江戸と江戸の人々と

第9話・許容と拒絶と戸惑いと

 俺が登城してから約一年が過ぎた。どの時代にも天才と言うのはいるもので、俺が基礎だけ教えた……と、言ってもある程度俺以外の拡張があることを想定していたとしても、それ以上に進歩のスピードは速かった。日進月歩とはまさにと言ったところだ。特に活躍著しかったのは国学者と呼ばれる連中だった。彼らはまさに学者肌の集まりで、とにかく得たものをまとめ、体系化することにたけていた。特にもともと古代中国からパクってきたものをそのまま拝借したから、それに対して俺以上に知識のある人間はとにかく順応が早い。若い人間は新しいおもちゃをに入れたとばかりに仙術を使い倒している。俺が多少整えたインフラは既に彼らのものになっていた。江戸城は住む場所としての快適さを増している。特に階段はエスカレーターになったのはもはや唖然とするほかない。

 また、約束は正しく執行されて、民衆にも仙術を教えることが正しく行われた。武士の国学者たちに対し民衆はさらにその順応性は高かい。

 龍脈から霊力を吸い取る技術を使って小さな氷室、つまりは冷蔵庫を職人が作りだし、とにかく地震に強い新しい家屋を大工が作り出し、またとある刀鍛冶は武器に遠エンチャントを行う技法を編み出した。

 一度広まった便利なものは即座に取り込まれ、そして日々消費されている。まさに、江戸は……否、江戸時代は変わっていく。もはやそれを止めることは誰にもできない。

 特にそれを如実に表すのはギルドとでも言うものの設立だ。当初、それこそ最初数か月は異界に入るのは武士の特権だったのだが、一度見つけるとあっちこっちに異界が現れるから対処するにも手が足りない、となればもはや民衆から腕っぷしの強い人間を使うしか方法がなかった。最初は狩人の真似事など……と、言われたこともあったが、でかい化け物を刈り取りその毛皮で鎧を作って見せびらかすバサラ者が現れたとたんに、こぞって異界に足を運び入れるものが出てきたのである。男が最も多い、それは江戸から地方にかけても変わらない。血気盛んな男たちは我先にと競って異界に入って死を恐れずに敵を狩る。しかし女がいないかと言えばそうではない。旦那に取り残された未亡人、男を嫌う女、とかく張り合いたがり、他にも多くの気質の女もまた異界に入り戦っていく。そして戦って戦って、運が悪ければ男も女も命を落としていくのだ。

 だが、そんな中でも拒否するものもいる。新しい技術になじめない人間はいつの時代にだって一定数いるものだからそれはしょうがなかった。

 俺が見た幾人かの人間は俺を似非導師となじり、そして唾棄していた。江戸城でもそう言った存在は多くいた。身分がある以上、表立って悪口はなかったが、敵意を感じることはひしひしとあった。例えば元毒見はそうだ、俺が将軍に対し毒から守られる加護のあるお守りを渡したからお役御免になったのである。仕事を奪われたとなれば恨むのもしょうがないのだろう。勿論反省はしない。そう言った面での反発も大いにあった。

 だが、どちらにせよ、時間は過ぎて歴史になっていく。

 少しだけ、俺は歴史の奔流を眺めてみることにした。


   〇


 江戸の町の一角、とある長屋に男がいる。

「弥兵衛、弥兵衛はいるか!!」

 声がかかった。男のだみ声だ。とにかく大きく耳障りだが、それに答えないわけにはいかない。眠気の含んだ声で答えた。

「なんだ、とっつぁん!家賃はまだだろうが!」

「阿呆このすっとこどっこい!!てめぇは家賃をツケにしてるだろうがっ!!」

 ちっ、思い出したか、と弥兵衛は舌打ちする。だが仕方ないではないか、俺には家賃よりも優先するものがあるのだ。まずは酒だ、最近は仙術で味の濃い酒が出回るようになった、それのつまみも欠かせない、少し前までは猫またぎとまで呼ばれた下魚のマグロは冷気で鮮度を保てば抜群に美味く脂身は焼けば濃い酒をいくらでも流しこむことができる、そうなれば女だってほしい、油で体が暖まると少しでも動きたくなるしそこは特に股についてるぼうっきれを穴に突っ込むとそれは本当に気持ちがいい、だから家賃を払ってる場合ではない、と、弥兵衛は言い訳するが、どうも頭の固い唐変木の親父はそう言った男の浪漫…誰が言いだしたかは知らないが、語感がよい……を理解できない、既に男として枯れているのだろう可哀想なことだ。

 だが、そんな堅物であってもこの長屋を支配するのはその男だから答えないわけにはいかない。

「ったくっ……五郎の親父、わかってるから」

「はんっ!何がわかってるだ盆暗め」

 長屋の扉を開くとそこには熊のような大男が立っている。長屋の大家の五郎左衛門である、諱は聞いたことはないからわからないが、いかつい大男にいかつい名前は良く似合っていると弥兵衛は思う。そして名前は長ったらしいからいつも五郎の親父などと略されるのだが、時々ちゃんと呼べ、と小突かれる。知ったことではない。

「たく、これ以上家賃を払わねぇってんだったら長屋からたたき出すぞい!?」

「わーったよっ……次の異界で稼いだら払うって!」

 そう言った瞬間に五郎左衛門の目が光った気がした。

「弥兵衛…言ったな?」

「ん、んだよ……まぁ、言ったがよ」

「だったら丁度いい、おめえさんの腕を見込んで手伝いを申してる徒党がいる、そこで手伝って儲けてこいや」

 徒党とは異界で狩りを行う際に、個人ではなく組で行く際に作られるものだ。元は火消しが作ったものなのだが火消しから分かれていつの間にかできてたからどのように発生したかはわかっていない、しいて言うなら自然に出てきたとでも言うべきなのだが、ここ最近は小さな徒党が雨後の筍のごとく作られては消えていく。こう言った粗製濫造の徒党は多く、大成するものはそこから出るかどうかで言えばひどく少ない。

「俺が行くのか?徒党なら俺の出る幕はなかろうよ」

「いいから行けっつぅんだ、マジでたたき出すぞっ!」

「やべぇこと言うなって……わぁったから……」

 長屋の親父はとにかく声がでかいんだ、と内心で愚痴りながら鎧と長巻を手に取った。かつては長巻は規制されていたのだが異界が出たとともに法が変わったのだ、棒切れ一本で戦えとは流石におかみも言わないらしい、そんな有情をかけるぐらいなら異界から持ち帰ってきた財を税と称して巻き上げるのはやめてほしいのだが、それは聞き入れられないだろう。上はいつだってそうだ、奪い取ることだけは得意なのだ。そんな世知辛いことを多くのやつらは共有した思いとして持っているとは思われるが、声にしたことはない。捕まるのは誰だってイヤだ。

 準備を終えて弥兵衛が向かった先は一軒の茶屋だった。茶屋は異界に行くときに徒党が休んだり、取引が行われたことからだんだんとただ茶を出す場所と出はなく、異界に出るもののたまり場になった、弥兵衛がいるのは少しばかり名の知れた茶屋で一流どころの徒党が入る場所ではないがそれでも二流くらいは足を運んでも問題ないような茶屋だ。俺はこんなところ嫌いなんだが、と小さく愚痴を吐く。弥兵衛自体は華美な場所は嫌いではない。華美な女は大好きだが。しかし場所は俺を気持ちよくしてくれないではないか、と。どこまでも弥兵衛は自分本位だった。しかし金と大家に勝つことはできないからいやいやながらに決心して暖簾をくぐった。こぎれいな格好の徒党が多い。異界に潜るにはあまりにも細工が効き過ぎているような気がするが、そんなことを指摘してやる義理はない。紙に乱雑に書かれた特徴を頼りに徒党を探す。少しの時間をかけて見つけた。若い男女がそこにはいた。

「もし、俺は弥平と言うものだが、俺を呼んだのは貴殿らでよろしいであろうか?」

 その声に振り向き、徒党の主と思しき男が口を開いた。

「しかり、俺がこの徒党の主だ」

 弥兵衛はそう言った男を見る。明らかに若い青年くらいの男だ。線が細く美少年で、こんなところにいるより陰間茶屋で尻を売っていた方が似合いそうだし、わざわざ危険を冒さなくても歌舞伎でいくらでも稼げそうなものだ。しかしそれができないのは何か理由があるのだろう。弥兵衛は深入りしない。人の事情に足を踏み入れるのは長生きするには少しばかり迂闊だ。

「ふむ……ならば主殿この徒党の名は?」

「武州木場組」

「ふむ」

 名を思い出すようにし、

「聞いたことがないな……名のある婆娑羅者はおるまい」

 婆娑羅者とは異界に入る人間を総称する言葉だ。お上に税で持っていかれるとは言え、それでも犯罪をせずに真っ当な職ではありえない金を稼ぐことができる。それを派手に使う様を婆娑羅に例えられたら、気づけば異界に入るような命知らずは見な婆娑羅者と呼ばれるものになったのだ。

「然り、だがいずれそうなる」

「カカカ…そうやって命を落とした婆娑羅者を多く知っているがな」

「俺たちはそうならぬ……そうならぬように貴殿を呼んだ」

 そうだ、と、

「蛇食み弥兵衛殿」

 ちっ……と弥兵衛は舌打ちをした。蛇食みとはとある異界の大蛇を殺したときにつけられた異名だ。弥兵衛としてはそんなださい異名などお断りだが、周囲は面白がってそう呼ぶし本来異名がつくほどとなれば婆娑羅者とは一流だ。弥兵衛はとにかく天邪鬼なだけとも言えた。

「ふんっ……勝手に人がつけた名だがね」

「人がそう呼ぶと言うなら、それにふさわしい力を持っていると見受ける」

「ふん……まぁ、いい……それで命知らずの若婆娑羅、わざわざ俺を呼んだと言う事は、どこか命を張っても行きたい場所があるのだろう?」

 ああ、と若い男は言った。

「……父が異界に行って死んだ、良くあることだ……だが、戻ってきた体に刀がなかったんだ……先祖代々の守り刀を……」

「命あっての物種を取り落としたのか……それで?」

「だから……取り戻す」

「……わざわざ?」

「そうだ」

 弥兵衛にまっすぐ向き直り青年は言う。

「俺は端くれとも言えど……武士、なれば戦って取り戻す、まだ駆け出しも承知だ……故に手を貸してほしい、弥兵衛殿」

 誇り高い武士が、

 傲慢な武士が、

 ただ武家と言うだけで威張り腐ることもある武士が、

 そう頭を下げてきた。

 弥兵衛は息をのみ、そして少し考えて、

「わかった」

 ただその一言を告げた。弥兵衛は江戸っ子だ。江戸っ子はそう言った人情に弱い。いくら天邪鬼の弥兵衛とも言え、父親の形見を取り返したいというその心意気に胸を打たれぬわけもない。だから柄にもなく思ったのだ、この糞餓鬼婆娑羅の手助けをしてやろうと。

「何、俺とて一端の婆娑羅者よ、大船に乗ったつもりで俺に背を任せろや」

 弥兵衛は尊大にそう告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る