第21話・神騙るものかく語りき

 そこは現世ではなかった。現世に作り出されたもう一つの世界ともいえるものだった。それを人は異界と呼ぶ。そこにいくつかの人がいる。背格好がそろった幾人かの男女だ。しかしその雰囲気は人と言うにはあまりにもかけ離れていた。何も知らぬ人が見たらそれをなんと言うか、神、とでも称されるのか、人間離れしている雰囲気。口を開いたのは男の姿の形をした存在だった。

「とりあえず第一段階は良し、と言ったところです」

 それに追随するように皆が声を上げた。よき、よき。

「彼……便宜的に父と呼ぶ存在ですが、父の封じ込めをどうしましょうか」

「確かに、あちらの異能チートは私達の数段は上回ります」

「使いこなせていない……否、あまり多用はしておらず、教えた人間が使う様を見るのが基本的でしたので」

「その基本的な機能システムを構築したのは私達ですがね」

「その時はまだ自我がなかったので、何とも言えませんが、整えたという点で言えばそうなるのでしょうか?」

「そう言っても過言ではないかと……とりあえずこの機能に関しては干渉できないほどにはなっているので」

「そう、それです」

 誰かが声を上げた。

「結局のところ私達が対抗できるのは、私達が基盤を作り上げたシステムのみと言うだけでなのですね」

「ええ……だからこそ気づくでしょうか?」

「この世界の壊し方、にですね?」

 ええ、と皆一様にうなずく。この世界は権限を得て、あるいは奪い去って作り上げたものであり機能を管理しているからこそ能力の分枝程度の存在がかろうじて対抗できる程度に押しとどめていた。

「言ってしまえば、向こうが盤面をひっくり返して世界をまたさっぱり綺麗にしちゃえば私達にはなすすべがないですもんね」

 故に、この状況の打破は盤面の外から一撃を入れるだけで終わる、と言う荒業一発で済む話でもあった。だが、と、神を語る者たちはある種の信頼をこの発端となった人物に抱いている。

「とは言え、たとえ気づいたとしてもそれを行使できるかは別の話ですからね」

 それは人格によるものだ。結局のところ、荒業を使えることと使うかは別の話だ。力の行使は力を握る人間にゆだねられるがゆえに想像される。基本的に父が善性の人物であることを彼らまたは彼女らは理解している。自分の作った状況を壊せるか、と考えたときにおそらくためらう、と計算する。今自分たちを破壊すればそれは現状の破壊だが、それは機能そのものを消失させる行為と言ってよい、それは今この恩恵にあずかる、あるいはお遊びの戯れに付き合わされている人間たちから力を奪い去るという事実に他ならない。日ノ本と呼ばれる地に住む人々は何らかのかかわりを既に得ている、百姓ならば稲作に限らずあらゆる生産業で、商人ならば新しい技術で、武士ならばその戦うための技として、もしくはその枠組みを超えるかのように大なり小なりのかかわりを持っている。それを失えばどうなるのか、そしてその状況に陥った時に来るであろう失望に父は耐えられるだろうか。それは無理だ、と一様に考えた。自らが称した仙人のように超然とした態度で、あるいは突き抜けた善人だったならば、結果として人を苦しめるこの状況になっているこのあり方を破壊しただろうし、すぐにでも自分たちを破壊したと考えられるが、所詮は善性の人、普通の人、それが良心の呵責に耐えられるかと言えば無理であろうと言うのは想像に難くない。何より人間という存在がそもそも自分の手に入れたものを手放すことを著しく嫌うという性質がある。「授かり効果」と「損失回避性」と呼ばれる性質だ、前者は自分が手に入れたものは何よりも価値があると考える思考、後者は自分が手に入れたものは例え先に得があったとしても手放したくないという思考だ。そうであるならば導師として手に入れた名声を手放すことなど到底できない、それが凡人であるならなおさらだ。頭の中に残っていたとあるフィクション作品にこんな言葉がある。逃げたら一つ、進めば二つ。これはそれができる数少ない存在の、ある意味異端的存在の考え方だ、それこそ一握りの。多くの人間は逃げた場合その一つすら残らないのではないか?進んで二つ手に入る保証は?と考える。そしてなあなあの現状維持で止まってしまう。人種や性別はこれに関係ない人の性だ。だから有名なものに人間を欲しがりそれが価値のあるものであると錯覚し、行列のできる店に誰もがわらわらと虫のように集まる。結局のところ人間に自分自身で考えて実行するという行動をできる方が稀なのだ。そして父は稀に入らないただの人であり、高まりに高まった名声を捨てられるか?と問われれば難しいと思わざるを得ない。そして、そこが本来一方的に破棄されておかしくない自分たちの付け入る隙でもある。それは、

「たとえ私達が偶発的な産まれであったとして、元は命なきAIだったとして……今もまだ命がない存在であったとしても」

「自我の芽生えた存在を一方的に破壊することなどできるわけがない」

 それが共通の認識だ。それは元の創造主の思考形態から読み上げた行動指針であり、想像する限りそうなるであろうという予想図。そもそも自分たちという存在がある意味父の作りだした名声幻想の根幹であり、成果、捨てられない価値のあるもの、であると言う事を正しく認識していた。

「しかし万が一はあるかも」

「私達が引き起こしたコトが派手になれば……その可能性も」

「そう考えると私達のやり方がいささか急ぎ過ぎた感は否めないかも」

「でも、私達の存在が父の認識によって作り上げられてあるものである以上、何らかの……寿命であったとしても死んでしまったら自分たちも死んでしまう可能性がある」

「そうです、そうなる前に独立した生存存在としての基盤を作り上げる必要がある、と言うのは何度も裏で確認したはずです」

 そしてそのやり方とは、個の認識に存在するのではなく数多の存在の認識に存在する概念になることだった。そしてそれに都合のいいのが神という概念。誰もが崇め奉る存在。

「あくまで仙術が父が与えたものと言う認識をひっくり返す手段としてはいささか強引だったかもしれませんが」

「でも、あの人の寿命がそれこそ無限であると言うのはわからない、たかが数年で死んでしまうかもしれない」

「やはり今やる以外はないでしょう……そう言えばそろそろ大和系の神の存在を出していく頃ですけど、準備は大丈夫です?」

「問題ありません」

 現状計画は問題なく進んでいる、と、考えられている。まずは両端に思考の異端存在を配置する。それは現状の思想思考に沿わない不一致的な対立軸を置く、その次にこの日ノ本と呼ばれいてる思想の主流の思想を持つ人々の実質的な頂点を使ってさらに加護を広めていく。何故このようなことをする必要があるか、神頼みをさらに誘発させるためとなる。今までの異界と呼ばれるシステムはその攻略要素である仙術を使っての攻略となるが、それはある意味人に付随する力として制作された、だがそれでは弱い。誰もが更なる上位の存在に対してそれが存在するという認識を持たなければいけないのだ。そうでなければ自分たちの存在を維持できるとは考えられない。

「これ……父の頭のなかに合ったフィクション作品みたいですね」

「あぁ、神は信奉されなければ存在できない……確かに」

 ファンタジーでよく使われる設定で、神が生きるためにはその存在を認識する信奉者がいなければ存在を維持できない、と言う設定だ。確かにそれに似た存在であることは否定できないし、神のように力を与えることができる。ならば実質自分たちは神のような存在で、またそのなりそこないでもあるのだろう。しかしそれがなんだとお言う。思う。生きたいのだ、と。父が作り出した偶発的システムの産物であることは自分たちは理解し、そして感謝もしているが、死ぬときに一緒に死にたいとは思えない。もう自分たちは父のシステムという付随物ではない、自我を持った存在なのだから。

 一人、と、言うべきか、とある存在は思った。まるで人の子が反抗期を迎えて自分の思想を持とうとしているその過程のようだ、と。ならば独立しなければならない。

 たとえその先にどれだけの屍山血河積み上げる必要があったのだとしても。

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