第14話・許容と拒絶と戸惑いと/半兵衛の話

 半兵衛は酒造りの職人だった。先祖が何でも破戒僧から伝え聞いた清酒の作り方を使って酒蔵を開いたのだという。地元名士と知り合いだったことも原料を手に入れることに一躍買った。祖父が酒を仕込むのを見ていたことがある。父が酒を仕込むのを見ていたことがある。自分もまたそうなった。これからもきっとそうなるのだ、と思っていたが、どうにも最近はきな臭い話が多い。それはお江戸の街に導師だか仙人だか、それを分かる術はないが、とにかくそのアヤシイ術を使う誰かが下りてきたことからだろう。それからというもの目まぐるしく時が過ぎていく。やれ異界だ、やれバサラものだと、派手な仕事、派手なナリがまかり通っている。それは別にいい、派手好きなのは、しかしそう言った人間は得てして乱暴であることはどうにもならない。「親父ぃ、別に変な事を言ってねぇさ、酒を売れって言ってるんだ、な?」

 眼前に件のバサラものとやらが居るのは頭が痛くなる問題だった。人数にして四人程度、霊力を纏って圧をかけてくる。

 これが普通の売り買いであれば半兵衛もすぐに売っていた。しかしこの男は値切ろうとする。値切ろうとするのは誰でもやるが、

「はんっ導師様の御業を使って脅して酒を飲もうとはお前さんもたかがしれてらぁ!帰れ!お前なんぞに売る酒はねぇってんだ!」

 曰くお優しい導師様が日ノ本の民皆が仙人の術を使えるべきだと主張したらしい。そのせいでのべつ幕無し馬鹿でも仙術を使うことができ、こうやって脅してくるようなヤカラも増えてきている。

「ったくよぉ、コッチがだまってりゃ調子こいててめぇ、酒屋の親父如きがよぉ」

「その酒屋の親父如きに技使って脅しかけてるチンピラはどこのどいつだあぁ!?」

「てめぇ!!」

 一触即発の空気が漂う。周りもそれに充てられてさっきがただよってくる。そもそも江戸にこの程度で引くような臆病者はいない。そう言った人間は後ろ指さされてしまうだけだ。たとえそれが虚勢であっても、いも引いて逃げるような事だけは何にかけてもあってはならないのだ。半兵衛の酒蔵に勤める若い衆の何人かが胸に手をおく。護身用にしまってある短刀を今にも抜きそうな勢いだ。バサラものとやらもそれに気づいて臨戦態勢を取っている。半兵衛も段々と痺れを切らしてくる。

 それに待ったをかけたのは女の声だった。

「馬鹿タレ!!酒蔵壊す気かてめぇら!」

 おかみさん、と誰かが言った。空気が変わる。

 歴史ある、などと口が裂けても言うつもりはない酒蔵を主人の半兵衛以上に愛してるのは嫁の小鈴だろう。名前は小鈴だが、体型は真逆だ、まず半兵衛より背が高く、太く、そして圧力があった。顔立ちは普通だが愛嬌がある。しかしその愛嬌は怒ると鬼の様だった。半兵衛の妻になったのは、単に成り行き…というよりは小鈴が大酒のみと言うことがあるだろう。ザルと呼ばれる大酒のみの小鈴がほれ込んだ酒蔵の若が半兵衛の妻の座に収まったのが事の顛末で、だからこそその怒りはある意味半兵衛よりよほど恐ろしい。

「ん、んだ、アマ!!」

「ぉぉ?ひるみやがったなぁこえが!!」

 頭に青筋を立てながら小鈴が前に出た。

「いいか、ここはアタシの酒蔵じゃねぇ、由緒だって旦那曰くねェ…がそれでも受け継いできた藏を壊されることだけは勘弁ならねぇよ!!」

 小鈴が形相を鬼にして大声を出した。その瞬間からその場を支配する人間が誰かというのを理解させられる。その場を支配していた雰囲気が一気に霧散する。婆沙羅者の一人が舌打ちをした。罰が悪そうに悪態をつく。

「ちっ…もうこんな酒蔵こねーよ」

「待て」

 半兵衛が叫んだ。

「んだ、じじぃ」

「まだ爺じゃねぇし…これ持ってけ」

 小さな徳利を1つ押し付けた。

「は?」

「いいか?俺は売りたくねえわけじゃねぇ、うちの酒にちゃんと金を出そうとしないヤツが腹立つんだ、それ飲んで気に入ったなら、今度はちゃんと金出して買えよ、バサラものとか言うんだろ、金はあんならそれくらいだせや」

 江戸っ子らしい早口でそう言いきった。もはや立つ瀬がないのか、奪い取るように徳利を持って行くその背を見つめ、満足そうにうなずいてから、

「ふんっ!!」

 鈍い音ともに半兵衛が小鈴に殴られる。

「あんたっ!何タダで渡してんの!!」

「い、いや、あそこはそうする場面だろ」

「ちゃんと金出せって言いながらタダで渡してりゃ意味ないだろぉっ!?」

「だ、だけどよぉ」

「だけどもしかしもないっ!」

 威勢のいい半兵衛も嫁にだけは頭が上がらない。そんな姿が酒蔵の日常で、先程までの熱気はいつの間にか消えていた。

「ったくっ…ここ最近は同業者も増えて来てるんだからぼやぼやしてたらダメんなっちまうよっ」

 まったくという体で小鈴が言うのにそりゃな、と同意を示す。仙術は何も江戸だけではない、百姓に、地方に伝えられてそれが活用されている。百姓はこれでもかと術を使っていると仕入れている地主から聞いた。かつて重労働だった開墾は地の気を遣えば簡単に耕すことができ、木の気で風をふかして選別が簡単にでき、他にも色々とやることで能率が上がることでコメ余りとも言えるほどのコメが溢れ、その売り先に困るほどだという。村によっては自分たちで酒を造って方々に売り歩くという事もあるらしい。他にも最近は麦を使った麦酒というものが考案されたと聞く。風の噂だがこれは導師様が教えてくれたと聞くが、実際は分からない。重要なのは今次々と酒の売り手が増えていることで、それは半兵衛にとっての商売敵が増えているということだ。増えては消え増えては消え、しかしその中で本物になって生き残るものが現れ、残っていたものが消え、そしてまた新しい何かになっていく。今はそんな熱がどこもかしこも溢れていた。

 どうしたものか、と思う。半兵衛は自他ともに認める古い人間だ。頭が固いとまでは言わないが、受け継いできた人間特有のそれを尊ぶ考え方の持ち主だ。ここ最近は息子と喧嘩もした。五人いて、その長男、この酒蔵を継ぐ予定の男だ。息子は新しい材料に異界のモノを使った酒を造るべきだと主張した。それを半兵衛は否定したために起きた論争だ。無論若い頃の半兵衛もそう言った論争を自分の父としたことがあるから、仕方ないのかもしれない。だが半兵衛にしてみればこの自分たちの住む現世にあるものならまだしも、異界の何が起きるか分からないものを使うというのはあまりにも無謀が過ぎると思う。しかし今はそう言ったものを使っての酒を造ってる所もあるという。半兵衛は昔気質の人間で職人だ。だから、今自分のやっていることに誇りを持って行うことしか手段が無い。小鈴の言葉に短く、ああ、と呟いた。


     〇


 一日が終わる。活気に満ちた江戸の街から喧騒が消えることはないが、流石に中心を外れた半兵衛の酒蔵付近はまだ静かだ。

 酒蔵に併設された自宅の縁側で腰を下ろしして酒を飲む。自分で仕込んだ酒、それに当ては豆腐でゆっくりと猪口を傾けながら思案する。目まぐるしい、と思う。ここ最近は特に。石頭の自分はどうにも時勢についていけていない気がする。新しい時代、新しい酒、古い自分、古い自分の酒、考えることがあまりにも多すぎた。仙術が無かったころのようにただ酒を造っていればいい時代ではないのは確かだ。長男は異界の作物で酒を造ろうとしている、他にもジャガイモとやらから酒を造れるかもだとか、安くなった蘭引き(蒸留器)で酒精の高い酒を売り出したいという。次男は寺子屋で算術を学び、他にも少し前まで奉公していた所で学んだ商売の技を生かしてもっと酒の販路を増やしたいという。娘は居酒屋を作って売ろう、自分で看板娘をするから、と言う。

 どれもが若く、どれもが自分では思いつかなかったような事もある。猪口を傾け、臓腑に酒を落とした。どうなんだろう、俺はどうすればいい。俺は…酒に酔い、酔った思考が頭の中を回る。胃の熱さと頭の熱さが繋がり、ぐるりと脳裏を回っていく。

「あんた、深酒はおよしよ」

 小鈴の声が耳に届く。寝巻のままやってきて腰を下ろし猪口と徳利を奪って自分で飲んだ。

「俺に言うのにお前さんは飲むのかい」

「あたしゃザルだからね」

 得意そうに言った。

「へっ…違いねぇ」

「何よ、今日はおとなしいじゃないのさ」

「俺にもこ―言う時くらいあるさ」

 そう言って猪口を取り返して飲む。

「昼に言われたことを、思い出していた」

「昼…?あぁ、アレ?ぼやぼやしてたら~…ってやつ?」

「あぁ…柄にもねぇって分かってるけど………な」

「バカだねぇ………」

「知ってる」

「違うよ」

「何が」

「悩んだって意味ないのさ」

「ちぇっ、バカは考えるなって?」

「ふふっ…ホント柄にもないこと考えてるのねぇ」

 いいかい、と、

「昔行ってた寺子屋の先生がおっしゃったのさ…消えては出て消えては出ての世の中で、かわらぬよさを持ったものだけが残り続けるってさ…あたしは読んじゃいなかったけど三国志演義とか言うのがずっと残ってるとか、そうだ、あとはあれ、枕草子とか源氏物語とか」

「ふぅん」

「だからさ、あんたも私ももう…若くはないしさぁ、それに頭も固くなっちゃったからどうとかは言えないけど…それでも出来る事って言ったら…」

 小鈴が徳利を揺らして見せる。

「こいつをうんと先まで残るような物、作るしかないんじゃないの?」

 そう言ってまた一口口を付ける。

「そうかぁ…」

 揺れる頭で答えた。

「俺に…出来るかよ?」

「さぁ?でも、それくらいの意思でやり続ければ少しは出来るんじゃない?」

「そうかぁ………」

 うん、と言う。

「結局俺には俺のできることをするしかねぇってこったなぁ」

「そりゃ、職人に出来る事って言ったらそれだけだからねぇ」

「ま……それもそうだ」

 それしかないとも言う。結局のところ、迷い、惑い、ふらふらと訳の分からぬ道を職人のやり方で通すしかない。時代は変わる。変わり続ける。酒もきっと変わるのだろう。

 徳利を持って半兵衛は立つ。

「なぁ、小鈴よぉ」

「ん?なんだい?」

「もうちょっと付き合え、汲んでくる」

 中の酒は空になっていた。


 戸惑う人の話/半兵衛職人回顧――終

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