第8話・江戸が変わり始める

 将軍はふむ、と、言って俺に問う。

「聞きたいのだが、導師殿の言うみな、とはどれほどの数をさす?」

「いわゆる…日ノ本全土、ですね、上から下まで、武家から百姓まで」

 俺の言った言葉に唖然とした人間は多い。そうだろう、恐らくだが多くの武士…特権階級たちはこう思ったはずだ、これは武士たちで共有されるもの、と。

 だが、俺は真っ向から反対することに決めていたのだ、理由は複数ある。それを彼らが理解できるかは分からないが。

「いけませぬ、これはいけませぬぞ、とのっ!!」

 もはや叫びが過ぎて声が金切り声の如くなった老中を将軍が静止する。

「落ち着け」

「落ち着けませぬ!」

 もはや悲鳴にも近い声で訴えた。

「このような力を民が持てば武士がどうなるかはっ…!」

 流石に江戸の…ひいては武士を通して日本の政治を取り仕切ってるだけあって頭が回るようだ。そう、俺の言ってる事は余りにもリスクがある。例えばだが秀吉が刀狩りをした事がある。これくらいは俺も記憶していただのが、これは半武士だった農民から戦力を取り上げる、無力化とまでは言わずともある程度武力を奪う政策だった。しかし、俺がもし民衆に仙術を覚えさせたらどうなるか、それは奪えない武力を渡すということに他ならない。刀狩りのように物質的に奪うという措置が出来ない。そうなれば上に立つ人間で頭が回るなら最悪の状況を想像するのは難くない、それでも、だ、俺は止めるつもりもない。

「まぁまぁ…落ち着きなさいよ」

「何をっ…これが落ち着ける訳がっ…!ようやくもたらされた安寧が壊れる瀬戸際だとっ…!」

 言いたい事は分かる心情も。だが、無視する。俺はそれを壊そうとしてるのだから。

「でも、正直な話仙術何て武士の大半が持て余しますよ?」

「ほう、そうなのか?」

 将軍が面白そうに聞いてくる。ええ、と俺は言う。

「そりゃそうです、例えばですが武士は多分仙術を戦うことにしか使わないと思います…と、そうだ、そもそもこの説明がまだでした」

 そう言って言葉を切り上げてから、一旦太郎さんにした説明をする。異界の話だ。つまり献上された熊の毛皮の出どころの話になる。最初は胡散臭そうな眼をしていたが、献上されたものを思い出してか強くは俺に口を出せないでいた。

「んじゃ、説明しました通り異界の主を倒したり…後はアレですね、武士としては戦う技術の為に覚える事にはなると思うのですが」

「そうだな、だが異界とは愉快な話である」

「愉快ですか?」

「然り…正直な話その異界のヌシを倒すというのはどちらかといえば狩人の領分かとは思わんでもないが…しかし昔より武士が化物を退治する話は多くあるゆえ、そう言ったこともあるのだ…つまりは武士が力をふるう領域がまだ残っていると言うことよ、それが愉快でたまらんのだ!」

「は、はぁ………?」

 俺には理解できない思考回路だ。いや、言ってることはなんとなくだが理解はできる。武士が本懐として、または武士たらしめんとしての武威をふるう場所があると言うことが嬉しいということなのだろう。それは官僚化する武士を見るそのトップの将軍だからこその知見なのかもしれない。

「おっと、話の腰を折ってしまったの…続きを」

「そうですね…まぁ、とにかくほとんどは戦うことに費やされると思いますけど、実際は農民とか町人とか…百姓商人後は他の仕事してる人とか、そう言った人が使った方が能率上がる訳です。例えば百姓が仙術で田畑を耕したり雨が無い時に水を降らせたり、料理人が薪を使わずに火を使ったり、戦う以外の利用法の方がそれこそ多いんじゃないかな?」

「なるほど、確かにそれは武士だけで独占するには惜しい」

「しかし殿!」

「誰が話の間に挟まれと言ったか?」

 また押し黙る。みるみる不満ゲージが溜まって言ってるのが分かる。それから将軍がしかし、と続けた。

「余は武家の棟梁よ、老中どもの言い分も…言ってはおらぬであろうが大名の言い分も理解できるのだ」

「はい」

「だからだ、順位を付けて広めて貰えぬか?」

「ふむ」

「まずは武家よ、それから…まぁどう広めるかは導師殿の自由である…そも、我らに本来導師殿を縛る術などないのだが、どうにかそうしてもらえぬだろうか…?」

 そう言って頭を下げてきた。静まり返る。おそらく誰もが見てはいけないものを見ているかのような、そんな気分になっているはずだ。将軍が、武士の、ここにいるすべての大名を統べる高貴な存在がポッと出導師ごときに頭を下げているのだから。

「将軍は…謙虚ですね」

「謙虚か…はは…この場にいる全ての命を握られてるのなら…頭を下げるくらいは訳ない」

「それがきっと謙虚なんでしょうね…」

 俺にはこれを無視する力がある。えせ導師ではあるが、それでも俺はそれに匹敵する力を持っている。ふるえばここにいる俺以外はひとたまりもないことを俺は理解している。だが、こう頭を下げられれば俺も引くしかない。

「分かりました、武士の方から…ただ、ある程度教えたら上役から下に教えるようにして欲しいのでそこだけはお願いします」

「くくっ…導師殿こそ、謙虚であられる」

「俺が?」

「好き勝手ふるまうこととも勝手であろう?」

「だから好き勝手この場の雰囲気に流れたまでです…只の生臭ですので」

「……久方ぶりに面白い時間を過ごした気がするのう」

「将軍ともなれば勝手な事はできないでしょうしね」

「それは言えぬな、将軍であるがゆえに」

「そうですか………」

 ここからは一つ二つ取り決めを交わしてから、この日の話は終わった。



 それからほんの数週間が立つ。俺は江戸城に詰めていた。

「導師殿っ!ここの方で御座るが!」

「導師殿っ!龍脈から霊力を吸うとはいかほどかっ!?」

「導師殿っ!こちら霊力を身体にまとわせるというのは………――」

「導師殿っ!」「導師殿っ!」「導師殿っ!」「導師殿っ!」「導師殿っ!」「導師殿っ!」

 俺に陰陽寮だか何だかの役職を仮に与えられてからは随時そんな感じであった。誰もが俺の元に来ては教えを請おうとする。そも、誰もがどうするか、という指標を持たないから無理もない。何が出来て何が出来ないのか、俺以外は誰も理解できないのだ。

「えっと、その方角なら………――」

「後でそっちに式神を送りますんでそれと対処してください!」

「それは練習でどうにかしないとなので、既に習得した人から霊力の流し方を教えてもらって下さい!」

 とにかく捌いて回るのは忙しいが、どこか楽しい時間でもあった。

 俺は今江戸時代を生きているのだと。

 そのうえで少しずつ変わったこともある。小さな一歩であるが出てくる料理が変わってきたのだ。前に将軍に言った、とにかく肉とか食べようと言う話を覚えていたのだろうか、膳に出てくる食事に肉や魚がついてくることが多くなってきたのだ。味は………素朴だが。しかし、こんな進歩でアレ進んだという事実は変わらない。俺の目指す方向は近づいてきているといってよいだろう。

 それだけではない、この新しい力を得た官僚たちは新しい江戸の街をつくる為に毎日の様に町割りの図面を作っている。地脈の概念を作って教えたのだが、それを使えば新しいインフラを作り上げてそれを使えば疑似的に現代的な事が出来る。江戸城はその象徴とするために多くの改良がくわえられる予定だと普請を担当する武士が楽しそうに言っていた。

 俺も手を貸している。前に約束した通りに氷室と呼ばれる部屋に術を施して疑似的に冷蔵庫と冷凍庫を作り、火周りや水周りにも改造を施した。これは大いに料理人たちを喜ばせた。後は大奥に連れて行かれて、その改善も行った。エアコンのような物を術として作ってそれを設置したのだ。大いに喜ばれ、これは他の部屋にも作り上げることになる。後で教えてもらったのだが、大奥の女性たちの健康もかなり改善されたらしいが、ちょっと臭くなったのだという。肉を食う様になったから匂いが出てくるようになったのだと思われる。

 こうしていくつもの良いことと悪いことが折り重なりつつも江戸城の日々は進んでいく。

 これが終わればとうとう仙術を民衆にも広げることになるだろう。そうなれば、江戸は多く変わっていくことになるだろう。

 たとえそれが、多くの人に幸福と不幸を与えることになったとしても。

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