片が海の藻屑と消えるのを待って、体を戻した。


「島には、あとどれくらいで着くの?」

「二日ほどかと」


 端的に答えるサイに、溜め息で応える。ハンナは船酔いだから部屋に行ったところで迷惑だし、ギデオンはオートマタのチェックで忙しくしているだろう。あいつは論外、顔を見るのも嫌だ。


「本さえ読めれば退屈じゃないのに、船旅ってほんと最悪」

「ホールがございますので、ダンスか訓練をなさっては?」


 体を動かす暇潰しを勧めるサイに、そうね、と頷く。船室で寝転がっているのも、飽き飽きしていたところだ。

「訓練にするわ。島で大げんかになった時に、全員黙らせられるようにしとかなきゃ」

 左目を失った私に父が与えたのは、義眼とサイだけではない。片目のハンデを埋める徹底した教育は勉強やダンスだけでなく、護身術にまで及んだ。


――片目であることを理由に諦めるような生き方はさせん。


 その理想はご立派だが、実際に行うのは私だ。結果、私は失った片目の痛みも癒えないうちから「両方揃っている奴ら」には求められなかったレベルを求められて育った。泣きながら、手のマメを潰しながら何本ナイフを投げたことか。


 確かめた手のひらは、ところどころが固くて指にも癖がついている。淑女の手ではないが、割と気に入ってはいた。

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