第10話・許容と拒絶と戸惑いと/弥兵衛の話

 とりあえず協力することを決めた弥兵衛は徒党と共に食事をとることにした。戦う前に腹に飯が入っていなければ元気がわかない。

「おい、若い衆飯にしようぜ」

「……あいにくと手持ちが」

「江戸っ子がケチするわけねぇだろ、おごってやるわ」

 そう言って財布を取りだした。家賃に払う銭はなくとも飯に払う銭はある。かたじけないと口々に言われて少しばかり照れ臭くなる。こうやって褒められるのは柄ではない。とにかく、と徒党を見た。人数は弥兵衛が自分を勘定に入れて四人、まずは徒党の主で武士の子と言った若い男、もう一人は鈍牛を思わせるどこか緊張感のなさそうな大きな若い男、当てになるのかわからない優男、本当に駆け出しだというのがわかる面持ちだ。最初は皆晴れやかな顔をし、そしてその多くは現実を知って擦れていく。弥兵衛もその一人だ。

「とかく話すなら席につけ、邪魔になる」

 案内されたのは奥、人がごった煮になっている中、乱雑に草鞋をほおって上がって行った。

「今日の献立は?」

「ただいま表をお持ちします」

 そう店員が言って紙きれを渡してくる。最近は仙術で鮮度が保ちやすくなったからどこもかしこも多くの献立を扱うようになった。御大臣ともいえる豪奢な店では日替わりなどと言うたいそうなものもあると弥兵衛は聞いたことがある。ここはそう言ったことはしてないようだが、ふむ、と眺めた献立表は紙一面が埋まるほどだ。端のほうには酒があった。酒もあるのは良いことだ、ただ異界に赴く前に酒を飲むのはダメだ。一昔前の酒は酒精が弱く少し飲んだ程度では動きが鈍るなどありえなかったが、今は多くの酒はその技を増して味も酒精もこれでもかと強くなっていて、それを飲めば腹と頭が熱くなり到底戦いになるものではない。惜しいな、と思いつつ腹に溜まるものを見繕う。

「おい、お前らも選べ」

「ありがたく」

「ありがてぇです」

「いただこう」

 口々にそう言って楽しそうに献立を選ぶ。駆け出しで儲けてないから飯にがっつくさまは微笑ましさすら感じる。

「選びながらでいいが、そも俺はおぬしらの名前を聞いとらなんだ、名を名乗れ」

「……中居九郎義忠」

「そのおつきの辰郎といいますぅ、よろしくっすわぁ」

「同じく松吉と申します……」

 武士の子が義忠、鈍牛のおつきが辰郎で、優男が松吉か、と小さく口で行ってから弥兵衛が名乗り返す。

「俺ぁ弥兵衛、他所からでてきたから大層な名は持たねぇただの婆娑羅モンだ」

「何を、弥兵衛殿の功名はお伺いしております」

「悪名の間違いだろう?」

 そう言って弥兵衛が鼻を鳴らした。

 弥兵衛は強い。異界の主を単独で刈り取るほどに。しかし強ければ強いほど嫉妬も買う。理屈では理解してるが、それを飲み込むほどには至らない。どいつもこいつも箆棒め、よわっちいのが悪いんだろうが。強ければそれでいいだろうが。強者の傲慢と言わば言え、しかし戦いにおいて強いと言う事が正しく弱いことがすべてよくない。弱肉強食とは言ったものだ、それを理解する人間は少ないのだが。

「まぁ、いいさ……名はわかった。んで、おぬし等が打ち取ろうとしてる敵はなんぞ」

「鋼噛……亀ですな」

 異界の主は異なる異界でも同じ姿を取ることが一定数ある。それらは報告され、名付けられ、絵師が特徴を描きだして、本屋で売られてその姿を確認する婆娑羅者は多い。鋼噛ハガネカミは一言で言うなら巨大な亀だ。そして人を喰う肉食の亀で、すっぽんのようだとも言われる。異界の主は多くがどこか異形であるが、鋼噛もまたそれにたがわぬ異形を持っている。とにかく硬く鉄様な甲羅、びっしりと見える牙、そして肉の部分もとにかく硬い。動きは遅いがそれがどうしたと言わんばかりに動けば圧倒的な破壊を振りまく厄介な相手だ。

「……喰われたか」

「然り……噛み千切られてしまった中で腕だけが刀を持っていた腕が……刀を持たずに帰って」

「そうかい……ま、良くあるこった」

 異界で死ぬ婆娑羅者はとにかく多い。自分の力を過信して挑み、そのまま討ち果たされてこの世の土を踏むことなく果てて死ぬのだ。弥兵衛の知り合いもまたそうやって死んでいったし、その知り合いも死んでいったものを知っているし、またその知り合いも……そうやって命を落とす。だから高い金を得て一瞬のうちに使い果たす。明日は我が身の婆娑羅者だから、江戸っ子の気質に当てられて使い果たしてなくすのだ。弥兵衛も自分がいつその立場に行くか、自分自身でわからずともいつかその日が来ることだけは漠然と予感している。だから言う。

「言っておくが、お前らの内誰かが今宵死ぬこともある、とだけは覚悟しておけい」

 その言葉に三人が喉を鳴らした。

「いや、真っ先に俺が死ぬかもしれんな」

「不吉なことを言わないでいただきたい……」

「ド阿呆……異界はそんなぬるいところではねぇ……そりゃ死なないときもあるが、死ぬときのほうが圧倒的に多いのだ、死なぬほどに腕を上げられるのは運のいいひと握り……その一握りすら時に死ぬのに、俺らがそうならぬ保証はどこにある?ましてや駆け出し三人だぞ?よう聞け?多くの半人前は、メンツの誰かが死んで初めて現実を見るのだ……」

 弥兵衛はそう言いきった。誰もが暗い顔をする。

「ま、若いのを守るのは先達の務め、俺が前に出る……死んだらさっさと逃げろ」

「で、できませぬ、武士が逃げるなど」

「ちっ……これだから喰いつめ武士上がりの婆娑羅者は……」

 婆娑羅者になる人間は何かしらの理由を抱えた人間が多いが、特に武士は異界のヌシを勝手こその一人前と見る向きが多い。それはもともと戦う人間としての矜持があるからだろうが、それ以上に武士は自らに引かぬことを課してるところがあった。それは同調圧力ともいえるだろう。引く人間は弱い、卑怯、といった風説がまかり通っている。喰いつめてなおのこと見栄を張らないといけない喰いつめ武士……世なら口入屋から仕事を漁っているような貧乏侍も多いからなおのことだろう。冷静に判断できる武士はそもそももっとくらいが高く、まとまった金、まとまった土地があるような大きな家名を持った者たちで、そう言ったものはそもそも例外だ。

「弥兵衛殿……例えあなたが強くとももしそれ以上言うのであれば切らねばなりませぬ」

 義忠はそう言った。武士のメンツとはややこしいものだ、と弥兵衛は思う。

 面倒なやり取りをしてる間に食事が来た。運ばれてきた膳にはそれぞれとりどりの食事が乗っていてどれも美味しそうに見えた。弥兵衛の膳には浅漬け盛り合わせ、大盛りの白飯、味噌汁、主役を飾るのは炙られた鮪のトロだ。大降りに切られた鮪のトロが熱を上げながら横長のさらに乗っていて、味付けは醤油とわさびを自分でつけて喰うのだ。最近は牛や豚も上がるようになったがまだまだ生臭いからこちらのほうが弥兵衛は好みだった。

「弥兵衛殿は……鮪ですか」

「ん?あぁ、そうだ」

「……世は変わりましたね……」

「そこは……そうだな」

 かつては捨てられてたものは今はもてはやされる、時が変われば事情も変わると言う事だった。言葉少なに答えてから、弥兵衛は箸を持つ。まずは米を口に運んだ。米は炊き方で店の良し悪しの判断材料になるから、始めていく店ではとりあえずまず飯を食べてみる。下の上に乗った米はわずかに甘く芯が残っていることもない、あたりの店と言う事だろう。味が期待できる。それから味噌汁を飲む、風味が少し柔らかい。出汁にはおそらく鮪節を使っていると思われた。鰹に比べて強く出汁が出るわけではないかどこか上品だ。それを好まぬものは弱い味だと言うが美味しければいいではないか、と弥兵衛は思う。大体そう言うのは男らしくないと無視される。続き、浅漬けを齧る。胡瓜、蕪、そして茄子、緑と白と紫が鮮やかでとりあえず運んだ胡瓜の浅漬けは塩気もあるのに味噌汁の塩気を洗い流し次の飯を運ばせようと思わせる。トリは鮪の炙りトロ、柔らかい身を箸先で押すと抵抗なく切れ、それを一口大にして醤油とわさびを付けて口に放り込む。至福の味だ、鮪の油とうまみがいっぺんに舌上を暴れまわり、すぐに米が欲しくなる、多めに米を喰い、それを油と一緒に臓腑に流し込めば極上と言うほかがない。惜しむべきは酒がないことだけだが、戦う前にはこれくらいがいい。ふと、思い言う。

「おぬしら……」

「?」

「もし生きて帰ればまたここでおごってやる、気張って生きろよ」

 一瞬唖然として、しかし引き締めて、すぐに応と答えてきた。

 たまには若い人間の面倒を見るのも悪くない、と弥平は思った。

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