第11話・許容と拒絶と戸惑いと/弥兵衛の話2

 腹を満たし、少し時間をおいてから異界に向かう。

 そも、なぜ異界を祓わねばらないのか、と言う疑問を持ったことがある。理屈の上では異界とは淀みであり、その淀みがたまり続ければその地で悪さを起こすのだという。自身、地割れ、旱魃、塩害、とかくそう言ったものが周囲で起きるから異界のヌシを討伐することで異界を祓い閉じてやらねばなるのだと。しかしそれにはどこか違和感を感じたことがある。漠然とそう言った理屈だからしょうがないと思わせる理由づけとでもいうべきか。そんな曖昧模糊なことを頭に浮かべてそして振り払う。結局のところ弥兵衛のような一庶民は理屈がどうであれ金を稼がせてくれるのが大事なのであり、それ以外に望まれる理由などはない。金、銭がなければ世が渡れないのだから、むしろどんな理由であれ稼ぐ手段を新しく作ってくれた導師とやらには感謝しなければならない。だが、この世にはそう言ったものを難しく考える人間も多い。単純な答えと言うものが存在せず世の中すべて複雑奇怪な何が絡んでいるのだと大真面目に考える奴らだ。弥兵衛は金を稼ぐことができるようになってから、時々遊郭のいい女を買う。女は大層頭がよく、色々な話を弥兵衛に聞かせてくれた。中には古い文献の話もあって、戦争の物であるとかあまり女が好きそうではない話も色々聞いた。そのうえでやはりこの世の大半は単純なのだ、単なるいさかい、男とか女をめぐっての喧嘩、ちょっとした土地の領域争い、多くの場合そう言ったあまりにも言葉にしたのなら単純なそれを種にあれこれ理屈をつけて大ごとにしようとする輩がごまんといる。ほどけば何時だってこんなものか、と思うようなことでしかないのだ。

「いいか、戦ってる間は仇討なんぞと考えるなよ」

 そして今日連れ立って異界にいる若い三人はそう言たことを難しく考えるのがお好きな、弥兵衛にとってあまり理解できない人間だったからそう言って釘をさしておく。

「弥兵衛殿……何故……?」

 怪訝そうな顔で義忠が弥兵衛を見る。

「いいか?憎しみってのは刃を…殺意を鈍らせる」

「逆なのでは?」

「憎しみを持つとな、一気に殺そうとしないのだ、いたぶってやろう、俺の痛みをお前にも味合わせてやろう、と無意識に手を抜くのだ、それが人間相手ならまだ通ずることも……多少あるかもしれんがな、手合いは獣よ、悪意が獣を象ってるにすぎん、がしかし、それでも人間に通じる様な理屈は一切通用せん、だから憎しみを持つな、とは言わんが戦ってる最中は捨ておけ、いたぶればいたぶっただけこちらが地獄に足を踏み入れることになりかねん」

「……肝に銘じます」

 あぁ、と弥兵衛が義忠に言う。あまり期待はしていなかった。若く直情的な人間にこう言った心構えはいささか難しい話ではある。弥兵衛ができるのは自分が強者の側にいるからだと正確に理解していた。力量を把握する程度ができなければ長く生き残ることもできはしない。しかし、今回に限っては生き残る自信はあまりない。単独でできる仙術を他者を守りながらできるかと言えばそれは否定されなければならない。まず義忠の護衛は完遂しなければならない。依頼料をもらわなければならないのだから徒党の主を守るのは当然の話だ。ならその家来二人はどうか、となればこの二人は義忠に比べれば重要度は高くないとは言え、死なせた場合それを理由に値切られる可能性は十分考慮されなければならないのだ。結局三人纏めて守り切り、自分が生き抜いて、そして依頼料をもらう、言葉にすればこれがすべてで、そして単純だ。

「ま、最悪俺が前に出て何とかする故、あまり前に出るな」

「我らが足手まといだから?」

「そうだ。そも、鋼噛ハガネカミは駆け出しが討ちに行くような手合いではない。幕府の出してる魑魅魍魎図説にては三等怪異と位置付けている……お主らの実力はどう見てもまだ一等怪異を相手にする程度が席の山よ」

 異界の存在が知ら締められてから、幕府も進んで情報を出してきた。腰の重いお上にしてはあまりにも迅速な行動だったが、出されたものが有用であればいいし、向こうもそこから得られる税収のことしか頭にはないだろう。お互い様、というものだ。魑魅魍魎図説には目撃された異界に住まう怪異たち、それと主の姿が絵姿になって乗っていて、他にはどのような討伐方法が良いのかがまとめられていた。等級は弱い順から一、最大で十となる。十ともなれば極大の異界を持ち、何十何百といったてだれを連れてようやく祓えるかもわからないと言う事らしい。弥兵衛は単独で等級五まではいけるが、それ以上になれば誰かと組まなければ難しかった。徒党に手を貸すことはあっても、徒党を作ることはない。人と関係を作るのが弥兵衛は苦手だ。駆け出しに手を貸すくらいが丁度良い。

 異界はそも人の無意識から垂れ流されたものをもとに作られるのだという。異界そのものがどこかで見たことのあるような形になるのはそれが原因だという。鋼噛

《ハガネカミ》は比較的広い平原のようなところを闊歩するという特徴がある。巨体が山の邪魔にならないようにしているからなのではないかと、想像されていた。動きは鈍く遅いが、どこにいるかわからなければ討ち果たすことはできないから、まずは異界を歩くところから婆娑羅者は始める。多くは勘であるが、その勘を練り上げるためには多くの小さな積み重ねが必要だった。

「ここいらがよかろう、まずは陣を張るぞ」

 弥兵衛がそう言って、見晴らしのいい場所に陣幕を建てさせた。相手によっては長丁場になることも珍しくはない。敵を侮って一旦休息をとる場所を用意せずに無謀な戦いを行い、傷を治療もできずに朽ち果てる婆娑羅者は山ほどいる。いずれ自分たちでもやるだろうから、と口で丸め込みつつ弥兵衛は周囲の探索を開始する。目に霊力を流して疑似的ではあるが天眼、あらゆる場所を見通す目を生む。万能ではないが、便利だ。獲物がどこにいるか探すときやみくもにやらないよう最初にこれをすることを心掛けている。周りを見ていると松吉が弥兵衛に声をかけた。

「弥兵衛殿」

「なんだ、陣はできたのか?」

「あぁ……もうほとんど終わって声をかけて来いって……何もせずに周りを見てるだけ?」

「阿呆、手掛かりをつかまずにむざむざ死にに行きたいのか」

「別に……そう言う事じゃないけど……慣れてるあんたが作ればもっと早く終わったんじゃない?」

 暗に、武士の家来以下のお前が何もせずただ周りを見ているだけでいいのか、と言っているようだった。

「はぁ……お前が一番最初に死ぬかもな」

「……ふん」

「よいか、目に霊力を流して視る力を上げるのは周りを斥候するうえでほぼ必須よ、お前に効率よく鋼噛ハガネカミを探すやり口はあったのか?」

「……」

「黙るのか、それが答えだな……何をしてるか見る時はな、相手が何を考えてるのか推測して物を言え」

「何を……多くこの世には阿呆ばかりだ」

 松吉がそっぽを向く。何をこじらせているのか、と弥兵衛は思うが。若者の癇癪と言うものにいちいち突っかかるのは大人のするべきことではない。溜息を吐いて、叫んだ。

「おい、皆の衆聞けよ」

 その言葉に陣を張っていた二人も寄ってくる。

「はいぃ、どうなさりました~?」

「も、もう少しはっきり返事をせよ……して、何が」

 うむ、と弥兵衛がうなずいて聞き漏らしがないように言う。

「陣もボチボチできてきたようだし、そろそろ鋼噛ハガネカミを探しに行くぞ!」

 その声に待っていましたと言わんばかりの義忠と、どこか他人事の辰郎、それに何か野心のようなものを秘めている松吉。この三人を見て顔に手をやった。こいつら無事に生きて帰れるかわからんな……そもそもこの話を受けるのが間違いだったかもしれん、と。しかしもうここまできてしまった以上後悔は飲み込んで前にすすむしかない。弥兵衛が前に立ち先導し、化け物蔓延る異界へと足を向けた。

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