第13話・許容と拒絶と戸惑いと/弥兵衛の話・終

 しばらく歩いただろうか。歩を進めるごとに弥兵衛の後ろで焦燥感が湧き出てくるのが分かった。若さは忍耐を知らない時がある。若く無鉄砲で、無知。それは美徳である時があれど、耐えねばならない時には邪魔だ。先ほどの戦いに当てられたのか、戦いに向けての本能が湧き出ているのだろうし、同時に恐怖もしているのだろう。初めてか、もしくはそれに準ずる実践が矛盾する心を生み出している。闘争の熱意と、逃亡への意思、戦いの場においてこれはどちらも生まれる物であり、どちらかが勝った時に行動が決定される。果たしてこの三人はどちらになるだろうか、と弥兵衛は思う。人の本性はいつ分かるか、それは窮地に追い詰められた時だからその時が来なければ分かることはない。

 しかし弥兵衛の嗅覚は告げていた。その時が来るのは遅くないと。

「陣幕は無駄になるかもな」

 自らで消化するようにそうつぶやいた。

「それは…?」

 そう尋ねられて、返そうとし、声を閉じた。音がする。くる、と勘が行っている。

「皆…覚悟は決まったか!」

 三人が間抜けな声を上げるのと合わせて、音が近くなる。木々を踏み倒す異様な音、嵐のような風ではないがそれと同質の巨大な力が音を立てていた。勘が外れて欲しかった、せめて未熟な三人が意思を固めるまでに時間が欲しかった。そういった浅い願いは大体無視される。

 高さは一間(約1.8m程度)があるか、幅も広い、こちらは高さの倍はありそうだ。しかし目を引くのは甲羅だ。岩が生えているかのような甲羅はナマクラならば逆に折ってしまいそうなほどだ。口から見える牙は肉を噛み切り、裂くことがたやすいのだというのは簡単に理解できる。幕府から出ている絵姿よりも、実際に見ればその威圧感、異様さを直に感じてしまう。あ、と言う声が聞こえた。心の折れる声だ。

「な、なんだよ、これ……」

 声は松吉のものだ。

「こ、こんなんっ……勝てるわけがっ……!」

 そこまで言い終えかけて鈍い打撃音。義忠が殴って黙らせた。

「馬鹿!!われらは武士だぞ!獣風情に何を恐れを抱いてるっ!!」

 喝を入れたことで士気がさがることだけはなかったが、状態は芳しくない。

 弥兵衛はもはや自分だけが頼りだ、と決めた。これくらいなら倒せなくもない。霊力を体にみなぎらせる。臨戦態勢のまま巨体に走った。鋼噛はその巨体に合うほどに鈍重で、弥兵衛が走るだけでも追いつける。その際に叫んで三人が向かってこないように言っておく。守るかは微妙だ。すぐに振り払った。今戦うこと以外を考えれば命はないだろう。距離を詰めて一気に刃をふるった。鈍い音と共にはじかれる、甲羅だけではない、生身のほうまでも硬い。肉が厚く太い、皮膚が厚く硬い。はじくのもわかる。舌打ちをして切り替えた。弥兵衛とてばかではない、効かないのであれば効くようにすればよい。霊力をまとわせる技術は複数あるが、ただ霊力を込める以外にもそれを起点に五行の力を使うことができた。五行の等級が上がれば威力も上がる。弥兵衛は五行の内木の気を得てとしている。木の気は便利だ。風のようなものも含まれているしことによっては雷も呼べる。気合いを込めて体の中に木の気を回す。霊力がその質を変えていく。風圧が音を立てた。岩を砕くように風を集め、込めていく。軽くしかし、その巨大な力は弱い敵ならば即座に切り刻まれるのは目に見えるだろう相手は巨大。体は硬い。だからこそ砕いて見せなければならない。一気に叩き込む。前足にふるう。刃と言うよりは風でできた槌のようだった。えぐり込むようにめり込んだ。咆哮、おそらくこれは人で言うところの切り傷程度のものであれ、意識を向けられたならよい。何より切り傷程度でも肉を割けたならそここそが弱所になる。

「来いよ、鈍亀!!」

 叫ぶ。向こうがこちらに意識を向けるよう、そして自分に活を入れるように。視線が合う。明確に鋼噛はこちらを敵と認識したようだ。それは歩くだけと言うだけの行為を明確に殺意に変えて動くと言う事だ。都合がよかった、へたに動かれるより明確に意思のある動きをされた方が避けやすいからだ。

 霊力は使えば消えていく。自分の中にある霊力をどれだけ残しながら戦いを続けられるかを勘定する。汗が流れた。これはあまり長くやれそうではない。決めるのであれば果敢に、相手に時間を与えることこそ明確な利敵。だからこそ冷徹に殺す算段を。まず弱所は考えられるだけで三つある。まず一つ、己がつけた足の傷、もう一つ、おそらく鍛えられないところである目と口だ。しかし目は現実的ではない。実質的には二つ、足と口。問題ない、二つも勝ち筋がある。長巻を構える。ふるう。刃が音を立てる。執拗に足の傷を狙う。かばうように鋼噛が動く。蠅を振り払うように足を振る。子供の駄々と同じようなものだ、しかし大きさがそれを脅威に押し上げる。かすっただけでも纏った霊力ごと踏み躙られそうな気さえする。一度も当たってはいけないというその背筋に走る悪寒が…腹に熱がこもる。婆娑羅者は愚かだ、おおよそどこか戦うことに喜びを見出してる。そうでない人間はそもそも婆娑羅者を長く続けられない。弥兵衛は典型的な婆娑羅者である以上その背筋に走る命をわずかばかりを残して削り上げる感覚を愛していた。躱せば躱すほど、さらに刃がうなっていく。どちらが死ぬ?どちらが絶える?それはどちらだ?どちらだ……?きっと、これが俺の涅槃の頂きなのだ、戦う事でしかその先を見ることができない野蛮な人間の有様なのだ、だから感じさせてくれ、俺の逸物は既に上がっているんだ、だが足りないんだ、俺は、俺は思うのだ、ここで本当は死ねればいいのに、なんで俺は生きているのだろう?なんでだ?なぁ、殺してくれ、俺のことを。だから殺させてくれ、お前の命を奪わせてくれ、そうだろう戦うってそう言う事だ、命を奪われるってことは奪われるってことだ……――猛る、心がどこまでも。このままずっとこうして居たいくらいだ。命の続く限りこうして居たいくらいだから、それをお前も感じてくれているか?

 しかしその時間は長く続かなかった。弥兵衛は良い。しかし弥兵衛以外は?弥兵衛はどこまでも自分のことしか考えられない人間であることを弥兵衛自身が忘れていたのだ。復讐に心を燃やす若者が言いつけを守ると本気で思えるわけがないのはわかっていたはずだ。もし、自分が周囲を見て支持を出す人間であったならもっと周りに気を遣えていただろう。肉塊がある。人のものだ。血が噴き出ている。肉が飛び散っている。やってしまった、と弥兵衛は思う。死の匂い、義忠が、松吉が、辰郎が、揃いも揃って屍をさらしている。そして弥兵衛はそれにまったく気づかなかった。なぜ気づけたか、後ろずさってたまたま見てしまったからだ。熱が冷めていく。あぁ、やってしまった。どの口が守るといった?どの口が……どの口が。笑いが溢れた、嘲笑だ、己に向けて。冷めた、熱が冷めていく。


       〇


 弥兵衛はヌシの首級を上げたことを証明するために核をえぐり取ってそれを酒場の主に渡した。酒場の主は幕府に銘じられて主の核を届けることを命じられていた。首級をとった婆娑羅者にはその等級に合わせて金が支払われる。守らねばならない人間が死んだ分もらえる金は少ない、それでもただ働くだけでは到底手に入らない金。

 それをもって向かった先は遊郭だ。血にまみれた心を女で流す。

 遊郭は華やかだった、自分がここにいてよいのか、と思うほどに。しかし何度も通ったから慣れてはいる。馴染みの女を一晩買った、高かったがどうでもいい。払うだけの金はある。女に声をかけ、部屋でゆっくりする。交わるような気分ではないから金の取られ損な気がする。関係ない。する気になればきっとする。

「んふふ……旦那ぁ…気が落ちてるでありんすねぇ」

 甘ったるい声で言われた。

「ん……あぁ、まぁな」

「らしくもない」

「かもな……俺は……どうも他人とつるむなんてのはできねぇみたいだ」

 洗いざらい話す。女は笑った。

「そんなことで悩んでるなんて……面白いですわぁ」

「面白いか」

「そうですよぉ……命捨てての婆娑羅者になるって、復讐するってその子達でありんしょ?」

「あぁ……」

「なら、そんなものでしょう?不幸って、誰にでも降り注ぐんですわぁ」

「そうだな……」

 それはそうだ、と、言う。飲み込んだ、言葉を。

「身を守れねぇのに、身の丈に釣り合わん敵と戦おうとしたのが悪いかぁ」

「そうでありんすなぁ……命あっての物種、というなら捨てるのも……」

「自分の意志ってかぁ……」

 そんなものだったな、と弥兵衛は思う。

 それはありふれたことだろう。戦いに出て、ただ無駄に死んでいくだけなんてごまんと見たはずなのに、どうして俺は悩んでいたのだろう?と、思った。

 弥兵衛は受け入れた人間だ。この変わってしまった江戸を、時代を。

 弥兵衛は受け入れた人間だ。その恩恵を、その残酷さを。

 だからこれからもきっとそう言う人間であるままに、死ぬまで生きていくのだろう。少なくともそれは布団の上ではないのだけはなんとなくわかっている。

 弥兵衛は悩んでいたものを下ろしたから湧きあがっていた情動にかられて女の服に手を付ける。

 女の上で死ねればいいのに、わずかばかりその心が湧きあがる。



 受け入れた人の話/弥兵衛獣狩録――終

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