第3話

 島に着いたのは二日後の夜、船着き場には二隻、貨物船と私達が乗ってきた客船より小さな船が停まっていた。島で暮らすには、やはりそれなりの交易が必要なのだろう。ただ船着き場周辺で働いているのもオートマタだし、私達を迎えに来たのもオートマタの運転する四台の車だった。


「今更だけど、オートマタが『港まで迎えに行け』って言うだけでここまで理解して動くの、不思議すぎない?」

「本当に『今更』だな」


 私の疑問に、助手席のギデオンが振り向く。愉快そうな顔を、すれ違った車のライトが照らした。


「ギデオンは、これの中身を見てるんでしょ? どうやって動くか理解してるの?」

 兄妹の中でオートマタ関連の仕事をしているのはAとG、本部の工場長を務めるアンドリューと技師のギデオンだが、より父の仕事を理解しているのはギデオンだろう。


「動きに関してはね。大量の歯車と部品が水が流れるかのごとく連動して、鋼線を押し引きして動きを作るんだ。素晴らしいよ。ただ、どうやって『彼ら』が命令を理解してそれに合う行動をしているのかはまでは理解できてない。父さんは、発された言葉を電気信号に変換して『トルマリン』に伝える仕組みを組み込んであるとは言ってたけど」


 鋼線とトルマリンか。人体の神経系を模したのかもしれないが、だとしても、知識と経験はトルマリンにどう収める? まあ、私に分かるわけがない。父はいわゆる「天才だけど変人」だ。いや、天才だから変人なのか。発明家にして医師であり、数学者でもある。もちろん、オートマタ技師でも。


 絶世の美貌を湛えながらもフローレンス、アイリス、リリー、ロージーと花にまつわる名前を持つ、決して美しいとは言えない女達を「美人はほかにいくらでももらい手があるから」と妻もしくは妾に迎え、十人の子供達にはアルファベット順に名前をつけて「皆が迷わないように」した。五年前には突然この島を買いラジーヴを連れて出て行き、以来一度も顔を合わせていない。そのくせこちらの状況は手にとるように知っていて、機に合った手紙を送りつけてくる。


「愚問だったわ」

「それでも、俺は理解できるとしたらIかJだと思ってるけどね」


 向き直りながらの答えには、思わず眉を顰めた。あいつとだけは一緒にしないで欲しい。


「私、そんなに不出来に見える?」

「知ってるよ、ジョスリンは天才型だ。でも、イアンも負けず嫌いだからね」

「努力で天賦の才に敵うとでも?」

「俺は好きだよ、その性格」


 指先の尖った手をひらひらと振って答え、ギデオンは笑う。十一歳上だが、一番気が合うし話が通じる。クラレンスも理知的で話は通じるものの、いちいち正論で窘めるところが苦手だ。九歳上なのに妹のようなハンナは船酔いの不調が長引いているらしく、クラレンスと同じ車で移動している。クラレンスは医者だし、大人しいハンナを任せられるほどには相性がいいから安心だ。


 前から漂い始めた煙草の臭いを嗅ぎ取って、隣を見上げる。窓外から時折差し込まれる街灯の灯りが、くっきりとした彫りを際立たせて過ぎていく。本来なら召使いが助手席だが、サイは常に私の左側に控えているから例外だ。


「サイは吸わないの?」

「仕事中ですので。お嬢様がお休みなってから吸います」

「おっ、じゃあお姫様が寝たら飲もうぜ」

「ずるいわ、そんなの!」

「大人同士の嗜みってのがあるんだよ。Jも、大人になったらな」


 頬を膨らませて抗議する私を、ギデオンは軽く笑ってあしらう。恨めしげに見上げた私に、サイが薄く苦笑を浮かべているのは予想できた。


 ラジーヴとサイは父が連れてきた移民で、一九四八年の国籍法で市民権を得た経緯がある。人種暴動が起きたのは私が六歳の時、我が家にも排他主義者が突然増えた。ラジーヴ達を始めとする移民系召使いへの態度が変わらなかったのは、父とギデオン、ハンナと私だけだった。腹に据えかねる怒りに七歳の時、皆が集まった席で「時流に乗せられ信念を翻す浅はかさ」を糾弾した。その主張に拍手をくれたのもやっぱり同じ面子だったが、中でも父の喝采ぶりは初めて見るものだった。


――素晴らしい、ジョスリン。お前のように優れた子を与えられようとは!


 惜しみない賞賛に幼い私は鼻高々だったが、それが嫉妬を超えた殺意を引き起こすことまでは予想できていなかった。


――私の全てを捧げて、あなたにお仕えいたします。


 包帯で左目を覆い隠した私の傍にひざまずき、サイは私の手を取った。


***


 程なく辿り着いた屋敷は、意外にもモダンな場所だった。外観やエクステリアは重厚で格調のあるスタイルだったが、内装はそれほど敷居の高い雰囲気ではない。木の色味や壁紙も明るく、軽やかだった。


 その一角にある食堂で、早速の夕食を口にする。兄弟が揃った時は、長いテーブルの上の方から向かい合うようアルファベット順に座るのだ。Aの前にB、Cの前にD……だからJの前はI、イアン。プラチナブロンドの巻き髪にアクアマリンの瞳、私と同じく父親の美貌を受け継いだ二歳上の兄だ。父の若い頃に最も似ていて「私が頭角を現すまでは」兄妹の中で一番優秀だと思われていた、私の左目を潰した男だ。


「ハンナ、無理して食べなくてもいいのよ」

 向かいは最悪だが幸い隣はH、ハンナだから助かっている。

「大丈夫、食べられるだけにしてるから。ありがとう、ジョスリン」

 まだ戻らない顔色で礼を言うハンナは、フレデリック、ギデオンと同じ栗色の髪に榛色はしばみいろの瞳をしている。父とリリーの造作が程よく混じって、ギデオンほど美しくはないがフレデリックほど醜くもない。凡庸だが優しい顔立ちで、その見た目どおり昔から優しい姉だった。バーバラみたいな野暮ったい髪と服は、ちょっと似合っていないけど。


「それにしても、お父様がいらっしゃらないわね」

 ナプキンで口元を押さえつつ、ハンナは空いた上座へ視線をやる。

「気まぐれな人だもの。何か思いついて、そっちに没頭してるんじゃないの?」

 恭しく傍らでぶどうジュースを注ぐオートマタを一瞥して、溜め息をついた。屋敷の中で働くのはオートマタばかりなのか、人間の召使いを見ていない。


「ここの執事はイギリス一礼儀正しいな。移民やつらの小さな脳には、ぴったりの仕事だったんだろう」

 向かいでいやみったらしい声がして、思わず眉を顰める。確かに執事として迎えなければならないラジーヴが姿を現していないのはそのとおりだが、相変わらず侮蔑的な口を利く。差別主義者め。


「ラジーヴは完璧な執事よ? お父様が引き止めてる可能性が思い浮かばないなんて、素晴らしい洞察力ね。一体、学校で何を学ぶのかしら。『よばれたらおへんじしましょう』とか?」

 やり返した私に、イアンの隣でギデオンが小さく噴く。イアンは眉を顰めてギデオンを睨んだあと、私に向かい憎々しげに舌打ちをして食事へ戻った。


 ジョスリン、と隣からハンナが窘めるように袖を引くのはいつものことだ。ハンナが何より「二度目」を心配してくれているのは分かっている。でも私だって、あの頃と同じではない。二度目はイアンが死ぬ時だ。


 グラスを傾けた時、食堂のドアが開いてラジーヴが姿を現す。喪の出で立ちと張り詰めた表情に、自然と場は静まり返った。

 ラジーヴは上座の、父の席の傍らで素晴らしい礼をしたあと、食卓に揃った私達を見る。

「皆様に、とても重要で、そして大変悲しいお知らせがございます」

 神妙な面持ちで切り出された話に、唾を飲む。あの手紙にあった『すべき話』が相続に関するものなのは、皆が分かっていたはずだ。でもまさか、あの父が。てっきり、元気なうちに呼び寄せたのだと思っていたのに。


「旦那様は本日午後早く、息を引き取られました」

 続いた言葉に、食卓は静かな雷に打たれた。


「ご遺体は棺にお運びし、今はそちらでお眠りになっておいでです」

「……体が、悪かったのか? そんなことは一言も」


 クラレンスが眼鏡を外し、青ざめた顔をさすり上げながら尋ねる。


「トレポネーマと申し上げれば」

「ペニシリンは!」


 ラジーヴの答えに死因を察せたのはクラレンスのほかにはイアンと私だけ、あとは戸惑っている。トレポネーマと言われてすぐに思い浮かぶのは、梅毒だ。


「旦那様はあのとおり、研究へ没頭されるとほかのことなど気になさらぬ方です。お気づきになった時には、もう。もちろんペニシリンのおかげで多少は進行を抑えられていたのでしょうが」

 詳しい訳ではないが、確か梅毒は初期症状が自然に消える。それで油断していると、しばらく経って今度は皮膚粘膜に様々な症状が現れるのだ。今は初期にペニシリンを投与すれば治療できるようになったと聞くが、遅れると助からないのは歴史が証明している。


「おい、そのトレポなんとかって、なんだ」

「それはあとで」

「梅毒だよ」


 戸惑いながら尋ねたアンドリューに、イアンがクラレンスの言葉を遮り口を挟む。姉達の短い悲鳴に溜め息をつき、イアンを睨んだ。医学にはとんと疎い姉達でも、梅毒の末期症状くらいは知っている。だからラジーヴが伏せたのに。


「大丈夫よ、ハンナ。怖がらないで」

「で、でも……お父様が、そんな……」


 眉尻を下げ、涙目で震え始めたハンナを引き寄せて肩を抱く。ハンナが弱いのは乗り物だけではない。昔からショッキングな出来事があると縮み上がってしまう。私の事件に居合わせた時は、衝撃のあまり失神してしまった。とりあえず、部屋で休んだ方がいいだろう。


「ラジーヴ、ハンナを部屋で休ませたいんだけど」

「申し訳ございませんが、お待ちください。先に、旦那様からの遺言をお伝えしなければなりません」


 ラジーヴはすまなげな表情で私達を引き止め、上着の胸元から封筒を取り出す。遺言か。


「大丈夫よ、ジョスリン。少しくらいなら聞けるわ」

 無理に表情を作るハンナは心配だが、致し方ない。

「分かったわ。でも聞いたらすぐ部屋で休むのよ」

 労る声を掛けて腕を離し、椅子に座り直す。ラジーヴは私達の準備が整うのを待って、封筒から手紙を取り出した。

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