第3話 誘引(2)

 私はまだ消えない。消えないわ。


 終わった者が、何を望んで生きる者の世界へ、留まるの。


 自分でも分からないわ。


 ただ、消えたくないわ。


 そう、もっとそばに……。


 


「大丈夫よ、おいで、きっとあなたのお気に入りの花もあるわ」


 少年は目を輝かせ、口を半開きにしてよたよたと、歩いてくる。


「この中に入って、いいの? お花が潰れない? 潰したくないよ」


「大丈夫よ。さあ」


 少年は片方の足をあげて体をふらふらとさせる。隙間なく咲く場所を踏むことを嫌がっていた。しかし、バランスを崩すして片足がつく。


 


 「私のお庭へ、いらっしゃい」彼の一歩に満面の笑みで答えた。


 


 うあ、と少年は口を開く。


 足元の花たちは自ら避けていく。その様子に驚いていた。


「不思議でしょう」


「すごい、すごいね。どうなってるの。それに、近くで見たらもっと綺麗だね」私には無い彼の瞳の光が眩しい。


「坊やは一人? お母さんやお父さんも後からくるの?」


「パパはお仕事。ママはね、だ、うんと、ね、え、あ、だ、団地、昔ママとママの友達が住んでいて今日ね、集まったから見に来たの。ぼくはつまんないから公園にきたの。公園なら行っていいって言われたから」


 


 そう、と私が不気味に上がる口角を抑制しつついった。


 ひとりなのね……。


「この公園もこの周りの団地も無くなるんだって。だから、どうしてもママが壊される前に見たいってここにきたんだ」


「そ、そうね、壊されるものね……」


「この花はお姉ちゃんが育てたの?」


「そうよ。全部お姉ちゃんが育てたのよ」


「ずっとここにいたいくらい綺麗」


 いいのよここにいて、と言いかけたその時。


 カァー。カァー。カァー。


 絶え間なくカラスの鳴き声がする。頭上を見た。多くカラスが飛び回っていた。カラス様がひときわ大きく鳴いている。




「なんだろう。こわいよ。お姉ちゃん」


「そう、ね」何。これは一体。


 邪魔をしてるの? 私に消え欲しいの?


 カラス様……。




「ねえ坊や。あの隅にある滑り台の所で少しいて。お姉さんがその間に追い払っておくから。ね」


 


 うん、といって男の子は滑り台に走り出す。途中で足を止め振り返った。「気をつけてよ。お姉ちゃん。危なくなったら一緒に逃げようね」


 笑いながら「そうね」と答えた。作り笑い以外の笑顔は久しぶりだった。




 バサバサ、と黒い羽が降り立った。


「さっきからどうしたの? まさか、私に消えてほしくてしてる訳じゃないわよね」


「何をいってる。それより大変だ」冷たい大きな目には焦りが映っていた。


 早く要件をいってよ、というと「まだあの幼子から十分な力を吸い取っていないのか? 時間がないのなら無理やり力を吸い取れ――」


 私が遮って話す。「いやよ。力尽くでなんて。それより、どうしてそんなこというのよ?」


「来るんだ」


 何が来るっていうのよ、と語気を強めていった。


「霊犬が」


「あなたのような動物霊でしょ? それが何よ」


「俺は用が済むまで暇だから。公園の近くを飛んでいた。すると、遠くからものすごい速さで駆けてくる霊犬がいた」


 私の様子を伺うこともなくカラス様は早口で話を続ける。


「動物霊はすぐに消える、おまけに大概はただふらふらと歩くだけ。走っているそいつが珍しくて、声をかけた。それは、唾液をまき散らしなが、こちらを見ることもなく”公園”と連呼していた」


 「それだけじゃここへ来るなんて分からないわ」そういっても私も嫌な予感がする。


 お化け特有の気配を感じる。


「逃げよう。危ないぞ。お前だって感じているはずだ。今、力の少ないお前が巻き込まれたら――」


 ”来た”


 私たちは互いに同じことを思ただろう。


 お化け特有の気配。


 怨霊と化した者の気配。


 それは、公園の入り口で止また。


 霊犬は大型で体毛はなく。真っ黒い筋肉が体にしっかりとつき、首肩足にはさらに異様についていた。体中に血管は浮き、脈打つ。


 霊犬はハァハァと荒く息をし、唾液が垂れる。


 「ここは、私の庭。お前はお帰り。それとも私のペットになりたいの?」


 言葉を理解している様子はなかった。


 霊犬は一度、高い声で短く鳴く。


 そして。


 地面を蹴り、土煙が舞う。目は赤く丸い。


 矢のような速さで駆ける。


 霊犬のその赤い瞳は、私を捉えていない。カラス様でもない。


 間合いが狭まれば狭まるほど感じる。私の後方へ行く。


 駆ける犬の霊は、小さな命を目指している。

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