第12話・許容と拒絶と戸惑いと/弥兵衛の話3

 異界は現世と比べて隔絶した事象が多いのは婆娑羅者ならば常識といってよい。というよりも、そう言ったあり得ないほどの領域があると言うことを日ノ本の民は仙術の存在と共伝え聞いている。しかし見るのと聞くのでは意識に差が出るのは当然だった。若武者とその家来の三人はあまり異界に来たことが無いのか、それともこれが初めてなのかどこか怯えたように目を周囲にやっている。

「なんだ、臆したか?」

 弥兵衛がからかうように言った。どこか怒気を孕んだ声で言い返してくる。

「武士が臆すなど」

 その躍起になって言い返してくる様はまさに臆した人間のそれだが弥兵衛も鬼ではないから黙っておく。自分は最初どうだったか思い出してみる。朧気だ、あまり記憶に残っていない。しかしわずかにへばりつく思い出は良い物ではない。弥兵衛自身がさほど必要とされる人間ではない、十把一絡げの存在で、こうして今生きているのも偶々…運命の巡り合わせといってよい。投げやりだった。何もかもどうでもいいから捨て鉢で初めてヌシに挑んだ記憶だけが残っている。何を倒したかなど覚えていないが、生き残っていることだけが重要な事柄だ。あぁ、そうだとも、俺に残っているのはこの体だけだ。死ぬまでにこの体さえ残ってればまだまだ銭を稼げるのだから、死んではやれないさ。背中の長巻を撫でた。相棒、初めて手にした莫大な金で買った今も使い続けている相棒。霊力を纏わせれば切れ味が落ちることはない。己の霊力が尽きるまで、と但し書きが付くとしても、刃がこぼれないというのは良いことだ。きっとこの刃が砕け、折れた時きっと俺は死ぬのだ、と予感している。

 異界を歩く。平原だから見通しが良い。よく観察してみると、多くのモノがある。音であれ気配であれ。それが少なくとも自分たちを歓迎してないものだと言うことを弥兵衛は知っている。どれもこれも異界に救う化物のそれだ。声をかけて気を張らせておく。

「既にここは敵の領域、構える準備をしておけよ」

 音もなくうなずく気配がある。声を出したくないのだというのが良く分かる。不用意に音を出し襲われたくないという警戒心だろう。最初はこれで良い。しかし時間が経てばだんだんとゆるみが出てくる。ことあるごとにしかりつける必要が無ければ良いのだが、若く無鉄砲が形になったような相手に対しては……どう考えても悪い方向に考えてしまう。そもそも身分の差がある。一応まだこちらを立ててはいるが、相手を倒せると分かってから軽んじてくる可能性が十分存在する。勿論弥兵衛は九郎が親の形見を取り戻したいと思う心意気を買っているし、仇討は花だ、協力するのにはやぶさかではない。しかし命あっての物種だ、そこら辺を彼らは理解しているだろうか、死ねば二度と敵を打ち取れないと言うことを。

 まとまらない思考を必死にまとめて平原を見る。音、そろそろ来るか、

「みな、構え!」

 号令をかけるともたつきながらも三人が構えた。実戦経験が無いのは手に取るようにわかる。自分は師範になった記憶はないのだが今はそうは言ってもいられない。猿真似でもいいから今はこの場を主導する必要がある。

「いいか、後方にも警戒!松吉、お前だ!辰郎は不意を打たれぬようにしておけ!九郎は俺と切り込むぞ」

 返事を待たずに弥兵衛が長巻を抜いた。音がすれば獣が襲うのは早い。相手は自分たちが人間如きならば即座に殺しきれると理解しているから先手を打ってくるのだ。それは半分間違いで半分正しい。まず事実として力も速さも獣の方が早い。それは異界ではなくとも普通の獣ですらそうだ。しかし異界に潜るような人間は獣に後れを取らぬように鍛えている。たとえぐうたらしている弥兵衛ですら最低限は。そのうえで仙術を纏えばどうなるか、というのは具門だった。

 敵が来る。獣は奇妙な形をしている。青白い肌に、黄色いくちばし、そこに甲羅を背負っていて嫌悪感を湧き立たせる。河童だ、下位等級の雑魚だが群れて襲ってくる厄介な手合い。

 雄たけびを上げて弥兵衛が突っ込む。そして腕を振るった。長巻の大刃が横薙ぎに叩きこまれる。霊力を纏わせた刃は、弱い怪異相手ならばさほどの問題とはしなかった。上半身と下半身のはざまに滑るように刃がはいる。たとえ現世の常識とは違う存在相手とはいえ、上下が泣き別れになるようなことになれば流石にただでは済まない。

「そちらはどうだ!」

 弥兵衛が大声で問う。音を立てれば何かが寄ってくるなどというのは今は考えていられなかった。

「や、弥兵衛殿っ!!」

 声に焦りがある。見た。九郎の方はてこずっていて、それを助けようと家来二人がまとわりついている。警戒しろと言った言葉は記憶から抹消されていたようだ……武家の家来と言うことを考えれば主を守ろうとする動きの方が正しいのだが、どうにも引っかかってしまう。が、それは小人のつまらない考え方か、と弥兵衛は思考を切り替える。今は敵を討ち倒す事だけが重要だ。そも三人がかりですら敵を倒せていない以上、早く救援しなければいけない。

「今行く!」

 短く叫んで弥兵衛は駆け出した。


     〇


 数で押せるのは、それを逆転できるだけの個が居ない場合にかぎる。弥兵衛はそれをできる側の存在だったのが幸運だった。とりあえず死人もなく生き残ることが出来たと言うことを噛みしめる。

「助かりました、弥兵衛殿…」

 息を切らしながらそう言ってくる姿はどこか頼りない。

「……おい、大丈夫か」

「大丈夫です…ただ、身体が戸惑っているだけで」

「そうか………なら、もしダメそうなら言え」

「それだけは………出来ませぬっ!!」

 息の上がった声が上ずったように声を上げた。

「父の形見があるのは分かるが………」

「それだけでは………それだけではないのです」

 必死の形相だった。

「陣屋大名をご存じか?」

「……まぁ、城が無いってことくらいは」

「ええ、そうです…だがね、城がある大名と無い大名では格が雲泥の差なのですよ…私はそこの家臣だ、コケにされ、侮辱され…そのうえ父の仇もとれぬとなればどうなる?もはやそんな城無しからも追い出されれば我が家はどうなる?放逐されてまた他のところに仕えることが出来るとでも?…逃げた武士にもはや居場所は…ないのだ…弥兵衛殿、分かるまいよ、俺があなたを根本的に分からぬように、どこまでも非合理に見えるであろう…だが、これがわれらの合理、われらの道理なのだ」

 悲痛の色が混じった声を聴く。弥兵衛には何も言えなかった。当然だ、言われた通りだからだ。どれだけ言われても根本的な所で別の存在である武士の言い分を言っている意味が分かっていても、理解がおぼつかない。戦って負けそうならば逃げればよい、という理屈が効かない、負けそうなら次があればよい、と、弥兵衛の考え方が相手に理解されないのと同じだからだ。溜息を吐く。

「分かった……俺は所詮雇われ、そちらの方針に従い話する」

「弥兵衛殿」

「しかし、それを通すのならおぬしらが生きて帰れる保証はできかねぬ」

 しかしそんな弥兵衛でも一つだけ分かることがあった。それはこの時代の通年で、誰もがそうと理解している事柄。仇は打たねばならない。これだけは弥兵衛にだって理解出来る。そして仇討に腹をくくった人間は例え向かう先が地獄であったとしても進むのだろう。

  鬼に逢うては鬼を切り、仏に逢ては仏を切り、獣に逢うては獣を切り、たとえそこに際限がない無間地獄であろうとも、歩を進め続けるということをしなければならなく、だからこそ、それを成し遂げた際に誉を得るのだ。ゆえにやらねばならない、この若い三人を生き延びさせ、そして形見を取り換えさせるくらいはしてやれない事もない。

 弥兵衛は普段見せない小さな覚悟を誰にも見えぬように決めた。

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